サイコセラピーにおいて、ズバリと核心を言わなければならないときがある。
そんなとき、少しでも、曖昧だったり、中途半端だったり、婉曲な言い方をしてはならない。
逃れる隙を作ってはならない。
ズバリと核心を突く。
それができなければホンモノのサイコセラピストとは言えない。
しかしまた、サイコセラピーにおいて、ズバリと核心を言ってはならないときがある。
むしろ黙す。
余計なことは一切言わない。
紆余曲折も、まわり道も、試行錯誤も、ただ黙って見守る。
それができなければホンモノのサイコセラピストとは言えない。
では、両者の区別はどうするのか。
どういうときに核心を突き、どういうときに黙って見守るのか。
知識と技術のサイコセラピーをやる連中は、その操作的な考え方に基づいて、長々と語ることだろう。
しかし、私は立場を異にする。
直観で判断する。
思いつきではない。
自分を通して働くものによって
言うのではなく、言わせられる。
黙るのではなく、黙らせられる。
その消息がわからなければホンモノのサイコセラピストとは言えない。
おして、ホンモノのサイコセラピストを目指して進み続けるのみである。