八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

子どもが幼かったとき、歪んだ親は、恫喝や暴力、精神的圧迫や否定、そして経済的縛りによって子どもを支配した。
小さくて弱い子どもは、不安と恐怖から親に従うしかなかった。

しかし、子どももやがて大人になり、身体的にも経済的にも自立した。
気が付くと、親も年を重ね、心身ともに弱って来た。
子どもはこれでようやく親の支配から逃れられると思った。

だが、そうはいかなかった。
今度は親が“可哀想な私”を使って来たのである。
あれほど強く君臨していた親は、今度は心身の不調などさまざまな弱さを訴え
子どもに罪悪感を抱かせることで再び支配しようと迫って来たのである。

これは巧妙だ。

若いときは強さで
年を取れば弱さで
子どもを支配しようとする
硬軟の罠。

どうぞひっかかりませんように
念のため。

 

付け加えておくと
上記のことは健康な親子関係には当てはまりません
本当の意味で、大切に思い合い、愛し合う親子ならば(ベタベタの相互依存を除く)
何をしてもしなくても問題ないと思います。

 

 

先日、東急世田谷線に乗った。
御存知の方は御存知であろうが、都会では珍しい2両編成のチンチン電車である。

乗ってすぐに空いている座席に座ろうとしたら、そこになんと通帳とカードがある!
忘れ物だ。
咄嗟に、車掌の若い女性に目配せしながら(電車のドアはまだ開いていた)
ホームに降りたばかりの乗客たちに向かって、ドアから通帳とカードを持った手を振りかざしつつ
「忘れ物ですよっ
と叫んだ。
すると一斉に振り返った乗客たちの中にいた一人の中年男性がハッとした顔をして駆け戻って来た。
「私です。すいません。」
出て来た車窓さんも
「あなたのもので間違いないですか?」
と確認して手渡した。
この間、10秒もかかってないだろろう。

以上、当たり前のことが当たり前に行われただけの話であるが、昔の私にとっては当たり前ではなかった。

まず通帳とカードを見つけたとしても、面倒なことに関わりたくないと“計算”して、知らん顔をして他の座席に向かったかもしれない。
次に、通帳とカードを手に取ったとしても、「言うべきか言わぬべきか」「どう言うべきか」「まわりの視線も気になる」などと“考えて”いるうちに電車が出発していたかもしれない。
そして後になってようやく車掌さんに届けただろうか。

兎にも角にも、神経症的な抑圧とやりくりのうちに、無駄な時間が過ぎ去っていただろうと思う。
それが今回は何も考えず、パッパッパと体が動いた。
人間、抑圧ややりくりがなくなれば、prompt(プロンプト)に(即座に)反応できるのだ。

「調子良いじゃないの。」

まるで私の方が助けてもらったように嬉しくなった。
そう、私が助けてもらったのだ
私を通して働く力に。
私がそれを邪魔しなくなっただけということだ。

そして電車を降りた私は鼻歌をうたいながら歩いていた。

しかし次回またpromptにできるかどうか。
私の力じゃないからな、
それはまたおまかせなのであった。

 

 

昨日と逆の話。

ある五十代の女性が、自分の嘘っぱちで演技的な生き方を変えたいと言って面談に来られた。
それが彼女の酷薄な生育史由来することは明らかだった。
長年沁み付いた心の垢を取って行くことは容易ではなかったが、覚悟を決めた彼女は果敢に取り組み、一枚一枚薄紙を剥がすようにニセモノの自分を脱ぎ捨てて本当の自分を取り戻して行った。
最後の大きな山を越えたとき、なんだかピカピカの赤ちゃんになったような気がします、と言って彼女は笑った。

そして意外なことが起こった。
面談に来たことのない(即ち、私が一度も逢ったことがない)家族にも変化が起き始めたのである。

夫が優しくなりました。
息子が荒れなくなりました。
娘が泣かなくなりました。
みんな以前よりも正直になりました。
本音の話ができるようになりました。

そんな場合もある。
それはいくつかの機が熟したときに起こる。
特に家族が敏感で内省的なときに起こりやすいかもしれない。

こんなとき、思いもしなかった余禄を戴いたようで
私までとてもとても幸せな気持ちになる。

そう、私まで戴いたのだ。
何のことはない、クライアントから、クライアントの家族から、私が戴いたのである。
いや、クライアントも、クライアントの家族も、私も戴いたのである、と言った方が正確かもしれない。
誰が与えたのか?
そんなのは言わなくてもわかるでしょ。

こういうことが起こるから、この仕事はやめられないのである。
 

 

ある四十代の女性が、自分の問題を解決したいと面談に来られた。
それが彼女と母親との関係に由来することは明らかだった。
彼女の自分と向き合う覚悟がしっかりできていたこともあり、しんどい時期もあったが、やがて彼女は本来の自分を取り戻すことに成功した。
何よりもとても生きやすくなった。
しかし問題が起こった。
彼女の変化・成長に彼女の娘が付いて来れなかったのである。

お母さんが変になった。
だらしなくなった。

〇〇なんだからもっとこうするべきだ。
□□としての自覚が足りない。
そんなんじゃダメだ。
こうしなきゃ。

聞いていて彼女は苦笑した。
それはすべて自分が娘に言って来たセリフであり
自分がかつて母親から言われて来た言葉だったのである。

なんだか娘が母に見えて来ました。
娘をそんなふうにしたのは私なんですけどね。

娘より先に母親が成長すると、たまにこんなことが起こる。

娘をこうした責任の一端は私にあるので、娘もまた成長できるように時間をかけて付き合って行こうと思います。

聞けば、娘はまだ十七だという。
それなら付き合ってあげないとね。

それがもし二十歳を過ぎていたら、もう大人と大人。
で、自分がどう生きるのかは本人の責任ということになる。
愛情を持って見守りながら、責任を取り過ぎないでいい。
下手をすると、また新たな支配・干渉と取られかねないからね。

時に成長は自分自身の問題だけに終わらない。
後始末が必要になることもある。

 

 

「私は、今、患者さん達を診ていましてね、本当に安心をしたい、本当に安らかな気持になりたい、本当の安定を得たいというのが人間の一番深い欲望だと思うんです。」(近藤章久座談会『欲望と人間』より)

続いて
「小さな自我ですとね。いつも孤独ですし、疎外されていますし、いつも不安です。本当の自我を支え、生かしている、大きな生命力といいますか、そういったものにふれませんと、この自我は生きた力強いものになりません。」
「いつも、すべての人が共に生かされているという、本当の意味における何か連帯感、感謝といったものが感じられると、そこでは非常に安息した、安定した、いわゆる安心(あんじん)の気持が出てくると思うのです。」
「本当の安定というのは…結局、自分が生かされている、本当に人間に生まれて、生かされていると知らされ、それによって生きていくという、この喜びといえるのではないでしょうかね。」

 

どんなに思い上がっても、どんなに肥大しても、この小さな自我では、本当の安心を、永遠に変わらぬ盤石の安心が得られないのです。
その小さな自我を支えると言いますか、すべての小さな自我に連なると言いますか、最早自我も超えて墻壁瓦礫(しょうへきがりゃく)にも草木国土にもこの宇宙にも連なると言いますか、そういったものを支える大きな生命力に連なる体験がないと、本当の大安心(だいあんじん)を得られないのです。
そしてその大きな生命力に連なりたいという欲望こそが、個人の我欲を超えた、生命(いのち)の大欲である(あなたの中にもあるのですよ)ということを知っておく必要があると思います。

そうして気がついてみれば、永遠の無始より、我々の小さな自我は大きな生命力に連なり、いや、生かされていたのだということを発見し、言いようのない歓喜と感謝に溢れることになるのであります。

こうしてお話しますと、何か壮大な話のようですが、その体験の“芽”は、小さな“芽”は、実は我々の日常の中にたくさんあるのです。
あなたもどこかで感じているはずですよ、きっと。

その一つひとつについてはまた面談でお話しましょう。


 

 

若い頃、頭が良いことはいいことだと思っていた。
しかし、年齢を重ねて来るにつれ、頭が良いことが人間の本質的な成長にとって却って邪魔になる場合があることに気が付いた。

なまじ頭が良いと、うまいことやろうとするんだもの。
効率的に
計画的に
そして
他者評価を得るように
目的を達成しようとする。

その目的がまた
学歴だったり
金だったり
物だったり
名声だったり
権力だったりする。

そういう場合、無駄に頭が良いと、碌(ろく)でもないことになる。
俗欲まみれの鼻持ちならない才人たちの世俗的成功者をあなたは知らないか?
結局は、自分
が何のために生命(いのち)を授かったのか、がわかっていないのである。

我々を通して働くものが、(我々の我欲を満たすためではなく)我々一人ひとりに与えられたミッションを果たすように導いてくれる。
その働きのことを古人は「徳」と言ったのである。

「徳は才の主(しゅ)にして、才は徳の奴(ど)なり。」(『菜根譚』)
(徳は才能の主人であって、才能は徳の奴隷である)

厳密に言えば、必ずしも頭が良いことが悪いのでもなかった。
その才能を使う主(あるじ)が、我なのか、天なのか、それが問題だったのである。

 

 

年初にふと思いついて統計を取ってみた。
どういう「縁」で皆さんが八雲総合研究所に面談に来られるようになったか、についてである。

多い順に列挙すると

第1位 同じ職場で働いたことがある。      3割強
第2位 ホームページを見て直接申し込んだ。   2割強
第3位 どこかで教え子であった。        2割弱
同率第3位 私の講演やワークショップで出逢った 2割弱
第5位 紹介                  1割弱
第6位 その他

以上より、計約7割弱の人たちが、どこか(職場/学校/講演・ワークシップ)で私と出逢って(直接私を見て)から面談を申し込まれていることになる。
それはそうだろうと思う。
その方が私の人となりを見てから申し込めるので安心であろう。
実に有り難い話である。
ちなみに、これら職場、学校、講演・ワークショップで、私の研究所に来い、と“営業”したことは一度もない。
職場や学校で無料で相談に乗ったことはいくらでもあるが、その関係性を“利用”することは恥ずかしいことだと思っている。
だからこそ私を見て自発的に面談を申し込んで下さるのは有り難いことなのだ。
しかし現在は、学校で教えたり、講演やワークショップを開催することも止めているので、これからは少なくなって行くかもしれない。
これからどうするか思案中である。
大卒者や大学院生、現職者対象なら教えるかなぁ。

しかし意外だったのが、第2位の「ホームページを見て直接申し込んだ」という方が多かったことである。
2割を超えているとは思わなかった。
たまたま八雲総合研究所のホームページ(というよりこの『塀の上の猫』か?)を見て、私に実際に逢うことなく申し込まれるのであるから、細くも強い「縁」と言うか、不思議な「縁」である。
自分で気持ちを決めてから申し込まれる分、「情けなさの自覚」や「成長への意欲」をしっかり持っている方が多い反面、たまに全然条件無視、見当はずれで申し込んで来られる方もいる。
前者は大歓迎だが、後者は即お断りしている。

そして以前にも触れたが、思ったより少ないのが「紹介」経由である。
知っている人が面談に行っているということで、比較的気楽に申し込まれるが、最初にお断りするか早いうちに脱落する率が高い。
「あの人が行ってるんなら。」と申し込まれる分だけ、「情けなさの自覚」や「成長への意欲」の検討が甘いことが多いのである。
その中でも本気の方は残る。
結局はそうなる。

そう。
以上の「縁」は、言わば、入り口の「縁」であって、本当の「縁」は入り口とは関係ないのかもしれない。
どの入り口からでも構わない。
短い一生である。
ある程度以上深い話ができる人との出逢いは限られている。

今回の人生で私と出逢うべき人に出逢いたいと心から願っている。

 

 

子どもにとっては、その小さな家庭が世界であり、宇宙である。
よって、どの家庭もきっとこうなのであろう。
どの社会もきっとこうなのであろう。
どの人間関係もきっとこうなのであろう、と思い込む(一般化する)。

ネグレクト家庭で育った男の子がある児童養護施設に保護された。
彼は驚いた。
だって、お風呂に入れるんですよ。
着替えが出て来るんですよ。
食べたいものを訊いてくれて、ハンバーグが出て来たんですよ。

身体的虐待を受けて育った青年が結婚して、妻の実家を訪れた。
彼は驚いた。
仲の良い親子って本当にいるんですね。

父親はアルコール依存症で自殺し、母親からは心理的虐待を受けて育った女性が、うつ病を発症してある精神科クリニックを受診した。
身体症状のひとつにしつこい頭痛があり、主治医が頭痛の鑑別をし、抗うつ薬との兼ね合いから、使える薬について説明した。
フツーの主治医なら誰でもが行うことである。
彼女がこう言った。
「私のためにそこまで考えて下さってありがとうございます。」
その言葉はこう聞こえた。
「私なんかのためにそこまで考えてくれる人はいませんでした。」

子どもが選べない特殊な家庭で埋め込まれた先入観を修正するには
新たな健全な体験しかない。

だから「その後」出逢う人との間で起きる体験は非常に重要である。
本人は可能な限り、健全な相手を選びましょう。
(決してかつての親に似た人を、問題のある人を選ばぬように
そして周囲の人は(特に対人援助職者は)その人に健全な体験をもたらす人でありましょう。

人が人を癒すというのは、そういうことなのだと思います。
 

 

 

拙文の中で再三申し上げている「凡夫」という言葉。
私にとっては「凡夫」そのままでしっくり来るのだが、今どきの若い人たちや仏教語に縁のない人たちにとってはそうではないらしい。
【注】「凡夫」(ぼんぷ)愚かな人。凡庸な人。愚か者。愚かな一般の人たち。無知なありふれた人たち。…迷える者。中村元『佛教語大辞典』

そこで最近では「アンポンタン(安本丹)」とか「ポンコツ」とも言うようにしているが、ふと他にバリエーションがないかと考えてみた。

もちろん類語なら何でも良いというわけにもいかない。

例えば「馬鹿」や「くず(屑)」「ぐず(愚図)」「まぬけ(間抜け)」ではちょっと語感がきつ過ぎる(「凡夫」の本義から言うと、それでも全然甘いんだけどね)。

「アホ(阿呆)」はマイルドだが、含むところが広過ぎる。

「たわけ(戯け)」「うつけ(虚け)」となると、信長が出て来そうだ。

では、「とんま(頓馬)」「とんちき(頓痴気)」「とんちんかん(頓珍漢)」はどうだ。 
段々良い感じになって来た。

この勢いに乗って、「ぽんつく」「へっぽこ(屁鉾)」「すかたん」「いかれぽんち」の「すっとこどっこい」!

なんで今、私は立ち上がってるんでしょうか!

う~む、個人的には「アンポンタン」「ポンコツ」に加えて、この「へっぽこ」と「すっとこどっこい」を採用したいと思います。

まだまだ他にも良い表現がありそうだ。 
どうぞ皆さんも何か思いつきましたら、面談のときにでも教えて下され。
どう表現しても、我々は間違いなく「凡夫」なのですから。

 

 

「私、患者さんから『先生直してくれ』っていわれて、私は直せません、あなたの中にあるものが直すんですよ。ただ出来るだけのお手助けはしますがとそう言うんですよ。」(近藤章久座談会『欲望と人間』より)

そして、
「もうひとつ付け加えさせてもらえば、人間が煩悩を持っているからこそ、苦しみ悩みを種にし、縁にして何か自分の中に、自分を越えたもっと大きな力、それで本当に支えられ、生かされている自分を感じることが出来るとすればね、私は人間煩悩喜ぶべしと思うんですがね。」

人間は本当に苦しまないと深まらないんです。
まだちょろまかせているうちは大して苦しんではいないんです。
本人は大袈裟に言いますけどね。
死ぬもできず、狂うもできず、生きるもできず、となったとき、開けて来る世界があります。

禅ではよく「頭燃を払うが如く」と言います(髪の毛に火が燃え移ってそれを必死に払うように)。
私は「鉄板で下からあぶられるように」と感じましたし(あちちあちちあちちで足をつけていられません)、
「釣り天井が下がって来るように」とも思いました(無数の槍が天井から迫って来てもうすぐブスブスと体に刺さります(時代劇で時々見ます))。

だから今まさに苦しんでいる人は、悲観しないで下さい。
「絶後再び蘇(よみがえ)る」
逃げないで誤魔化さないで真正面から苦しむからこそ与えられる本当の救いがあります。

 

 

近所の公園で親子がキャッチボールをしていた。

小学校低学年の男の子がピッチャー役。
若いお父さんが座ってキャッチャー役だ。 
しかし子どものコントロールがなかなか定まらない。
その度にお父さんから厳しい叱咤激励が飛ぶ。
「どこ見て投げてんだ!」
「しっかり足を踏み込め!」
「何度ボールを取りに行かせるんだよ!」
案の定、やがて子どもは泣き出して、グローブを投げ捨て、反対方向に駆け出して行ってしまった。
それを怒りながら追いかけて行くお父さん。
これじゃあ、あの子は野球嫌いになるかもしれない、と思って眺めていた。

そして公園の反対側。
そこでも親子がキャッチボールをしていた。
小学校低学年の男の子の投げる球は、やはりコントロールが定まらない。
その度にお父さんはボールを追いかけて大忙し。
しかしそのお父さんは元のキャッチャーの位置に戻ると、息子の胸のど真ん中に優しくボールを投げ返す。
「さぁ、ピッチャ、来い!」
子どもが笑顔で投げ込む。
またお父さんは走り出す。
そしてまた男の子の胸のど真ん中に優しくボールを投げ返す。

どんな暴投が何度続いても、こちらは相手の胸元ど真ん中に受け取りやすいボールを投げ返す。
これってキャッチボールだけのことじゃないよね。
そこにひとつのメッセージがある。

この子が将来野球をやるかどうか別にしても、少なくともこうして愛された体験はずっとこの子を支えて行くだろう。
「ナイス・キャッチャ!」
それもまた私からのメッセージ。

 

 

ある精神保健福祉士志望の女子学生がいた。
就活時期になっても、自己評価が低くて、自分がなくて、他者の評価が気になって、どうしようどうしようといつもフラフラフラフラしていた、
その後、
なんとかある精神科病院に就職したが、毎日が不安で不安でしょうがない。
そんな彼女であったが、偉いのは、そういう自分を誤魔化さず、逃げず、面談を申し込んで来たことである。

就職から逃げる手もあった。
病院から逃げる手もあった。
そして自分の問題から逃げる手もあった。
しかし彼女は逃げなかった。
ドキドキしながらも、情けなさの自覚と成長への意欲を持って、自分自身との勝負に出た。
そこは十分に褒めて良いと思う。

そして5年。
いやいやいや、なんとか一人前の精神保健福祉士ができました。
もちろん、この世界、成長は無限だが、こんなに自分に着地して落ち着いた自分になることは彼女自身も想像していなかっただろう。
おお、勁(つよ)くものを言うこともできるじゃないの。

5年かけて、妙に場数(ばかず)を踏んだだけで変な自信だけつけ、わかったようなことを言う、張子の虎を育てて来たわけではない。
自分の軸で考え、メンバーさんの方を向いて考え、他者評価に翻弄されない、自分が自分あることの幹を着実に太くして来た女性がそこにいた。
その5年間のこともまた十分に褒めて良いだろう。

しかし経験5年くらいでは、まだ一人前の一番下っ端くらいである。
ピヨピヨがピーピーになったくらい。
より骨太の一人前への道はまだまだ続く。

それでも、このように一人の人間が変化・成長して行く場面に立ち会えるということは、私自身にこの上ない喜びを与えてくれる。
その人が本当のその人になっていくプロセスに関わる仕事は、だからやめられないのだ。
あなたがあなたのミッションを果たせるようになることで
私もまた私のミッションを果たしていると言えるのである。

そして遥か青い空を見上げれば、彼女だけでなく、私だけでなく、なんだかこの世界も彼女の成長を喜んでいる気がするのである。

 

 

「大体、人間っていうのは、ゴタゴタしているのが普通ですね。」(近藤章久座談会『人間の欲望』より)

頭文に続いて
「私はいろんな症状、いろんな苦しみに接して、患者さんの話を聞いていると、自分の中にも思い当たり、やっぱり同じようにも感じるものがある訳です。ああ、この人も私とおなじようなんだな~と。そうすると患者さんの方も『先生もそうなんですか』と、感じてくださる訳ですね。そこに共に、人間としての、ありのままの ー あんまりみっともいい姿じゃないですが ー その姿を一応、お互いに認めていくひとつの状況が生まれるわけです。それこそ、お互いに無知なくせに、そうした姿を一緒に見られる。そこに、なるほど俺はこうなんだな~、ああそうか、というような安堵感というものが出てくる。そして、同時に、しみじみと『情けないですね』という感慨が湧いてくるのです。
分かっちゃいるけどやめられないというような、本当にゴタゴタしている自分の姿というものが見えますとね、それは悲しみを持ったもんですけれどね『お互いに感じ合い、人間ってそうなんですね~』という風な共感というものがあるわけなんですね。そして自分ひとりだけが、ゴチャゴチャゴチャゴチャやっていたのが、そうでないっていう感じがする訳ですよ。

人間っていうのは相当見栄っ張り(精神分析的に言うと自己愛的)なものですから、なかなか自分の「情けなさ」を認められないわけですよ。
それが認められるというのは
ひとつには、いよいよ誤魔化し切れないほど行き詰った場合と
もうひとつには、その弱みを吐露し共有できる相手との出逢いがあった場合ですね。

やはりここでも共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ」ですから。
あなたも凡夫、わたしも凡夫、だからこそ始まるものがあるわけです。
それを相手に感じてもらえるか否か。
“仲間の匂い”がするか否か。
ここらがね、難しいけれど勝負どころなんです、特に対人援助職ではね。
あんまり“偉い”“ご立派な”“専門職”にならないで下さいよ。
まずは、共に愚かな隣人でいましょ。


 

 

 

『古事記』において語られる「天地初発の時」(世界が生まれたとき)の話。

「天地初めて発(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。…(中略)…次に国稚(くにわか)くして脂(あぶら)の如くして、くらげなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌(も)え騰(あが)る物に因(よ)りて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)。次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。…(後略)」

これを読んで、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、天之常立神といった神々はみんな抽象神だ、ということを観抜き、
これら抽象観念をその名とする神々は後代の挿入であって、
宇摩志阿斯訶備比古遅神こそが最初の神だ、
と断じたのは益田勝美氏(『火山列島の思想』)だという(唐木順三氏の著書『日本人の心の歴史』によって教えられた)。

天地最初の神を、何も考えず原文通りに受け取って抽象神としてしまうのか、この国の霊性の伝統を考えて具象神に違いないと観抜くのか、には決定的な違いがある。
『古事記』と言ったって、原文を鵜呑みにすれば良いというわけにはいかないのだよ。
益田氏とそれを取り上げた唐木氏の炯眼(けいがん)に胸が震えた。

益田氏は言う、
「ウマシは賛美のことば、ヒコヂは男性の長老への敬称である彦舅(ひこぢ)、だから最初のウマシアシカビヒコヂの神にしても…(中略)…実は角(つの)ぐむ(角のように芽を出す)葦の芽、アシカビそのものの神格化以外のなにものでもないことがわかる。ー 天地のはじめ、陸地がまだ若く、くらげのやうに漂つてゐた時、一本の葦の芽の神が頭をもたげたよ ー さういふ原始の自然物に神を見る心…(後略)」

日々みるみる芽を出して伸びて行く葦の姿に神を観る、神の働きを観る。
それこそが、頭の先でこねくり回してでっちあげたような抽象神ではなく
“具体的なものの中に神を観る”、これこそがこの国の人間の霊性の伝統なのである。

この素晴らしい伝統を受け継いで行きましょうよ、皆さん。
この国に生まれて良かったと、今日もまたしみじみと思うのでありました。
(この感動がどのくらい伝わっているかしらん)

 

 

昨日、「新人の利点」について書いた。
今日は、非新人、即ち、経験者、中堅、ベテランの話。
既に新人の頃を過ぎてしまった人には、成長の可能性はないのか、ということ。

もちろんあるに決まっている。
但し、経験年数を積んでも、自分自身に、そして自分のまわりの環境や同僚のおかしさに疑問や違和感を持ち続けられた人に限る。

それだけ、擦れず、流されず、誤魔化さず、思い上がらず、最初の感覚を持ち続けるというのは難しいのだ。

「そういうもんか?」がいつの間にか「そういうもんだ」になり「そんなもんだ」になる。
「知りません、わかりません、できません」がいつの間にか「知ってます、わかってます、できます(できてます)」になる。
何年経っても、自分の根本的な“問題”は未解決のままであるにもかかわらず、である。

それでも、例えば対人援助職の世界に限って言えば、経験者、中堅、ベテランになっても、私のところに面談を申し込んで来られる方々は後を絶たない。
中には、その世界で既に指導的な立場を確立している方もおられる。
そのままおさまっていれば、大した問題もなく、いや、むしろ世俗的には権威者としてのうのうと過ごせるにもかかわらずである。

そこに経験のあるなしを超えた、人間としての矜持(きょうじ)を感じる。
本当の自分をちゃんと生きたい。
本当の仕事をちゃんとしたい。
それは人間として、健全かつ立派な姿勢である。
そしてそういう方たちは、新人に負けず劣らず成長して行かれるから素晴らしい。

八雲総合研究所の前身、松田精神療法事務所を開業してからもうすぐ25年になる。
面談に来られている方で二十代の方も珍しくないが、65歳以上の方も珍しくなくなった。
これまた、みんな私のところへ来い、というようなセコいは言わないから
どこでも良いから、誰の許でも良いから、あなたが信頼できる人のところで、自分自身と向き合ってみよう。
少なくとも、素直に成長しようとし続ける魂は、いつまでも少年少女のように初々しい、と言っておきたい。


 

どの社会でも“新人の利点”というものが存在する。
中でも一番に強調したいのは、新人だからこそ、わかりません、知りません、できません、が言いやすいというところである。
これは大きな強みだ。
いろんな問題が山積みでも許される。
だって右も左もわからない新人なんだもの。
ならばそれを活用しない手はない。

私が近藤先生の許(もと)を訪れたのは、精神科医として初期研修2年目が終わる頃であった。
文字通り、個人として抱える問題は山積みで、自分としてもアップアップであった。
だから却って、勝負に出やすかった。
もう先生、全否定でもなんでもして下さい。
何もわかっていない、それだけじゃない、ろくでもないことばかり身に着けている私です。
だから、どんな恥ずかしい話も、どんな情けない話も、どんどんすることができた。
良いように解するならば、これより下はない、後は伸びしろだけ、だったのである
そんな中でも、このままでいたくない、いられない、這(は)ってでも成長したい、という気持ちだけはあった。

だから新人の方々にはお勧めしたい。
自分自身と勝負するなら今だよ。
別に、私のところへ来い、というようなセコいは言わないから
どこでも良いから、誰の許でも良いから、あなたが信頼できる人のところで、自分自身と向き合ってみよう。

時間はあっという間に経ってしまう。
何もわかっていないくせに、わかったような顔をし始める前に
未解決の山積みの問題のせいで、クライアントや同僚に害毒を流し始める前に
新人たちよ、勇気を振り絞って、踏み出すのは、今だっ!


 

 

「過保護のお母さんっていうのはね、よ~く分析するとね、自分自身がすごく甘えたい人なんです。自分が甘えられない欲望をですね、それを子どもに転嫁して、自分は無意識に、ホントはとっても甘えたいの。」(近藤章久講演『親と子』より)

これは世のお母さんだけではない、過保護のお父さんにも当てはまる。
そして過保護の教師や上司にも当てはまる。
さらに過剰に支援したがる対人援助職者にも当てはまる問題である。

相手のためと言いながら、実は自分のためなんだもの。
自分がかつてしてほしかったこと、してほしいことを相手にする。
そんな子育てがうまくいくわけはない。
部下や生徒の教育や指導も、対人援助もまたうまくいくわけがないのである。

だからまず自分の問題を解決しておかなければならないのです、自分以外の人に関わる前に。

でも勘違いしないで下さい。
じゃあ、いい年をした今から、改めて誰かに甘え倒せば良いのかというと、そんなことをしてたら埒(らち)が明かない。
気持ちの悪い“幼児大人”を作り出すだけである。
それこそかつて多くのサイコセラピーやカウンセリングで失敗して来たやり方でしょ。

じゃあ、どうするのか。
それはこんな紙面ではとても書き尽くせないので、面談でお話しましょう。

少なくとも、その答えも知らないで、未解決の問題を抱えたままのサイコセラピストやカウンセラーは危険であり(あなたの未解決の問題が相手の人生に影響を与えるのですから)、本物を目指す人は、ちゃんとしたトレーニングを受けた方が良いと私は思っています。

もちろんトレーニングと言っても、小手先の知識や技術のトレーニングではなく、自分自身の問題と向き合って、解決して行く体験を積み重ねて行くという意味でのトレーニングですよ。

そしてそれは人間的「成長」という意味で、とてもとてもやりがいのあることだと私は確信しています。


 

かつては「誰々は人物だ」という表現がよく使われた。
そこでいう“人物”とは“立った人間”のこと、いや、“立たされた人間”と言っても良いかもしれない。
即ち、自分に与えられた天命、ミッションを知り、身命も惜しまず、その実現に向かって、ブレず迷わず邁進している人間のことである。
天命によって、ミッションによって立たされているのであるから、肚(はら)が据わっているに決まっている。
(やせ我慢と虚栄心によって無理にいきがっているような連中とは根本的に違うのである)

かの吉田松陰がいう。

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂(やまとだましい)
(こうすれば死ぬことになるとわかっていても、大和魂に突き動かされてやることなので、やめるわけにはいかないのだ)

そして松陰は死罪となった。

そして、かの坂本龍馬のいう

世の人は われをなにとも ゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる
(世間の人が自分のことをなんと言おうと、言いたいように言えばいい。自分がすることは自分(と天)だけが知っている)

そして龍馬は暗殺された。

そんな天命、ミッションを知らずして、他者評価に溺れ、我欲に酔い、たった一度の人生を空疎に生きるわけにはいかないのだ。

吉田松陰は享年29歳、坂本龍馬は31歳。
出生の本懐を果たした“濃い”人生であった。

生命(いのち)授かりし人よ、人物たるべし。

 

 

 

「不思議に人間っていうものは、お互いにね、共通の弱さを持ってる人間の方が結ばれやすいんですね。」(近藤章久講演『親と子』より)

確かに。
自信満々のヤツやエラソーなヤツらは、あんまり集いそうにない。
人間は、傷を抱えたヤツ、痛みを抱えたヤツ、弱さを抱えたヤツ同士の方が話しやすいし、結ばれやすいよね。

しかし、その関係性が、ただ傷口をなめ合って、一緒にさらに暗い深みに落ちて行く闇の仲になってしまうのか、
それとも、一緒に支え合い助け合って成長して行ける光の仲になって行けるのかでは大きな違いがある。

実は対人援助職の重要な役割が後者の中にある。
対人援助に関わろうというのだもの、あなたの心の中にも恐らく何某(なにがし)かの傷や弱さがあるよね。
だから患者さんや利用者さんの心の傷や弱さに寄り添いやすいし
患者さんや利用者さんもあなたに話しやすいというところがある。
これもまた“仲間の匂い”というヤツだ。

そして問題はそれから。

あなた自身がその問題を解決しようとして来たか否か。
解決していなければ、一緒になってさらに暗い深みに落ちて行く危険性があり
もし解決していれば(少なくとも一所懸命に解決しようとしていれば)、一緒になって成長して行ける可能性が開ける。

私としては、折角、心の傷や弱さを知っているんだもの、後者になることを強く強く願いたい。
結局のところ、私はそのために。この八雲総合研究所を開業しているのである。

 

 

 

若き男性として性欲に苦しむ親鸞が救世(くせ)観音によって救われる話として「六角夢想」が知られる。
ちょうど今日八雲勉強会で取り上げたことを機にここにご紹介しておきたい。
もちろん以下は、私見に基づくものであることをお断りしておく。

鎌倉時代、比叡山で修業をしていた二十九歳の親鸞は、尊敬する聖徳太子創建で知られる京都の六角堂に百日参籠するという誓いを立てた。
当時の参籠は、夜になると比叡山を下りて六角堂に籠り、朝になると比叡山に戻ることの繰り返しだったという。
そして
その参籠の九十五日目の暁に、親鸞の夢に救世観音が現われた。
ちなみに、聖徳太子は救世観音の垂迹(すいじゃく:本地としての仏や菩薩が衆生を救済(くさい)するために人間などさまざまな形を取って現れること)と言われている。
そして救世観音は親鸞に以下の四句の偈文、いわゆる『女犯偈(にょぼんげ)』を授ける。

行者宿報設女犯(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん) 
我成玉女身被犯(がじょうぎょくにょしんぴぼん) 
一生之間能荘厳(いっしょうしけんのうしょうごん)
臨終引導生極楽(りんじゅういんどうしょうごくらく)」

意訳すると、
僧侶の妻帯は今まで禁止されて来ましたが、もしあなたが宿業によって妻帯を許されるならば、私(救世観音)は玉のような美しい女性になって、あなたの妻となりましょう。そして一生の間、あなたが念仏の教えを広めることを助け、あなたが臨終のときには極楽浄土に導きましょう。
ということになる。

初めてこの「女犯偈」を読んだとき、若い男性の煩悩の代表である性欲を、このような形で受け入れ、包み、救ってくださるのか、と強く胸を打たれたのを思い出す。
そもそも人間に生まれて、性欲を抑圧することによる弊害は、医学的に見ても、そして精神分析的に見ても、甚大なものがある。
ご立派に禁欲を達成してみたところで、肉体がそのように作られていない以上、その達成を上回るおかしな皺(しわ)寄せが起こって来る危険性が高い。
そして、ならば、どうする、となれば、このように救っていただくしかないのである。

やはり凡夫、我らはどこまで行っても凡夫、それこそ聖徳太子が『十七条憲法』に示された通り、

「我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず、彼必ず愚かに非す、共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ。」

私は必ずしも聖者ではありません、彼は必ずしも愚かではありません、共に凡夫であるだけです。

やっぱり凡夫の煩悩を救っていただくしかないのである。

そしてまた、親鸞の妻・恵信尼(えしんに)もまた、親鸞を阿弥陀如来の応現として仰いだという。

ここに互いに礼拝(らいはい)し、包摂し、救い合い、育み合う、夫婦(パートナー)というものの根本的な姿がある。
そこに至る縁があるのが夫婦(パートナー)なのだ。

よくよく思いを致していただきたいと思う。

 

最後に、救世観音については、これまた聖徳太子ゆかりの法隆寺・夢殿の救世観音菩薩立像の拝観を強くお勧めしたい(特別開帳期間があるのでご注意を)。

 

 

 

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