八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

「子どもって寂しいもんでね。子どもって無力なもんですよ、ね。何もだからって猫可愛がりするわけじゃない、僕はそう言ってるんじゃない、ね。そこで、何故、無力か、何故ね、心細いかっていうと、本当にどうして生きて行ったら一番良いか、わからないんだもの、ね。そういう意味で、その人の場合を言いますと、そういうことが、何か、とてもね、子どもは無力で、そして非常に弱いから、親から離されて、親から拒絶されたり、親に否定されたり、親にかまわれなくなったりするってことはね、こりゃあね、漠然としたものだけれども、生きて行けないんじゃないっていうね、いう感じに非常に近づいたようなものだと思う、ね。…
そういうふうなことでね、子どもっていうものを、僕はまあ、いろいろとこう機会があって、見つめることが多いんだけども、子どもに、非常にね、自分のね、生存に関しての悲鳴みたいなね、非常な不安、不安っていうのは、自分のね、もっと深いところで、生物としてのね、生存できるかできないかっていうふうなね、そういう不安があるんじゃないかと思うんですね。それがただおっぱいを飲みたいというふうなね、切実な食物に対するね、飢えとかいうだけでなくてね、そういうものがね、僕はあるような気がしますね。
そこで、外に出てもね、どうしていいかといろいろ考えるわけですよ。まず人に良い感じを与えることがですね、非常に自分の生活の安全というものとくっついてる。そのために、どうしたらいいかと言えば、微笑んだり、少しお世辞を言ったり。…そういう調子で自分をやってたわけですね。ところがね、それをやっていながら、何かね、相手にホントに好かれてない、という感じがするわけ。もしそれがホントにそれでもってうまく成功して好かれてると信じてるならば、何もそういうふうにね、ビクビクしなくて済んだと。だけども、根本には不安があるわけね。…
そういう意味で…どうも、あなたは子どものときから、要するに、自分が人に好かれることが、自分の生存っていうか、生きて行くことに、欠くべからざることだというふうに考えているわけだね、と言ったんですよね。」(近藤章久講演『こだわりについてⅡ』より)

 

これは私が先日書いた『『あ、はい』の憂鬱』『断崖絶壁』の根底をなすお話です。
やっぱり本当のことがわかっている人が語って下さると非常にわかりやすい。
自分の生存の不安を晴らすために、「人に好かれる」=「他者評価の奴隷になる」ことしか思い付かず、それでいながら、いくら頑張って他者評価を得ても、その生存の不安がなくならないところに、この問題の眼目があります。
いくら外から固めて安心を得ようとしても、いつまで経っても中身がからっぽじゃあ、安心できるわけがないですよね。
その間違いに気づくのが第一歩。
大切な第一歩です。
そして第2歩の話は、また次回の『金言を拾う』で取り上げましょう。

 

 

一時期、京都・奈良の寺巡りに毎年のように行っていた。
どの仏像に何を感じるか、特にお寺の中のひとつの御堂にたくさんの仏像が収められているところでは、その中で一番霊性の高い仏像はどれかを感じ分けることにチャレンジするのが最大の楽しみであった。
“造形”で仏像を見るのではなく
また、“蘊蓄(うんちく)”で仏像を見るのでもなく
さらに、“情緒”で仏像を見るのでもない。
仏像を“霊性”で観る眼を養うのがとても楽しかった。
そして毎回旅から帰って来ると、近藤先生に報告した。
先生は京都・奈良のほとんどの仏像は観ておられたので。非常に有り難かった。
「いやぁ、〇〇寺の〇〇堂では〇〇が最高でしたね。」
「ほぅ、そうかい。」
先生はニコニコして聞いて下さった。
そして翌年、同じお寺の御堂に行ってみると、豈(あに)図らんや、全然別の仏像が一番良いと感じたりする。
するとまた
「去年は〇〇が最高だと思ったんですが、見る眼が全く節穴でした。今回行ってみたら□□が最高でした。」
と申し上げると、また先生は
「ああ、そうかい。」
と笑っておられた。
そしてまた翌年、同じお寺の御堂に行ってみると、またまた全く別の仏像が最高に良い、と感じるのであった。
「いやぁ、一昨年も去年も何を見ていたんでしょうね。今回行ってみたら△△が抜群に良かったです。」
と言い、今度は先生は
「よくわかったね。」
と笑顔でおっしゃられた。
近藤先生としては幼児の成長を見守るような眼で見ていて下ったのであろう。
しかし、我ながら褒めるべきは、その年その年で自分が本当に感じたこと(本音)を何も隠さずに、ある意味、天真爛漫に先生に申し上げていたことである。
そして本音が変わって行った。
それが成長なのである。

昔の私だったら、近藤先生の反応を見ながら、どれが“正解”かを探ったことであろう。
でもそれでは、いつまで経ってもホンモノを観抜く眼は育たないんだよね。
何も参考にせず、誰にも頼らず、自分だけの感性で勝負する。
そうして初めてホンモノを観抜く眼、霊性を感じる感性が磨かれるのである。

そして今や、私が仏像好きの後輩たちに応える番になった。
ご希望があれば、京都・奈良のお勧めのお寺をご紹介しましょう。
でもそのお寺の中の仏像で、どれが一番霊性が高いかはあなたの眼で感じて来て下さい。
本音で、そして、粘り強く。

 

 

何かを言われたとき、取り敢えず「あ、はい。」と応える人がいる。
大したことない話で大したことないやりとりなら、それでいいのだけれど
やりたくないことをやれと言われたとき
不本意な提案をされたとき
思い込み、決めつけのことを言われたときなどに
「あ、はい。」と言うのは宜しくない。

「あ」に僅かに抵抗の跡が見えるが
大の大人が「はい」と言った以上、そこで同意した責任が生じる。
本当は、言われた瞬間に「やりたくないな。」「イヤだな。」「そうは思わないな。」という結論は一瞬にして出ているのだが、生育史の中で親からの圧力に服従せざるを得なかった体験の積み重ねが、今に至ってもあなたを無力な奴隷にしてしまっている。
相手の意向に沿わなければならない。
しかも相手を待たせず、すぐに。
自分の思いなんかどうでもいい。
しかし、必ず後になって後悔する。憂鬱になる。陰でブーたれる。
そして、しょうがなく服従するか、どうしてもイヤということになると、随分時間が経ってから、恐る恐る相談に行く。中にはいきなり辞表を出したりする人もいる。

やめましょう。
その「あ、はい。」の習慣。

可能ならば、そのとき、その場で、その人に
「イヤです。」
「それはしたくありません。」
「私はそうは思いません。」
と言えるようになるのが最終目標であるが、
それはすぐには難しい。

ならば、せめて「即答しない」習慣を身につけよう。
「ちょっと考えさせて下さい。」
「返事は今度でいいですか?」
「そうなんですか。」
などなど。
そして時間を作って、しっかり自分の本音と向き合ってから返答すれば宜しい。
そうすれば無力な奴隷にならないで済む。

そして、そうやって時間を稼いでいるうちに、そのとき、その場で、その人に
「イヤです。」
「それはしたくありません。」
「私はそうは思いません。」
と言える自分を作って行くのである。
そのためには丹田呼吸をお勧めする。
(そういう“行”をやらないと、いつまで経っても無力な奴隷のままである)

我々は小さくて弱かったとき、親に服従するしかなかった。
あのとき感じた不安と恐怖が、あなたを無力な奴隷にしたのである。
今のあなたは最早小さくて弱い子どもではない。
そして、大人として“肚が据わる”ために丹田呼吸が役に立つ。

だから、「あ、はい。」はもうおわりにしましょうね。

 

 

昔、倫理の授業で、儒教の「中庸」について習った。
「行き過ぎもなく、不足もなく、ほどよいところ」のようなことを教師が解説したのを覚えている。
なんだか会社で世慣れた上司が、とんがった後輩に対して「君も『中庸』ということを知りたまえ。」と言っているような光景が浮かび、儒教も随分ペラいもんだな、という感想を抱いた。
しかし後に、自分でちゃんと儒教を勉強してみようと思い、『論語』にはじまり『中庸』も読んでみた。
そうして近藤先生の指導も受けるうちに、「中庸」の真の姿が観えて来た。
「中」は、その形の通り、ものの真ん中を貫いていることを示している。
「あたる」とよむのだ。
それで明確になった。
「中庸」とは「ど真ん中に当たる」という意味であり、あなたはあなたのど真ん中を生き、わたしはわたしのど真ん中を生きることを「中庸」というのである。
「全体の平均」とか「ほどほどのところ」を意味するものではない。

ここでオイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』(岩波文庫)を思い出した。
ドイツ人の彼が在日中に師から学んだのは、「百発百中」ではなく、「百発成功」の弓術であった。
「百発百中」は、ただ的に当てるだけのテクニックであり、「百発成功」は、弓術を通じて、己のど真ん中を生きる、ど真ん中を生かされて生きて行く、という生き方を身につけることであった。
『日本の弓術』は禅の本であるが、同じことを言っていたのだ。

後日、精神分析に“good enough mother”という言葉があることを知り、またここでもか、と思った。
「ほど良い母親」というのである。
子育てに完璧を求めて苦しんでいる母親に対しては救いになる言葉かもしれないが、私に言わせれば、どうも浅い。
我々がはからって子育てをすれば、間違いなく“bad mother”になるに決まっており、我々を通して働く力におまかせして母親を生きることができれば、それは“good mother”(良い母親)どころか、生命(いのち)を育てる“sacred mother”(聖なる母親)になるに決まっている。
それが母親としての「ど真ん中」なのであった。

ど真ん中を生きましょ、あなたもわたしも。

 

 

あるミュージカルを観に行った。
それはそれで佳品であったが、その中の挿入曲の歌詞の出だしが心に刺さった。

「あなたがわらってくれるなら」

(検索すれば、いくつかの曲がヒットするが、今回のはオリジナルの創作曲だそうだ)

ミュージカルの本筋を離れて、今まで関わりのあった、辛い子ども時代を送って来た彼ら・彼女らの顔が次々と浮かび、胸が切なくなった。

例えば、ある子どもは、酒は飲むは、ギャンブルはするは、女遊びはするは、の父親が母親を殴る蹴るするのを見て育った。
嫉妬に狂い、生活に疲れ、暴力に打ちひしがれ、暗い部屋で泣いている母親の後姿を見て、「あなたがわらってくれるなら」何でもしようと思った。
そして、道化師になり、しっかり者になり、良い子にもなった。

しかし、わらってくれるどころか、母親の持って行き場のない怒りは、残酷にも、この子に向いた。
叩く、なじる、放置する…。

それでも、母親にわらってもらおうと頑張って頑張って頑張った。

ああ、この子が本当にほしかったものは何だったんだろうか。

わらってもらいたいのもあったけどさ、そこまでこの子が頑張った本当の理由は

「あなたが愛してくれるなら」

であった。

 

子どもは愛されなければならない、絶対に。

 

 

「ちょっと理屈めいたことを申しますが、西洋では次第にフロイト的な無意識からユングによってもっと広い無意識へ、もっと深い無意識へと進んでいっております。私は日本人が、それよりももっと深い無無意識へ行き得るということを言いたいのです。…
精神分析は、そのはじめにおいて、無意識の存在を発見し、無意識を意識化することによって、自我が無意識をコントロールすることができると信じました。ですから、治療とは自我の確立であり、自我の強化が目的で、このことは西洋における個人主義の文化に適応した考えであります。個の確立強化と言いかえても良いでしょう。自我は現実原則に従うことを機能としていますから、自我が確立され、強化されることは、現実原則に従って行動する力が強くなることを意味します。したがって、このことは競争を前提とする近代資本主義に中で生きるために、誠に有用なことに違いありません。そのために、無意識の中に抑圧されていて、自我の働きを妨げている色々な要素が、それを持続しようとする抵抗を排して分析され、明確に意識化され、取り除かれねばなりません。そうすることによって、暗い無意識の世界は明るい意識の領域に加えられ、無意識の湖は究極的には意識によって干拓されていくことが当然であると考えられていました。…このようなフロイトの考えにもとづいて、精神分析は発展してきたのでありました。
色々な葛藤やコンプレックスが無意識の中に埋まっているのが露呈され、それらを認識し、洞察する試みに治療のエネルギーと時間が使用されました。しかしこうした態度の中には、何か無意識が自我の発展を妨げ、それを脅かすものを蔵しているものとして、気味の悪い暗い感じにさせられるものであるということが暗黙のうちに感じられていたように思います。しかしそのうちに、ユングやネオ・フロイディアン達が無意識の中にある人間の健康な面、成長する力を発見し、そうした要素の認識や洞察の重要性を力説するようになりました。今までと違って現実原則を中心とする自我のみで個を考えるだけでなく、無意識を含んだものを私たちの心の常態と考えるようになりました。たとえば、ユングは自我をその一部とする無意識の統一をセルフ Self と呼びました。ホーナイもまた、常に人間の中にある健康な成長する力の存在を「真の自己」(Real Self)と呼び、人間の倫理とはそれによって成長し生きることだと言いました。
さらに無意識の世界には個人の無意識ばかりでなく集合的無意識 Collective Unconscious があり、私たちの自己 Self はそれに支えられていると言うことをユングが言いました。つまり現在の時点に立って展望しますと、西欧人の考える無意識の世界は、はじめフロイトの考えたエスとかをさらに深くこえて、「集合的無意識」の世界に拡大されてきました。また、それにつれて、自我の現実界に対する自我としての機能を保ちながらそれを一部とし、一方において集合的無意識の世界とつながる「自己」(Self)に包括されることになりました。…
実はユングの集合的無意識の中には、ユングの言う影や元型など色々なものを含んでいます。その世界はたしかにフロイトの考えた無意識の世界より深い無意識の世界でありますが、私たちの先人はその種類の無意識を越えて、さらに深く、さらに純粋無雑の世界を、仮説でなく自らの心身をもって体解(たいげ)しているのです。

そこで初めて、自我や自分が集合的無意識を越えて宇宙的無意識というべきものとの合一を体験し、すべての宇宙的存在と根元を一にして、一切のものが一に帰し、そして一のものが一切に満ち溢れて、それぞれの面目を発揮するということを、疑い無い事実として身証しているのです。
その意味で、私たちは西欧の人たちよりも、非常に深く、根元的な宇宙的無意識についての永い伝統と文化とを持っていると思います。ただこうした伝統と文化が、フロイトやユングのように注目を浴びていないのも事実です。
しかし、今や西欧の達した深さの精神の理解を得た私たちは、私たち自身の文化の中に潜む精神の深い理解と体験を省みて、その価値を検討してみてよい時期に来ているではないかと私は思います。」
(近藤章久講演『文化と精神療法』より)

 

なまじっか精神分析に関心を持つと、フロイトの勉強から始める方が多いようです。しかしそこには個人の「無意識」しかありません。
少し関心を広げると、ユングの勉強をし、そこで人間共通の「集合的無意識」を学ぶかもしれません。
しかしどちらも「勉強」なのです。 
そして「勉強」には「鵜呑み」の危険が付きまといます。
少なくともこの日本の文化の中で、日本の風土の中で育った者であれば、何も「勉強」しなくたって感じている「宇宙的無意識」の感覚、体験があるはずです。
それを近藤先生は、私たちは「体解」し「身証」している、と言われました。
そしてその中に、万物、万人を成長させて止まない力、それぞれの面目を発揮させる力が働いていることも感じて来たはずです。
その感覚、体験からすべてが始まります。
理屈は近藤先生が今、明快に語ってくれました。
さぁ、万物から、万人から感じましょう、体験しましょう。
今っ!

 

 

今日は令和6年度4回目の「八雲勉強会」。
近藤章久先生による「ホーナイ派の精神分析」の勉強も1回目2回目3回目に続いて4回目である。
今回も、以下に参加者と一緒に読み合わせた部分を挙げるので、関心のある方は共に学んでいただきたいと思う。
入門的、かつ、系統的に学んでみる良いチャンスになります。
(以下、表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は松田による加筆修正箇所である)

 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

2.神経症の生成と発展

c.理想像の定立とそれとの同一化による「仮幻の自己」ー 神経症的性格の完成

しかし、何れにもせよ、この様な傾向が、自分の安全を中心として発展したものであるだけに、自分の自然な感情や考えは、安全の必要の為に押し殺されることが多く、次第に自分らしい感情や考えが自分自身にも、はっきりしなくなって来る。
これは「真の自己」の成長から、次第に離れて行く過程であり、自己疎外と呼ばれる現象である。この結果として、不安は一応防衛されても、そこに何か、はっきりした自分の感じのない、自信のない態度が生じて来るのである。自分の感じがなく、自信がない時、自ら生きて行く為にそれに代って安心の得られるもの、あおれらの代用品を必要とすることになる。
この場合に、自己疎外にある人間にとって、その様な代用品の材料として持ち得るものは、不安防衛の為にとった先にあげた3種の態度と、それに関する価値しかない。
例えば、自分の安全が強力なものに迎合し、依存して行くことによって防衛されるとして、そういう屈従的な態度をとるものは、自己の態度を、他の為に何ものをも犠牲にして止まない献身的な愛に満ちた態度であるとするし、反抗的、攻撃的な防衛方法をとるものは、自己の態度を悪に復讐する強大な力、指導性、正義を擁護する勇気の表現とするし、更に人から離れ、孤立的な態度によって不安を免れようとするものは、自分の態度を知性的とか、独立、自由、或は自足の表現であると価値づける。
その様に価値づけることによって、自分の自信のなさをするかえるわけである。この様に自己の態度を価値づけ、それを価値あるものと考える様になると、自らその価値を中心として自分のあるべき理想的な姿を画(えが)くことになる。
かくて自分の過去の生活の中で生れた夢想や、経験や、望みや、才能を材料としてそれぞれが特徴のある理想像が画かれる。それによって仮構された統一像を得るのである。この様な理想像の定立は確かにはっきりした目標を与える。その意味で、或る安心感の根拠になる。しかし、まだそれは充分ではない。何故なら、理想像はまだあるべき自分の姿であって、そこに自分との距離を感じる。到達すべきものとの間に空間があることは、まだ不安である。不安をなくする為には、この距離をなくさねばならない。一挙にこの空間を埋める方法は、その理想像に、想像の助けを借りて同一化する他ない。Salzburg(ザルツブルグ)の坑内の塩が ー Stendhal(スタンダール)の表現を借りれば ー つまらない枯枝を華麗な姿に変じる様に、その価値を核として、想像力が壮大な仮幻の自己を現出する。
「仮幻の自己」の完成は、一つの分水嶺を意味する。そこに立つ時、私達は一方に於て「基礎的不安」から出発する幼児期からの様々な傾向の展望を持ち得ると共に、他方に於て、ここから発して新たに展開する神経症的性格の構造に関して展望が得られるのである。


「基礎的不安(基本的不安)」を払拭するために、幼児は神経症的傾向を身に着けなければならなかった。しかしそれは「真の自己」から離れて行く道であり、やがて「自己疎外」に至ることになる。この心許ない状況を打開するためには、この神経症的傾向という代用品を理想像=「仮幻の自己」として完成させなければならず、その理想像との距離を一気に縮めるのに暗躍するのが我々の想像力なのである。
こうして、辛い環境の中に生きながら安心を得るために、おかしなまがい物であるこの理想像=「仮幻の自己」に人は酔いしれることになる。
尚、ザルツブルグの小枝の話は、流石の教養を思わせる文学的譬えである。関心のある方は、スタンダールの『恋愛論』をご覧あれ。

 

 

法事というのは余り好きではない。
正確に言うならば、形式としての法事、虚礼としての法事が好きではないのである。
もっと言うと、わざわざ時間とエネルギーとお金を割いて、義務と義理を果たしに来てやりました、というのが嫌いなのだ。
そういう連中は法事に参加しても、ビール飲んで料理喰って与太話をして帰るだけで、大抵、故人の話は申し訳程度である。
お坊さんの話も、無常を感じるには絶好の機会なので、是非有り難い話をしていただきたいのであるが、なかなかそういう話に出逢わない(失礼)。
それだったら、形式的・.虚礼的な法事には出席せずとも、ふと故人のことを思い出したり、誰かと故人のエピソードに華を咲かせる方が、よっぽど故人を悼んでいるのではないか、と思っている。
そして、その人がこの世に存在した意味や役割、ミッションについて、思いを馳せたり語ったりすることができたら、それ以上の追悼があるだろうか。
人それぞれいろんな人生があり、
中には、流産した子もいる、百十歳過ぎまで生きた人もいる、人知れずひっそりと生きて死んだ人もいる、ノーベル賞や金メダルを取った人もいる。
それぞれに意味と役割、ミッションがある。

 生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに尊く

 死に死に死に死んで 死の終わりに尊し

(空海さん、勝手にアレンジしました。ごめんなさい)

そんなことが感じられる法事なら、是非行ってみたいと思う。

 

 

かつて近藤先生が年に一回、精神療法懇話会という場で若手の精神科医/臨床心理士の指導をされていた。
一人の患者さんの治療経過の発表と質疑応答に三時間ほどかけ、一日に二人の発表だけだったと記憶しており、丁寧に検討する会であったと思う。
そんな中で、参加する度に何より楽しみだったのが、近藤先生の最後のコメントであった。

まず若手が治療経過を発表をし、その後、フロアとの質疑応答に入る。
続いて、コメンテーター役の複数の中堅の精神科医/臨床心理士がコメントし、その後、ベテランの精神科医がコメントする。

そうして、オオトリに近藤先生がコメントされる、という流れであった。

私が楽しみにしていたのは、その近藤先生の最後のコメントで、それまでの他のコメントを全てひっくり返し、人間の本質、サイコセラピーの本質をズバリと示される様子は、毎回、実に痛快であり、やっぱり格が違うなぁ、と唸らされた。

当時、既に近藤先生の許にも通っていたので、会での近藤先生のコメントについてディスカッションするのも大変楽しみであった。
もちろん最初のうちは、想像を遥かに絶する先生の発言にただ感動し、唸るしかなかったが、
段々と自分だったらどうコメントするかを考えるようになり、自分のコメントと近藤先生のコメントとの差が、自分にとっての成長の道しるべとなって行った。

そうこうするうちに気づいたのが、近藤先生は観抜いたことの全てをコメントされているわけではない、ということであった。
私でさえ気がつく発表者やコメント提供者の問題や成長課題について、近藤先生が触れられないことが何度もあった。
「先生はあの人のこういう面に気づかれていたのに、触れられませんでしたね。」
というと、うんうんと応じられ、さらに私が
「目の前のもう一歩の成長のためには、何を言うかよりも何を言わないかの方が重要なんですね。」
と言うと、
「よくわかったね。」
と笑顔でおっしゃられた。
そんなやりとりが数え切れないほどあり、今から思えば、発表者やコメント提供者だけでなく、私のこともそうやって子どもを諭すように育てて下さったのだなぁ、としみじみ思う。

それからは、近藤先生が会で、気づいておられながらおっしゃられなかった点について、私が自分の領解(りょうげ)をお話して、(禅でいう)点検をしていただくことが恒例となった。
そうして段々一致する点が増えて行くことに、大きな成長の喜びがあった。

しかし、残念ながら、近藤先生が遷化されるまでに先生の境地に到達することは遥かに及ばなかった。
それでも、今もまだ私の中での近藤先生との問答は続いており、死ぬまで伸びしろはまだまだあるんじゃないかと思っている。
気づいておられながらも、あるいは、体験しておられながらも、当時の私にはおっしゃられなかったこと、それを解き明かして行くことが、今の私にとっては無上の楽しみである。

 

 

中学の頃、英語の授業で Sunday clothes や Sunday best という言葉を習った。
キリストの復活の日である
日曜日に教会に行くときは、着飾って行く、晴れ着を着て行く、というものであった。
初めて聞いたときに、よりによって教会に行く日に着飾るのは、虚飾に走るようで違和感があった反面、特に楽しみの少なかった時代にそれを口実にお洒落を楽しむのも良いんじゃないかと思ったのを覚えている。
神さまもそれくらいは微笑ましいと許して下さるだろう。

そう言えば、以前住んでいた地域のバス沿線には修道院があり、時々修道女の方が乗り合わせて来た。
皆さん、ご存じの修道服を着ていらしたが、その質素な出で立ちの中に、ちょっとメガネの端に花のデザインが入っていたり、黒いサンダルの甲バンドの端に星のデザインが入っていたりするのが、「清貧、純潔、服従」の暮らしの中にも、密やかなお洒落をしているようで微笑ましかった。

確かに、余りにブランド虚栄に走った服装にはゲンナリするが、我々の生活の中での、たまのお洒落は“地上の華”“俗世の彩り”として、なかなか宜しいんじゃないかと思っている。

昔、他人のちょっとしたお洒落を見かけると見下したことを言う、思いあがった似非クリスチャンがいた。
そいつは確かにいつも質素な身なりをしていたが、私はいつも質素にしています・虚飾に走っていません的な独善他罰の思いあがりが鼻についた。
ある日、私の前で第三者のちょっとしたお洒落を虚栄に満ちて華美だと批判したので、
「おまえの格好もまだまだ華美だよ。明日からいちじくの葉っぱ1枚で来いよ。」
と言ったのを覚えている(ちなみに女性の場合はいちじくの葉っぱ3枚となる)。
「そうしたら質素だと褒めてやるよ。」
呆気に取られた顔をしたそいつの肩を叩き、
「May you be blessed.」
と言うと、それを見ていた別のクリスチャンの友人が大笑いをしていた。

どうぞ生きてる間のことです。
いちじくがイヤな方は、たまにはお洒落を楽しみましょう。

 

 

「ホーナイが…日本に行って、経験したところ、見たところによれば、日本人全部がそうじゃないのですが、日本人にははるかに西洋人よりも、少なくとも日本の精神的な歴史の中に、本当に人間というものの成長 ー 真に良く生きることに関して、高い精神レベルのものに本当に達しうる色々な伝統があり、方法があると感じたと言いました。しかし残念なことに、今どちらかというと形式化している面もあるようだ。中には本当に生きているものがある。それは素晴らしいものなのだから、これをなんとかはっきりした形で表現して、日本人から世界に対する精神的な寄与として貢献してもらいたいと言いました。
…日本人を治療するのは、やはり日本人の持っている知恵だと思います。たとえばこういうことがあります。沢庵禅師、漬物を作った人ですが、この人の作った和歌に参考になるところがあると思いますので読みます。

『まだ立たぬ 波の音をば 湛(たた)えたる 水にあるよと 心にて聞け』

この歌は、まだ波の音が立たない、その音が立たないうちに、じっとたたえたその水の中に、その音がすでに潜んでいることを聞き取れ、心聞け、ということを言っています。こういうことを言いうる先人たちを持つ我々です。西洋ではそれをクライアントが言葉に出して、波の音がざわざわして、荒波が立ちさわぐようになってはじめて、その意味はどういうわけでしょうかと聞き始めるわけですね。今の日本のあなたがたセラピストはやはり同じ様に、大きな波の音が聞こえるようになって、その波の音を聞いて、何故そんな音がするのかと考え始める。けれども30年くらいセラピーをやっていますと、多少この趣(おもむき)がわかるのですね。敏感性というものに関連しますが、

 霜(しも)を踏んで堅氷(けんぴょう)に至る

という言葉があります。つまり霜の落ちた時点で早くも氷を感じることです。まだ立たない波がそのうちに立ち始める。波の音は今現在静かなたたえた水の中にあると感取する、そういうことを感じることが必要だと思うのです。」(近藤章久講演『文化と精神療法』より)

 

日本人の持つこの敏感さ、正確に言えば、何人(なにじん)でも良いのですが、この日本の風土と伝統の中で育つうちに与えられると言いますか、この風土から薫習(くんじゅう)されると言いますか、そういうものがあるんです。
このことを思うとき、この国に生れて良かったなぁ、と本当に心の底から思います。
その敏感さを発揮して行く。
その敏感さを磨いて行く。
現代化し、欧米化することによって、理性化はしたけれども、鈍化し、劣化してしまった敏感さがあるわけです。
それでは理屈は立っても、クライアントの中に動いている真実を掴めない。クライアントの成長に寄与できないことになります。

こういうトレーニングは、本当は優れたセラピストのセラピー場面に陪席して磨いて行くのが一番良いと思うのですが、実際には難しいため、ある人(クライアントであろうと一般の人であろうと)について、自分が感じたことと信頼・尊敬できる人(師)が感じたこととの異同を検討することによって、磨いて行くのが良いのではなかろうかと思っています。

近藤先生の著書の中に『感じる力を育てる』があります。
やはり生命(いのち)を育てる際に一番大切なものは何かというと、感じる力、敏感さに尽きますね。

 

 

「己(おのれ)の欲せざる所は人に施すこと勿(なか)れ」
(自分がしてほしくないことは他人にするな)

『論語』にある孔子の言葉である。
また、『新約聖書』には

「己の欲する所を人に施せ」
(自分がしてほしいことは他人にもしてあげなさい)

とある。

ああ、孔子もイエスも優しいなぁ、とつくづく思う。
凡夫や迷える子羊にちょうど良い、初歩的指導である。

世俗的には、相手の主観=我(神経症的自我)が喜ぶことをしてあげるのは良いことであり、同様に、相手の主観=我(神経症的自我)が喜ばないことはしないでいてあげるのも良いことである。
昔、『接遇』や『顧客サービス』『顧客満足』の講義を聴いたことがあるが、そんな話のオンパレードであった。
注意するべきは、そこで喜ぶのはいつも、その人の主観=我(神経症的自我)である。
まぁまぁ、初歩的にはそれで良いのかもしれない。
学歴が自慢の人には学歴を褒め、収入が自分の人は収入を褒め、社会的地位が自慢の人には社会的地位を褒めてあげる。
(学歴に引け目のある人の前では学歴の話題は出さないし、収入に引け目のある人の前では収入の話題は出さないし、社会的地位に引け目のある人の前では社会的地位の話は出さないのである)
そうすると自分は「善い人」になれるし、たいそう喜ばれる。
これを「我の満足」というのだ。
それ以上でも以下でも以外でもない。

例えば、暑い日にアルコール依存症の人によく冷えたビールを出してあげると喜ばれるかもしれない。
しかし、その行為はその人を破壊する。
また、虚栄心に満ちた人をよいしょしてあげると、実に嬉しそうな顔をして喜び、さらに思い上がった言動を垂れ流すようになる。
そんな虚栄心を強化してあげてどうする。
私たちは、その人の主観=我(神経症的自我)を喜ばせるのではなく、その人の生命(いのち)を喜ばせなければならない。
そこを間違えてはならない。
自分がどれだけあなたの存在を大切に思っているのか、そしてそのために自分を破壊するような飲酒はやめてほしいと願っているか、と思いを込めて伝えたならば、
あるいは、そんな自慢話をしなくたって、知ったかぶりをしなくたって、あなたは存在しているだけで尊いんですよ、ということを心から伝えたならば、
相手の主観=我(神経症的自我)は面白くないかもしれない、あるいはポカンとしているだけかもしれない。
けれども、本人さえも気づいていないその人の生命(いのち)は、実は喜んでいるかもしれない。
そこで初めて初歩を脱する。

過日、武田信玄によるという

「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」

という言葉を教わった。
小善が相手の主観=我(神経症的自我)を喜ばせることであり、
大善が相手の生命(いのち)を喜ばせることである。
従って、小善が実は大悪であったり、大善が非情に見えたりすることがあるのである。

きっと孔子もイエスも、初歩を脱した人たちに対しては
「その人の生命(いのち)の喜ばざるところを施すこと勿れ。」
「その人の生命(いのち)の喜ぶところを施せ。」
と言われるであろう。

 

 

公園で若いお母さんが小さな子ども二人を遊ばせていた。
やっと歩き始めた下の男の子が転んで泣いているのをお母さんが抱き起こしている。
4歳くらいの上の女の子は自分が地面に描いた絵をお母さんに見せたくてしょうがない。
「ねぇ、ママ、ママ!」
「ママ、見て、見て、見て!」
「ねぇ、ママ、聞いてったら!」
見て、聞いて、かまって、認めて。
ああ、こんなに承認欲求があるんだな、と思う。
これはもう我々に自我意識が芽生える以上、仕方のないことだと思う。
自我が芽生えれば、他とは違うこの存在の意義を、価値を認めてもらいたくなるのは当然だ。
忙しいお母さんは大変だけれども、できるだけ子どもたちの承認欲求を認めてあげていただきたいと思う。
しかし私に言わせれば、これもまた小児的欲求なのである。

問題なのは、大人になってからも、この承認欲求が強い人が非常に多いということである。
多いどころか、それを求めるのが当然だと思っている人がほとんどではなかろうか。
確かに、誰かに認めてもらうとつい嬉しくなったり、認めてもらえないとうなだれてしまうようなところがまだあるよね。
あのね、大人になるというのはね、他者からの承認がなくても、一度しかない人生、自分が何をして生きて死ぬのか、自分のミッションは何なのか、を掴んで生きることができるようになることをいうのだよ。

 「世の人は 我を何とも 言わば言え 我なすことは 我のみぞ知る」   坂本龍馬

最後は「天のみぞ知る」でも良いかもしれない。
こうなってこその大人である。

道元も言った。

 「万法に証せらるるなり」

そう。
究極の承認欲求というものがあるとすれば、人からではなく、この世界から承認されることにあるのである。

人は急には成長できないものだから、取り敢えずのところは、他者の承認を求めても良いけどさ、
あなたもわたしも、そのうち「ママ、ママ」を卒業して、いっちょまえの大人になりましょうね。


 

たまに一人で外食をすることがある。
食べるものにそんなにこだわりがある方ではないので、何が食べたいかというよりは一人で気軽に食べられる雰囲気の店を選ぶことが多い。

大抵は大丈夫なのだが、間違ってカウンターしか席が空いてない店に入ったりすると、マスターやら近くの席のひとり客から話しかけられることが多い。
なんだか知らないけれど、ちょいちょい話しかけられる。
職業柄、話しかけやすいというのは悪いことではないのだろうが、時と場合による。
特に孤独なお父さんや寂しいおばあさんから話しかけられることが多い気がする。
そして私の場合、仕事とプライベートでオンとオフを使い分けるような作為的な生き方をしていないので、そんなちょっとした雑談くらいでも、相手が観えてしまうから困ったことになる。
本人が気づいていないいろんな問題や生育史までもが観える。
観えてしまうものは仕方がない。
これが、昔だったら、筋金入りの聞き上手となり、相手が泣いて喜ぶくらいの相槌を打って差し上げることもできるのだが、とうに相手の主観的満足(我(神経症的自我)の満足)に沿う生き方はやめてしまったので、ご期待には沿えませぬ。
かといって、頼まれてもいないのに、相手の問題点を指摘するわけにもいかず、やがて会話は途切れ、沈黙が支配することになる。

やっぱり自分には、本気で自分と向き合って成長しようとする人以外とは話すことがないな、とつくづく思う。
そういう人は人類のほんの一部なのだけれど、私の毎日がそんな人たちとの面談で回っているという事実は、なんと幸せなのだろうと思わないではいられない。
まあまあ、八十億も人間がいるのだから、一人くらいこんな変わった人間がミッションを果たさせてもらっても良いだろうと思う。

だから
ヒマな人、話しかけないでね。
求めてる人、話しかけてね。
である。

 

 

時々講義の夢を見る。
講義の夢と言っても、なかなか講義する教室に辿り着けないという夢である。
駅に着けない、駅に着いても乗りたい電車が見つからない、乗ってもおかしなところに連れて行かれる、開講時間が刻々と迫って来る、という夢が多い。
私が私に与えられたミッションを果たして行くのに、なかなか望ましい環境が与えられない、いろいろと阻(はば)んで来るものがある、という私のこれまでの体験と実感を反映している夢だと自己分析している。

しかし、それだけだと悪夢の一種のようになってしまうが、その夢の中にも大きな希望がある。
というのは、夢の中で私の講義に向かう学生たちに出逢うと、みんな私の講義に対して大きな希望と期待を抱いていてくれているのだ。
そしてたまに教室に辿り着き、講義を始めることができると、教壇を見つめる学生たちの澄んだ眼差しがキラキラと輝いている。
これは私の現実体験と一致する。
そして、絶対にこの期待と信頼に応えなければならないという気持ちが湧き起こり、夢の中では不思議なことに、その期待と信頼に応える講義をする絶対の自信があるのだ。
これは全く揺るがない。
自分はそんなに自信家でも自我肥大的でもないと思うのだが、「私の」自信というより「天から授かる」自信であり、その意味ではこれは「自らを信じられる」という自信ではなく、「自ずから信じられる」という自信なのだ。

でもね、これはやっぱり「求める学生たち」がいてくれないと成立しないのだよ。
学生たちを貫いて働く「成長させようとする力」、そして、私を貫いて働く「成長させようとする力」、それが相俟って現成(げんじょう)する世界があるのだ。
それがたまらない。

そんな光景を、文字通り、夢見ながら、あの教え子たちの成長を、今も、これからも、ずっと願っている。
いつまでもあの眼差しでいてくれよ。
そうすれば成長の機会はこの世界に満ちている。

 

 

「男の人は、ふつう男は涙を流すものでは無いというところがありますが、しかしいったん涙を流すときは自分の腹から出たことを言います。だから男の涙は割合信頼できるけれども、女の涙はあまり信用できないときもあります。…
特に若い男性のセラピストなんか、女性のクライエントに泣かれちゃうとどうしていいかわからなくなっちゃって、つい相手の感情に巻かれて虜になります。そういう例が少なくない、若い男性の非常に弱い所だから、こういうときは距離を保つということに気を付けることです。それに対して女性のカウンセラーは、女性のクライエントが涙を流したときに割合だまされない、いわば距離が取れます。自分の経験からもわかっているのでしょう。しかし距離は取れるけれど扱いかねて、そこでただアアといって次に言う言葉を失ってしまうことがあります。そういうときにカウンセラーにお願いしたいのは『あなたの泣く気持ちはよくわかります。だけど今はどんな気持ちだったんですか、どんな感じだったので泣いたのですか』ともう一度クライエントを『認識する自我』に返してあげることが必要だと思います。」(近藤章久講演『文化と精神療法』より)

 

私が八雲に通い始めた頃、近藤先生から直(じか)に「若い女性の涙には気をつけるんだよ、松田くん。」と言われたことがありますが、「何に気をつけるんだろう。」と思っていました。幸い私は女性の使う「可哀想な私」にまるっきり引っかからない性質(たち)でしたので、その後も事なきを得ました(←どういう“事”があるっちゅうんじゃ)。
今回の近藤先生の言葉は、「若手向け」のものですので、少し解説が必要でしょう。
きちんとしたトレーニングを受けた敏感なセラピストであれば、若い女性クライエントの涙の中に、依存や陽性転移や無意識の(時に意識的な)罠(巻き込み)があることをすぐに観抜ける、感じ取れるのですが、
まだ若い(特にまだなって十年未満の)男性セラピストですと、簡単に引っかかったり、混乱させられたりすることが起きがちです。
まだ感じ取れないのですから、まずは意識的に、物理的、心理的な「距離を取る」のが一番無難ということになるでしょう。
また、きちんとしたトレーニングを受けた敏感なセラピストであれば、クライエントの涙の出どころを観抜き、また、今このクライエントがどこまでそれを内省できるかを観抜く、感じ取ることも難しくないでしょうが、
まだ若いセラピストであれば、とてもそこまでは観抜けませんので、感情の表出を「『認識する自我』に返してあげる」という「やり方」を行うことが無難ということになると思います。

「距離を取る」「『認識する自我』に返してあげる」などという言葉は、近藤先生は通常おっしゃられない、若手向けのアドバイスですので、そこのところを誤解なきように汲み取っていただければと思います。
セラピストがきちんとしたトレーニングを受けて、「感じる力」が磨かれて来れば、「距離を取る」や「『認識する自我』に返してあげる」という「やり方」を離れて、もっと自由自在なセラピーになって行きます。
しかしそのためには、長年の(やっぱり十年はかかるでしょうか)トレーニングが必要なのです。

 

 

本年3月13日付けの小欄において『対面面談の際のマスク着用の自由化およびリモート面談の継続について[最新報]』をお知らせしました。
そして、2024(令和6)年4月1日から厚生労働省の新型コロナウイルス感染症対応も新たなフェーズに入ったことに伴い、

【1】2024(令和6)年4月1日から
当研究所における入室時のアルコール手指消毒
当研究所における対面面談の際のマスク着用
来談者の自由(してもしなくてもOK)として来ました。
これらについては、2024(令和6)年7月2日以降も継続と致します。
但し、風邪などを引かれている場合、咳、くしゃみなどの症状がある場合には、コロナ前と同じく、マスクを着用されるか、病状により面談日時を変更されるかをお願い致します。
尚、私(松田)自身は、今しばらくマスク着用を継続するつもりです。
また、7月28日(日)開催予定の『はじめまして/ひさしぶりの真夏の勉強会』におきましても同様に、マスク着用するか否かは、参加者の自由(してもしなくてもOK)と致します。

【2】現在、Skype、Zoom、Facetime などでリモート面談を行っている方々につきましては、2024(令和6)年7月2日以降も引き続き、Skype、Zoom、Facetime などのリモート面談の利用継続可能と致します。
新型コロナウイルス感染症拡大が落ち着けば、リモート面談の利用継続可能を続けながら、「1年に1回は八雲総合研究所に来所いただき、対面面談を行う」こととする予定ですが、
新型コロナウイルス感染症拡大状況は、残念ながら、現在も実質上、第11波(専門家によっては「夏の波」)の拡大に入っているようですので、これも延期とし、新型コロナウイルス感染症拡大状況の推移を見守りたいと思っています。

以上、どうぞ宜しくお願い致します。

 

 

本年6月14日(金)付けの小欄で予告していたように、当研究所の「人間的成長のための精神療法」の「対象」を本日7月1日(月)付けで「一般市民」まで拡大することとした。
ようやくホームページおよびフォームなどの改訂が終了したので、ここにお伝えする。

 

変更点については、特に以下のホームページをご覧あれ。

「八雲総合研究所で行っていること」

「人間的成長のための精神療法のお申し込みを検討されている方」

 

ホームページ更新再開後、この1年のご要望に沿うため、約5年ぶりの「一般市民」対象の復活である。

従来の医療・福祉系国家資格者(精神科医、臨床心理士、正看護師、作業療法士、社会福祉士、精神保健福祉士)を「グループA」、一般市民を「グループX」にグループ分けし、「人間的成長のための精神療法」の申し込みを受け付ける。

 

先にも書いた通り、現在、当研究所の面談を受けている方々は、医療・福祉系国家資格者が約6割、それ以外の方が約4割を占める。
後者は約5年前に「対象」を「医療・福祉系国家資格者」に限定する前から面談を続けられている方々で、ということは、最低でも5年以上、面談に通われていることになる。
かように熱心な方々が多く、その「情けなさの自覚」や「成長への意欲」においては、医療・福祉系国家資格者と差はなく(元よりあるはずがない)、私としても非常に嬉しく、かつ、頼もしく思っている。

だからこそ、どこまでいっても、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」は絶対条件なのだ。

 

そしていつも原点に戻る。
そもそも何のために八雲総合研究所を作ったのか(その前身の松田精神療法事務所を作ったのか)。
私の今生でのミッションは何なのか。

何をやって生きて死ぬのか。

世俗的名利に踊る人生を送る気はない。

縁あって出逢った方々の人間的成長に関わることこそが私のミッションである。

いつもそこに戻って、目の前のやることを決めて行く。

 

さてこれから、どんなあなたに逢えるだろうか。

 

 

 

…と昨日で話は終わりではない。
長くなっても書かなければならない続きがある。

南無阿弥陀仏で「自我」を捨て、阿弥陀におまかせするところまでは書いた。
それで「山」を越えることについても書いた。

で、お気づきであろう。
それって、凡夫の方から「山」を越える話なのである。
改めて『山越阿弥陀図』を見る。
そうではなくて、阿弥陀の方から「山」を越えて来て下さっている。

ああ、そうだったのか、と嘆息する他ない。
自分から「山」を越えることのできない、「自我」を捨てることのできない、このバカのために、このクズのために、この凡夫のために、阿弥陀の方から「山」を越えてまで、迎えに来て下さっているのである。

我々の「自我」を超えた救いの働きを、一方的に、全く途切れることなく、永遠に与え続けていて下さっている、こっちがどんなにポンコツでアンポンタンであっても。

願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず
(親鸞『正像末浄土和讃』)

そのダイナミックな働きを表しているのが『山越阿弥陀図』の真意である(と私は思う)。

よって私は断言する。
『山越阿弥陀図』は静止画ではない。
動いて観えなければならないのである。

 

 

『山越阿弥陀図(やまごえ/やまごしあみだず)』を御存知だろうか。
凡夫が往生の際、阿弥陀仏が観音菩薩や勢至菩薩などを従え、極楽浄土から山を越えて往生者を迎えに来る、という場面を描いたものである。
(先日、東京国立博物館で開催された『法然と極楽浄土』でも『山越阿弥陀図』が展示されたが、検索されればいくつかの種類のものを見ることができる)。

で、まず、私が気になったのは、越えて来る「山」とは何かということである。
確かに、仏教伝来以前から山岳信仰のある我が国においては、「山上他界観」という伝統があり、阿弥陀が他界(極楽浄土)に向かう死者を待ち受けているという解釈は一理あると思う。
しかし、それはやはり「解釈」であり、「理」なのだ。
よくできているが、そこには、真に煩悩に苦しみ、念仏した者でなければわからない「体験」がない。

で、改めて、念仏して越える「山」とは一体何なのだろうか

念仏=南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に自分を投げ出すということである。
そこに越えるべき「山」がある。
即ち、自分を、「自我」を捨てなければ「山」は越えられないのだ。
「自我」という「山」がそこに立ちはだかっている。
従って、「自我」を捨てて初めて、自分を救う力=阿弥陀仏に包摂され、極楽浄土に迎え取られることになる。

いやいや、さらに言うならば、そのとき初めて、実は自分が無始以来既に救われており、極楽浄土にいたことに気づく。
越えてみれば、元々「山」はなかったのである。
これが「体験」によってわかる。
それが「山越阿弥陀図」の「山」の示すところなのだ(と私は思う)。

しかし残念ながら、凡夫の前には、高い高い「山」が現前する。
我々凡夫の「自我」は相当にしぶとい。
これをどないせえっちゅうんじゃ。
やっぱり凡夫のできることは、助けて下さい、と念仏するしかないのである。

 

 

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