スケートボードの国際大会、女子ストリートで、ある十代の選手がベストトリックの最後の試技に挑む。
有力選手たちは既に試技を終え、ここで無難にトリックを決めれば、優勝は確実である。
試合後のインタビューで、このときの気持ちを彼女は語っていた。
「ここで手堅く行けば、確実に優勝できるけど、それはかっこよくない、と思った。」
そして、この日最高難度のトリックに挑んで成功し、彼女は優勝したのであった。
かっこいいぞ。
優勝したからかっこいいのではない。
たとえトリックに失敗して優勝を逸したとても、彼女の姿勢、生きる姿がかっこいいのである。
武士道の精神を説いた書に
「勝ちたがりて、きたな勝ちすれば、負けたるに劣るなり。多分きたな負けになるものなり。」
(勝ちたがって、汚い勝ち方をすれば、それは負けることにも劣るのである。まず汚い負けになるのだ)
と書いてあったのを思い出した。
手堅くやって優勝しても、褒めてくれる人はたくさんいただろう。
(実際、ある別競技において、「どんな勝ち方をしても、みんなはすぐに忘れちゃって、金メダルの記録だけが残るから、無難にやっちゃいなよ。」とアスリートの耳元で囁くコーチがいた)
でもそれは自分の矜持(きょうじ)が許さない。
そんなことをすれば、私が私でなくなる。
彼女はそんな書の存在さえ知らないだろうが、武士道精神は、その十代の女の子の中にも脈々と生きていたのである。