八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

ホームページ管理会社によれば、去る10月6日(日)(『仲秋のハイブリッド勉強会』開催日)の当ホームページのヒット数がここ5年間の中で最高値を記録したという。
理由はわからないが、有り難いことである。

先日、テレビであるラーメン屋さんのことを報じていた。
ラーメンはすごく美味しいのだが、店の場所がわかりにくく、大将が職人気質のため宣伝下手で、経営が徐々に苦しくなり、店じまいしようかという話が出ていたという。
心配した常連客がテレビ局に投稿して番組で取り上げたところ、大反響を得て、放送から一年経った後も行列店になっているそうだ。
どんなに美味しいラーメン屋さんでも知られないことには始まらない好例である。

精神療法とラーメンとでは諸条件が違い、特にうちのようなクライアントにも要求するところがあるようなやり方は稀であろうが、それでも知られないことには始まらない。
今さら、有名になりたいとは微塵も思っていないがこの人生はミッションを果たすためにある、と気づいてしまった以上、自分のミッション(=今回の人生で縁あって出逢った人たちが、本来の自分を実現して、この世に生まれて来た意味と役割を果たす、ことを応援して行く)を果たすためには、知られる必要があり、そのためにこのホームページも運営している。

以前から申し上げている通り、実際には、今の自分に情けなさの自覚を持ち、成長への意欲を抱き続ける人は、ひょっとしたら、一万人に一人くらいかもしれない。
それならば、一万人に知られれば、一人と出逢えることになる。
段々、私も年を取って来て、余計に出逢いたいと思うようになって来ている。
そんなことから、
頭記の、このホームページのヒット数が上がって有り難い、という話につながって行くのである。

それもたまたま勉強会の日であったが、きっと勉強会に参加された方々も感じられたのではなかろうか
こんな仲間が、同志が、一人でも増えたら、世の中はもっと生きやすくなり、仕事はもっとやりやすくなるだろうと。
誰でもいいというわけにはいかないけれど、誰でもいいというわけにはいかないからこそ、そんな仲間を、そんな同志を一人でも増やしたいとこころから願っている。
そういうあなたも一緒に願って行きましょ。

 

 

ある小学校1年生の男の子が絵を描きました。家庭に問題があり、困った行動を重ねる子でした。ひとつは首がちょん切られてる絵。次に骸骨の絵。これ、殺すでしょ。やってやるんだというときにね、敵意があるんです。こうしてやるんだ。こうしてこんなふうにしてやるんだと、これね。これが出て来たら、つまりこのの場合は、ひどい敵意があるんですね。これがわかる。子どもだから敵意がないなんて思ったら大間違いなんですよ。その敵意こそ重要なことなんです。…
フロイドという有名な、これは精神分析の、まあ、最初に作った人ですが、その人が最も悲観的な考え方を持ってるんですが、人間っていうものは敵意の動物ではないか。そして最後に皆殺しにしてお互いに死ぬんじゃないかっていうような、そういうことまで考えたぐらい、敵意っていうのは人間の深いところにあるんです。」(近藤章久講演『子どもの自殺と非行に走る心理』より)

 

子どもは小さくて弱い存在です。
ですから、親や大人たちから理不尽なことをされ、本当は親や大人たちに対して敵意や怒りを持っていても、それを出すことができません。
特に親は、それがどんな親であっても、愛着の対象でもありますし、愛されたい。
となれば、余計に敵意や怒りを出すことが、いや、感じることさえ、できなくなってしまうかもしれません。
しかし、たとえ抑圧したとしても、子どもは敵意や怒りを持っています、確実に、こころの奥底に。
それが身体化症状になったり、さまざまな不適切行動や非行になったりします。
また、子どもが大きくなったときに、その敵意や怒りが、
あるときは、復讐の形で当の親に向けられ、
またあるときは、親に代わる対象にぶつけられたりすることもあります。
そうなんです。子どもたちは怒っています。
そのことを親は、大人たちは、知っておかなければなりません。
で、どうするか。
親や大人たちが子どもへの言動を気をつければ良いのか?
違います。そんな意図的・表面的配慮は要りません。
答えは決まっています。

子どもを愛して下さい、こころから。
それしかありません。

 

 

[次回の『金言を拾う その40』につづく]

 

 

昨日もお話したように、小さくて弱い子どもは、ある意味、他者評価の奴隷にならざるを得ない。
よってもしその子の傍に健全な親や大人がいたならば、本人が本来の自分であるところを褒めて、認めて行っていただきたい。
そうされることによって子どもは、本来の自分を実現する道を歩んで行くことができる。

しかし、それはあくまで本人が子どもであるときのお話。
いつまでもそうではない。

子どもが二十歳(最近は十八歳)を過ぎたら、今度は本人のことは本人の問題になってくる。
親や大人たちは、一度は自分の子育てや関わりを徹底的に反省した方が良いが、いつまでもずっと反省し続ける必要はない。
私(たち)のせいでこの子がこうなった、というのは、子どもが未成年のうちなら良いが、成年後もそう思い続けることは、この子の一生はもう生育期に決まってしまって、この子には最早、本当の自分を実現して行く力がない、と言っていることになるからだ。
そんなことはない。
すべての人間に本来の自分を実現する力が与えられている。
成年後は、本来の自分を実現するという人生の大目標は本人の手に委ねられるのである。
本人から求められて、本人が本来の自分を実現していくのを手伝う・援助するのなら良いが、そうでないならば、余計なことはしない・言わない方が良い。
中には、「罪滅ぼし」といって何かとやりたがる・言いたがる親や大人たちもいるが、子どもにしてみれば、却って迷惑ということになる。

やっぱりここでも親や大人は、本来の自分を実現して行くという道程における先達であっていただきたいと思う。
だから、本当に子どものことを思うならば、子どものことより自分の成長が先。
これはまた、本当に患者さん/利用者さん/メンバーさんのことを思うならば、患者さん/利用者さん/メンバーさんよりも自分の成長が先、という対人援助職者にも当てはまる鉄則なのである。

 

 

「子ほめ」は古典落語ではよく知られた演目である。
一杯ごちそうになるために、子どもが生まれたばかりの家に伺って、子どもをあれこれ褒めるのだが、どれもこれもしくじってしまうといったお噺。

今日のテーマはそれではない。
直接に子どもに向かって褒めるというお話である。

小さくて弱い子どもは褒められ、認められたがっている。
親によって、大人たちによって、褒められ、認められることによって、子どもは自分の存在価値を感じることができる。
だから、小さくて弱い子どもは、大きくて強い親や大人たちに対してアンテナを張って、どうやったら褒められるか、どうしたら認められるかを、ある意味、血眼(ちまなこ)になって探っている。

だから、ある子は、父親が野球好きだから、本当は大して好きでもない野球をやり、
またある子は、母親の学歴ブランドを察知して、本当は大してやりたくもない勉強に集中するのである。
子どもは褒められ、認められるためなら、なんでもやる。

だから、親や大人たちの責任は重大である。
しかし多くの場合、自分たちのに埋め込まれた世俗的価値観や我欲に引き寄せたミスリードが行われる。
そして子どもたちは、本来の自分と違う道に引きずり込まれることになる。
やめましょ、そういうの。

そうではなくて、子どもに対して、この子は本来どういう子なのか、を一所懸命に観抜くこと。
そして、桜が桜になるように、スミレがスミレになるようにガイドしてあげること。
即ち、桜が桜らしいときに褒め、スミレがスミレらしいときに認めるのである。
そうすれば、子ども本人は、自分が自分であるときに褒められ、認められることで、自分が自分であることの幹を太くして行くことができる。

となると、それを言う親や大人たちにも要求されることがある。
そう言うあなたは自分が本来、何者なのかわかっていますか?
そう言うあなたはその本来の自分を実現していますか?
勿論、本来の自分の実現は、一生をかけての大事である。
そんなに簡単に達成できるものではない。
しかし、人生の先輩として、子どもたちよりもせめて半歩、一歩前を行くことはできるのではないだろうか。
それが親や大人たちの責務であると私は思う。

さて、今日からあなたは子どもをどう褒めますか?

 

 

昨日の「牆壁瓦礫(しょうへきがりゃく)」(囲いの壁や瓦や石ころ)から発展したお話。

近藤先生は講演の中で、極めて重要なことを、話の合間にフッと言われることがあった。
こちらもつい聞き逃しそうになるのだが、
いやいやいや、ちょっと待って下さいよ、先生。今、なんておっしゃいました?
と聴衆席で一人ツッコミを入れていたのを思い出す。
そしてそれが次回の先生との面談での重要なテーマになった。

例えば、ある講演で、師はフッとこう言われた。
「まあ、僕は、石にも生命(いのち)があると思うんだけどね。ま、それはいいとして…。」

「おいおいおい、今、とっても大事なことを言われたでしょ。」

昨日、牆壁瓦礫とのぶっつづきについて触れた。
人間や人間以外の
動植物に対して、それを自分とぶっつづきの生命(いのち)として感じることは、同じ生物学的生命なので、難しくないように思われるかもしれない。
しかし、本当はそれは生命(いのち)ではないのだ。
生命(いのち)というのは、生物学的生命のことを言っているのではなく、万物を存在させ、万物を動かし、成長・発展させる、宇宙ぶっつづきの働き=妙用(みょうゆう)のことをいっているのである。
だから、当然、
牆壁瓦礫にも生命(いのち)がある。
無生物にも生命(いのち)がないわけがない。
万物にある。

かつて、敏感な我々の先祖は、岩を磐境(いわさか)として神の依代(よりしろ)と感じた。
その神=迦微(かみ)こそ、生命(いのち)の別名なのである。
(初心者の方は「巨石信仰」で検索し、岩を信仰対象としている古い神社に行かれると良い。感じれば、理屈なしで、わかる)

そんな大事を、なんでもないことのように、フッと言われるのが師であった。

 

 

昨日の続きである。

禅においても、釈尊から数えて何代目、達磨大師から数えて何代目という言い方をする。
私にはそれが不思議でならない。

何故、“私”と“釈尊”とが今さら違う存在であるかのように言うのか。
何故、“私”と“達磨大師”とが今さら違う存在であるかのように言うのか。
「何代」と数えるためには、その一人ひとりが異なる存在でなければならない。

それでは禅としてお話にならないだろう。

「父母未生已然(ぶもみしょういぜん)本来の面目」
と言ってのける禅である。
父母がまだ生まれる前を扱っているのだから、「父と母がいて私がいる」という料簡では、この公案は永遠に解けないことになる。

嗣法は常に師家からではなく「釈尊未生已然」の法身から、に決まっている。

人間どころではない。
「牆壁瓦礫(しょうへきがりゃく)」(囲いの壁や瓦や石ころ)
とのぶっつづきを言い切る禅である。
無生物でさえぶっつづきになるのに、何を今さら人間を一人ひとり分けてカウントしているのか。

ズバリと真理に参入しながら
意外に師家にウエットな禅がいつも不思議である。

 

 

以前、故郷の菩提寺から法事の案内があった。
祖先の二百五十回忌の法要をするのだという。
我が耳を疑った?
それは一体どなたでしょうか?

このやり方だと、果てしなく法要を増やせることになり、どうも怪しい臭いがする。
当然、私は行かなかった。

行かない第一の理由は、そもそも私は毎日心から祈っており、基本的にわざわざの法要は必要ないと思っている、特に形式的なものは。

そして第二の理由は、私には祖先崇拝という発想がない。
よく、今の自分がいるのは父母のお蔭、そのまた祖父母のお蔭、そのまたまた曾祖父母のお蔭、…先祖代々のお蔭、と言う人がいるが、私はそう思っていない。
子どもを産むという生殖行為は、天から授かったものであり、間違っても、人間ごときが、私が作った、産んだ、育てた、などと思い上がらない方が良い。
性欲も、生殖能力も(最近の生殖医学を進歩させた人間の大脳の力も)、子どもの養育に必要な能力も、みんな授かったものである。
祖先のお蔭ではなく、もし崇拝するなら、その力を授け給うた天を崇拝した方が理に適っているのではなかろうか。
もし私が死んで祖先の側に回ったとしたら、自分の子孫に対して、おまえらが存在するのはオレのお蔭だ、オレを崇拝しろ、などという思い上がったことは絶対に要求しないし、思いもしない。

ただ、極めて“情緒的”な意味で、母さんが夜なべして手袋編んでくれた的な感謝はあっても良いと思う。
それも本当言うと、母親に手袋を編ませた力の元は母親のものではないんだけどね。

と私見を述べましたが、それでもどうしても祖先を崇拝したい方は、二百五十年なんて中途半端なことを言わないで、是非、かのアウストラロピテクスの代まで遡(さかのぼ)って崇拝してあげて下さい。

 

 

「子どもって小学校1年、2年ていうのは…大人の人みたいに、言葉でうまく言えないんですよ。言葉っていうものは人間に、おかしなもんでね、自分を正しく表現する道であるけれど、また、嘘をつく道でもあるくわけですね。
言葉っていうのは、案外、信用できないんですけども、大人の場合は言葉で、まあ、ある程度、行きます。私は、仕事ですからね、大人の人の患者を診てるんですが、随分、大人って嘘をつくもんだと思いますよ、聴いてるとね。それはね、一遍くらい嘘をつくのはわかりますが、二遍も三遍も嘘をつく、十遍も十五遍も聴いてますとね、ああ、そこも忘れてる、前の嘘をね。こっちの方とね、矛盾してしまうわけですね。
『あなた、この前、こう言いましたけれど、どっちが本当ですか?』
と僕が訊くんですけどね。
『あ、先生、そう言いましたか?』
なんつってね、訂正なさるけど、最後まで嘘はつけないもんですね。私なんかの仕事をしてると、僕の前じゃあ、あんまり嘘はつけなくなっちゃうんです、そりゃあね。嘘をついたらちっとも良くならないんですもんね。」

 

私も仕事柄、クライアントの話を聴く場合、基本的には、その人の発言を全面的に信じるようにしている。
しかし、私もバカではないので、ああ、これはウソだな、ということは概ね(全部とは言わないが)観抜くことができる。
それは意図的なウソもあれば、
本人さえもそれと気づかず、、無意識についているウソもある。
大事なのは、それがウソかマコトかではなく、
それもこれもひっくるめて、こちらが(私が)、この人がまっすぐにこの人を生きて行けるようになると良いなぁ、と心から祈れるかどうかである。
騙されてもいい、観抜けてもいい、そこは事の核心ではないのである。
そうやっていると、不思議なことに、クライアントのウソは段々少なくなって来る。
近藤先生のおっしゃる通り、ウソをついているうちは、何も変わらないもんね。
そうして初めてクライアントは、どんな自分も、闇も光もさらけ出して、本当の自分に収束して行くのである。

 

 

都内世田谷区、東急大井町線「九品仏(くほんぶつ)駅」下車、徒歩5分のところに、「九品山 常在念佛院 浄眞寺(じょうしんじ)」というお寺がある。
浄土宗のお寺で、ここには元々近藤家のお墓があり、故近藤先生の遺骨は、このお寺と、後に縁のあった浄土真宗の東本願寺(浅草にある東本願寺、浄土真宗東本願寺派本山)と牛久アケイデイア(牛久大仏があるところ)の3カ所に分骨されている。

この浄眞寺には、九体の阿弥陀仏像があることで知られ、それは「往生者の機根の高低、信仰の浅深によって往生の仕方に九種ある」という観無量寿経の考えに基づいている。
つまり、我々は
上品上生(じょうぼんじょうしょう):上の上の人
上品中生(じょうぼんちゅうしょう):上の中の人
中品下生(じょうぼんげしょう)  :上の下の人

中品上生(ちゅうぼんじょうしょう):中の上の人
品中生(ちゅうぼんちゅうしょう):中の中の人
品下生(ちゅうぼんげしょう)  :中の下の人
下品上生(げぼんじょうしょう)  :下の上の人
下品中生(げぼんちゅうしょう)  :下の中の人
下品下生(げぼんげしょう)    :下の下の人
の九種に分けられ、それぞれがちゃんと漏れなく成仏できるように、なんと九体の阿弥陀仏像が用意されているのである。
なんとも行き届いた救いであり、大変に有り難い。
参拝者は自分がこの九種のどこにあてはまるかを考え、その阿弥陀仏像にお参りするのである。

で、あなただったら、どの阿弥陀仏にお参りします?
「ちょっと控えめに中品下生かなぁ。」
「もっと遠慮して下品上生か。」
きっといろいろ選ばれるであろう。
それでお参りされれば良い。

そして、ここからは私の個人的意見である。
こちら(参拝者)側から見れば,九種に分かれて九体の阿弥陀仏であるが、
阿弥陀さんの側から参拝者を見れば、全員が凡夫、残念ながら、全員下の下、下品下生に決まっているのである。
九体に分けたのは、阿弥陀さんの親切心であり、結局は九体全部が同じところ、下品下生の阿弥陀仏に繋がっているのだ。
親切心と言ったが、実は、そのこと(結局は全員下品下生である)に気づいてもらいたくて、敢えてまず九体に分けてから、我々を教導して下さっていると、私には思えてならない。
親切心と言うよりは遊び心に近いかもしれない。

では、私も浄眞寺の九品仏にお参りすることに致しましょう。
まっすぐに下品下生の阿弥陀仏に。

 

◆追伸 現在、九品仏は「九品佛大修繕事業」中とのことで、九体の阿弥陀仏全部が拝観ができるかどうかについては浄眞寺までお問合せ下さい。

 

 

よく言われることであるが、対人援助職の人間は、自分のことを二の次にして困っている人に尽くすことが多い。
美談のように言われることが多いが、私は必ずしも美談だとは思っていない。
その行為の出どころに、時に神経症的なものが臭うからである。

困っている状況にある人に、かつての自分=親や大人たちに寄り添われず、孤立無援の中、苦しんでいた自分を投影し、その穴を埋めるかのように、他者援助に没頭する人がいる。
誰かが苦しんでいるとじっとしていられなくなり(ここまでならフツーにもいるかもしれない)、もし何もしないでいたら罪悪感に苛まれる(これがあったら間違いなく神経症的である)。
また同時に、寄り添われなかったことに由来する自己評価の低さがあるため(子どもは親から十分に寄り添ってもらえないと自分の存在価値はないと感じる)、自分以外の誰かに貢献して(他者貢献性)初めて自分の存在価値を感じる人もいる。
そしてこういう支援は、往々にして的外れの過剰支援になりやすい。
何のことはない、どちらの対人援助も、相手のためのように見えて。実は自分のためにやっていたのである。

だからね。
聖書に
「医者よ、汝自身を癒せ」(『新約聖書』ルカ傳福音書)
とあるように、まず自分自身が癒されること。
そっちが先。
私がよく申し上げている譬えを使うなら、まず空っぽだったあなたのグラスが、水でいっぱいに満たされ、そこから溢れ出た水が他者のグラスを潤す。
あなたのグラスが空っぽのままの他者援助は神経症的であって、申し訳ないけれど、美しくないのである。

孔子の教え、儒教について、ある心学者がこう言っていた。
「儒者とは濡者である
流石にわかってらっしゃる。
まず儒者自身が
濡(うるお)って、そして出逢った人をも濡(うるお)す。
この順番は譲れない。

 

 

入局したての頃、同期の研修医たちと医局にいたら、製薬会社の営業の人たちが何社も挨拶に来られた。
まだ学生に毛が生えたような、箸にも棒にも掛からない研修医たちに「先生。」「先生。」と持ち上げて話しかけて来る。
当時、我々は二十代、その人たちは三十代、四十代である。
マトモな研修医たちは
「勘弁して下さいよ。人生の先輩から『先生』はないですよ。」
と対応に困っていたが、
何人かの研修医は、驚いたことに、先生然としてエラソーな対応をしていたのである、まだ何もできないヒヨッコのくせに!
つけあがるバカって本当にいるんだな、と思った。

このエピソードだけではない。
こんな新人だけでなくベテランも含めて、顧客として、取引先として、利害関係のある相手として、持ち上げられて簡単につけあがるバカが、思ったよりも社会のあちこちにごろごろ見受けられる。

こういうのを仏教では「増上慢」というが、精神医学的に言うと、自己愛的なパーソナリティの上に、自分のその姿を内省することできない鈍感さもあるのではなかろうか。
そうでなければ、持ち上げられて、平気でつけあがれるような醜態はなかなかできるものではない。
通常は、もしそんなことをやらかしたら恥ずかしくて死にたくなる。
いや、やらかす前にストッパーがかかるはずだ。

となると、持ち上げる側にもなかなかに人を観る眼が要求されることになる。
持ち上げる作戦は、つけあがるバカにしか有効ではないし、そうでない人を下手に持ち上げ過ぎると「オレがそんなことで喜ぶと思ってんのか!」と地雷を踏むことになる。

持ち上げる方とつけあがる方の神経戦は今日も娑婆のどこかで繰り広げられているに違いない。

私はいつまでもその遥か圏外にいたいと心から願う。

 

 

私の出身校、東京医科歯科大学が、10月1日をもって東京工業大学と合併する。
大学の名称も変わり、どうせなら東京医科歯科工科大学、あるいは、名称の順番に問題があれば、東京工業医科歯科大学で良いんじゃないかと思っていたら、東京科学大学という、とんでもなくダサい名前(少なくとも私のまわりでは非難囂囂(ごうごう)である)に決まったという

しかし、名称というのは所詮、記号のようなものでもある。
学生時代、学園祭の広報の仕事をしたとき、都内の多くの大学に案内を送ったが、返信をくれた各大学の学園祭担当者が書いて来る宛名の間違いの多さにのけぞった。
東京医科大学…実在。よく間違われる。
東京歯科大学…実在。歯学部は間違われる。
日本医科大学…実在。文京区千駄木にあります。
日本歯科大学…実在。千代田区にあります。
日本歯科医科大学校…実在せず。創作してはいけません。
どれも住所が合っていると届くのだが、東京医科歯科大学って医学歯学分野以外では知られてないんだなぁ、とつくづく思った。
そう言えば、他の医療機関に電話をするときにわざわざ「国立!東京医科歯科大学・精神科の〇〇です。」と名乗ったドアホの精神科医がいた。
その尻に膝蹴りを入れたのは言うまでもない。
大学名という属性でなく、裸の自分で勝負しろよ。

しかし、私も学生時代を含めれば10年以上過ごした場所である。
私にとってはというより場所にノスタルジックな想いもある。
そんなことを考えていたら、所用でお茶の水に行くことがあった。
ふと、9月30日でなくなる東京医科歯科大学を見ておくか、という気持ちになった。

ちょっと足を伸ばして、多分20数年ぶりに病院の敷地に入る。
学生時代と同じ5号館(厚生棟)の存在を確認して、生協売店をのぞき、生協食堂で遅めの昼食を取った。
相変わらず値段がすごく安い。
学内には、ちょっとリッチなホテルオークラ系のレストランもあるが、食べるならやっぱりここである。
ああ、この皮のしっかりとしたハンバーグの歯応えと、安っぽいけど(すいません)滋味のある味わいは、昔のままだと思った。
食べたのはハンバーグだけではなかった。
大変美味しゅうございました。

滞在は30分未満。
病院を背に帰る私のこころの中では『時には昔の話を』が流れていた。

 

 

「こうやって、皆さん、幸福でいらっしゃると思うんですけれども、それでも案外、一人ひとりの中に入っていくとですね、人には言われないような問題がおありになるだろうと思います。というのは、甚だ僭越な言い方ですけれども、どうしても人間てのは、そういう具合に、完全な幸福とか、完全な自信を持ってらしても…どこかに弱みがあったりね、そういうものが、弱いものが人間だと私は思います。つくづく、この何十年間、まあ、年の功ですけども、それで生きて来てつくづく思うことは、人間とはまことに弱い動物である…と思いますね。
で、それだけに、しかしまた人間には、弱いだけに、その弱さというものを自覚する力があるわけですね。その弱いことを自覚する力というものがあるためにですね、人間がその弱さを次第に自分でコントロールして、そして伸びて行くと思うんですね。…
で、その意味で、そのために、私が今、いろんなことを申し上げるわけですが、例として、あるいは、お聞き苦しいことがあるかもしれない。それはひとつ真実のために、ご容赦願いたいと思うんです。世の中は決して綺麗事ばかりでなくて、現実の人生ってものは、生きてるには、そこに生々しい、あるいは、目を背けたくなるようなこともあります。しかし、私たちがものを本当に考え、ものを本当に解決するためには、その真実に耐えなくてはならない。そういうことがございます。…
真実を観る眼、こういうものが私たちにどうしても必要なんですね。ですから、その意味で、私が申し上げる中に、あるいは、お聞き苦しい点があるかも存じませんけれども、どうか、そのために、あれは真実のために言っているんだと、そういうことをご了解になっていただきたいと思います。」(近藤章久講演『子どもの自殺と非行に走る心理』より)

 

まず、弱いのが人間だということ。
皆さんはご自分の弱さに気づいておられますか?
弱さだけではない、自分のずるさ、卑怯さ、ひどさにどこまで気づいていますか?
どこまで認めることができますか?
そして、我々が人間として成長するためには、そんな綺麗事ではない、目を背けたくなるような真実と向き合わなければならない、ということ。
それを近藤先生は「真実に耐えなくてはならない」とおっしゃいました。
そして「真実を観る眼」が必要だ、とおっしゃいました。
すべてはそこからです。
「情けなさの自覚」からすべては始まります。
心配要りません。
情けないのはあなただけではありません。
すべての人間が情けない存在なんですから、そしてそのどん底から本当の成長の道が始まります。

 

 

児童専門外来をやっていた頃、母子手帳を拝見する機会が多かった。
それは医学的に生育経過を辿るためであったが、期せずして母親としての愛情溢れる文面に接して、胸が熱くなることが何度もあった。

そして、その後もお母さん方の気持ちに触れる度に思うのが、母子手帳は就学までのものではなく、子どもがもっと大きくなるまであっても良いんじゃないかということである。

で、何を書くのかって?
子どもに対して
怒り過ぎちゃたとき
間違ったことを言っちゃったりやっちゃったりしたとき
ひどいことをやらかしちまったとき
その後の気持ちを自分だけの胸に留めておかず、また、いつの間にか忘れてしまうことなく
ちゃんと書いておきましょうね、ということである。
その反省の中には、ただの反省だけでなく、子どもたちへの“愛”がある。
それを書いておいてほしいのだ。

そして、ただ書いたままにしておくのではなく
子どもが18歳/20歳になったとき
家を出て行くとき
社会人になったとき
結婚するとき
その書いたものを子どもに渡してほしいと思う。
それは、若い拙い親が、拙いなりに一所懸命に子どもを愛していた、ということの証しになるだろう。
そこに子どもにとっての意味がある。
(決して恩着せがましいこと/自己陶酔的なことを書かぬように。書くときは真心から書きましょう)

而(しこう)して、親が子どもに言いそびれていた大事なことを書いておく“そびれ帳”を推奨する次第である。

ちなみに、この“そびれ帳”は、親子だけでなく、夫婦でも、大切な人同士でも可能です。
そのときは、結婚〇周年や出逢って〇周年などの(1年や2年でなく)まとまった記念日にプレゼントするのがいいかもしれません。

 

 

我が国の精神障害者の家族会は、精神障害者の親を中心に運営されて来た歴史がある。
随分後になってから、精神障害者を同胞=兄弟姉妹に持つ人たちの会も作られ、熱心な活動も行われて来たが、親の会ほどの活動には至っていないように思う。
また、精神障害者を親に持つ子どもの会も作られ、これも熱心な活動が見受けられるが、親の会ほどの活動には至っていないと認識している。
もちろん、頭記の家族会の中に参加しておられる同胞、子どもの方もいらっしゃるが、個人的には、親か、同胞か、子どもかで、抱えているものに、共通の部分と、異なる部分とがあり、やはり親には親の、同胞には同胞の、子どもには子どもの、特化した支援も必要ではないかと思っている。

今ここでその活動の全貌を挙げることはできないが、特に気になる2点だけ記しておきたいと思う。

例えば、同胞の場合、「暗に」親から、親亡き後の同胞の世話を託される場合がある(その伏線は随分早くから始まっている)。
そうでなくても、同胞には同胞の、自然な同胞愛があるのだが、それが親に託されて義務と化すと、一気に負担感は重くなる。
時代は、家族が看る時代から、社会が(地域が)看る時代に変わりつつある。
同胞には同胞の人生がある。
同胞が自発的に支援したいというのなら良いのだけれど(「自発的に」を無意識に演じている兄弟姉妹もいるのでご注意を)、少なくとも義務的心理的負担感からは解放されてほしいと願う。
もし同胞として苦しんでいる方がいらっしゃるならば、一人で思い悩むことなく、是非、専門家に相談してほしいと思う。

そして、子どもの場合、特に親が亡くなった場合の「罪悪感」が気になっている。
そもそもそれは親のせいではなく病気のせいなのだけれど、結果的に、小さい頃からせざるを得なかった苦労は想像に余りある。
親への愛憎は子どもの中に蓄積されている。
その親が亡くなった。
素朴な子どもとしての悲しみがある一方で、清々した思いも禁じ得ない。
また、そんな気持ちになっている自分に対する自責の念や、ああしてあげれば良かった・こうしなければ良かったという悔恨の念が子どもを苛む。
それもまた一人自分の胸にしまい込んで苦しみ続けるのではなく、是非、専門家に相談してほしいと願う。

それが親であろうと、同胞であろうと、子どもであろうと、一人ひとりの生命(いのち)は、その人がその人を生きるために授かったものである
どうか
あなたを生きて下さい。

 

 

研修医の頃、精神病理が専門の先輩精神科医からいきなり「松田くんは、親子関係に問題がありそうだな。」と言われたことがあった。
言われなくても全くその通りなのだが、イヤ~な感じがこころに残った。
どうしてそういう気持ちになったかと言うと、
私はその人に分析コメントを依頼していなかったし(つまりその人を信頼していなかった)、
その人の発言に愛がなかったからである。
頼まれてもいないのに、自分はこんなことまで見抜けてますよ、を示すために、
そして、そう言われてハッとした顔をする後輩をニヤニヤしながら見物するために、
分析してみせるのは、その人のパーソナリティにかなりの問題があったのであろう。
当時の私はそこまで整理できなかったが、イヤ~な感じだけは自覚できた。

そしてその体験から学んだのは、
「頼まれていない分析コメントはしない」
「愛のない分析コメントはしない」
ということであった。

残念ながら、生半可な知識で、頼まれていない、かつ、悪意のある分析コメントをする精神科医や臨床心理士は、今日に至るまであるあるであった。

その後、近藤先生のお蔭で、感じる力が増したため、相手のこころは、ある程度、読めるようになった。
それも、さぁ、読んでやるぞ、と思って読むわけではなく、自然に観えて来るんだからしょうがない。
しかし、本人から頼まれない限り、原則としてコメントはしない。
例外は、その人の言動が周囲に大きな問題を引き起こしているときくらいであろうか。
そして頼まれても、愛のないコメントはしない。
相手の成長を願う気持ちがない場合にはコメントはしない。
しかし、愛のあるコメントが、いつも耳障りの良い、優しいコメントになるとは限らない。
愛があるからこそ厳しいコメントになるときもある。

面談に来られている方々は、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持って、私にコメントを求めて来ておられる。
そうなれば、あとはこちらの問題。
元より凡夫に愛はないけれども、私を通して働く力には愛がある。
そしてまた今日も呼吸しながら祈りながら面談を行っていくのである。

 

 

近所の居酒屋に出かけた。
しばらくして大学生と思(おぼ)しきアルバイトのお兄ちゃんが店に入って来た。
着ている山吹色のTシャツの背中に縦書きの筆文字で「不染汚」と大書されている。

「おっ、不染汚(ふぜんな)か。」

と箸が止まる。

不染汚は、禅宗では「ふぜんな」、天台宗では「ふぜんま」とよみ、
染汚が、文字通り、汚れに染まる、煩悩を意味するのに対し、
不染汚となると、汚れに染まらない、煩悩に染まらないことを意味する。

やがて、奥で黒いTシャツと前掛けに着替えたお兄ちゃんが料理を運んで来る。
思わず尋ねる。
「不染汚ってTシャツ着てたけど、仏教系の学生さん?
「いや、高校時代の部活のTシャツです。」
との返事。
それ以上は追究しなかったが、仏教を知る先生が選んだのかもしれない。

不染汚となると、やはり蓮の華が思い浮かぶ。
泥より咲いて、泥に染まらぬ蓮の華。
泥の中から咲いて、泥に染まらぬどころか、泥を栄養にして、清浄(しょうじょう)な蓮の華を咲かせる。
それはまさに菩薩行だ。
如来(仏)になってしまって、蓮の臺(うてな)の上に安穏と座っていれば良いものを
敢えて如来にならず、わざわざ菩薩に留まって、娑婆という泥の中に入って衆生を救う。
しかし本人は全く泥には染まらず、むしろ衆生救済(くさい)という美しい華を咲かせる。

あのお兄ちゃんが不染汚の真意をどれだけ把握しているかはわからないが
彼の中にある仏性の可能性を示すものとして
背中の不染汚はなかなかのものであると一人合点し
いつもよりちょっと酒の旨い夜であった。

 

 

 

「これはある人の詩ですが

  人によく思われたい
  変に思われたくない
  何時(いつ)の間にか見栄を張っていた私
  何時の間にか自分を無くしている私
  他人の眼が気になる
  どうしてこんなに他人の眼が気になるんだろう

しかし、これは日本にすむ我々の正直な心情ではないでしょうか。何時もそういう感じ、しょっちゅう他を気にしている。一体何処(どこ)に自分が生きているか。本当の自分はどこに生きているのだろうか、どうして何時も人のことばかり考えて人の顔色ばっかり窺(うかが)っているのだろう。これは何故でしょうか。本当に自分が大きな力で、自分も他人も超える大きな力で生かされていることを知らないからです。それに気が付かないからです。これではやがて死ぬ気配を見せずに一生懸命に鳴いて、鳴き止まぬ蝉の境地もわかるはずはありません。精一杯生きていれば、生かされているということを気付かされ感謝の心をもっているならば、我々はこんな詩のようなことにならないですよ。…
このような意味で日本人が今日もう一遍どうあるべきか考えるべき時だと思います。元来日本は明治以来かれこれ百何十年か、西洋の真似ばっかりしてやって来ましたけれども、そろそろ考えを変えて、もっと我々の…中にあるところの敏感さ、要するに我々を超えてあるもの、我々を超えて生かして下さっている力を感じる敏感さに気付き、世界中が乱れている今日この日本人の心の在り方を伝えて貰いたいと思うのです。」(近藤章久講演『日本人と宗教』より)

 

この狭い地上の上で、せせこましく他人の思惑を気にしながら生きること、それをそろそろやめませんか、というお話です。
でも、ただやめませんか、と言ってもやめられませんよね。
かつてのあなたは、その生育環境の中で、他人(親) の思惑を気にしながら、孤独に、無力に、オドオドビクビクしながら生きて来たのですから。
でももうあなたは孤独でも無力でもない、いや元々あなたは孤独でも無力でもなかった。
もっと正確に言うならば、あなたは無力だけれども、あなたを生かして来た力は、いつもあなたに連なり、包み、あなたは孤独ではなかったし、その力は、いかなるものをも凌(しの)ぐ、広大無辺なものであったのです。
それを感じる、体験する。
そうすれば最早、他人の思惑など、どーでもいーことになるのです、あれこれ考えなくてもね、自然に。
だから、感じる力を磨きましょう、磨きましょう、磨きましょう。
そして、そのためのお話をするのが面談の場なんです。

 

 

 

精神科医になって間もない頃、ある学会主催のワークショップに参加した。
いろいろな医療保健福祉職の人たちが参加していたが、私が精神科医だとわかると、ある中年女性が休憩時間に話しかけて来た。
「うつ病って薬で治るんですかね?」
それを聞いて私は堪えた。
「ちゃんと主治医と相談して治療しましょうね。」

そこで、うつ病の一般的治療について、薬物療法、精神療法、環境調整などに分けて説明することもできたが、彼女の質問の本意は、それではなかった。
そう。
彼女自身が、うつ病で通院治療中だったのである。
それならば、
「私は今、うつ病で通院治療中で、抗うつ薬を飲んでいるんですけど、うつ病って薬で治るんですかね?」」
と訊けば良いところを、彼女そう言わなかった。
はっきり言うと、彼女はそういうパーソナリティの持ち主であり、それが彼女の抑うつ状態を遷延させている要因でもあった
のではないかと推察される。
私はその“臭い”を嗅ぎ付けたので、その“変化球”の質問に引っかからず、“直球”に変換して返したのである。

ある新社会人が会社の先輩に尋ねた。
「先輩って仕事していて辛いことありませんか?」
そろそろ皆さんもおわかりだろう。

彼は先輩のことが訊きたかったのではない。
「今、自分が仕事していて辛いんです、」
と言いたかったのである。
本当は自分の話を聴いてほしかったのだ。
そして慰めてほしかったのである。
ならば、そう言うべきである。
「先輩、今、仕事していてめっちゃしんどいんですけど、慰めて下さい。」
でも、そうは言わない。
そして本人もそのことに気づいていない。

質問の形の背後に真意あり。

面倒臭いが、そんな神経症的コミュニケーションが巷に溢れていることを知っておいた方が良いと思う。


 

松田家には代々気の強い女性が多く、そのせいか私の中でも、女性とはそういうものである、という先入観が作られていた。
相手が男だろうが何だろうが、怯(ひる)まず、たじろがず、尻込みせず、必要とあらば堂々と前に出て勝負をかける。
あの映画『極道の妻(おんな)たち』で岩下志麻姐さんを見たときも、まあ、こういう女性はいるだろうな、ぐらいに思っていた。

従って、「いやーん」「こわーい」「きゃーっ」などといって恐がっているような女性は見たことがなく、後年、実際にそういう女性がいる、しかもそういう女性が結構少なくないらしい、ということを知ったときは、大きな驚きであった。

それでも、中には「はちきん」(高知県(土佐)の女性)や「薩摩おごじょ」(鹿児島県の女性)と呼ばれるような、肚の据わった女性がいることを知ると、やっぱり、そうだよな、とちょっと安心したりもした(ひょっとしたら、黒潮(日本海流)沿いの南の地域の方が強い女性の出現率が高いのかもしれん)。
[参照]映画『鬼龍院花子の生涯』の「なめたらいかんぜよ!」、NHK大河ドラマ『篤姫』の「女の道は一本道。引き返すは恥にございます」など。

本来が、体内に生命を宿すことのできる女性の方が強いに決まっており、それができないコンプレックスを秘かに抱く男たちが虚勢を張って腕力・金力・権力に訴えているのだ、というホーナイの分析は、結構当たってるんじゃないか、と私は思っている。

そして願わくば、同じ「つよい」のでも、「我の強い女」ではなく、「自分が自分であることにおいて勁い女」であってほしいと心から願うのでありました。

 

 

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