テレビである獣医が、モルモットの癌の手術を終えた後に
「モルモットとカメレオンって、生きようという意欲があまりないのよ。」
と言って、術後の経過を心配していた。
「ウサギは生きる意欲が強いんだけど、モルモットとカメレオンにはその気概がないというか、諦めるのが早いのよね。」
と言う。
それらのセリフがこころに残った。

そもそも“長寿”は、俗諦(世俗的な真実)的には、めでたいこと、誰もが望んでいることとして扱われて来たが、真諦(絶対的な真実)的に言ってしまうと、それは生への執着=我執に過ぎない。
真諦的には、寿命が長いか短いかよりも、生かされているうちに、生を授かった意味と役割を果たしたかどうか、ミッションを果たしたかどうかの方が重要であり、ただ長く生きれば良いというものでもない。
例えば、31歳で暗殺された坂本龍馬は立派に今生のミッションを果たしたと思うし、
流産で亡くなった赤ちゃんにも、その子が生かされていた間の、そして亡くなったことも含めて、周囲の人たちにいろいろな大切なことを教える意味と役割があると私は思っている。

そして人間においては、大きな手術などの後に、医療スタッフから、生きる意欲を持って頑張れ!と励まされるのは当たり前のことであり、精神免疫学的にも、その方が快方には向かいやすいんだろうと思う。
生への執着が強い方が、確かに長生きしやすいのだ。

それで冒頭の話に戻る。
では、ウサギの方がモルモットやカメレオンよりも、生への執着=我執が強いのか、ということになると、決してそうではないと思う。
ウサギもそのままで、モルモットやカメレオンもそのままで、生かされるままに、生きているだけのことだ。
たまたまウサギの方が生命力が強いように見えるかもしれないが、それは我執によるものではなく、それがウサギのそのまま、催されるままなのであり、
モルモットやカメレオンが生きることに淡白なように見えるかもしれないが、それがモルモットやカメレオンのそのまま、催されるままなのである。
それはウサギの足が“脱兎”のごとく速く、カメレオンの動きがゆっくりなのと同じようなものだ。

冒頭の言葉はアメリカ人の獣医の言葉であった。
「生きる意欲」「気概」「諦める」など、いかにも自我中心の発想で動物のことを解釈しようとしている。
少なくとも動物の生命は、必ずしも人間のように我執で生きているわけではなく、おまかせで生きているのではないかと私は思っている。

お伝えしたいことは伝わったかな?


 

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