「女の人の例ばかりだしたから、女の人にばかりこだわっているように受けとられるかもしれませんけれど、男の人にも同じようにあるんですよね。男性というのは非常に優越感を欲しがる。世の中には勝ち負けがあるので、自分が負けると大変なんです。つまり優劣意識、競争意識、そういったもので、自分がちょっとでも偉くなりたい。さっきの『ウソでもいいから愛してくれりゃいい』というのに対していうと、『ウソでもいいから偉いといってもらいたい』。偉そうにしていたい。だから、旦那さんのもっともいい操縦術は、うんとほめ抜くことですよ。…そういうと、『そんなことないよ』というけれども、ほんとうのところ大変よろこぶんですね。人間なんて考えてみれば愚かなものですよ。情けないかなそういう存在なのです。ね、ほんのちょっとでも優越したいですよ。…
このように人間というものは本来非常にくだらない価値観を持っている。その価値観というものを信じて執着する。自分はこうだと、こういうものが大事だと、これをですね、いちいちですよ、一人ひとりについてよく吟味してみなくてはいけないんですよ。それが自分自身にとってどんな意味を持っているかということを考えてもらいたいんですよ。
我々は、ふっつうはこんなことは意識しません。それを無意識といいますが、知らないうちにそういうことを考えているのです。…
しかしながら、自分の中に、いつもそういった何か、我々を支配しているこだわりのあることを認めるのが大事なのです。その意味で私の話を参考に聞いてほしいのです。…
といっても、私は、人間はある程度競争がないと進歩していかないもんだと思っています。…もう少し自分の才能を伸ばそうとか、そういった意味で健康的な競争もあるんですね。健康な競争ならその人間の能力を伸ばし、能力ばかりでなくその人の生命力を伸ばし、その生命をまた強くし、もっともっと伸びていくことになるんですけれども。でも、こだわりがでてくると、その生命の流れを逆に阻止してしまう。自分が伸びない。…
健康な競争は、お互いに刺激しながらお互いに伸びていく。ところがひとつこだわってしまうと、なんとかあいつをやっつけたいという敵意とか憎悪に変わります。人を引っ張りおろす、足を引っ張るともいいますけれども、そういうことをやりはじめるのです。
これがね、人間のひとつのあり方であると思います。私は人間がそんなにね、きれいにいくもんじゃないと思うんです。…人間の嫉妬というのは、自分よりも相手が健康だったら、自分より偉かったら、尊敬するんじゃなくて、憎む。そういう悲しい性(さが)を我々は持ってる。しばられ、とらわれてね、そして自分自身も不幸になっていくという悲しい性格があるのです。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)
まあ、女もアンポンタンなら、男もアンポンタン。
今日もまた、くっだらないことにこだわって不幸になっていくんです。
やっぱりね、転機はね、あ~あ、いつまでも何やってんだろ、わたし/おれ、と“心の底から”思えるかどうかなんですよ。
それがなきゃあ、いくら言ったって、こだわりから逃れられません。
「情けなさの自覚」、それがどれだけ徹底するかどうかにかかっています。
情けないなぁ、ダメだなぁ、バカだなぁ、トホホのホ。
徹底すれば、なんとしても今の自分を乗り超えて行きたい、という「成長への意欲」が(頑張ってでははなく)自ずと湧いて来ます。
そうなったら、相談にいらっしゃい。
代わりに乗り超えることはできないけれど、あくまで乗り超える主人公はあなただけれど、できる限りの支援を致します。