映画『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007 アメリカ)は、ブラッド・ピット主演で、数々の賞も受賞しているため、ご存じの方も多いのではなかろうか。
西部劇というには余りにも心理描写の優れた作品である。
映画の楽しみ方は、人それぞれなので、むしろ私の視点は変わっているのかもしれない。
しかし、この映画を観て、ひと言申し上げたくなった。

それは、ブラッド・ピット演ずる冷酷な無法者ジェシー・ジェームズが放つ、独特の空気感が、わかる人にはビリビリとした実感を持って感じられるだろう、と思ったからである。
それは特に、本来は愛着を抱くはずの相手に、震え上がるような恐怖と共に煮えたぎるような殺意を感じたことのある人だけが肌感覚でわかるものと言って良いだろう。
例えば、典型的には、虐待親のもとで育った人、DV夫に君臨されて来た人などは当てはまると思うが、そこまでいかなくても、支配的な環境で育った人にはわかるものがあるのではなかろうか。

ジェシーの手下であるボブは、ジェシーに対して、一方では、強い愛着と憧れを抱きながら、他方では、全てを見透かされ、支配され、隷属させられている圧迫感と恐怖に苛まれている。
そしてそのアンビバレントな感情がピークに達したとき、ボブはジェシーの一番の良き奴隷からジェシーの暗殺者に変わる。
しかも、その殺戮の仕方までもが、丸腰で背中を向けているジェシーに対してボブが後ろから撃つことによって完遂される。
映画の原題が“The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford(臆病者ロバート(ボブ)・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺となっているのももっともなことである。
背中から丸腰の相手を撃つことは、限りなく卑怯でありながらも、その恐怖と殺意の折衷点がそこにしかないことが、体験のある人にはまるで我がことのようにわかるだろう。
ボブによる暗殺は、とても coward(臆病)なやり方でありながら、それまで屈従させられて来た人間にとっては、精一杯 brave(勇敢)なやり方でもあるのだ(私はボブが銃を構えた瞬間、「やれっ!」「躊躇するなっ!」と叫んでいた)。
そこに至るまでの、ジェシーのゾッとするほど独善的で傲慢な態度、そしてその一挙手一投足にヒリヒリとビクつくボブたちの心情、そしてその場を支配する暗く重い空気感。
そんなことが映画で示せるのかと感嘆した作品であった。

私の観方は、かなり変わっていると思うが、今、小欄を読んでどこか共感できるものを感じた方はどうぞご鑑賞あれ。

 

 

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