高校生の頃から、将来、精神科医になって精神療法を専門にしようと決めていた。
その背景に、自分の生育環境および生育史から来る自分のパーソナリティの問題があることについては、どこかで述べた。
メンタルに問題のある人間が、メンタルな仕事や対人援助職に就きたがることについても、以前、触れた。
そして志望通り、医学部に入学したのだが、はたと困った。
このまま卒業して、精神科臨床に出るのはマズい。
こんな問題山積み、アンポンタンでポンコツな自分では、患者さんを巻き込み、彼ら彼女らに迷惑をかけるに違いない、と思った。
そして自分の問題解決のために、(今から思えば)危なそうな自己啓発セミナーから、国内外の専門セラピストによるグループサイコセラピーのワークショップまで、片っ端から受けてみた。
多少の役には立ったが、問題の表面を撫でただけで、それだけでは本質的な問題解決と人間的成長には至らなかった。
そして精神科に入局し、思い切って先輩医師に訊いてみた。
「みなさん、自分の問題と向き合って解決して、臨床に出ているんですよね?」
先輩は即答した。
「そんなヤツはいねぇよ。」
声を失った。
その先輩は、後に某大学の教授になった。
それが精神科臨床の現場の実態であった。
ここらの経緯もかつてどこかに書いた気がする。
そして後に、ある男性患者さんを精神科クリニック併設の心理相談室に紹介したことがあった。
最初は若手の臨床心理士が担当したが、信じられないことに、クライアントの気持ちに寄り添うことのできない、鈍感な人間であった。
彼は担当を変えてくれと言った。
次に中堅の臨床心理士が出て来た。
これまた信じられないことに、受け売りの知識と技術を教えるだけの、底の浅い人間であった。
彼はまた担当を変えてくれと言った。
三番目にベテランの臨床心理士が出て来た。
しかし、さらにまた信じられないことに、ちょろまかしの勉強をしながら年数を重ねただけの、上から目線の自我肥大的な人間であった。
彼はその心理相談室に見切りをつけた。
野良犬は、子犬の頃に自分よりも強い犬に出逢わないと、自分が世界で一番強いと思い込む、という話をどこかで聞いたことがある。
そんな危険な野良犬のようなセラピストたちが蔓延(はびこ)っている。
後にわかることであるが、こういった“惨状”は、精神科医や臨床心理士だけでなく、精神保健福祉士においても、社会福祉士においても、作業療法士においても、精神科看護師においても、同様に起こっていた。
自分に解決すべき未解決の問題があることにすら気づいていないのか!
そして、それを解決していないのに臨床現場に出ようというのか!
私には恐くてできなかった。
幸い、私はその後、近藤章久という、この上ない精神医に出逢い、その指導を受けることができた。
師に逢えたかどうか、その薫習を受けられたかどうかで、私の人生は大違いであった。
もちろん凡夫である限り、解決すべき問題はエンドレスにある。
しかし一歩一歩進むごとに解放と喜びがあり、その体験がそのまま、対人援助の現場に直結して役に立つものとなった。
ここまで書いて来て、そこまでやって対人援助職をやろうという人間は、とっても少ないんだろうなぁ、と改めて思う。
しかし、いかに少なかろうとも、ホンモノを求める道を捨てるわけにはいかないし、
少ないと言っても、現に今、八雲総合研究所に通っている人たちが、これだけいらっしゃるのである。
私も段々年を取って来たが、これからの人生も、ホンモノの対人援助職者を目指し、自分の問題解決と人間的成長のための修行を厭わない人たちと歩んで行ければ良い、と心から思っている。
そして私には、自分自身にいただいたものを、次の世代に送らなければならないミッションがある。
私自身の成長も永遠に続く。
今の自分に「情けなさの自覚」を持ち、「成長への意欲」を持つ同志の方々よ、どうか今生で逢って、一緒に進んで行きましょう。