八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

少しずつ“本当の自分”を取り戻し、恐い相手に以前なら言えなかった“本音”がようやく言えるようになって来たとする。
大変喜ばしいことであるが、そんなときに起こりやすいのが、ひとこと言っただけで全精力を使い果たしてしまい、「ふう。」と気持ち的に座り込んでしまう場合がある。
そうなると、最初のひとことで相手をノックアウトできたのなら良いのだが、そうできなかった場合、相手から想定外の反撃を喰らって、こっちがノックアウトされることになりかねない。
そこでやり返されてしまうと、相手からの
反撃が恐くなり、以前よりも本音を言えなくなってしまうことすらある。

だから、予め申し上げておきたい。
本音の矢を射る場合には、一之矢で終わりとせず、必ず、二之矢、三之矢を次々と射る覚悟で臨むことである。
相手も一之矢に対して反撃できたとしても、まさか二之矢、三之矢まで来るとは思っていない。
仕留めるまで射続けるのである。

などと思っていたら、先月引用した柳生宗矩(むねのり)の著『兵法家伝書』の中に、このことがズバリと書いてあった。

「一太刀(ひとたち)打つてからは、はや手はあげさせぬ也(なり)。打つてより、まうかうよとおもふたらば、二の太刀は又敵に必ずうたるべし。爰(ここ)にて油断して負(まけ)也。うつた所に心がとまる故(ゆえ)、敵にうたれ、先(せん)の太刀を無にする也。うつたる所は、きれうときれまひと、まま、心をとゞむるな。二重、三重、猶(なお)四重、五重も打つべき也。敵にかほをもあげさせぬ也。勝つ事は、一太刀にて定る也。」
[意訳]一度刀を抜いて斬り込んでからは、もう反撃を許してはならない。どうしようかと躊躇(ちゅうちょ)したならば、二の太刀を敵から必ず打たれることになる。それで油断して負けになる。打ったところに心が留まってしまうから、敵に打たれ、最初の太刀を無駄にしてしまうのである。打ったところは、斬れようが斬れまいがこころを留めてはいけない。二之太刀、三之太刀、さらに四之太刀、五之太刀も打つべきである。敵に顔も上げさせないように打ち込むのである。勝つことは、一度刀を抜いたときに決まるのである。

但し、付け加えておくことがある。
自分の“我”を通すためにこれを使えば、ただの迷惑な攻撃野郎となる。
あくまで「自我」でなく「自己」、「神経症的自己中心性」ではなく「本当の自分」「真の自己」を生きるために行うことであることを忘れてはならない。

 

 

「私は医者として患者が治るときに、そこに単なる薬だとか医者の手当てだとかいう以上に、その患者に深く動いている、患者の命に働きかけている深い強い力を感じる時があります。これが正に患者を治すものであります。そういう力を我々医者は信じて仕事に従うことができるのです。治るということ、これは医者の力でもありませんし、薬の力でもありません。それを超えたもっと深い力が働いていることを、もしその医者が謙虚に自分の何十年かの治療経験を顧みるならば、気がつくことだと思います。私はそういうことを本当にこの何十年かの治療生活で感じています…」(近藤章久講演『一味の世界を目指して』より)

近藤先生は長年多くの患者さんの治療に携わって来られました。
中には非常に難治な方が劇的に回復されたこともありましたが、一度として「自分が誰々を治した。」という表現をされたことがありませんでした。
「私が誰々を治した」ではなく、「誰々の命に働きかけている深い強い力がその人を治した」のであり、それが近藤先生にとって偽らざる実感だったのです。

よく先生は「邪魔しなければ名医」と笑って言っておられました。
藪(やぶ)な医者は、賢(さか)しら立って余計なことを言い、また余計なことをして、治ることの邪魔ばかりしているのです。
まずそれがなければ名医。

私は先生に申し上げました。
「それでは少しでも力になれたら大名医ですね。」
そしてその「少しでも力になる」というのは、余計なことをするのではなく、
患者の中に働いているそ
の力を感じて信じること、
そして、その力に対して心の中で合掌礼拝しながら関わること。
そしてさらに、医者自身の命を通して働いているその力に促されて、あるいは導かれて、何某(なにがし)かのことを言う、あるいはするのみです。

これが「治療」ということの本質です。
 

 

子どもの前では、夫婦喧嘩をしないようにしている、と言うお母さんがいる。
気持ちはわかるが、子どもを侮(あなど)ってはいけない。
お父さんの悪口を言いたくてしょうがないことは、とっくにバレている。
そして子どもは、険悪な空気に気づいていないフリまでしてくれる。
それならばむしろ、子どもの前で多少ドンパチやろうとも、そんなことでビクともしないほど夫婦の絆は強固なのだ、ということを示せた方が良いのではないかと思う。

もう離婚したお母さんの場合。
子どもの前でずっとお父さんの悪口を言い続けるお母さんがいる。
それだけの理由があって別れたのだから、悪口を言いたくなる気持ちもわかる。
しかし、子どもにとっては、それでも世界に一人のお父ちゃんである。
その父親がアンポンタンのポンコツだと言い続けられるのを聞くのは、ちょっとしんどい。
なんだか自分も半分、失敗作のような気がして来る。
だから、こういう場合には、できるだけ悪口は少なめにして、「お母さんとは合わなかったけれど、良い人だったよ。」くらいは言いたいところである。
もちろん子どもは気づいている、それが無理なウソだということを。
それでも自分のために良いように言ってくれているんだな、ということにやがて気づくようになる。
そこに母の愛がある。
(お母さんの愚痴を言う相手は他に確保しておきましょう。これはこれで溜めてはいけません)

なんだか今日は人情噺のようになったな。

 

 

今日は令和6年度2回目の「八雲勉強会」。
近藤章久先生による「ホーナイ派の精神分析」の勉強も前回に続いて2回目。
今回も、ホーナイの本質をとらえ、しかも、わかりやすい筆致は流石である。
以下に参加者と一緒に取り組んだ部分を挙げるので、関心のある方は共に学んでいただきたいと思う。
入門的に、かつ、系統的に学んでみるチャンスです。
(以下、表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は私の加筆である)

 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

2.神経症の生成と発展

a.基礎的不安 basic anxiety

しかし、幼児がF、この世に生を受けた時、必ずしも良好な条件の中に生れ出て来るものばかりではないばかりか、良好でない条件は数え切れない程あるのである。しかし、窮極するところ、幼児を取り囲むその環境に於ける人々の態度が問題である。それらの人々自身が神経症的であり、神経症的な要求や反応を示すとすれば、それは自(おのずか)ら幼児に影響する訳である。
例えば、親が保護し過ぎたり、脅迫的であったり、依怙(えこ)ひいきをしたり、焦々(じりじり)し勝ちであったり、権威的であったり、やかましやであったり、無関心であったり、偽善的であったり、不安であったりする時、それらの態度は幼児の成長に対して影響を持たざる得ない。
それらの態度の結果として、幼児は何かしら安全感を持てなくなる。幼児は深い不安と漠然とした恐れを体験する。彼は何か、自分に対して敵意をはらんでいる世界に住んでいると感じるのである。
そこで彼は一人ぼっちにされ、無力だと言う感情を持たざるを得ない。これが、こうした状態に於いて感じるものであり、Horney が基礎的不安 basic anxiety と呼んだ感情である。

 

 

動物を殺すのは可哀想だから肉(動物性食品)は食べない、という人たちがいる。
植物は殺しても良いのか、と思う。

植物を殺すのも可哀想だから、木から落ちた実しか食べないという人たちがいる。
あなたが歩いているときに踏み潰している虫や微生物はどうでも良いのか、と思う。

虫や微生物を殺すのも可哀想だから、非常に気をつけて生きている人たちがいる。
残念ながら、どんなに気をつけても、例えば、われわれの腸内では微生物の殺戮が毎日行われている。

別にそれぞれの考え方や生き方に、イチャモンをつけているわけではない。
自らの信ずるところに従って人生を生きて行かれれば良い。今回、私が言いたいのはそこではない。

生きるということは、どんなに考えて意識して気をつけても、誰かや何かを犠牲にして成り立っている、という事実を知っておいた方が良いと思う。

そうすると、人格というものがちょっと謙虚になる。
 

 

昨日と似ていてちょっと違う話。

幼少期から母親にひどい虐待を受けて育った中年女性。
何があったかについてはっきり思い出せるようになったのも、つい最近のことだそうだ。
そして、ある日、診察の中で笑いながら私に語った話。
夫に、小さい頃、母親にこんなことを言われた、こんなことをされた、という話をすると
「それはひどい母親だね。」
「毒親だね。」
って必ず母親の悪口を言うから、もう話さないことにしました
と言う。

この話のからくりがわかりますか?
昨日の話と似てますよね。

つまり、
母親にこんなことを言われた、こんなことをされた、と言い、
その内容は、誰がどう聞いても、ひどい内容なので
聞いた人が「それはひどい母親だね。」「毒親だね。」と言うのは当たり前のこと。
それは子どもでも予想できる(しかし彼女自身は全く気づいていない)。
そう。
彼女は、自分からは絶対に「あいつはひどい母親だ。」「毒親だ。」と言わないで、
聞いた相手にその代弁をさせる。
これを昨日の表現に合わせて言うと、
他者に母親を非難する言葉を言わせて自分の怒りを満足させつつ=留飲を下げつつ、
自分は母親の悪口を言うような悪い娘にならないで済む=“良い娘”でいられる、ということになる。

大人からの身体的虐待(暴力)、心理的虐待(暴言)という執拗な攻撃を前に、小さくて弱い子どもは、強烈な恐怖感に支配されて、自分の怒りを徹底的に抑圧するしかない(間違って怒りを出せば、どんな恐ろしい目に遭うかわからない)。
従って、少しでも母親を非難・攻撃しようとすれば、そう思っただけで、強烈な恐怖感に支配されてしまうのである、大人になった今でさえも。
彼女の中には、いまだに怒りを抑圧させる恐怖の見張り番(母親)が住んでいる。

しかし、時が経ち、今になってようやく彼女の中の本音が蠢(うごめ)き始めたのである。
なんとかして母親への怒りを出したい、母親を攻撃したい。
しかし直接、罵倒するのは恐くてできない。
そうして編み出したのが、自分で攻撃せず、他人に攻撃させる方法なのである。
しかもまだ、それを意識してやろうとすると、恐怖感に襲われる。
従って、自分ではそうと気づかず(無意識に気づかないようにして)、
母親にこんなことを言われた、こんなことをされた、と人に話すのである(多分、これからも繰り返すだろう)。

そして、親からの虐待の場合、恐怖以外にもうひとつの要素が付け加わる。
それでも母親は、いとしい愛着の相手なのである。
どこかに、それでも母親に愛されたい、という切ない(そして幼い)願望がこもる。
そうなると、余計に母親を攻撃しにくくなる。

なんだか哀しいね。

だから、母親への怒りを、自然に、十分に、感じ、出せるようになるまで、ちょっと遠回りの方法を使いながら、長い時間がかかることになる。
でも、その道を進むしかない、本当の自分の人生を取り戻すためには

例えば、当事者がこの文章を読んで、怒りを感じ怒りを出して、本当の自分を取り戻したい、と決断できた場合には、向き合う準備ができており、「成長」の道を歩むことができるだろう。
しかし、当事者であるにもかかわらず、どこか他人事でピンと来ず、まだ「ふーん。」と言っているようでは、まだ向き合えない(準備ができていないのに無理矢理迫ることはできない)。そしてあとは寿命との競争になる。

できれば、間に合いますようにと祈るしかない。
一生はとても短いからね。

 

 

 

あるクリスチャンの中年女性。
面談の度に
〇〇さんにこんなことを言われました
△△さんにこんなことをされました
などとおっしゃる。
それはいずれも、誰がどう聞いても
ひどいことを言われた
ひどいことをされた
内容である。
そのため、それを聞いた人は、まず間違いなく
それはひどいですね。
それはひどい人ですね。
などと言うことになる。いや、そう言わされることになる。

すぐに気がついたのは
彼女は

〇〇さんにこう言われました。
△△さんにこうされました。
と起こった事実を述べるだけで、絶対に
ひどい目に遭いました。
本当にひどい人ですね。
などと、自分の思いを言わない、特に誰かを非難するようなことは絶対に言わないのである。

これはずるい。
狡猾で巧妙だなと思った。
つまり、そうすることによって、
他者に相手を非難する言葉を言わせて自分の怒りを満足させつつ=留飲を下げつつ、
自分は他者の悪口を言うような人間にならないで済む=“良い人”でいられるのである。

きったねー。

こういうのは怒りを抑圧する見張り番を埋め込まれて来た人に多い。

それで私はその女性に訊いてみた。
あなたがやっていることをキリスト教ではなんと言うんでしょうね?
しばらく考えていたが、バカではない彼女は目を上げて言った。
「偽善者…ですね。」
正解っ!
こういうことは、他人から言われるよりも自分で気がついた方が良い。
それに、それに気づける、それが言える人だからこそ、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」があると言えるのだ。
私は大いに褒めた。
そもそも我々は凡夫なので、いやいや、迷える子羊なので、ちょいちょい偽善者するに決まっているのである。
問題は、偽善者することにあるのではなくて、それに気づかない、それを認めないことにあるのだ。
気がつけば謙虚になる、そして、認めれば成長できるかもしれない。
ですからまず、ひどいことや、ひどい人については、ひどいと思って、ひどいと言って良いんですよ、はい。

 


 

「自分でね、1分間でも2分間でも3分間でもいいから、静かに心を統一して瞑想することですね。これはできると思う。その瞬間、あなた方の心は洗われているわけです。何も考えない。何も思わない。滝に打たれたような感じ。そういう気持ちになる。行動です。こういうふうな感じでの行動をですね、少なくとも、最低ですよ、一番やりやすい2回ね、朝と寝る前の2回、静かに、我欲のない自分、我執にとらわれてない自分、そういうものに帰って、帰れます! 帰れますから、そうやれば、帰ってみたらどうかと思います。…ただ静かに息をして、そして自分の気持ちを、本当に清水に洗われたような思いにするんですよ。できます! できますよ、これは。気持ちが良いです。こういう気持ちになることがないんですよ、普通。だからそういうときを作ること。…これね、やってみなきゃ、わからないの。…短いけれど、3分間だけども、3分間の中に永遠がある。その中に浸っているときは、時を問わず、年を思わず、そうじゃなくて、ただ絶対の、本当に清らかな世界の中にあなた方は生きてるわけです。そのときに、体から全部洗われて行く感じです。心が全部洗われて行く感じです。この気持ちを感じたときに、あなた方は自ずから『本当の自分』になります。」(近藤章久講演『迷いのち晴れ』より(著書の『迷いのち晴れ』とは異なる))

 

これは是非、行動されることを、実践されることを強くお勧めします。
近藤先生がこの講演の中で言われている通り、もし瞑想よりも念仏の方がやりやすいという方は、もちろん念仏でかまいません。
とにかく実際にやってみること、そして、続けてみることが重要です。
本当に、1日朝と寝る前の2回、1回1分でも2分でも3分でも

続ける、続ける、続ける、そしてどうせ続けるなら年単位。
今日まで生きて来たあなたの人生の長さを思えば、1年くらい続けたってバチはあたらないでしょう。
そしてさらに2年でも、3年でも、5年でも、10年でも。
これからも「ニセモノの自分」で死ぬまで生きて行くのか、それとも「本当の自分」を実現して行く一瞬を、“永遠の今”を授かるのか。
最後はあなたの人生です。
あなたの責任で決めて下さい。

 

 

昨日に続いての話。
皆さんは「ラブゲロ」を御存知だろうか?
小鳥好きの人なら、知っておられるかもしれない。

親鳥が、自分が一旦食べた餌を吐き出し、消化しやすい状態にして雛鳥に口移しで食べさせることを指している。
これもまた自分の生命維持よりも、雛鳥の成長を優先させるのであるから、まさにラブ=「愛」の証しと言えよう。

これに対し、発情期のオスが、メスへの贈り物としてラブゲロをプレゼントしようとする場合がある。
これもまた自分の生命維持に必要なものをプレゼントするという点ではラブであるが、結局は自分の欲望を達成するためであるので、ラブはラブでも(「愛」ではなく)「愛情」の証しということになる(「情」が付くだけ我欲を伴うのだ)。

そして以下は、ある愛鳥家のブログに書いてあった話。
ある日、風邪で体調を崩してしんどい思いをしていたが、いつもの通り、放鳥してやろうと室内に小鳥を放ったところ、小鳥が不意に飼い主の肩に乗って来た。
そして何をするのかと思いきや、いきなり飼い主の耳の中にラブゲロして来たのだという。
そう。体調を心配した小鳥が、飼い主を元気にしようと、ゲロをプレゼントしたのである。
これも自分の生命維持よりも飼い主の回復を優先させるのであるから、間違いなくラブ=「愛」の証しである。
しかし、外耳道の中にゲロを入れられることは、どうしようもなく気持ち悪いので、以後はご遠慮願ったそうだ。

それにしても、あんなちいさな小鳥を通しても働く「愛」、やっぱり有り難いね。


 

ある職場の歓送迎会で出かけた居酒屋で、畳続きの隣の座敷から聞くでもなく聞こえて来た大学生たちのやりとり。
どうも福祉系の学生たちのクラスコンパらしい。
したたかに酔っ払った一人の女子大生がワインのおかわりを注文している。
心配した友だちらしき子が
「あなた、もう十杯目でしょ。いい加減にしなさいよ。」
と窘(たしな)めるが、そんな言葉はどこ吹く風。

深酔いをからかって来る男子学生に対して、
「あんた、私を狙ってるでしょ。」
と言いながら自分から抱きついてキスをする始末。
イヤな嬌声が聞こえて来る。

そうしながら、
「こんなことしてると、また彼氏に怒られるんだよねぇ。」
と溜め息をつく。
対人援助職関係の若い女性に偶(たま)に見る光景だ。
酩酊して女を安売りする女。

他人の援助などしている場合ではない(でも他人の援助はしたがる)。
もうこれだけで、この子の生育史が見えて来る。
寄り添われずに、あるいは、酷い目に会いながら(そこに性的エピソードがある場合が多い)育ち、
自己評価は限りなく低く、
その奥に秘めた攻撃性がある。
女を使えば馬鹿な男が引っかかることを知っており、
ほら、おまえもどうせヤリたいだけのクソ男だろうと思わしめ、
自分もまた、どうせ誰とでも寝るクソ女であることを確認する。
自分一人で苦しまず、男を巻き込むところにこの女の攻撃性がある。
気の毒なのは、こんな女を彼女にした彼氏であり(その彼氏がそんな彼女に惹かれるのにも理由がある)、
何度も何度も彼女を救い出そうとして踏ん張るが、
若い男性にとって、酩酊して誰とでも寝る彼女というのは、簡単に耐えられるものではない。
そして、頑張って頑張って頑張った挙句に、耐えきれなくなって放り出す。
最後に残るのは、自分一人を愛してもらえなかった無価値感と彼女を救えなかった無力感という苦々しい思いであり、
女の方も、今度もやっぱり見放された、やっぱり誰にも愛されない自分を確認できる。
こんな心理描写ならまだまだいくらでも書けるし、これに類するテーマを扱った小説は古今東西に存在する。
さて、どうしたものやら。
でもやっぱり行き着くところは、彼女が心の底から「情けなさの自覚」を持ち「成長への意欲」を持つようになるしかないのである。

そうでないと、これは止まない。
そして、女を使うのにも引っかからず、繰り返す自己破壊にも見放さず、この子の内なる成長の光を信じて、息長く付き合えるのは、“治療”の“プロ”しかいないんじゃないかと思う(他には余程の人格者か宗教者か)。
しかしそのためには、彼女が
“治療”の“プロ”のところに出かけて行く必要がある。
それは一体いつになるのだろうか。
実は、彼女だけではない、さまざまな問題を抱えた人間が数え切れないほどいて、右往左往しながら彷徨(さまよ)っているのが、この娑婆の実態なのである。
祈りながら待つ、祈りながら待つ、つながるその日を。
まだまだ続く酒宴を背に、まずくなった酒杯を置いて、ひと刹那(せつな)瞑目し、店を出る私であった。 

 

 

「僕の願いは、みんなが『本当の自分』、人間らしい自分を自覚して、そしてそれで生きてもらうことなんです。そんな難しいことじゃない。それは要するに、『本当の自分』っていうものは、いわゆる我欲だけで生きない、自分の中に、自分の生命を成長させ、そして本当に自分を生かして、その生命が生かされている本物、根拠、そういうものを感じてですね、そしてそれに生かされる喜びというものの中に生きがいを見い出す。そういうことを感じてもらいたいんです。そのときに百万円のネックレスも意味がなくなります。『本当の自分』を生きたときに、顔は本当に柔らかに優しく微笑み、豊かな気持ちになり、人を愛し、自分を愛し、そして常にみんなと一緒に和(なご)やかに生活して行く人になっていくだろうと思うんですね。」(近藤章久講演『迷いのち晴れ』より(著書の『迷いのち晴れ』とは異なる))

 

「本当の自分」って何ですか?
「真の自己」とは何ですか?
しばしば訊かれる。
言葉で説明しようとすると、これほど難しいことはない。
しかし、この師の講演を聴いていると、そうそう、そうなんだよな、あるに決まってるんだよ、と問答無用に「わかって」くるから不思議である。
そう。
こう語っている近藤先生の「本当の自分」が今、目の前でダイナミックに動いているのを感じ、
そしてまたそれによって、自分の「本当の自分」が刺激され、触発されて、ダイナミックに動き出すのを感じるのである。
そして、近藤先生の「本当の自分」と私の「本当の自分」が共に響き合い、一如となる、その体験によって初めて本当に「本当の自分」が「わかる」のである。
言語なんかで、言語ごときで、「わかる」ものじゃあないんだよね。
だから、言葉から入らないで、アタマから入らないで、感じましょう、体験しましょう、としか申し上げようがないのです。

 

 

長年、大企業の社長秘書を務めているAさんは、非常に優秀な方である。

社長のスケジュールを完璧に把握し、社内でこなすべき業務、会議などはもちろん、社外への移動手段、会議・折衝の段取り、食事・宴席、宿泊の手配などをも漏らすことなく準備し、さらにA案がダメなときはB案、それもダメなときはC案と代替策も何枚腰かで準備している。
そのため、“できる”秘書として、周囲から全幅の信頼と評価を得ている。

しかし、である。
一旦社を離れ、プライベートなことになると、彼女のやり方はガラリと変わる。

無計画、思いつき、行き当たりばったり、出たとこ勝負の連続なのである。
例えば、フレンチ料理を食べたいと思ったとする。
大して下調べもせず、大体こんなもんか、で出かけて行く。
案の定、お店は定休日だったり、満席だったりする。
そこで全く反省も後悔もなく、あたりの他の店を物色する。
あのイタリアンの店、良さそうじゃん。
ふらりと
入ってみると実に愉快なお店で、いつの間にやら会話が弾んで大盛り上がり。
最後はシェフまで出て来て、ワイン1本サービスしてくれた。

隣のテーブルの客たちとも仲良くなり、今度、ハンググライダーに連れてってもらうことになった。
そんな展開は“予定通り”の人生には起こらない。
もちろん、時には“壮絶な失敗”もあるが、それもまた人生の彩りとして面白がっている。

能率、効率を追求し、周到な準備によって全てをコントロール下において、予定通りの目標を達成する。
良いか悪いかは別にして、そんなことに価値を置く現代日本が存在する。
能率、効率を汲々と考えず、なるようにおまかせして、予想外の展開を楽しむ。
そんな生き方も存在する。

冒頭にAさんのことを「非常に優秀な方」と申し上げた。
それは現代に生きながら、前者の生き方に呑み込まれず、後者の生き方ができているからである。
人生の本当の“豊かさ”がどこにあるかを彼女は感じ取っている。

 

 

ある日、断りもなく「介護保険被保険者証」が送られて来た。
そして別の日には、私の許可もなく「年金請求書」関係の書類が送られて来た。
ああ、そうなんだ。
65歳になったんだ、高齢者になったんだ、と改めて思う。
しかし、そんなに老人になった自覚もない。
流石にこの仕事をしているので、年を取ることへの否認があるわけでもない。
年を取ることによって失っていくこともちゃんと感じているし、
年を取らなければわからなかったこともちゃんと感じている。

そんな法律や行政の決めたラインとは別に、私には私の目安がある。
私が近藤先生の教育分析を受け始めたのが、先生が77歳のときであり、それまでにまだ12年ある。
また、先生が亡くなられたのが87歳のときであり、それまでにはまだ22年ある。
それならまだもう少しはミッションを果たす時間がありそうだ、と思いそうになるが、

今年で近藤先生が亡くなってから25年になる=その時間は本当にあっという間だったことを思えば、
残された時間はそんなに長くないな、とも思う。
しかも、天災、人災、病災が起これば、そんな目安も一瞬で吹っ飛んでしまう。

そんなこともあってか、今回の人生において与えられたミッションを果たしたい、という思いは日に日に強まって来ている。
そのミッションとは、人の成長に関わる、ということである。
以前からあった感覚であるが、面談の予約が空いている時間があると、ちょっと落ち着かなくなる。
それはもちろん経営のためではなく、その1枠分、人間の成長に関われなかったという残念感である。
この世の中に私が出逢うべき人、その人の成長に関わるべき人が、まだまだたくさんいる気がしているし、
既に逢っている人、面談を行っている人に対しても、もっともっとその人の成長に関わりたい思いは湧き続けている。

そんな中で、もっと面談希望の人が始めやすいやり方はないか、さらなる成長につながりやすい企画はできないかなど、以前にも増して思案中である。
できれば早いうちに具体的な形にしてその案をお伝えしたいと思う。

生かされている時間は本当に短い。
年を重ねるにつれ、確かに、蓮如の『白骨の御文(おふみ)』が実感を持って迫って来る。

「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕には白骨となれる身なり」

許される限り、一人でも多くの“あなた”、一回でも多くの“あなた”の成長に関わって行きたいと心から願っている。

 

 

 

 

赤ちゃんが初めて立つ。
発達段階からすると生後9~10カ月頃である。
すると両親は喜ぶ。
なんだか知らないけれど、手を叩いて喜んだりする。
そして11~12カ月を過ぎる頃になると、初めて歩けるようになる。
これまた両親は喜ぶ。
まるで世紀の大偉業を達成したかのように喜ぶ。
そんなときに
「ちょっと立てたくらいで良い気になるなよ、おまえ。」
「歩けたぐらいで図に乗るな。お父さんは走れるんだぞ!」 
と言う親はいない。
また、幼い子どもの程度はこんなもんだから、これくらいのことでもちょっと褒めておいてやるか、と思ってやっているわけでもない。
そこに子どもへの愛があるから、そんなささやかなことでも心の底から本気で喜べるのだ。

翻(ひるがえ)って考えてみるに、私たちは大きくなった子どもたち、そして大人たちに対して、そのような姿勢で関われているだろうか。
裁いて、怒って、残酷に斬って捨ててはいないだろうか。
時に何らかの障害のある家族、認知症の親、伴侶に対してさえも、我々は容赦なかったりする。

そこで、大きくなった子どもたちや大人たちに対しても愛を持ちなさい、と言いたいわけではない。
実は、幼い子どもたちに対して愛が持てたのも、意図的努力の結果ではなかった。
なんだか知らないけれど愛が湧いて来てそうしていたのである。
私は、愛は人間業(わざ)ではない、と思っている。
我々を通して働くものだから、努力もなしに幼い子どもたちを愛することができたのだ。
だからね、愛がないなぁ、と思ったとき、反省会を開いて、次から愛そうと決意したところで何の役にも立たないのである。
人間の意図的努力では、舌の根の乾かぬうちに、またすぐに相手を裁いて、怒って、残酷に斬って捨てるに決まっている。
それは御存知の通り。
だから祈るのである。
私には無理ですからお願いします、おまかせしますと、繰り返し繰り返し。
そうしたら、もしかしたら、ひょっとしたら、あなたを通して愛が働くかもしれない。
どうやったって自力でできないんだから、そうするしか道はないのでありました。

 

、ゝ
 

ランチ時に新宿の小さなお店に入った。
店内はまさに忙しさのピークで、お客さんでいっぱい。
水を運ぶ、オーダーを取る、料理を出す、レジを打つ、お皿を下げる、フロアを取り仕切っている一人の中年女性が忙(せわ)しげに店内を動き回っている。
その表情たるや、眉間に皺を寄せ、ピリピリした雰囲気が店内を支配している。
いつまで経っても席に案内されないので、勝手に空いている席を見つけて座る。
しかし、どれだけ待ってもオーダーを取りに来ない。
隣の席の客がシビレを切らせて、フロア係の女性に声をかける。
「お待ち下さいっ!」
イラついた声に怒気さえこもる。
これじゃあ、昼飯がまずくなると、私はそのまま席を立って店を出た。
そんな店もある。

また別の日、ランチ時に築地場外市場のある小さな店に入った。
これまた店内は忙しさのピークで、お客さんでいっぱいだ。
水を運ぶ、オーダーを取る、料理を出す、レジを打つ、お皿を下げる、フロアを取り仕切っている一人の中年女性が忙しげに店内を動き回っている。
ここまでの状況は前出の店とほぼ同じ。
しかし、ここからが違った。
どんなに忙しくても、この女性はにこやかなのだ。
さらにお客は、「御飯4分の3で。」「味噌汁、ネギ抜き。」「ソースだくだく。」など勝手な注文を次々つけて来る。
それに対して、「あんた、野菜喰わなきゃダメだよ。」「御飯、お代わり禁止だよ。」「昼からビール飲むんじゃない!」などと笑顔でジョークをかましながら、手と足を動かし続けている。
それなりの時間はかかったが、お蔭で非常に愉快な気持ちで昼食を取ることができた。

この二人を比べればわかる。
忙しさは気分とは関係ない。
1軒目の女性は、自分でイライラを作り出していたのであり(内なる“見張り番”に支配され、せっつかれている)、
2軒目の女性は、自分でイライラを作り出さなかったのである(内なる“見張り番”に支配されていない)。
状況はただ忙しいだけであり、やることは、その状況に対してただ一所懸命に働くだけのことである。
気分は関係ない。 

いや、どうにでもなる。

自分が忙しくなったとき、よくこのエピソードを思い出す。
市井(しせい)に師あり、である。
とても勉強になりました、はい。

 

 

「わたしたちは感じる力を持っているのですから、本当に心に響くもの、内から催すものに敏感に感じてほしいものです。私が『感じる力を育てる』という本を書いたのは、そういう微妙な、目に見えない催す力、とにかく我々を働かす大きなダイナミックな力が、この世の中に働いてこの世界が動いている。その力でこの宇宙で我々人間は生かされてる、という事をはっきりと考えていただきたかったからです。」(近藤章久講演『私達と世界のめざめ』より)

これはもう感じるか・感じないかのお話になるのですが、私が初めて近藤先生からこういうお話を伺ったとき、その頃はもちろんはっきりとそれを感じる体験などなかったにもかかわらず、それは絶対にそうだろうな、そういう力が働いているに決まっているだろうな、という“奇妙な確信”があったのです。
それは実は近藤先生にそう言われる前から私の中にあった“感覚”であり、近藤先生にはっきりと言語化していただいて初めて、そうそう、そうなんですよ、そうに決まってるんですよ、と私の意識上に上った気がします。
即ち、それもまた私を通して働く力によって、この世界を通して働く力によって、既に私の意識下にあったのであり、それがまた近藤先生を通して働く力によって、そしてこの世界を通して働く力によって、私の意識上に顕在化して来たと言えます。

このように書くと長々とした文章になってしまいますが、感じてしまえば一瞬なんです。
そしてそれが真実なんです、絶対に。
薄っぺらい科学的証明無用の、絶対的な体験の真実なのです。

そしてこういった体験もまた、「感じる力」が磨かれることによって、さらにまごうことなき強度の体験になって行くのだと私は確信しています。

 

 

かつて外来で診ていた若い女性。
しばらく受診が遠ざかってるな、と思ったら、ある日、不意にやって来た。
診察室に入って来た彼女の顔を見て、何か雰囲気変わったな、と思ったが、女性はちょっとしたメイクや髪形で雰囲気が変わることがよくあるので、さして気には留めていなかった。
しかし実際は、整形手術を受けて来たのだという。
眼と鼻と唇。
確かに綺麗に整っている(元々も美人なのだが)。
そして今一番の心配は、年を取ることだという。
今、二十代半ばだが、三十になるのが恐ろしい、年を取って醜くなるのが怖い、なんで皆平気で生きてられるのかわからない、三十歳を過ぎたら死のうかと思ってる。
私の眼を見ながら真顔で言うのである。

あのね、あなたは親に寄り添われずに育ったでしょ(実際にはひどい虐待を受けて育っていた)。
子どもは親に寄り添われないと、寄り添ってもらえないのは自分に価値がないからだと思うの。
そのままの自分に存在価値がなければ、整形手術でも受けて綺麗になって、せめて外面に存在価値を作るしかないじゃない。
でもそのやり方だと年を取って、美しさを失ったらおわりだよね。
運よく愛されて育つことのできた人は、自分の内面に、自分の存在に価値があると思えるの。
だから年を取って若い頃の美しさを失っても平気で生きて行ける。
あなたも自分の内面に、自分の存在に価値があると感じられるようになったら、年を取っても大丈夫だよ、と話した。

私は、例によって、何も考えずに話したのだが、驚くべきことに、その言葉が彼女の中にスッと入っって行った。
一瞬黙って俯(うつむ)いた彼女は、私の眼を見てこう言った。
「生きて行ける気がします。」
そして(そんなことをしたことのない彼女は)私に向かって合掌したのだ。
私に合掌をしてもらえるようなことは何もできないが、私を通して働いたものが彼女を救ってくれたのである。

そして水商売で働こうとしていた彼女に、
どこで働いても良いけど、私としては、あなたがあなたであることを大切に思ってくれる人たちの中で生きて行ってほしいと思う、と伝えた。

私は彼女を説得したわけじゃないんだよね。
理性的な説明だけで人は変わらないもの。
その証拠に、上記と同じセリフを言えば誰もが変わるわけじゃない。
そうでない何かが響いた、何かが届いたのである。
人が本当に変わるのはそんなときじゃないかと思う。

 

 

「今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃(みの)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山の炭焼き小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
眼がさめて見ると、小谷の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向(あおむ)けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢(ろう)に入れられた。
この親爺(おやじ)が六十近くになってから、特赦を受けて世の中に出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分からなくなってしまった。私は仔細(しさい)あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むし)ばみ朽ちつつあるであろう。」
(柳田国男『山の人生』「山に埋もれたる人生あること」岩波文庫)

この文章は、昔、私のただ一人の畏友から教えられた。
そしてこの文章が、決して「気の毒」で「可哀想な」「悲しい」話ではないことを知った。
これが「美しい」話であることをあなたは感じたであろうか。
「くらくらとして」という言葉を選んだところに柳田国男の真骨頂がある。

後日、私はこの文章を近藤先生にお見せした。
師は黙って涙を流しておられた。
それが情緒的なべたべたした涙ではなく、霊的なさらさらとした涙であった。

情緒的には「悲しく」、霊的には「美しい」話である。

 

 

生きていればいろいろなことが起こる。
しかし時は常に流れ、「今ここ」のことが忽(たちま)ち「さっきあそこ」のことになって行く。
それでも物事に執着する我々の我は、いつまでも「さっきあそこ」のことにしがみつく。
それが「今ここ」を蝕(むしば)み、二度と返らぬ「今ここ」を刻々と台無しにして行く。

仏教では、摩拏羅(まぬら)尊者の言葉として
「心は万境に随(したが)って転ずるも、転ずる処(ところ)実に能(よ)く幽なり」
(心はあらゆる環境に随順して転変しながらも、その転変のしかたは何とも秘めやか)(入矢義高監修・古賀英彦編著『禅語辞典』思文閣出版)
が有名である(以前、引用した気がする)。
森田療法においてもしばしば引用される言葉である。

こんな難しい言葉を使わなくても、例えば、内田麟太郎の絵本『ともだちくるかな』(偕成社)の中でも、
オオカミによる
こころころころ、こころはころころかわるのだ
という名セリフがある。
DVD絵本も出ており、よくできている絵本なので、関心を持たれた方は読んで(観て)みていただきたい。

また、英語の諺(ことわざ)にも
A rolling stone gathers no moss.
(転石(てんせき)苔(こけ)むさず=転がる石に苔は生えない)
がある。
(御存知の通り、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズの名前の出自である)
さまざまに解釈されているが、上記の意味に沿って考えると実に奥深い。
こころもまた常に転がっていないと苔が生えて来るのだ。

引用ついでに和歌をひとつ。
世の中を 何に譬(たと)へむ 朝ぼらけ 漕(こ)ぎ行く船の 跡の白波」(『拾遺和歌集』)(『万葉集』に本歌あり)
(世の中を何に譬えようか。夜明けに漕いで行く船跡の白波)
船が立てる白波が、立っては消え、立っては消えて行くわけである。
それが人生。

この真実は、身近な幼い子どもたちを見ていてもわかる。
健康な彼ら彼女らの心は実によく転じていて、後を引かない。
「今ここ」「今ここ」の連続である。

そういう心の本性を忘れてはならない。
心がよく転じないとき(過去にとらわれているとき、生育史にとらわれているとき)、それは心に苔がついているのかもしれない。

そしてまた、転じなくなった心を本来のありようにリセットするために、呼吸や祈りがある。
先人の智慧は、実に有り難いものだと思う。

 

 

「心が時々乱れるときがあるでしょう。そういうときには、ひとつ、自分の心を海の一番底だと思って下さい。で、あなたの上の方で、怒ったり、あるいは、イライラしたりするのは、風で波が騒いでいるようなイメージを持って下さい。だから、ああ、今、私の心は騒いでいる、それは事実なんです。騒いでいるのは騒いでいる。しかし、一番深いところに、私の、やっぱり、深いところでは、落ち着いたところがあるなってことが、自分で味わえるようになって下さい。そうなったら、とても楽になりますよ、と言います。」(近藤章久『心身平安への道』)

 

一番底。
それは我々の自我を超えた底。
そこから
自分の我を眺めるとき
相手の我を眺めるとき
ちょっと違って観えるんです。
ちょっと落ち着いて観えるんです。
そんな世界があるんです。
そんな境地があるんです。
こういうことをちょっと知っているかいないかで
対人援助の現場で働くとき
否、娑婆で働くとき
娑婆で生きるとき
何かがちょっと変わって来るんですよね。
なんだかちょっと楽になって
なんだかちょっと深くなって
なんだかちょっと大きくなって
あったかくなる。

そこに我々の我を超えた世界がある。
そのことを覚えておいて下さい。

 

 

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