ちょうど“Silent majority”に関する記事を読んだ。
前々から考えていたテーマなので、これは書かずばなるまい、と思って今日の話題に取り上げた。
まずは言葉の説明から。
そもそも“Silent majority(静かな多数派)”や“noisy minority(うるさい少数派)”という言葉がある。
“Silent majority”というのは、実は集団の意見の多数派を占めているのだが、積極的に発言をしないため、あたかもその意見がないように扱われてしまう多数派のことをいう。
それに対し、“noisy majority”というのは、実は集団音中では少数派に過ぎないのだが、積極的に(うるさく)発言をするため、あたかもそれが多数派の意見であるかのように受け取られてしまう少数派のことをいう。
みなさんもすぐに具体的な場面を思い浮かべることができるだろう。
PTAの会合でもいい、マンションの管理組合や町内会の集まりでもいい、会社の会議でもいい、それが実はかなり偏った独善的な意見であるにもかかわらず、特定の個人あるいは少数派の人々が、声高に、圧強く発言するため(これが noisy minority)、他の多数派の人々はおかしいと思いながらも、ビビってしまい(ヘタレってしまい)、発言することができず(これが silent majority)、noisy minority の意見に押し切られてしまう場合があるのである。
そして後になってコソコソと、silent majority 同士でLINEなどで愚痴を言い合ったりしている。
しかし、そこで意見を言わなかったのも、(たとえ消極的であっても)minority の意見に賛同したのも、大人の自己責任であるから、どんな酷い結果になったとしても同情には値しない。
自業自得である。
そして、そこで黙る(本音を言えない)ようになるのには、その人の生育史からの哀しき影響がある。
ちなみに私のところに面談に来ているような人たちは、生育史の影響で一旦ヘタレな silent majority になったとしても、本来の自分を取り戻すにつれ、silent ではなくなり、かといって noisy ではなく、steadfast に(毅然と)物が言えるようになる人が多い。
従って、そういう会合の場でも決して黙ってはいない。
で、そういう人たちからよく聞くのは、例えば、先に挙げたPTAの会合でも、マンションの管理組合や町内会の集まりでも、会社の会議でも、毅然と発言し、noisy minority の人たちと、場合によっては、バチバチとやりあうこともあるが、silent majority の人たちはそれでも傍観しており、なんだか孤立しているような気分にさせられることがあるそうだ。
いかにもありそうである。
それで、後になって、silent majority の人たちから(noisy minority の人たちがいなくなったところで)「よくぞ言ってくれました。」「もっといけ、いけ、と思ってました。」などと言われることがある。
これでは情けなさ過ぎる。
おまえも会合の最中に声をあげろよ!
その他にも、ネット上のいろんな「書き込み」においても、社会の中でのいろんな「活動」「運動」などの場においても、類似のことが起きていることもあるんじゃないかな、と思う。
今すぐできなくてもいいけどさ(私も100%の自信はないけどさ)、せめて目指しましょうよ、“steadfast majority(毅然とした多数派)”になることを。
それは間違いなく、あなた自身を、そして世界を、健全にして行く道につながっていると思う。