八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

夕飯は大きなタラバガニだった。
お父さんは一番旨い足の付け根だけを食べ尽くした。
そして残りを妻と二人の息子に与えた。
一事が万事、その調子であった。
数カ月後、妻と息子はいなくなった。
…実話である。

テレビでチョコのコマーシャルを見た。
プレミアムガーナ、ロッテのちょっと高級な季節限定チョコである。
キムタクの食べる様子が映し出されていた。
キャッチコピーは「言葉を失う、劇的一粒」。
これを見て、自分も食べてみたいと思う人は多いのではなかろうか。
そして(自分もまだ食べていないのに)これを食べさせてあげたいと誰かの顔が浮かんだ人は健全であると私は思う。

そして実際にプレミアムガーナを食べた人は是非、キムタクと同じく、目を閉じ、指をピロピロピロと広げ、自分の口に向けた人差し指をクルクルと回してほしいが、
個人的にはそれよりも、プレミアムガーナ食べさせた相手に向かって、指をピロピロピロと広げ、その人の口に向けた人差し指をクルクルと回して、鬱陶しがられてほしいと思う。

愛する照れ隠しに。

 

 

※ちなみに私は〈芳醇カカオ〉より白いパッケージの〈芳醇ミルク〉の方が好きである。

 

「わたしはネクラだから。」
「〇〇さんはネクラだね。」
と言う人がいる。

それは根本的に間違っている。

新生児室にいる赤ちゃんたちを想像してほしい。
私はネクラな赤ちゃんというものを見たことがない。
せいぜい大人しい、穏やかな赤ちゃんならばいるかもしれないが、人間存在が元々「根が暗い」ということはあり得ないのである。

もし「暗い」人がいるとしたら、それは二次的なもの、後天的なものの影響に違いない。
それでさえも、枝の先や葉っぱが「暗い」のであって、その人の大元=「根」は暗くない。

それはサイコセラピーにも直結した話である。
サイコセラピーの知識や技術についてごちゃごちゃ言う人が多いが、
私はサイコセラピストがクライアントの「根」を観通せなければ、サイコセラピーは始まらないと思っている。

ある人が面談に来られた。
「わたしはネクラですから。」
という。
わたしには、その人の幼児期のとびきりの笑顔が観える。
さらに、その存在の奥にある生命(いのち)の輝きが感じられる。
「随分明るい『ネクラ』ですね。」
そうして面談が始まる。



 

ヒューマンエラー、人的ミスは絶対になくならないと言われている。
何故ならば、人間存在そのものがミスをするように作られているからである。
だからといって、ミスをしていい、ということにはならず、できる対策は打たなければならないが、いつも申し上げる通り、人間が元々、ポンコツでアンポンタンであるという自覚は持っておいた方が良いと思う。
その方が、人間が謙虚になる。

 

で、古人も、常に起こり得るミスについては、繰り返し警告を発して来た。

 

猿も木から落ちる」
おっしゃる通り。

 

「河童の川流れ」
泳ぎが巧みなはずの河童でさえ川の流れに流されることがあるのである。

 

「天狗の飛び損ない」
特に得意になっていることでは油断しやすいかもしれない。

 

「弘法も筆の誤り」
日本三筆の一人、弘法大師・空海さんでも書き損じることがあるのだ。

 

英語もある。
“Even Homer sometimes nods.”
あの偉大なギリシャ詩人ホメロスでさえ詩を書きながら居眠りをすることがあった。

 

「釈迦の経の読み違い」
偉い人のミスほど、ああ、あの方でもか、と聞いてちょっとホッとするところがある。

 

以上は、辞書でも有名どころであるが、先日、古今亭志ん生の落語を聴いていたら、「河童の川流れ」に続いて、次のひとことが出て来た。

 

「ムカデもころぶ」

 

流石、志ん生である。
皆さん、自分のポンコツぶりに自覚を持って、謙虚に、支え合って、助け合って、生きて行きましょうね。

 

 

今、金木犀の花が香る。
香りが先で、あれ、どこで咲いているんだろう、と次に花を探す順番が、秋の楽しみのひとつでもある。

同じことが梅の花においても言える。
香りが先で、あたりに梅の花を探すのは、あたかも待ちかねた春を探すような風情がある。

東京では、よくジャスミンの花も香る。
ジャスミンは金木犀と同じモクセイ科の花である。
種類によって花期が長いため、春~秋のどの季節とは言い難いが、香りの王様と言われるほど香りが強い。
その分、樹勢の強いジャスミンを敢えて小さく育てるという人もいるそうな。
香りを愛でながら、あまり強い香りは好まない、というのは、いかにも日本的である。

…などと思っていたら、別の匂いを思い出した。

かつて八雲の近藤宅で開業していた頃、夕方最後の面談が終って面談室のドアを開けると、はるか長廊下奥の近藤家の台所から、美味しそうな夕餉(ゆうげ)の匂いが漂って来た。
いつも丁寧に出汁を取って作られていた料理であったため、その香りは空腹の食欲をそそるだけでなく、作り手の愛と団欒(だんらん)を感じさせるものであった。

そこにはホームの匂いがあった。
(ホームとは、その人が安心してその人でいられる場所を指す)

あの匂いもまた、私のサイコセラピーを後押ししてくれていたんだなぁ、と今になって気がついた。

 

 

映画『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007 アメリカ)は、ブラッド・ピット主演で、数々の賞も受賞しているため、ご存じの方も多いのではなかろうか。
西部劇というには余りにも心理描写の優れた作品である。
映画の楽しみ方は、人それぞれなので、むしろ私の視点は変わっているのかもしれない。
しかし、この映画を観て、ひと言申し上げたくなった。

それは、ブラッド・ピット演ずる冷酷な無法者ジェシー・ジェームズが放つ、独特の空気感が、わかる人にはビリビリとした実感を持って感じられるだろう、と思ったからである。
それは特に、本来は愛着を抱くはずの相手に、震え上がるような恐怖と共に煮えたぎるような殺意を感じたことのある人だけが肌感覚でわかるものと言って良いだろう。
例えば、典型的には、虐待親のもとで育った人、DV夫に君臨されて来た人などは当てはまると思うが、そこまでいかなくても、支配的な環境で育った人にはわかるものがあるのではなかろうか。

ジェシーの手下であるボブは、ジェシーに対して、一方では、強い愛着と憧れを抱きながら、他方では、全てを見透かされ、支配され、隷属させられている圧迫感と恐怖に苛まれている。
そしてそのアンビバレントな感情がピークに達したとき、ボブはジェシーの一番の良き奴隷からジェシーの暗殺者に変わる。
しかも、その殺戮の仕方までもが、丸腰で背中を向けているジェシーに対してボブが後ろから撃つことによって完遂される。
映画の原題が“The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford(臆病者ロバート(ボブ)・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺となっているのももっともなことである。
背中から丸腰の相手を撃つことは、限りなく卑怯でありながらも、その恐怖と殺意の折衷点がそこにしかないことが、体験のある人にはまるで我がことのようにわかるだろう。
ボブによる暗殺は、とても coward(臆病)なやり方でありながら、それまで屈従させられて来た人間にとっては、精一杯 brave(勇敢)なやり方でもあるのだ(私はボブが銃を構えた瞬間、「やれっ!」「躊躇するなっ!」と叫んでいた)。
そこに至るまでの、ジェシーのゾッとするほど独善的で傲慢な態度、そしてその一挙手一投足にヒリヒリとビクつくボブたちの心情、そしてその場を支配する暗く重い空気感。
そんなことが映画で示せるのかと感嘆した作品であった。

私の観方は、かなり変わっていると思うが、今、小欄を読んでどこか共感できるものを感じた方はどうぞご鑑賞あれ。

 

 

今回から「金言を拾うⅢ」、近藤章久『感じる力を育てる』に入ります。

「親の過保護とか過干渉とかいうものは…ものすごく残酷な結果をもたらすものですが、それを親は気がつきません。自分は愛情をもっていると独り決めして、この子のためにはこうすることがいちばんよいのだと思っています。こんなふうに自分は愛情をもったよい親であるという錦の御旗をもっていることに、実は問題があるのです。
親は愛情の名のもとに、自分たちの強制的な管理の下に自分の子どもを置いているわけです。…子どもは物ではないのです。人間なのです。…ところがその生命を持った人間である子どもを愛情の名のもとに、まるで物のように取り扱うところに問題があるのではないでしょうか。
…物とちがって人間は、生まれて一年もすると、なかなか親の思いどおりにはなりません。子どもは自分で歩きはじめる。そうすると親が『そっちへ行ってはいけません』というのにかえって、反対の方へ飛び出したりして、なかなかコントロールができない存在になってくるものです。
そこら辺から母親とか父親の間違いがはじまります。しつけなければならないと、いわゆるアメと鞭でもって、できるだけ自分たち大人の言うことをきくようにしつけようとします。そして、いろいろやった揚げ句、それが成功して、おとなしい子どもになったと安心した時には、子どもは自分の生命から自然に出る自発性を失っているわけです。自分が何を感じ、何を考えるかわからなくなっています。そして現実に面すると深い無力感を感じます。どうしていいかわからない。自分で考えることも、決めることもできなくなっているのです。…
親は自分の理想像を子どもに強制して、自分の考えどおりに子どもをコントロールしますが、事実は子どもの自由に発達するべき能力を伸ばさず、かえって退化させてしまって、せっかくの可愛い子どもを不幸にすることになるのです。
その不幸から子どもを救うためには、子どもには子どもの人生があり、親はその子どもに代って生きることができないという現実をよく認識して、ゆったりと大らかに子どもを見守り、子どもに接すること、子どもが自分で物事を感じとり、思考や感情を生き生きと伸ばして行くのを助けることから始めるより方法はありません。
ここで親は、自分の根本的な態度をもう一度、ありのままに見て、自分たちは子どもを自分の思いどおりにしようとしているかどうか、子どものありのままの姿をそのままに認めて、それを伸ばそうとしているかどうか、この際しっかりと検討してみることが何より大切です。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より

 

ちょっと厳しいことを申し上げるようですが、ここでも私は世の親御さんたちに「凡夫の自覚」を要求したいと思います。
親が子どもを産める年齢というのは、何故か、とても若いのです。
生物学的にそう決まっているから仕方ないのですが、精神的には、子どもが子どもを産むということになります。
即ち、若い親が授かるには、子どもの生命(いのち)というのは尊過ぎるのです。
ですから、親の基本的姿勢としては、「こんな未熟な親だけれど一所懸命に育てるから勘弁してね。」ということになります。
ここに謙虚さが生まれます。
「正しい親」が「何もわかっていない子ども」をコントロールしてやる、というような思い上がりは生まれないはずです。
ですから、ここでもまた、子どもの生命(いのち)に対して、どうか合掌礼拝(らいはい)するような気持ちで、子育てに当たっていただきたいと切に願います。


 

極端に簡略化して言えば、光の部分を闇が包んでいるのが、人のこころの実態である。
光が、その人本来のものを指し、
闇が、後からその人に付いたものを指す。
生まれたときは光しかなかったものが、段々と闇が降り積もって来たのである。

そんな状態で、皆さん、面談にいらっしゃる。
さて、どこから手をつけるかであるが、目指すゴールは決まっている。
闇を減じて光が顕わになることである。

そのために、決まったやり方があるわけではない。
払いやすい闇から斬って行くこともあれば、大物の闇から始末することもある。
また、闇ではなく、光の力の増幅から始めることもある。
そうすると、闇が勝手に落ちて行く場合もある。

その闇の部分の処理に精神分析などの知見が役に立つことがあるのだが、そんな闇=精神病理の分析ばかりやっていると、段々元気がなくなって来る。
だからといって、下手にクライアントの我をよいしょしてしまうと、何の役にも立たないどころか、簡単に思い上がってしまう。
よって、相手の我を褒めず、相手の本質を、即ち、光の部分の力を増すのが肝心ということになる。

そして、そのために何ができるかというと、その基本がまさに他者礼拝(らいはい)なのである。
これは何度強調しても強調し過ぎることのない基本中の基本である。

相手の光に対して、相手の生命(いのち)に対して手を合わせて頭を下げる。
こころの中でかまわない。
他者礼拝を繰り返し繰り返し行っていくとき、あなたを通して働く力が、相手の光の力を増幅して行くのである。

相手の光=相手の生命(いのち)への畏敬の念なしに、相手を分析したって、良くなる=本来の自己を実現して行けるようになるわけないでしょ。

いつもいつも、基本の基本、ここに戻ることをどうかお忘れなきように。
 

 

 

大学病院に勤めていた頃、外来の隣の診察室からベテラン精神科医の声が聞こえて来た。
「ここは人生相談に来るところじゃないからね。」
初診の患者さんに話しているらしい。
「病気の人が治療に来るところだよ。」
確かに、診断を付けて、薬物療法などの治療を行うことが医師の役目、病院の役目というのは、ごもっともなご意見である。
しかしそれを聞いて、私の中には何とも言えない違和感が残った。
「ここは人生の相談をするところじゃないんだ。」

その違和感がどこから来たかが後日、明確になった。
つまり、そのベテラン精神科医は、診断や処方はできても、人生に関する答えを持っていなかったのである。
だったら、そう言えばいいのに。
「私は答えを持っていません。」と。
そして近藤先生に出逢ったときに確信した。
「この人は答えを持っている。」
人が何のために生まれて、何をして生きて死ぬのかを知っている。

結局、人生の問題を解決してくれる薬物療法はなく(酒やドラッグに逃げるくらいか)、
精神療法というのも、治療におけるものは、本人が所属環境に適応して生きて行けるようになることぐらいしか目標としていないことがわかってしまった。
それじゃあ、人生の答えは持っていないわな。

よって、私が思う本当の精神療法を行うためには、人生の答えが要るんです。

そしておもしろいことに、同様のことが、最近の精神科クリニック界隈でも起きている。
初診者の内訳が変わって来ているのだ。
いくつかの最近の潮流があるが、そのひとつとして、はっきりとしたザ・精神障害があり、明確なザ・治療を必要とする人たちが減って、診断のつかない、そしてまさに人生相談に来るような人が増えているという。
それくらい精神科クリニック受診の敷居が低くなったことは有り難いことであるが、困るのは医療者の方で、人生の答えを持っていないのである。
残念ながら、そんなに自分自身のことも、自分の人生のことも見つめてはいないのだ。
サイコセラピーもカウンセリングも面接も、専門的知識と技術でちょろまかせるうちはいいが、本格的な人生の話となれば、医療者個人が人間として試されることになる。

人生の問題に正面から答えられるサイコセラピーやカウンセリングや面接が、
いや、人生の問題に正面から答えられる医療者が、
いや、人生の問題に正面から答えられる人間が必要とされているのである。

 

 

Aさんは面談に来る度、
まず前回の面談から今回の面談までの間に、自分がどれだけ情けない言動をして来たかについてつぶさに話される。
それが余りに容赦ない内省なので、私は黙って聴いているしかない。
そして話はそこで終わらず、
その今の自分を超えて行くためにどうしたらいいかを、これまた一所懸命に話される。
それがなかなか的を射ているため、これまた私は黙って頷いているしかない。
そして次回までに(口先だけでなく)必ず実践して、その結果がどうであったかを包み隠さず話される。
まさに「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を地で行く面談である。
こうなってくると、私の出番はほとんどなく、どんどんと自分で成長して行ける。
(また次の段階になってくると、私の新たな出番がでてくるが、それについては今回は触れない

しかし、Aさんも最初からそうだったわけでない。
当初は、自分の情けなさに気づかない、認めない、言い訳する、かなりひどかった。
よってこちらから指摘することにある。
そうすると、逃げる、誤魔化す、抗弁する、これまたかなりひどかった。
そして今の自分を超えて行くためにどうすればいいか、についても全く出てこない。
たまに出て来ても、全くの的外れであるため、何の役にも立たない。
そしてこちらが提案しても、申し訳程度にやってくるか、全く実践してこない。

これじゃあ、面談終了だな、と思い、もう一度本人の意志を確認する。
「自分がどれだけ情けないか、本気で向き合う気がありますか?」
そう訊かれて彼は必ず
「あります!」
というのである。
そうなると、面談が続くことになるが、本人がそう言った以上、私の指摘も段々と容赦ないものになってくる。

よって毎回彼はズタボロになる。
しかし、彼はまたやってくる。
毎週毎週やってくる。
何年も何年もやってくる。
よくイヤにならないな、と思うが、そういう厳しい面談が毎回続いていく。

実際、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を面談の条件としたはずなのに、
「自分がどれだけ情けないか、本気で向き合う気がありますか?それとも中退しますか?」
と訊かれて、
「中退します。」
と言ってやめた人は何人もいる。
でも、彼はやめなかった。
そして何年もかけて、頭記のような境地にまで達したのである。
そこを私が褒めると、決して愛想を崩すことなく、真顔で
「まだまだ全然お話になりません。」
と即答する。
これならさらに成長できる。

みんながみんな、同じ通り道をとおるわけではないが、突かれても突かれても踏ん張って踏ん張って成長した人もいる、という一例のお話である。
 

 

 

日頃、精神障害に関わる仕事をしていると、さまざまな差別に出逢うことがある。

障害者差別解消法もできたが、いまだに結婚や就職にまつわる差別から、施設コンフリクトなどの差別に至るまで、さまざまな場面に差別は影を落としている。
結局、ただの理念や思想では役に立たず(それらは建前に堕しやすい)、本音の本音でどうなのか、ということが試される。
(黒人差別を描いた映画『招かれざる客』を思い出す)

また、実はあからさまな差別主義者の方が(最初は大変であるが)本当に差別を乗り超えることができたならば、むしろ良き理解者になることが多く、
それよりも最初から理解者のようなフリをしている人たちの方が、いざというときにその差別観を露呈し、遥かに厄介なのだという話もよく耳にする。

精神医療福祉関係者の中でも、当事者やその家族の側に立った臨床や活動を長年熱心にしている人たちの中に(もちろん一部だが)どうしても胡散(うさん)臭さが払拭できない人たちがいる。
「自分は当事者の側に立ってますよ」的な言動すべてが、場合によってはその人の髪型からヒゲから笑い方からファッションまでもが、どうにもこうにも嘘くさいのだ。
そんなことを感じているのは自分だけかと思っていたら、あるベテランの精神保健福祉士の人で、私と全く同じ感触を抱いている人がいた。
やっぱりそうなんだよね。
(この感覚的なニュアンスが皆さんにも伝わっていればいいが…。)

多くの当事者や家族の方々は優しいので、そんな人間にも付き合って下さるかもしれない。
そして当人たちだけが、その偽善の本音が疾(と)うに見透かされてることに気がついていないのだろう。

 

最大の敵は味方の中にいる。

 

教訓とすべし。

 

 

来年の話をしましょう。

まずは待望のワークショップの再開です。
詳細はまだ未定ですが、来年は必ず開催します。
確かコロナ前、最後のワークショップは、2019(令和元年)秋だったと思うので(2020(令和2)年1月に国内で初めての新型コロナウイルス感染症患者が報告されたのでした)、6年以上ぶりの開催となります。
今は随分リモートでの勉強会にも慣れて来て、あのワークショップを共にして来た仲間であれば、リモートになってもすぐに“あのとき”の感覚に戻ることができますが、それでもやっぱり体験は少~しずつ劣化していくものです。
ここらで直(じか)に顔が見える、互いの存在に触れ合うことのできるワークを共にして、日常を超えた体験を、感動を通して、本来の自分を、純度の高い自分を取り戻す、大いなる機会にして行きましょう。
もちろん新たな仲間の参加も大歓迎です。
詳細決定まで、今しばらくお待ち下さい。

そして来年度(令和8年度)、八雲勉強会も新たなものにして行きます。
ちょうど来春3月には「ホーナイ派の精神分析」の勉強が終えられそうですので、4月から新たな勉強会をどのようにするのか思案中です。
こちらも
(1)新たなテーマや構成、開催形態
(2)出席者参加型を重視
(3)新しい仲間も参加しやすい形
などを考えていますが、ご希望・ご発案がありましたら、面談の際でも、勉強会の際にでも、どんどんとお知らせ下さい。

コロナ以降は、いつの間にか、活動を継続することが中心となっていた気がします。
来年は、本格的な活動再開からさらなる発展へ。
どうぞお楽しみに。

 

 

今日は「エラソーなヤツ」ではなく「エライ人」の話。

ホントに「エライ人」のことである。

最近、巷の親や、先生(医師、教師など)や、老人(敢えて高齢者ではなくこう呼ぶ)などについて“軽く”なったということがよく言われる。
確かに、明治、大正、昭和中盤までの親、先生、老人は軽くなかった(軽くない人が多かった)。 
重みがあった。
威厳があった。
一家言あった。
その人の中にブレない生き方の軸があった。
そういう意味で、ホンモノの「エライ人」がいたものである。

もちろん全員ではなく、その中にはただの「エラソーなヤツ」が混じっていたので、そういう連中は除く。ただ我が強いだけの勘違いヤローは別である。

最近の親や先生や老人たちの方が親しみやすく、話しやすく、分け隔てない感じになって来たのは、私も悪いことではないと思っている。
しかし、いざというときにね(いざというときだけでいいんですけど)、重みがない、頼りない、ブレない生き方の軸がないような気がする。
これはちょっと問題なんじゃないかな、と思う。

つまり、ことの本質は、軽いか重いではなくて、親や先生や老人という人生の先輩たちが、さまざまな体験を活かして、ブレない生き方の軸、それは即ち、本来の自分を生きることであったり、本当の意味で自分以外の人を愛することであったり、ミッションに生きて死ぬ覚悟であったり、そんな生き方を体得していないことにあるのである。

私には近藤章久という非常に有り難いモデルがあった。
普段は優しく、とても親しみやすい方であったが、いざとなると、万氣溢れる、ド迫力の方であった。
そして全くブレなかった。
それは軸というより不動の柱のようであった。
そして自分を生き、人を愛し、ミッションに生きて遷化された。

世の親である方々、先生である方々、老人である方々、成長は死ぬまで続く。
共に人間として成長して行こうではありませんか。
自分を生き、人を愛し、ミッションに生きて死ぬために。
そして、子どもたちは、生徒たちは、後進たちは、あなたの生きざまを観ています。


 

「そもそも私は、ほんとうは死んでいる人間なんです。
あれは、箱根で水上スキーをやっていたときのことでした。私は、五十いくつぐらいかのときよく水上スキーをやっていたのですが、そのときは自分のワイフに教えようと思ってやっていたのです。
モーターボートの運転手に『はい』と合図して、スピードがだんだん出てグーッとロープが引っ張られたとき、何が何だかわからないうちに、私は水中にひっくり返ってしまったのです。そして水をガブガブ飲んでしまったんです。あっ、これは死にそうだ、このままいったら死ぬなと思いました。ああいうときに、どうしてあんな気持ちがおきたのかわからないですけれど、どういうものか、私は水のなかで非常に静かな気持ちになっていました。すごく静かな気持ちです。自分はすごいスピードで水の中を引っ張られているのですが、目の前を通る水が見えるのです。静かな気持ちで見えるんです。見えると同時に自分の足が見えるんです。その足がスキーとモーターボートをつなぐロープにからまっているのがわかったのです。それを見て、このまま死ぬんだなと思ったときに、ふっとロープを手でつかめた。それでありがたいことに一本の足がロープからはずれたんです。それから次の足がはずれて。ポカッと水面に浮きあがったのです。太陽がサンサンと湖の上に照っている。すばらしく美しい。生きているとはすばらしいことだと思いました。
この体験以来、死ぬということはあんまりこわくない。『死』自体はね。もうひとつ私には死に近い体験があるのです。
戦時中のことです。私は通信兵としてその夜、沖縄に向かうことになっていました。昼に、穴掘り作業をやっていたのですが、そのとき私の戦友が少し気が変になって、ツルハシを振りまわしたんですね。それが私の手にあたって、手が麻痺してしまったんです。そうしましたら、おまえでは通信の役に立たない、だから連れていかないというので、他の人が行くことになったのです。私の部隊は深夜三時に沖縄に向けて出発しました。一緒に行くはずの私は見送ることになったのでした。自分としては沖縄に行くことは死ぬことだと思っていました。部隊は沖縄へ行く途中、南シナ海でアメリカの潜水艦に爆撃されて全滅です。あのとき、戦友がツルハシを振りまわしていなかったら、私はいまこうしていられませんね。
こういう人間という存在の意味を考えますと、人間が最初にいのちを与えられるとき、赤ん坊にも親にもわからないけれど、どんないのちにもその独自の生きる意味が与えられているということが私には強く感じられる。そして、その独自のいのちが持つ『使命』が完了したときに死が訪れるものだと思うのです。苦しんだり嘆いたり、つらい思いをしたり、どうしてこんな目に遭うのだろうと感じたりしますが、そこにその人のいのちの大きな意味がある。その意味を果たしたときに、私は死が訪れてくるのだと思うのです。そのときにはじめて、もうおまえは帰ってきていいよ、と生まれたところへ帰ってくる。ふるさとに帰ってくることができるのです。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)

 

可能ならば、自分がいのちを与えらえた意味を知りたいと思います。
自分に与えられた使命を知りたいと思います。
そしてそれを生き、それを果たしてから死にたいと思います。
少なくともわたしはつよくつよくそう思うのです。
ニセモノの自分を生きて死ぬのはイヤです。
上っ面の満足で生きて死ぬのもイヤなんです。
ちょろまかしの人生でへらへ生きて死ぬなんてまっぴらです。
人間の「成長」とは、結局のところ、自分に与えられた使命を知り、それを果たして生きて死ぬことを指しているのだと思います。

 

 

エラソーなヤツがいる。

ホーナイ的に言えば、「自己拡大的支配型」の神経症的人格構造の持ち主であり、
DSM-5-TR的/フロイト的に言えば、「自己愛性パーソナリティ症」の人に多い。

しかし、そんな“専門的な”用語で語るよりも、エラソーで、上から目線で、支配的/圧政的で、自慢話/自己礼賛が多く、独善/独断的で、他罰/他責的で、傍にいて暑苦しくて/鬱陶しいヤツと言った方がイメージしやすいかもしれない。

「あぁ~、あいつみたいなヤツね。」とあなたのまわりにいる人の中でも、顔と名前が浮かぶだろう。

で、そんな人でも成長するのか、という話になる。

大抵は、「あんなヤツ、無理だよ。」「一生変わんねーよ。」ということになる。

しかしね、人間である限り、そんなヤツのこころの奥底にも「真の自己」(本来の自分)がある限り、成長する可能性があるのですよ。

但し、条件が二つ。
その二つとは何か。
結局、いつも申し上げている二つということになる。

一つは、「情けなさの自覚」。
自分自身で
「いつまでこんなくっだらない見栄を張ってんだろ。あ~あ。」
と思えて来れば、可能性の光が射して来る。
しかし、虚勢を張って、突っ張らかって生きて来た彼/彼女にとって、自分の非、劣ったところ、ダメなところを認めるのは大層難しい。
これが第一の関門。

心底の情けなさから、それまでの虚勢を捨てる覚悟ができて来るかどうか。

そして二つ目は、「成長への意欲。」
具体的な言動において、
一面では、自分の虚勢を張った言動を取り締まり(出ないように一つひとつ叩き潰す)、
もう一面では、
自分の非、劣ったところ、ダメなところを積極的に公言する。
これができるどうか。
それが第二の関門。
これは余程の「成長への意欲」がないとできないことであるが、実践できればまわりに与えるインパクトは大きい。
「へぇ~、あの〇〇さんがねぇ。」
と周囲の見る眼が変わって来る。
但し、気を抜くとすぐにエラソーになるので要注意。
元の木阿弥的言動が出れば、
「やっぱり人間は変わらないよね。」
とダメなレッテルを貼られてしまう。

私の経験上でも、このタイプの人が変わるのは確かに難しい。
しかし、数は少なくとも、ちゃんと変わった人が現にいらっしゃるということも強調しておきたい。
「やっぱり人間は変わるんだ。」
「後から付いたニセモノの自分を払い落として、本当の自分を取り戻すことができるんだ。」
ということにおいて、難しいが故に、成功した人は後に続く者の希望の星となる。

よって、大事なポイントは、虚勢も張れないくらい行き詰まるかどうか、ということになる。
人間、やっぱり、弱った方が良いのよ。
人間は弱って初めて謙虚になり、本当の成長への道筋が見えて来るのである。

 

 

小学生からスポーツひと筋。
朝から晩まで、なんだったら夢の中まで、どうやったらうまくなれるかだけを考えて練習して来た。
ボーイフレンドもなし、服装はいつもTシャツかジャージ、もちろん化粧もなし、勉強は進級に必要なだけ。
進学はいつもスポーツ推薦。
部の寮住まいで、すべて練習、練習、練習。
遠征はすべて親がバックアップ。
そして彼女のひとつの集大成が高校のインターハイだった。
目指すはもちろん日本一。
それだけのために他のすべてを捨てて、練習して来た。
しかし健闘空しく、無念の敗退。

前説明が長くなった。

そして流した涙を見た。
両方の眼(まなこ)から大粒の涙がぽろぽろぽろぽろと溢れた。

これほど綺麗な涙を見たことがなかった。
胸を掴まれるほど感動した。

小さな子どもたちの涙も綺麗だが、こんなに苦労はしていない。
勝利や達成の涙も綺麗だが、敗北や失意の涙の方が美しい。

なんでだろうね。

死ぬほど一所懸命にやった上で、思い通りにならなかったことを受け入れようとして流す涙は、本当に綺麗だった。

 

 

近藤章久先生による「ホーナイ派の精神分析」の勉強も、1回目2回目3回目4回目5回目6回目7回目8回目9回目10回目11回目12回目13回目14回目に続いて15回目となった。

今回も、以下に八雲勉強会で参加者と一緒に読み合わせた部分を挙げるので、関心のある方は共に学んでいただきたいと思う。
ホーナイ派の精神分析を入門的、かつ、系統的に学んでみる良いチャンスになる。
(以下、原文の表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は松田による加筆修正である)
※内容も「治療」に入り、終盤となってきた。折角読むからには、それが狭い「治療」の話に留まらない、人間の「成長」に関わる話であることを読み取っていただきたい。

 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

5.治療

b.神経症的諸傾向の観察と理解(2)

さて、この様な観察を横糸とするならば、分析関係は患者の自由連想(広く夢や日常生活に於ける反応を含む)を縦糸として発展して行くのである。
自由連想は患者が自分の心の中に浮んで来ることを、どんなつまらないことでも、心に浮んで来たままに、出来るだけそのままに表現して行くことである。これは、必ずしも自由連想が患者の心的事実のすべてを完全に、忠実に現わしていると言うことではない。
しかし、患者の日常生活に於ける表現に比べれば、比較的に利害関係や、一定の目的に支配されることが少ないという意味で、患者の心的現実により近いということがある。内容的にも、思想や経験、想像、期待、恐怖、不安、安心、失望等の感情等が表出されるのであるが、この間にあって、言い澱(よど)み、省略し、沈黙し、回避するものも多いわけである。
しかし、患者が自分の語っているものの内的意味について気づいていない時でも、治療家は自分の知識と訓練と直観と、自己の自由連想等を動員して、患者の様々な表現や、表現しないところから次第に脉絡(みゃくらく)を発見し、そこに流れている様々な傾向を理解して行くことが出来る。
この時に要せられるのは、観察と理解に関しての安定した忍耐深い態度である。十分理解出来る事ではあるが、治療者にある神経症的な要求によって、ともすれば焦燥感に駆られて、時期尚早な解釈を与えたり、傾聴するのみ倦(う)んだり、患者の変化のないのに無力感や罪悪感を感じたりして、その結果、分析状況の発展を攪乱(かくらん)することの危険がある。
次に重要なのは、様々な神経症的潮流の間に現れる患者の「真の自己」表現であるところの健康な諸傾向に対する公平な注意深い観察である。Horney 自身は、著書に於ては分析の後期に於ける場合を除いてこのことについて明記していないが、その講義に於て強調していたものである。こ
の事は分析に於ける観察が、単に病的なものの観察ではないことが理解出来よう。
第3に留意されなくてはならない事は、分析の全過程を通じて言い得ることであるが、分析者が、この様な観察と理解にもとづいて形成して行く患者の神経症的傾向及び性格に関する心像は、一つの作業仮説であり、いつも患者の心的事実についての新しい発見によって訂正或は補足され、生きた個性的存在としての患者の性格構造に近づいて行かなければならないと言う事である。

 

上記を「THE精神分析における自由連想による治療」の話と狭く取ってしまうと、学べることが少なくなってしまうが、
人間が人間に関わるときの基本的姿勢として受け止めれば、学ぶことはたくさんある。
例えば、後半の3点について、
(1)相手を理解するときの忍耐深い態度。人間を深く理解するには時間も手間もかかる。
勉強会でも「忍耐強い」でなく「忍耐深い」という表現を使っていることへの指摘があったが、確かに「忍耐強い」では自力になり(頑張って耐える)、「忍耐深い」では他力となる(自分を通して働く力によって自ずから耐えられる)。どうしても「忍耐づよい」という表現が使いたければ「忍耐勁い」が相応しい。そんなことも勉強会では取り上げている。
(2)相手の「仮幻の自己」(闇の部分、後天的な病んだ部分)への着目だけでなく、相手の「真の自己」(光の部分、本来の自分の部分)への着目。
(3)初期の先入観で相手を決めつけず、相手のことがわかればわかるほど、その度毎に相手の「仮幻の自己」の理解も「真の自己」の理解も修正していく。
これらは深い人間理解のための基本的態度として、誰にとっても大いに勉強になると思う。

 

 

テクマカマヤコン テクマカマヤコン

マハリクマハリタ ヤンバラヤンヤンヤン

アラビン カラピン スカンピン

テクニク テクニカ シャランラ

キャノ パンプルピンプルパムポップン ピンプルパンプルパムポップン

みなさん、お馴染みの魔法アニメの呪文です。
(密教系や神道系の呪文を挙げると、“ガチ”になるのでここでは挙げません)
世代によって違うと思いますが、あなたはどれくらい聞き覚えがありますか?

で、これらを踏まえて、呪文のワークをやってみましょう。
課題はシンプルです。
あなたオリジナルの(今までにない)呪文を創作するのです。

はい、どうぞ!

 

      …5分経過…

 

はい。
できましたか?
別にカッコいい呪文を作る必要はありません。
どれだけ呪文の創作を自由に楽しめるかが目的なのです。

その証拠に、この課題(=あなたオリジナルの(今までにない)呪文を創作して下さい)に対して、幼稚園の年長児〜小学校低学年の子どもたちなら、キャアキャア言いながら創作し、誰も何も言っていないのに、勝手に大声で唱え始めるでしょう。

創作を邪魔するのは、抑圧と抵抗です。
そう。
本当の意味で、創作が自由に楽しめることと、あなたがあなたであるために必要なこととは、ベースが同じなんですよ。
そのためのワークでもありました。

 

 

「挨拶は明るく元気よく!」とよく言われる。

基本的に異論はない。
しかし、“作った”明るさや元気良さならば御免蒙(こうむ)りたい。
眼と魂が死んでる分だけ、“作った”明るさや元気良さは、見ていて余計に悲しくなる。

しかし、部活や社内、店頭で時々見かける“作った”明るさや元気良さを、嬉しそうに眺めている監督や上司、「明るくて元気良くていいわねぇ。」と本気で言っているお客の鈍感さを見ると、あきれ返ってしまう。
この鈍感さがあるから、そんな“演技”が蔓延(はびこ)るのだろう。

では、挨拶とは何か。

ひとつには、挨拶は自らの生命(いのち)の発露である。
自分を自分させようとする生命(いのち)の働きが躍動して溢れ出す。
それが挨拶となる。
幼い子どもたちの挨拶を見よ。

ふたつには、挨拶は相手の生命(いのち)への敬意である。
あなたをあなたさせようとする生命(いのち)の働きに手を合わせて拝みたくなる。
それが挨拶となる。
他者礼拝(らいはい)に他ならない。

この挨拶の本質の二面をどうぞご承知おき下さい。

そのとき、挨拶は「する」のではなく、挨拶に「なる」のである。

 

 

 

推し活をしている人が、甲斐あって推しが公演する劇場の1列目の席が取れた。
一番近くで推しが見られると大変に喜んだが、実際に公演が始まり、憧れの推しと目が合った瞬間、思わず目を逸らしてしまった。
バカ、バカ、あたし、何やってんだ! 誰か私を殴って下さい!」
れも経験値。

数カ月後、運良くまた1列目の席が取れたとき、今度は開演前から何度も気合いを入れて
「絶対に目を逸らさないで見返すんだ!」

と自分に言い聞かせる。
そして本番。
なんとまた推しと目が合った。
気合いを入れて拳を握り締め、推しの目を見返したが、なんと推しがウィンクして来た。
忽ち撃沈して固まった。
「あぁ〜、なんで何の反応もできなかったのか! こっちからもウィンクし返すことができたら!」
悔しくて眠れない夜が続く。

そしてまた数カ月後、運良くまたまた1列目の席が当たった。
今度こそウィンクし返してやる。
何度もリハーサルを行い、気合い十分で“そのとき”を迎えた。
そして目が合った瞬間、待ちに待った推しからのウィンクが来た!
全エネルギーを使ってウィンクし返す。
一瞬推しも驚いた顔をしたが、すぐに笑顔。
やったぁ! 遂にミッション・コンプリーテッドだっ!

…と思ったら、推し仲間の子は、推しからのウィンクに対して、なんと投げキッス!で返していたことを知る。
う~ん、そっかぁ~、そのまま返せばおわりというわけじゃあないのね。
もっと自由に、もっとクリエイティブにやりとりを楽しまなきゃ。

そのようにして推し活は推し活で、自分を解放する道に通じるのでありました。

 

 

「全体を眺めてみると、我々人間は好むと好まざるとにかかわらず、何かに頼って生きているということがわかります。外に出れば会社、派閥、あるいは出世といったものに頼り、家庭にあっては、妻に頼る、子どもに頼る、親に頼る。奥さんだったら夫や子どもに頼っている。
ところが、その頼りにしていたもの、これがじつは頼りにならないんだなぁ。永久不滅のしっかりとした支えなんてそうザラにあるもんじゃない。たいがい崩れやすくて不安定なものです。これは、日常生活でだれもがイヤというほど知っている、否定しようのない事実だと思います。なのに、我々はそれでも頼ってしまう。そして、いつも危機を迎えるんです。
考えてみましょうね。我々が頼り、支えられているもの ー これは『他』ではないですか? 会社も子どもも『自分以外』なんです。それらの『他』に我々は頼り、支えられている。この『他』というのは自分の思ったとおりにはならないものではありませんか。…
そうすると、最後の最後までほんとうに頼れるもの、真に自分を支えてくれるものは何か。人でもない、モノでもない、それらを超えた普遍的な支えというものがあるのでしょうか?…
私は、熟年の危機というものは、すばらしい『転換期』だと思います。それまで自分が頼りにしてきたもの、支えとしてきたものは、不安定で、もろく、実態のないもの、幻のようなものであって、それを我々は一生懸命に追いかけてきた。それが無残にも滅んでしまう。
そうすると、私たちは最後の最後まで滅びることのない、真に心の支えとなる何かを模索しはじめる。そのとき、これまでの狭い、うわっつらの考え方から解放されて、広い世界に飛び立つ出発点になるんです。すべてのものはなくなって、丸裸になった、その時点からいままでの人生と違う人生がはじまるんですね。さなぎが蝶になるように ー 。
さなぎは殻に覆われた窮屈なときです。しかし、そこに次の広い世界に出ていくチャンスが内包されている。このことを私はぜひ強調しておきたいと思います。
抽象的に申しますと、我々のいのちというか内面世界というのは、海みたいなものではないでしょうか。我々はその表面をドロ舟に乗って航海している。はじめは立派な舟だと思っていたのが、だんだんとドロが溶けていくものだから、しまった!と気づくのです。おまけにあたりには、にわかに濃い霧が立ちこめてきて、もう何も見えない。
そのときにね、直感といいますか、心の深いところから響いてくる信号を感じとるのです。いま沈まんとしている我がドロ舟のすぐ近くに、正真正銘の立派な舟があることを教える信号が ー。
もちろん、それに気づかずにドロ舟と共に沈んでいく人もいるでしょう。しかしね、この世界には、すべての人に次の舟が用意されていると思うのです。私はよく『死ー再生』ということをいいますが、今までの生活を死んで、新しい生活を生きる。この転換の時期が、これまで述べて来たような、熟年期の危機というものであろうと思います。いずれにしてもこうした場合、しばらく時をおいて、自分の感情が落ち着きはじめたころ、顔を上げ、視野を広くし、現実をはっきりと見つめて検討することです。必ずそこに、見落としていた自己を生かす道があります。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)

 

頼りにならないものを頼りにしてきた自分の愚かさに気づくこと。
そして全く頼りない世界に放り出されること。
それがまさに、それまでの偽りの自分の“死”ということであり、我々は人生の大きな“危機”に陥ることになります。

そして、それじゃあ、本当に頼りになるものは何なのか、本当に支えとなるものは何なのか、を真剣に求め、(もうニセモノでは満足できませんから)真の答えが得られるまで七転八倒することになるかもしれません。
しかしそれは、本当の答えを得るための必要なプロセスであり、成長のために必要な“危機”であると言えると思います。
そして運よく、絶対的に頼りになるもの、絶対的な支えになるものを見つけたとき初めて、私たちの新しい、本当の“生”が始まるのです。
それは、真の意味で、私を私させるもの、この世界をこの世界させているものの発見ということができるでしょう

そうして初めて、我々がこの世に、自分に、生まれて来た甲斐があるというものです。

 

 

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