ある女性が、ずっと秘密にしていた自分の心の傷について話された。
苛酷なその話をしながら、彼女の頬を涙がつたっていた。
まずはその涙が悲しみの涙であることは誰にでもわかる。
今まで抑えて来たその悲しみを存分に体験する必要がある。
いわば、悲しみをちゃんと悲しむために人は泣くのである。
悲しみをちゃんと体験するための涙。
それがひとつ。
そして、涙にはもうひとつの意味がある。
それは近藤先生のおっしゃった通り、人は受け入れ難いことを受け入れるときに泣くのである。
完全に受け入れられるまで何度も何度も泣く。
受け入れ難いことを受容するための涙。
今日はさらに掘り下げてみよう。
そこにはただ受容するだけでなく、悲しみを超えて行こうとする働きが潜んでいる。
いわば、泣かなくていいようになるために泣くのである。
そのことが悲しいのではなく、
そんなことをいつまでも悲しんでいる自分が悲しいのだ。
そんなことで悲しんでいる自分を超えて行きたいと、その人の生命(いのち)は願っている。
そのために泣く。
我の涙と生命(いのち)の涙。
人間に起きるその涙の二重性をちゃんと感じ取る必要がある。
【注】自己憐憫の涙、注意獲得の涙は、病んだ涙であり、ここには含めない。