今日は令和6年度6回目の「八雲勉強会」。
近藤章久先生による「ホーナイ派の精神分析」の勉強も1回目2回目3回目4回目5回目に続いて6回目である。
今回も、以下に参加者と一緒に読み合わせた部分を挙げるので、関心のある方は共に学んでいただきたい。
入門的、かつ、系統的に学んでみる良いチャンスになります。
(以下、表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は松田による加筆修正箇所である)

 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

2.神経症的性格の構造

b.自らに対する神経症的要求 neurotic shoulds

「仮幻の自己」の実現に対する試みは、又自分自身に対して、「汝かくあらざるべからず(shoulds)」も形を取って要求を提出する。その要求は厳格且つ無慈悲である。それは絶対命令であり、その意味で強迫的である。彼の全ての行動はこの要求に応えねばならない。それは可能か不能かを問わない。勿論、彼の現実の心的状況も、感情も顧慮に値しない。それは寧(むし)ろこの要求の前に無視され、抑圧されねばならない。
 この shoulds の命令に対して、攻撃的な拡大的タイプの人間は、一切のそれに反する要素を抑圧して、全能的な存在そのものであることを確信せねばならぬし、依存的な縮小的タイプの人間は自分を常に完全な愛の具現者として、他人の犠牲となり、しかも常に卑下して卑小なものとして自分を感じなくてはならないのであり、更に、孤立的な限定的タイプの人間は、あらゆる外界からの圧迫に対して、独立と自由を守る人間として抵抗し、反抗し、しかも自己内界の平静を持する人間として自己を表現しなくてはならないのである。
 この要求のもたらす結果は、次第に彼は自分自身の自然な感情や考えを抑圧し、最後に自分らしい感情や思考をもつ能力を麻痺させると言う、恐るべき状態をもたらすと共に、逆に shoulds の命令によって形作られる仮構された感情や思考を、自分の自然なものと考える様になるのである。かくて患者の言を借りれば「自分は何を本当に感じているか判らない。まあ感じなくてはならないから感じているのですよ」と言うことになるのである。

 

「ニセモノの自分」「仮幻の自己」は、自分自身に対して「~であるべき」「~でなければならない」の形を取って、さまざまな要求をして来る。
これもすべては「仮幻の自己」を実現するためである。
「真の自己」の実現を許されなかった人間にとっては、「仮幻の自己」を実現するしか生き残る道はなかったのだ。
自己拡大的支配型の人間は、全能的な存在でなければならないし、
自己縮小的依存型の人間は、完全な愛の具現者として犠牲的でなければならないし、
自己限定的断念型の人間は、あらゆる圧迫から独立と自由と守る人間でなければならない。
そして、その shoulds が進めば進むほど、自分がどう感じるべきかはわかっても、自分が本当は何を感じているかがわからなくなってしまい、自らに対する神経症的要求(neurotic shooulds)は、「真の自己」を闇の底に葬り去ろうとして行くのである。

 

 

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