八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

長年、大企業の社長秘書を務めているAさんは、非常に優秀な方である。

社長のスケジュールを完璧に把握し、社内でこなすべき業務、会議などはもちろん、社外への移動手段、会議・折衝の段取り、食事・宴席、宿泊の手配などをも漏らすことなく準備し、さらにA案がダメなときはB案、それもダメなときはC案と代替策も何枚腰かで準備している。
そのため、“できる”秘書として、周囲から全幅の信頼と評価を得ている。

しかし、である。
一旦社を離れ、プライベートなことになると、彼女のやり方はガラリと変わる。

無計画、思いつき、行き当たりばったり、出たとこ勝負の連続なのである。
例えば、フレンチ料理を食べたいと思ったとする。
大して下調べもせず、大体こんなもんか、で出かけて行く。
案の定、お店は定休日だったり、満席だったりする。
そこで全く反省も後悔もなく、あたりの他の店を物色する。
あのイタリアンの店、良さそうじゃん。
ふらりと
入ってみると実に愉快なお店で、いつの間にやら会話が弾んで大盛り上がり。
最後はシェフまで出て来て、ワイン1本サービスしてくれた。

隣のテーブルの客たちとも仲良くなり、今度、ハンググライダーに連れてってもらうことになった。
そんな展開は“予定通り”の人生には起こらない。
もちろん、時には“壮絶な失敗”もあるが、それもまた人生の彩りとして面白がっている。

能率、効率を追求し、周到な準備によって全てをコントロール下において、予定通りの目標を達成する。
良いか悪いかは別にして、そんなことに価値を置く現代日本が存在する。
能率、効率を汲々と考えず、なるようにおまかせして、予想外の展開を楽しむ。
そんな生き方も存在する。

冒頭にAさんのことを「非常に優秀な方」と申し上げた。
それは現代に生きながら、前者の生き方に呑み込まれず、後者の生き方ができているからである。
人生の本当の“豊かさ”がどこにあるかを彼女は感じ取っている。

 

 

ある日、断りもなく「介護保険被保険者証」が送られて来た。
そして別の日には、私の許可もなく「年金請求書」関係の書類が送られて来た。
ああ、そうなんだ。
65歳になったんだ、高齢者になったんだ、と改めて思う。
しかし、そんなに老人になった自覚もない。
流石にこの仕事をしているので、年を取ることへの否認があるわけでもない。
年を取ることによって失っていくこともちゃんと感じているし、
年を取らなければわからなかったこともちゃんと感じている。

そんな法律や行政の決めたラインとは別に、私には私の目安がある。
私が近藤先生の教育分析を受け始めたのが、先生が77歳のときであり、それまでにまだ12年ある。
また、先生が亡くなられたのが87歳のときであり、それまでにはまだ22年ある。
それならまだもう少しはミッションを果たす時間がありそうだ、と思いそうになるが、

今年で近藤先生が亡くなってから25年になる=その時間は本当にあっという間だったことを思えば、
残された時間はそんなに長くないな、とも思う。
しかも、天災、人災、病災が起これば、そんな目安も一瞬で吹っ飛んでしまうのだ。

そんなこともあってか、今回の人生において与えられたミッションを果たしたい、という思いは日に日に強まって来ている。
そのミッションとは、人の成長に関わる、ということである。
以前からあった感覚であるが、面談の予約が空いている時間があると、ちょっと落ち着かなくなる。
それはもちろん経営のためではなく、その1枠分、人間の成長に関われなかったという残念感である。
この世の中に私が出逢うべき人、その人の成長に関わるべき人が、まだまだたくさんいる気がしているし、
既に逢っている人、面談を行っている人に対しても、もっともっとその人の成長に関わりたい思いは湧き続けている。

そんな中で、もっと面談希望の人が始めやすいやり方はないか、さらなる成長につながりやすい企画はできないかなど、以前にも増して思案中である。
できれば早いうちに具体的な形にしてその案をお伝えしたいと思う。

生かされている時間は本当に短い。
年を重ねるにつれ、確かに、蓮如の『白骨の御文(おふみ)』が実感を持って迫って来る。

「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕には白骨となれる身なり」

許される限り、一人でも多くの“あなた”、一回でも多くの“あなた”の成長に関わって行きたいと心から願っている。

 

 

 

 

久しぶりに江戸期の民謡集『山歌鳥虫歌』を眺める(昔、勉強会でも取り上げた気がする)。
たまにこんな歌に無性に触れたくなる。


梅は匂(にほひ)よ 桜は花よ 人は心よ 振(ふり)いらぬ

[意訳]梅は香り、桜は花、人は心で魅(ひ)かれるもの。余計な素振りは要らない。

 人は心で行きたいね。やっぱりこうこなくっちゃあ、と思ってしまう。

 類歌に「梅は匂ひよ 桜は花よ 人はみめ(見目)より たゞ心」もある。

 これが江戸期なら、ちょっと粋な三味線もほしくなるところである。

 

はやる簪(かんざし) 髪かたちより 直(すぐ)な心が 美しい

[意訳]流行の装飾品やヘアスタイルで飾るより、まっすぐな心が美しい。

 清き明(あか)き心以上に美しいものがあるはずないもの。

 ちょっとお姐(ねえ)さん、お銚子一本、と言いたくなってくる。

 

こういう歌(何よりも心映えを大切にする歌)を普段から呻(うな)っていた文化を持つこの国は、なかなか捨てたものではないと思う。

 

気分が良くなって来たところで、おまけにもうひとつ。

吉野川には 棲(す)むかよ鮎(あゆ)が わしが胸には こひがすむ

 「鮎」と「愛」、「こひ」と「恋」を掛けました。

 ちょっとお姐さん、お銚子おかわり、である。

 

 

※後日『写真と詩(うた)『風信帖』』の方に転載する予定です。

赤ちゃんが初めて立つ。
発達段階からすると生後9~10カ月頃である。
すると両親は喜ぶ。
なんだか知らないけれど、手を叩いて喜んだりする。
そして11~12カ月を過ぎる頃になると、初めて歩けるようになる。
これまた両親は喜ぶ。
まるで世紀の大偉業を達成したかのように喜ぶ。
そんなときに
「ちょっと立てたくらいで良い気になるなよ、おまえ。」
「歩けたぐらいで図に乗るな。お父さんは走れるんだぞ!」 
と言う親はいない。
また、幼い子どもの程度はこんなもんだから、これくらいのことでもちょっと褒めておいてやるか、と思ってやっているわけでもない。
そこに子どもへの愛があるから、そんなささやかなことでも心の底から本気で喜べるのだ。

翻(ひるがえ)って考えてみるに、私たちは大きくなった子どもたち、そして大人たちに対して、そのような姿勢で関われているだろうか。
裁いて、怒って、残酷に斬って捨ててはいないだろうか。
時に何らかの障害のある家族、認知症の親、伴侶に対してさえも、我々は容赦なかったりする。

そこで、大きくなった子どもたちや大人たちに対しても愛を持ちなさい、と言いたいわけではない。
実は、幼い子どもたちに対して愛が持てたのも、意図的努力の結果ではなかった。
なんだか知らないけれど愛が湧いて来てそうしていたのである。
私は、愛は人間業(わざ)ではない、と思っている。
我々を通して働くものだから、努力もなしに幼い子どもたちを愛することができたのだ。
だからね、愛がないなぁ、と思ったとき、反省会を開いて、次から愛そうと決意したところで何の役にも立たないのである。
人間の意図的努力では、舌の根の乾かぬうちに、またすぐに相手を裁いて、怒って、残酷に斬って捨てるに決まっている。
それは御存知の通り。
だから祈るのである。
私には無理ですからお願いします、おまかせしますと、繰り返し繰り返し。
そうしたら、もしかしたら、ひょっとしたら、あなたを通して愛が働くかもしれない。
どうやったって自力でできないんだから、そうするしか道はないのでありました。

 

、ゝ
 

ランチ時に新宿の小さなお店に入った。
店内はまさに忙しさのピークで、お客さんでいっぱい。
水を運ぶ、オーダーを取る、料理を出す、レジを打つ、お皿を下げる、フロアを取り仕切っている一人の中年女性が忙(せわ)しげに店内を動き回っている。
その表情たるや、眉間に皺を寄せ、ピリピリした雰囲気が店内を支配している。
いつまで経っても席に案内されないので、勝手に空いている席を見つけて座る。
しかし、どれだけ待ってもオーダーを取りに来ない。
隣の席の客がシビレを切らせて、フロア係の女性に声をかける。
「お待ち下さいっ!」
イラついた声に怒気さえこもる。
これじゃあ、昼飯がまずくなると、私はそのまま席を立って店を出た。
そんな店もある。

また別の日、ランチ時に築地場外市場のある小さな店に入った。
これまた店内は忙しさのピークで、お客さんでいっぱいだ。
水を運ぶ、オーダーを取る、料理を出す、レジを打つ、お皿を下げる、フロアを取り仕切っている一人の中年女性が忙しげに店内を動き回っている。
ここまでの状況は前出の店とほぼ同じ。
しかし、ここからが違った。
どんなに忙しくても、この女性はにこやかなのだ。
さらにお客は、「御飯4分の3で。」「味噌汁、ネギ抜き。」「ソースだくだく。」など勝手な注文を次々つけて来る。
それに対して、「あんた、野菜喰わなきゃダメだよ。」「御飯、お代わり禁止だよ。」「昼からビール飲むんじゃない!」などと笑顔でジョークをかましながら、手と足を動かし続けている。
それなりの時間はかかったが、お蔭で非常に愉快な気持ちで昼食を取ることができた。

この二人を比べればわかる。
忙しさは気分とは関係ない。
1軒目の女性は、自分でイライラを作り出していたのであり(内なる“見張り番”に支配され、せっつかれている)、
2軒目の女性は、自分でイライラを作り出さなかったのである(内なる“見張り番”に支配されていない)。
状況はただ忙しいだけであり、やることは、その状況に対してただ一所懸命に働くだけのことである。
気分は関係ない。 

いや、どうにでもなる。

自分が忙しくなったとき、よくこのエピソードを思い出す。
市井(しせい)に師あり、である。
とても勉強になりました、はい。

 

 

ある女子中学生の体育会系部活動の監督をやっている中年教師が言っていた。
女子中学生なんて一番どうしようもないんだから、舐められないように恫喝して指導するに限りますよ
女子中学生がどうしようもないかどうかは知らないが、一番安易な方法に走ったな、と私は思った。中年男性の恫喝で、言うことを聞かない女子中学生をビビらせる。
そう言えば昔、崩壊しかけた学級を恫喝でまとめようとした教師がいたな。

恐怖による支配は、一時的には有効であっても、そこから本当の信頼関係も教育も生まれない。

また、ある会社の専務が新入社員に向かって言った。
正しいことでもモソモソ言うと相手に舐められるんだよ。ハッタリでも良いからガッと言った方が良いぞ。
これまた私のアンテナに引っかかった。
ハッタリは所詮ハッタリであって、そこにはハッタリの臭みと中味の空虚さが付きまとう。
張り子の虎はやがて破れるのだ。
そもそも
モソモソ言ってしまうのは、そのことにまだ確信が足りないからである。
従って、その人の中で肚が据わった確信になるまで、練りに練ってみる必要がある。
そうすれば自ずと発言に芯が通る。

恫喝とハッタリ、それは真っ当な人間としての、むしろ禁じ手である。
そんな“虚勢”は要らない。
確信と自信があれば、その言葉に本当の勢い、“実勢”が伴う。


 

「わたしたちは感じる力を持っているのですから、本当に心に響くもの、内から催すものに敏感に感じてほしいものです。私が『感じる力を育てる』という本を書いたのは、そういう微妙な、目に見えない催す力、とにかく我々を働かす大きなダイナミックな力が、この世の中に働いてこの世界が動いている。その力でこの宇宙で我々人間は生かされてる、という事をはっきりと考えていただきたかったからです。」(近藤章久講演『私達と世界のめざめ』より)

これはもう感じるか・感じないかのお話になるのですが、私が初めて近藤先生からこういうお話を伺ったとき、その頃はもちろんはっきりとそれを感じる体験などなかったにもかかわらず、それは絶対にそうだろうな、そういう力が働いているに決まっているだろうな、という“奇妙な確信”があったのです。
それは実は近藤先生にそう言われる前から私の中にあった“感覚”であり、近藤先生にはっきりと言語化していただいて初めて、そうそう、そうなんですよ、そうに決まってるんですよ、と私の意識上に上った気がします。
即ち、それもまた私を通して働く力によって、この世界を通して働く力によって、既に私の意識下にあったのであり、それがまた近藤先生を通して働く力によって、そしてこの世界を通して働く力によって、私の意識上に顕在化して来たと言えます。

このように書くと長々とした文章になってしまいますが、感じてしまえば一瞬なんです。
そしてそれが真実なんです、絶対に。
薄っぺらい科学的証明無用の、絶対的な体験の真実なのです。

そしてこういった体験もまた、「感じる力」が磨かれることによって、さらにまごうことなき強度の体験になって行くのだと私は確信しています。

 

 

「指導」という言葉をちょくちょく耳にする。
どこか上から目線で余り好きではない。
それでもどうしても「指導」という言葉を使いたいのであれば、「誰が」「どこへ」指導するのか、ということをチェックしてみる必要がある。

多くの「指導」の失敗(とはっきり申し上げるが)は、まず「どこへ」をしくじっている。
指導者が勝手に思い浮かべた「あるべき姿」に向かって相手を「指導」しても、それが成功するわけがない(短期的、表面的には合わせてくれるかもしれないが)。
「相手が本来何者なのか」をちゃんと観抜いて、その人が「本来の自分」「真の自己」を実現できるように「指し導く」ことが、本当の「指導」なのである。
「指導」のゴールは、こちらではなく本人の中にある。

そして、もうひとつの「指導」の失敗は、「誰が」相手を指導するかというところでしくじっている。
多くの指導者は、「オレが」「私が」、もっと言うと、「オレさまが」「わらわが」指導してやる、と思っている。
あなたの「我(が)」が立って「指導」するのであれば、それはあなたの支配であり、強制であり、操作に過ぎない。
万物、万人が「本来の自分」「真の自己」を実現して行くことは、人間個人のではなくて、この世界の、宇宙の願いなのである(昨日の「大願」でも触れた)。
その願いがたまたま私を通して現れているのである。
「この世界が」「宇宙が」たまたま私を通してあなたを「指導」するのであればわかる。

従って、
「指導」するとは、「この世界が」「宇宙が」たまたま私を通して、あなたをが「本来の自分」「真の自己」を実現できるように「指し導く」こと、なのである。

 

 

若いお母さんが赤ちゃんを抱っこして買い物をしている。
若いお父さんが乳母車に赤ちゃんを乗せて散歩している。
園児たちが公園で楽しそうに遊んでいる。

なんでだろうなぁ。
小さな子どもたちを見かけると、縁もゆかりもないのだけれど、幸せな人生を送って行ってほしいなぁ、と心から願いたくなる。

これもまた私の願いじゃないんだろうな。
私を通して働く願い。
仏教に「大願(たいがん)」という言葉がある。
「大」が付くとそれは人間を超えた力、働きを指す。
従って「大願」は、私の願いではなく、この世界の願い、宇宙の願い。
この世界がこの子に幸せな人生を送ってほしいと願っている。
それが私を通して現れただけ。

そして幼い子どもたちは、そんなふうに、私たちを不純物のない状態に連れて行ってくれる。
不純物がなければ、私たちは、私たちを通して働く力のままにおまかせできるのである、何のはからいもなしに。

やっぱり幼い子どもたちに向かって合掌するしかないなぁ。
大願成就されますように。

 

 

かつて外来で診ていた若い女性。
しばらく受診が遠ざかってるな、と思ったら、ある日、不意にやって来た。
診察室に入って来た彼女の顔を見て、何か雰囲気変わったな、と思ったが、女性はちょっとしたメイクや髪形で雰囲気が変わることがよくあるので、さして気には留めていなかった。
しかし実際は、整形手術を受けて来たのだという。
眼と鼻と唇。
確かに綺麗に整っている(元々も美人なのだが)。
そして今一番の心配は、年を取ることだという。
今、二十代半ばだが、三十になるのが恐ろしい、年を取って醜くなるのが怖い、なんで皆平気で生きてられるのかわからない、三十歳を過ぎたら死のうかと思ってる。
私の眼を見ながら真顔で言うのである。

あのね、あなたは親に寄り添われずに育ったでしょ(実際にはひどい虐待を受けて育っていた)。
子どもは親に寄り添われないと、寄り添ってもらえないのは自分に価値がないからだと思うの。
そのままの自分に存在価値がなければ、整形手術でも受けて綺麗になって、せめて外面に存在価値を作るしかないじゃない。
でもそのやり方だと年を取って、美しさを失ったらおわりだよね。
運よく愛されて育つことのできた人は、自分の内面に、自分の存在に価値があると思えるの。
だから年を取って若い頃の美しさを失っても平気で生きて行ける。
あなたも自分の内面に、自分の存在に価値があると感じられるようになったら、年を取っても大丈夫だよ、と話した。

私は、例によって、何も考えずに話したのだが、驚くべきことに、その言葉が彼女の中にスッと入っって行った。
一瞬黙って俯(うつむ)いた彼女は、私の眼を見てこう言った。
「生きて行ける気がします。」
そして(そんなことをしたことのない彼女は)私に向かって合掌したのだ。
私に合掌をしてもらえるようなことは何もできないが、私を通して働いたものが彼女を救ってくれたのである。

そして水商売で働こうとしていた彼女に、
どこで働いても良いけど、私としては、あなたがあなたであることを大切に思ってくれる人たちの中で生きて行ってほしいと思う、と伝えた。

私は彼女を説得したわけじゃないんだよね。
理性的な説明だけで人は変わらないもの。
その証拠に、上記と同じセリフを言えば誰もが変わるわけじゃない。
そうでない何かが響いた、何かが届いたのである。
人が本当に変わるのはそんなときじゃないかと思う。

 

 

「今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃(みの)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山の炭焼き小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
眼がさめて見ると、小谷の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向(あおむ)けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢(ろう)に入れられた。
この親爺(おやじ)が六十近くになってから、特赦を受けて世の中に出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分からなくなってしまった。私は仔細(しさい)あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むし)ばみ朽ちつつあるであろう。」
(柳田国男『山の人生』「山に埋もれたる人生あること」岩波文庫)

この文章は、昔、私のただ一人の畏友から教えられた。
そしてこの文章が、決して「気の毒」で「可哀想な」「悲しい」話ではないことを知った。
これが「美しい」話であることをあなたは感じたであろうか。
「くらくらとして」という言葉を選んだところに柳田国男の真骨頂がある。

後日、私はこの文章を近藤先生にお見せした。
師は黙って涙を流しておられた。
それが情緒的なべたべたした涙ではなく、霊的なさらさらとした涙であった。

情緒的には「悲しく」、霊的には「美しい」話である。

 

 

「弓を射る時に、弓射るとおもふ心あらば、弓前(ゆみさき)みだれて定まるべからず。
太刀(たち)つかふ時、太刀つかふ心あらば、太刀前(たちさき)定まるべからず。
物を書く時、物かく心あらば、筆定まるべからず。
琴をひくとも、琴をひく心あらば、曲乱るべし。
弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心(しん)にて弓を射ば、弓定まるべし。
太刀つかふも、馬にのるも、太刀つかはず、馬のらず、物かゝず、琴ひかず、一切やめて、何もなす事なき常の心(しん)にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也(なり)。

上記は新陰流の剣客にして徳川将軍家の兵法指南役、柳生宗矩(むねのり)の著『兵法家伝書』にある一節である。
「するするとゆく」という言葉が実に心地良い。

精神療法や対人援助の分野においても、さまざまな知識・技術に基づいた〇〇療法や〇〇セラピーが乱立している。
「こういうときはどうしたら良いでしょうか?」「どう言ったら良いでしょうか?」と不安がる初心者は、そういうノウハウに飛びつき、気がついたら、そういう作為的で操作的なやり方に首まで浸かったベテランになってしまっている。
残念ながら、それでは本当に大切なことは患者さんやクライアントには伝わらない。
構えて、はからって、考えて、賢(さか)しらだってやることの臭みが、患者さんやクライアントの心を閉ざさせるからである。

新人の女性保健師が、あるひとり暮らしのおばあちゃんの家を訪ねた。
安否確認だけなら電話でも良かったが、つい心配になったのである。
憎まれ口を叩くので有名なおばあちゃんは、玄関口で「あんた、何しに来たんだよ!」と毒づいた。
彼女は“思わず”「顔が見たかった。」と言った、いや、出た。
それは赤心の声であった。
するとおばあちゃんは見たことのない顔になり、「ありがと。」とポツリと言った。
そして翌月、彼女は再びおばあちゃんの家を訪ねた。
家の玄関口でまた「あんた、何しに来たんだよ!」と言われた彼女は、先月のことを思い出し、「顔が見たかった。」ともう一度言ってみたが、今度は「帰れ!二度と来るな!」とドアを閉められた。
1回目は“思わず”言ったので、おばあちゃんの心に入った。
2回目は“思って”言ったので、おばあちゃんの心に却下された。
さて、それで彼女は困った。
3回目はどうするか。

それは皆さんへの宿題にしましょう。
[ヒント]“思って”“思わず”言うことはできません。

 

 

生きていればいろいろなことが起こる。
しかし時は常に流れ、「今ここ」のことが忽(たちま)ち「さっきあそこ」のことになって行く。
それでも物事に執着する我々の我は、いつまでも「さっきあそこ」のことにしがみつく。
それが「今ここ」を蝕(むしば)み、二度と返らぬ「今ここ」を刻々と台無しにして行く。

仏教では、摩拏羅(まぬら)尊者の言葉として
「心は万境に随(したが)って転ずるも、転ずる処(ところ)実に能(よ)く幽なり」
(心はあらゆる環境に随順して転変しながらも、その転変のしかたは何とも秘めやか)(入矢義高監修・古賀英彦編著『禅語辞典』思文閣出版)
が有名である(以前、引用した気がする)。
森田療法においてもしばしば引用される言葉である。

こんな難しい言葉を使わなくても、例えば、内田麟太郎の絵本『ともだちくるかな』(偕成社)の中でも、
オオカミによる
こころころころ、こころはころころかわるのだ
という名セリフがある。
DVD絵本も出ており、よくできている絵本なので、関心を持たれた方は読んで(観て)みていただきたい。

また、英語の諺(ことわざ)にも
A rolling stone gathers no moss.
(転石(てんせき)苔(こけ)むさず=転がる石に苔は生えない)
がある。
(御存知の通り、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズの名前の出自である)
さまざまに解釈されているが、上記の意味に沿って考えると実に奥深い。
こころもまた常に転がっていないと苔が生えて来るのだ。

引用ついでに和歌をひとつ。
世の中を 何に譬(たと)へむ 朝ぼらけ 漕(こ)ぎ行く船の 跡の白波」(『拾遺和歌集』)(『万葉集』に本歌あり)
(世の中を何に譬えようか。夜明けに漕いで行く船跡の白波)
船が立てる白波が、立っては消え、立っては消えて行くわけである。
それが人生。

この真実は、身近な幼い子どもたちを見ていてもわかる。
健康な彼ら彼女らの心は実によく転じていて、後を引かない。
「今ここ」「今ここ」の連続である。

そういう心の本性を忘れてはならない。
心がよく転じないとき(過去にとらわれているとき、生育史にとらわれているとき)、それは心に苔がついているのかもしれない。

そしてまた、転じなくなった心を本来のありようにリセットするために、呼吸や祈りがある。
先人の智慧は、実に有り難いものだと思う。

 

 

「心が時々乱れるときがあるでしょう。そういうときには、ひとつ、自分の心を海の一番底だと思って下さい。で、あなたの上の方で、怒ったり、あるいは、イライラしたりするのは、風で波が騒いでいるようなイメージを持って下さい。だから、ああ、今、私の心は騒いでいる、それは事実なんです。騒いでいるのは騒いでいる。しかし、一番深いところに、私の、やっぱり、深いところでは、落ち着いたところがあるなってことが、自分で味わえるようになって下さい。そうなったら、とても楽になりますよ、と言います。」(近藤章久『心身平安への道』)

 

一番底。
それは我々の自我を超えた底。
そこから
自分の我を眺めるとき
相手の我を眺めるとき
ちょっと違って観えるんです。
ちょっと落ち着いて観えるんです。
そんな世界があるんです。
そんな境地があるんです。
こういうことをちょっと知っているかいないかで
対人援助の現場で働くとき
否、娑婆で働くとき
娑婆で生きるとき
何かがちょっと変わって来るんですよね。
なんだかちょっと楽になって
なんだかちょっと深くなって
なんだかちょっと大きくなって
あったかくなる。

そこに我々の我を超えた世界がある。
そのことを覚えておいて下さい。

 

 

昔、東京メトロ(地下鉄)の電車に乗車したら、男性の声で車内アナウンスが流れて来た
通常なら
「つぎは~、とらのもん(虎ノ門)~、とらのもん~。」
というところを
「あ、つぐぃはぁ~、は、とぅらぁのぅもぬぅ~、あ、とぅらぁのぅもぬぅぅぅ~。」(←精一杯表記してみたが実際はこんなもんではない)
というアナウンスが流れて、腰から崩れ落ちそうになった。
「何言ってんのか、全然わかんねーよ!
現在は、女性アナウンサーによる綺麗な録音音声になり、とても快適である。

そして先日、某電鉄の電車に乗車したら、男性の渋いバリトンの声で車内アナウンスが流れて来た。
今度はちゃんと聞き取れるのだが、完全に自分の声に酔いしれてしゃべっているのだ。
「つぎは~、〇〇~、〇〇~。」
と表記上は何の問題もないように見えるが、そのナルってる(=ナルシシストしてる)声の具合いが絶妙に気持ち悪く、思わず失禁しそうになった。
しかし事態はそれで終わらなかった。続いて英語アナウンスに入ったことで、これまた
「Next station is 〇〇~、〇〇~。」
と表記上は何の問題もないように見えるが、その独自の発音の上に、先のナルってる声の具合いが重なり、危うく脱糞しそうになった。
「フツーにしゃべれーっ!」

そして今日、某電鉄の電車に乗車したら、通常なら、
「間もなくドアが閉まります。閉まるドアにお気をつけ下さい。」
というところを
「間もなくドアが閉まります(←ここまでは良かった)。閉まるドアに…(段々声が小さくなる)……(おいっ!間が長いぞ!)……(急に聞き取れるかどうかの囁(ささや)き声になって)…気をつけて下しゃい。」
「車内アナウンスで囁くなっ! しかも何が『しゃい』だっ!」
お腹がヒクヒクして悶絶しそうになった。

鉄道勤務もいろいろあって大変なのかもしれないが、3人とも共通して言えるのは、自分の方を向いて(自分の世界で)仕事をしていることである。
乗客に貢献する仕事なのですから、聞かされるお客さんの身になって、お客さんの方を向いて仕事をしましょうね。
(尚、医療関係者における「どっち向いて、誰を向いて仕事してんだよ問題」についてはまたいつか触れるつもりである)

 

 

「引きこもり」の子どもたち、大人たちがいる。
彼ら彼女らは通常、自宅の中、自室の中に引きこもる。
しかし、引きこもるのは、自宅や自室ばかりではない。
18歳以上になると、時に海外に打って出る人たちがいる。
人と人との距離が近く、言動の表裏をデリケートに感じ取る日本のコミュニケーションに疲れ、
特に何らかのコミュニケーション障害(特に自閉スペクトラム症(ASD)や自閉スペクトラム(AS)に基づくコミュニケーション障害)がある人たちにとっては、文化の違う海外での暮らしの方が却って過ごしやすかったりする。
私はそれを「そとこもり」と呼んでいる。
そこでは、察することも要らない、忖度も要らない、暗黙のマナーやルールもわからなくて良い、何事も結論から、本音から言えば良いし、
自分のコミュニケーション障害を相手は文化の違いのせいだと思ってくれる。
これは有り難い。

時に海外在住の日本人に会ったとき、「ん?」と違和感を覚えるときがある。
それは現地に居住するうちに現地ナイズされたことによる違和感ではなく、その人が実は元々日本時代から持っていたコミュニケーション障害に基づく違和感だったりする。
それでも、その方が生きやすければ全然OKなのであるが、どんなに文化が違っても、人間と人間とのコミュニケーションとして万国共通の部分もある。
わかりやすい例を挙げれば、国際結婚をした際、パートナーはちょくちょく起こる行き違いについて、当初それが文化の違いによるものと思ってくれるが、やがて、それにしてもおかしいと気づき始める。
そして相手のコミュニケーション障害によるものだということを発見する。

だからやっぱり、「引きこもり」と同じく、「そとこもり」に走ったって良いのだけれど、やっぱりどちらもひとつの通過点であって、どこかでは自分のテーマと正面から向き合った方が良いんじゃないかと私は思う。
それが今日申し上げたいこと。

少なくとも発達障害がベースにある人たちに対しては、生きやすくなるための治療教育=療育が子どもや大人のために用意されているということを知っておいていただきたいと思う。

 

 

今日は新年度最初の「八雲勉強会」。
令和6年度4月から構成を変えて、(1)近藤先生の文献を使った精神療法に関するレクチャー(2)参加者による話題提供とディスカッションという(1)+(2)2本立てとした。
ついては(1)の内容として、まず「ホーナイ派の精神分析」を取り上げる。
今までもホーナイ全集をはじめ、いろいろな文献を取り上げて来たが、今回、折角よくまとまった文献を使うので、読者諸氏とも共有したいと思い、ここにその内容を掲載した。
非常に濃縮された文章であるが、ホーナイ派の精神分析に関心のある方々のご参考になれば幸いである。
(以下、表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は私の加筆である)
 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

1.人間の成長 ー「真の自己」の実現

Freud(フロイド)正統派の伝統の中に育ち、褒貶(ほうへん)をものともせず心的現実への追求を果敢に行った Freud の態度に惜しみない尊敬をささげながら、Horney もまた Freud に劣らない厳正さで心的現実を直視し、患者との長い臨床経験と不断の自己分析の経験を検討することによって Freud と全く異った見解に到達した。
彼女の明るい洞察の眼は、人間の存在の中に、常に実現を求めて止まない成長と発展への衝動を発見し、その源泉として「真の自己(real self)の概念を定立(ていりつ)したのである。この様な成長と発展への能力は、あらゆる人間に存在し、その素質や環境に応じて、各々の独自性に輝きながら、各自の「真の自己」を実現して行くものなのである。
(あたか)も樫(かし)の実が大木に成長する可能性を何時もはらんでいる様に、人間は、常に「真の自己」を実現して行く能力を持っているのである。しかし、人間も生体として、他の生物がそうである様に、生長して行く為に良好な環境条件を必要とする。
人間は、自分の感情や考えを生かし、自分を表現し得る内的な自由と安全を与えてくれる、自己実現の為の暖い環境が必要なのである。人々も好意や、協力や、指導、忠告、激励等が、どんなに私達が成熟した安定した人間になる為に必要なことであろうか。
また私達には一方に、他の人々との意見の交換や競争やその他の健康な刺激が成長に必要でもある。この様な関係に於(おい)て、私達は相共に人間として共感し合いながら、それぞれ独自の成長を遂げる事が可能となるのである。

 

 

新型コロナウイルス感染症拡大の第10波も、ようやく沈静化の様相を呈して来た。
それに合わせて、そろそろ「対面」のイベント開催を再開しようか、という考えがむくむくと起きて来ている。

八雲勉強会を「対面」と「リモート」の「ハイブリッド形式」にすることも考えているし(これは急いでおらず来年度くらいかなぁと思っている)、
それとは別に、久しぶりにテーマを決めて「対面」形式の勉強会/研修会を開催しようかとも思案中だ。
また参加対象も、今八雲で面談している人に限定せず、新しい人や若い人との出逢いの機会を作ってみようかと思っている。

まだまだ具体的な構想は固まっていないが、時は春、四月を迎えて「そろそろ」「そろそろ」と、「集団」でのリアルな「対面」の機会を求めて蠢(うごめ)くものがある。

いずれにしても、例によって、当研究所の企画は大規模なものではない。
小さくても自分自身の成長に向けて、大切な何かを感じて帰れるものにしたい、という願いは変わらない。

ご関心のある方は、当ホームページでの案内掲載をお待ちあれ。

 

 

昨夜午後8時頃、路線バス内にスマホを落としてしまった。
あちゃー、やっちまった!と思っていたが、
朝一で路線担当の営業所に問い合わせてみたところ、お昼前には私の手元に戻って来た。
有り難や、有り難や。
紛失物をちゃんと届けて下さるこの国の倫理性の高さに感謝である。

思い起こせば、路線バス内にガラケーを落としたことは既に2回あったが(おいおい)、それはいずれも15年以上前のことであった。
その後、私のガラケー(その後スマホ)はチェーンでバッグに繋がれ、15年以上紛失はなかった。
しかし、落とし穴があった。
いつものバッグを持たずに外出するとき、スマホを上着のポケットに入れてしまったのである。
そこにチェーンはない!
従って、運転手さんの後ろのちょっと高い一人座席に座ったとき、いつの間にか、ポケットから擦り落ちてしまったのだ。
(ちなみにこれまでの携帯電話紛失3回は、いずれもこの同じ座席であった

例によって、私の『やらかし対策辞書』に「次から気をつけます」の文字はない。
気をつけてもヒューマンエラーは必ず起こる。
従って、気をつけなくてもエラーが起きないようなシステムを構築しなければ、万全の対策とは言えない。
よって今回を機に、スマホからスラックスのベルトにつながるチェーンを作成した。
これでいつものバッグを使わないときでも大丈夫である。
スマホは私のベルトから離れない。
(スマホポーチ(スマホショルダー、スマホポシェット)も考えたが、荷物はできるだけ増やしたくない)

そして、こういうエラー対策システム構築のアイデアは全て、自閉スペクトラム症や注意欠如多動性障害などの子どもたち・大人たちの臨床経験から学んだものである。
療育のアイデアはすべての人に応用できる。
やらかすときはやらかすが、タダでは起きない私であった。

お騒がせ致しました。

 

 

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医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。