八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

某大企業の部長職の男性。
大企業の部長をやってるなら羽振りも良いだろうと思われるかもしれないが
仕事では、人一倍働いて来たにもかかわらず、方針の変わった会社から冷遇され、窓際部署に島流し(本人談)。
さらにプライベートでは、長く付き合っていた彼女から、今になってあのことこのことをなじられ、裏切られた感いっぱいの別離。
そんなひどい失意のうちに眠れなく食べられなくなり、精神科外来受診となった。
訊けば、受験も就職も周囲にどう思われるかで決めて来たという。
相手からの評価によって右往左往する、そんな典型的な他者評価の奴隷の男性であった。
そこを根本的に超えて行くチャンスにできるか否か。

わずかな薬と精神療法で治療を始めたが、なかなか本音のところで他者評価の奴隷を脱し切れない(他者評価に依存している自分を本音のところで情けないと思っていない。やっぱり他者評価してもらいたい)。
来院される度に愚痴と溜め息と不定愁訴の雨霰(あられ)。
それがある日、意気揚々としてやって来られた。
別の大企業にヘッドハンティングされて、働くことになりました。好待遇です。
すべての症状はたちどころに消え、見たことのない笑顔。
ないがしろにされて落ち込んでいたのが、今度は評価されて大喜びだ。

それが今のあなたの本音なのね。
この人が自分に埋め込まれた他者評価の奴隷の問題と向き合うのは、また先に延びてしまった。
喜ぶあなたに今野暮なことを言うのはやめておこう。
終診と打ち込んだ電子カルテを閉じながら、ちょっと残念な気持ちになった私です

これが日々の臨床である。
どちらが良いも悪いもない、そんなところが「情けなさの自覚」と「成長の意欲」を求める八雲総合研究所との違いなのであります。

 

 

ノーベル賞受賞者がいる。
金メダル獲得者がいる。
彼ら・彼女らはすごいのかもしれない。

重度心身障害児がいる。
寝たきりの認知症高齢者がいる。
じゃあ、彼ら・彼女らはダメなのかしらんと思う。

一方から見れば、人類は皆、凡夫。
差があるように見えて所詮は、どんぐりの背比べ。
どんぐりが誤差を争ってどうする。

また他方から見れば、人類には皆、仏性あり。
何ができるかできないか以前に
比較を超え、存在自体に絶対的な尊さを授かる。

そろそろ優劣、やめませんか。
凡夫の自覚を持って、思い上がらず
仏性の自覚を持って、卑下せず
生かされて行きたいと思います。
 

 

 

歯の定期健診に行って来た。
同時に歯のクリーニングもしていただいている。

しかし、これが痛い。

歯周ポケットのチェックも
歯石除去も
みんな痛い。

そんなに痛いなら、静脈内鎮静法(俗称:点滴麻酔)でやってもらう手だってあるのだが(それができる歯医者さんを選んである)、そこに私の意地がある。

この痛みに煩悶し、不安に恐れ慄(おのの)き、過緊張に陥ることが、私自身のワークになるのだ。
いつまで経っても自分が凡夫であること(トホホな存在であること)をイヤというほど思い知ることができるのである。
心頭滅却すれば火もまた涼し、などという境地には程遠いぞ。

そうなると念仏するしかない。
必死になると、念仏も深まる。
それが行になる。

しかし、齲(う歯の治療をせざるを得なくなったときは
静脈内鎮静法でお願いします(キッパリ)。
やっぱりヘタレである。
はい。

 

 

「一人のときに、一人でありながらですね、一人を本当に突き詰めて、その奥の底を突き詰めて行きますと、人間存在の一番深いところに、自分という個を超えてあると言いますか、体験される、普遍的ななものと言いますか、すべての存在がそこにおいて立っているような、そういうものに触れるという体験も、人間として可能なんじゃないかと思います。」(近藤章久講演『孤独からの解放』より)

今まさに孤独の淵にいる人がいるかもしれない。

それは時に大変辛いことであるが
どうか孤独を簡単にちょろまかさないで
徹底的に向き合ってみるときに
いや、徹底的に向き合わされるとき、と言った方が良いかもしれない。
絶対孤独を経た者にしか味わえない深い体験がある、ということも知っておいていただきたいと思う。

そして絶対孤独を突破して来た者には必ず“仲間の匂い”がするのである。

 

 

降る雪を観ていると感じるものがある。

恩師がふと
「雪が降ると生きている気がするんだよね。」
と呟(つぶや)かれたことがあった。

この言葉は、知的に受け取るべきものではない。
また、情緒的に受け取るべきものではない。
霊的に受け取るべきものである。

私も黙って面談室の外に降る雪を観ていた。

存在の根底に響くものを共に感じる至福のときが流れた

いつまでも。いつまでも。

 

 

「本当に自分の尊敬する人から学ぶんです、人間は。」(近藤章久講演『親と子』より)

本当にそうだと思う。

若い頃、親と口喧嘩になり、押し付けて来る屁理屈を容赦なく論破すると、
おまえは生意気だ。人生経験もないくせにわかったようなことを言うな。
とよく言われた。
そう言われても私は、
おまえが五十年かかってわかったことなら、俺は三日でわかってやるわ。
と嘯(うそぶ)いていた。

我ながら本当に生意気である。

しかし後年、近藤先生から
年を取らないとわからないことがあるんだよ、松田くん。
と言われると、
本当にそうですね、先生。
と心から頷(うまづ)いて納得していた。

これが尊敬の差。
信頼の差と言っても良いのかもしれない。

尊敬と信頼がないのに、あいつはオレの言うことを聞かない、と言うのは無理というもの。
まずはそこから始めましょ。
 

 

 

先日、岩波文庫の『日本書紀』全5巻を読み終えた。
就寝前に少しずつ読み進めたのだが、思いの外、時間がかかってしまい、全巻通読に5年以上も要してしまった。
原文にこだわったために時間がかかった面もあるが(日本古典は原文ならではの語感が大事だと思っているので現代語訳だけを読むことはない)、なんのことはない(あくまで私見)『日本書紀』はつまらなかったのである。
『古事記』でさえも、編纂の際に体裁を整えるためにまとめたようなところは面白くなかったが、『古事記』には古い故事がそのまま伝わっているようなところがたくさんあり、時に「魂振り」が起きてるんじゃないかと思うほど感動する箇所がいくつもあった。
しかし『日本書紀』は、大和朝廷としての体裁を整えるためにまとめられたものという印象が強く、面白いと感じるところに乏しかった(ないわけではないが…)。
そもそも日本人なんだから記紀(『古事記』と『日本書紀』)くらいは読まなくっちゃ、と始めたチャレンジであったが、他の人に『日本書紀』を勧めるかと問われれば、やっぱり勧めないな。

他方、『古事記』となると、現代語訳でもマンガでも構わないから、一度は読んでみては、とお勧めしたくなる。
そしてもし気に入ったならば、是非原文にも当たってみてほしい。
原文で読まなければ味わえない感触があるのよ。
それに上古文とは言え、どこまでいっても日本語だから、繰り返し読むうちに、なんだか知らないけれど、わかって来るものがある。

記紀どちらにせよ、もし贔屓(ひいき)の神さまが見つかったならば、その神さまを祀った神社に出かけてお参りしてみることもお勧めしたい。
これまた得(え)も言えない体験を授かるかもしれない。

やはり行き着くところ、神道は理屈でなく体験だな、と改めて思うのでありました。

 

 

来週の八雲勉強会に向け、近藤先生の対談資料の注解作成作業をしていた。
作業に没頭するうちに、生き生きと語る近藤先生の姿が、まるでライブのような存在感を持って迫って来た。
思わずキーボードから手を離し、小さな溜め息をついて虚空を見つめたとき、ああ、今日は近藤先生の命日だったと気がついた。
逝去されてもう二十五年になる。
しかし私の中では、明日あの八雲の邸宅に伺えば、あの部屋で三十代の私と七十代の近藤先生が話しているであろう光景が、何の違和感もなく湧き上がって来る。
それは単なる情緒的懐古趣味ではない。
あれは生命(いのち)が愛され、育まれている体験であり、瞬間であった。
Eternal now. 

永遠の今。
だから、二十五年経っても“今ここ”でのこととして感じられる。
そしてそれは近藤先生からではなく、近藤先生を通して働くものから、この世界から、私は愛され、育まれているのだ。

だからこそ今日、私は、死なず、壊れず、生きていられる。
それどころか、今度は私を通して働く力によって、縁ある方々を愛し、育むことさえもできているのだ(愛し育む主語は決して「私」ではない。「私」にその能力はない)。
もう一度溜め息をつき、天を仰ぐ。

娑婆ではまた二十五年と一日目が始まる。
しかし私には“今”しかない。

 


 


 

本日午後4時過ぎ、能登半島を震源とする震度7の大きな地震があった。
遠く離れた東京でも震度3を観測した。

よりによって
正月にである。

この寒い時季にである。

そして日が暮れる時間帯にである。

津波や余震の危険性も続く。

被災地の方々には心からお見舞い申し上げる。

大きな自然の力を前にして
人間は万能ではないが
可能な人事は尽くそう。

あなたの“生命(いのち)”の声のままに。

 

 

敬愛してやまないアホの坂田師匠が亡くなった。

はからったアホ、意識したアホ、計算したアホほど醜いものはないが
師匠はそのままでアホだった。

こういう人はなかなかいない。

ああ、あんな綺麗なアホになりたいなぁ。

さ、皆さん、

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

で追悼しましょ。

これがまた綺麗なアホでないとなかなかできないんだ。

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

あ~りが~とさ~ん。

 

寂しい年の瀬である。

 

 

「気づいてあげられなくてごめんなさい。」

気持ちの悪い言葉である。

これを子どもに対して言うのだったら良い。
自分の気持ちをうまく言葉で言い表せない子どもはたくさんいる。
大人が気づいてあげる必要がある。

これを発声や表出に問題がある人に対して言うのだったら良い。
例えば、寝たきりの認知症のおじいちゃんにいつの間にか褥瘡ができていた。
こちらが気づいてあげる必要がある。

しかし、健全な大人に対して
「気づいてあげられなくてごめんなさい。」
と言うのは失礼である。

あなたには自分の気持ちを表出する力がない、と言っているのと同じだからである

そう言う人自身が、相手の言えない気持ちを察してあげることが良いことだと思っている臭いがする。
そして間違いなく、その人自身が、自分の言えない気持ちを相手に察してもらいたがる人なのである。
面倒くさい。

健全な大人は自分の気持ちを表出することができる。
万が一、何らかの生育史のせいで、自分の気持ちを表出することに難しさを感じるならば、
本人は、自分の気持ちを自ら表出できるように努力した方が良いし、
周りは、その人が自分の気持ちを表出するように応援する方が親切というものである。

「あなたの成長できる力をみくびってごめんなさい。」

どうしても謝りたいなら、そう言った方が適切かもしれない。

 

 

電車の中の吊り広告、それは個別指導の学習塾のものであった。
 

「大切なのは、誰から教わるか。

 〇〇学院は、お子さまに合った先生と学んでいただくことにこだわっています。」


ん?
これは汎化できる話だ。

先生との出逢い。
主治医との出逢い。
人生の師との出逢い。
それが一生を分けることになる。

自分がもし近藤先生につながらない一生を送っていたら。
偽善者か、軽佻浮薄か、クズか、ゾンビか、破壊か、死か、想像がつかぬ。

「大切なのは、誰から教わるか」

それに尽きる。


 

 

あるミュージカルの曲を聴いていて、歌詞の一節に引っかかった。

「報われぬ愛」

ん?
報われることを期待してるようじゃあ、そもそも愛じゃないじゃん。
自分のことしか考えてないじゃん。
愛の本質は、報われることを求めない、その一方的さにある。

だから真の愛は、人間業(わざ)じゃないんだと思う。
 

 

 

神道に関して、久しぶりに読むべき良著に出逢った。
私が長年感じて来たことを見事に言語化してくれたいた。

「『神道』にも、不変の一貫する本質があって…それは、何かといえば、『縄文人の信仰(縄文時代の神信仰)』である。これこそが『随神道(かんながらのみち)』であって、古代より現代に至るまでのすべての時代の神道にも引き継がれている本質であり原形である。これに比べれば、社殿建築や儀礼祭祀などは二義的な要素に過ぎない。そして『かんながら』とは和訓であり、ヤマト言葉である。これに対して『しんとう』は漢語であり、漢音である。」

「『随神(かんながら)』…に『道』を付けることによって神道そのものを意味する言葉として使われるようになったのは明治になってからであって、わが国にはもともと『神道』という言葉はなかった。
 神道は漢語であり音読みであるから、古い言葉でないことは言うまでもないが、それは、必要がなかった、ということでもあった。そのものをあえて呼称する必要がないほどの自然にあったということである。…
しかし仏教が入って来たことによって、対抗上呼び名が必要になった。」

「神道…にはもともと『神学』に相当するものはない。だから『体系』もない。しかし近世以後、他の外来宗教の影響もあって、研究・体系化が試みられて来た。『国学』といわれるものがそれに当たる。
 神道は基本的には神社の前で礼拝するだけで良い。他には何もむずかしいことはいらない。学術的な知識を身に着けてみたところで、それと神道のエッセンスとは別物である。むしろ何の知識ももたない一般人が、通りすがりの小さな社(やしろ)に寄って無心に礼拝する。これが神道の本筋である。
神道は悠久の歴史をもつが、その間ほとんど論理的解明をされることがなかったのは、その必要がなかったからであろう。その証左として、現に神社は存続しており、人々も祀り続けている。信仰は理論を超越したものであることの一つの証しでもあるだろう。」

「神道の発生は、はるか縄文時代に還る。山や森、川、海などの大自然において特別間のあるものを畏敬崇拝するものである。したがって祈りの形に決まりはなく、畏敬崇拝の念を何らかの形…で表現すれば、それがすなわち原始神道である。祈りの対象となった神々を祀るために依り代(神体)を定め、それを納めるための施設として祠(ほこら)や社が造られる。祈る人たちの気持ちであるから、そもそもは素朴なものである。
それが立派な神社建築となって妍(けん)を競うようになるのは、六世紀に仏教が渡来したのがきっかけである。仏教は当初から仏堂伽藍を建設し、人々を圧倒した。対抗するためにそれを真似て神道界でも次々に神社が建設されるようになる。…それ以後は…仏教や儒教等と習合し、千年余も混沌の時代が続き、江戸時代の半ばを過ぎて、ようやく神道本来の姿である惟神道(かんながらのみち)にたどりつく。これが『国学』であり『復古神道』である。」(以上、戸矢学『最初の神アメノミナカヌシ 海人族・天武の北極星信仰とは』より)

全くもっておっしゃる通りである。
大建築不要。
屁理屈不要。
直観的に霊的真実を掴み取る。
それこそがこの日本の伝統。
日本に、この風土に生まれて本当に良かったと心の底から思う次第である。


 

小学校高学年の頃だったろうか、当時は双子の弟と二人の子ども部屋で、ベットを並べて寝ていた。ある日の夜中、寝苦しくてふと目が覚めた。
そして言いようのない強烈な悔恨に襲われた。

当時、精神科病院を経営する父、専業主婦の母は、二人揃ってパーソナリティにかなりの問題がある人物で、5人の子どもたち(長姉、長兄、次兄、私、弟)を将棋の駒のように扱い、誰がより偏差値の高い医学部に入るかで競わせていた。
一人ひとりが学校の成績や受験の成否で値踏みされていたのである。
そんな中、二卵性双生児でありながら、はしっこい私に比べ、ゆったりしている弟は、何かと不利な立場に陥りやすかった。
そして、両親からの圧力だけでなく、兄弟の持って行き場のないストレスも、一番不利な立場にある弟に向けられることが多かったのだ。
この私もまた、自分の保身と優越感を示すために、弟に対して非情な、そして残酷な言動を繰り返して来たたくさんの場面が走馬灯のように心の中を過(よ)ぎって行った。

そして思い出せば出すほど、胸が張り裂けそうで、身の置きどころもなく、ベットに座り込んで、まんじりともできなかった。
気がつけば、隣で眠る弟に向かって、声を殺して泣きながら土下座していた。

そうして猛省したにもかかわらず、その後、本当に良い兄になったかというと、それも甚だ怪しいもので、自分の凡夫性がつくづくイヤになった。
そしてそのことがずっと心の奥底に引っかかっていた。

その後、弟はその人生上、いろいろな苦労をした。
ここでその詳細を記すことは控えるが、それは並大抵ではない、長い長い苦労であった。

そうして過日、弟の娘、姪から結婚式の招待状が届いた。
勿論、姪の結婚を祝う気持ちはあったが、この機会に自分には弟に言わなければならないことがあると思い、万難を排して広島まで駆け付けた。
晴れやかな結婚式が終わり、お見送りの際、新婦の横に立つ弟の許に歩み寄り、思わずその肩を抱いて、耳元で囁いた。
「今日までよく頑張った。おまえはオレの自慢の弟だ。」
弟の口から言葉にならない吐息が漏れた。
後日の礼状の中で弟は、あのひと言で自分の苦労がすべて報われた気がした、と記していた。

そんなことで自分の悪業が帳消しになったとは思わないが、ようやく弟と兄弟らしい本音の心情がつながった気がした。
縁あっての今生(こんじょう)の双子。
最早、お互いに特別のことをすることはないであろうが、それぞれの人生の幸せを温かく祈り合う間柄ではいたいと願っている。

 

 

中学生の頃、私は何故か『論語』を愛読していた。
通っていた学校が旧藩校だったせいもあるかもしれないが、悩める中学生にとって、何か生きる指針が欲しかったのだと思う。
そうなると興味関心は広がるもので、『論語』だけでなく、段々と儒教の基礎経典である四書五経(四書=『論語』『孟子』『大学』『中庸(ちゅうよう)』、五経=『易経』『詩経』『書経』『礼記(らいき)』『春秋』)にも手を伸ばすようになった。
それらはかつて江戸時代の寺子屋のテキストであり、当時の人たちは何を精神的支柱として生きていたのかが気になったのである。

最近、その中の『大学』の解説書を読む機会が与えらえた。
通常、私は原典は読むが、解説書は余り読まない。
というのは「解説書」は、その「解説者」の境地の浅深によって、原典の内容が歪曲され、その価値が台無しになってしまう場合が少なくないからである。
しかし、今回は違った。
著者の意見に肯首することが多かった。
引用すればキリがないが、以下に二、三挙げる。

「昔は学問といったら人間学のことをいいました。そして知識・技術を学ぶ時務学のほうは芸といったんです。」
なんとも我が意を得たりである。
現代で学問と言っているものは、ただの芸に過ぎない。本当の学問とは、人間がどう生きるかということを考え、そして実際に生きることだったのである。真の意味での学と芸。まず学、そして芸。われわれ対人援助職においても、自分自身の学=人間としての生きざまを深めないで、芸=薄っぺらな知識と技術に走ることはなんとしても避けたい。どこまで行っても、学が先、学が本質なのである。

「この小学を内容からいいますと『修己修身の学』ということになります。自己自身をちゃんと修めていくほうに重点を置いたのが、小学というものであります。」
「大学の内容は、自己自身をますます修めていくとともに、他にも良い影響を及ぼすことができるように学んでいくことであって、いわゆる『修己治人の学』を大学というのです。」
小学から大学へ。これまた自分のことが先。そうして初めて他者に貢献することができる。
自分自身の成長課題や問題を見つめて解決しようとすることなしに、他者への援助ができるわけがない。

小学を経ての大学にこそ意味があるのである。

「人間には『徳』と『才』の両方が大切でありますが、才よりも徳の優れた人を君子といい、徳よりも才のほうが優れている人を小人というのです。」
徳はその人を通して働く天の働き。才はその人の個人的才能。
小才の利いた人間はまっぴらである。そうではなくて、徳に生かされる人間になりたい。

近藤先生とよくこんな話をしたなぁ、と思い出した。

そして「知行合一」。
有り難くも、現場を持つ我々は、それが頭の先の受け売り知識か、具体的言動に現れるほどのものになっているかが日々試される。
すぐにメンバーさんや患者さんに我々の境地が見抜かれるのである

厳しいけれど有り難い道だとつくづく思う。

 

 

プロ野球もシーズンオフに入り、選手の戦力外通告のニュースを触れることが増えて来た。
プロとはいえ、実に厳しい世界だと思う。

そんなとき、よく耳にするのが、通告を受けたときの奥さんたちの反応の話題である。

選手本人よりもガッカリし、夫を責める人もいる。
ただ黙って夫を抱きしめ、ねぎらう妻もいる。

ああ、こんなヤツと結婚するんじゃなかったと、心の底から失望する瞬間であり、
ああ、この人と結婚して本当に良かった、一生大事にして行こう、と惚れ直す瞬間である。

その瞬間にその人の本性が現れる。

しかし、そういうのは戦力外通告のときばかりじゃないんだよね。

例えば、
妻がコロナに罹って楽しみにしていたお出かけがフイになったとき
子どもが受験に失敗したとき
出世コースの夫が大病を患ったとき

自分以外の人に対してアテにしていたものがハズれたとき
その瞬間にその人の本音が溢れ出る。
自分が大切なの? あなたが大切なの?

こういうのは、いくら気を付けていてもダメなのよ。
咄嗟に出るものは、隠しようがないからね。

戦力外通告の後
心機一転、他の道に進む人、
トライアウトなどもう一度チャレンジする人、
選択はいろいろあるだろう。

何がどうなっても裸のあなたを愛してくれる人がいるんだもの。
恐いものはない。


 

小さな庭のバラの花が散っている。
はらはらはらはらと散るたびに、その紅い花びらを掃除する。
しかし、片付ける端からまた花びらが舞い落ちる。
そしてそこに街路樹からの落ち葉が加わって来る。
これまた、はらはらはらはらと散るたびに、大小の枯葉を掃除する。
しかし、片付ける端からまた枯葉が舞い落ちる。
隣家のおばあさんが「キリがないのよね。」と声をかける。

思ってみれば、毎日の家事も同じようなものである。
作って、食べて、洗って、の炊事。
着て、洗って、干して、の洗濯。
汚れて、拭いて、掃いて、の掃除。
キリがない。
そして全ては消えて行き、何も残らない。

ふと、だから尊いのだと思う。
形に残る成果というものには、どうも我(が)の臭いがする。

思ってみれば、
我々もまた
生まれて、生きて、死んで、
何も残らない。

永遠を期したかのピラミッドでさえ、やがて風化してなくなるのだ。

すべては消えてなくなる。

しかし万人、万物を通して働いているものはずっと残る。
無始よりこの方、永遠の未来まで。

消えてなくなるものの中に消えてなくならないものがある。
だから尊い。

花びらを拾う。

 

 

子どもの頃から長年、過敏性腸症候群を患って来た(過敏性腸症候群という診断名がない頃から)ことについてはどこかで述べた。
いつも下痢がお友だちであった。
それが近藤先生の教育分析を受けるうちに、いつの間にか完治していた。
一度もその症状について師に話したことがないにも拘わらず、である。
しかしそれ以降、生まれて初めて、便秘というものを体験するようになった。
当初は、これが噂の便秘かぁ、と感慨深いものがあったが、
時々ではあっても、便秘は便秘で不快なもので、以来、いくつかの排便体操、いわゆる〇んこ体操を試すことになった。
そして試行錯誤を重ね、現時点で、至高のう〇こ体操に到達したので、今回、皆さんにご披露申し上げる次第である。

まずはじめに、下半身を露出した状態で、便座に座る。
座位での体操である。
次に、おもむろに両手を真上に挙げる。
そして、両手をひらひらと風に揺れるように揺らしながら、
[ここが肝腎!]
顔を上に挙げ、口を全開にし、目を見開いて、思い切りバカの顔になる。
ここで、どこまで脳ミソの溶けたバカの顔になれるかが最大のポイントでる。
そしてそのまま腰をくねくねと20度くらい左右にツイストする(捻る、回転する
)のである。
これが5往復~10往復。

それからいきなり、ロダンの『考える人』のポーズを取り(ここも一気に行く)、
表情は打って変わってシャキーンとした思慮深いシリアスな顔になる。
このシリアスな顔が当初のバカな顔と落差があるほど有効である。
そして最後に踏ん張って、めでたく脱□となる。

私はほぼ8割以上の□糞成功率を誇る。

最後に注意したいのは、うん〇体操は必ずトイレのドアは閉めて、一人孤独に行うことである。
このバカ顔の所業を誰かに見られた日には、百年の恋も冷め、五十年の結婚生活も破綻し、当局に通報される恐れがあるからである。

座位での体幹捻じりやロダンの『考える人』姿勢については、既に排便体操として医学的に推奨されているところであるが、私としてはこの「バカ顔」を特に推奨したい。
自分でも何をやってんだか笑い出してしまう。

そして今日も幸せな一日となるのである。

 

 

 

 

 

 

 

過日、『リモート面談について』を書いたが、現時点では新型コロナウイルス感染症拡大はまだ続いており、どう見ても第9波の只中にある。
従って、「1年に1回以上の『対面』での面談」という条件の発動は、少なくとも第9波が収まってからにする予定である。
それまでは、引き続き遠慮なくリモート面談のご活用を。
その後のことについては、第9波の収束後に改めてお知らせする。

 

 

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