『一遍上人語録』にある

「独(ひとり)むまれて 独(ひとり)死す 生死(しょうじ)の道こそかなしけれ

の言葉がずっとこころに残っている。
また、一遍は別のところで

「生ぜしもひとりなり。死するも独(ひとり)なり。されば人と共に住するも独(ひとり)なり」

とも言っている。
の「人と共に住するも独なり」は、体験したことのある人には身に沁みてわかることであろう。
それは絶対孤独の地獄である。
ちょろまかしの嘘事(うそごと)、戯言(たわごと)では、この地獄は誤魔化せない。
そこに本当の救いはないのか。

そして親鸞の言葉が届く。

「よろずのこと みなもて そらごと たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ まことにて おはします」(『歎異鈔』)

そこまでいって初めて、念仏のもたらす「まこと」がわかるのである、この存在の根底に響くのである。
そして、そこに

「俱會一処」(『阿弥陀経』) 俱(とも)に一処(いっしょ)に會(かい)する(一緒に浄土で出逢う)

という絶対孤独を超えた、一如の世界が開けていく。
「独(ひとり)」であったのが、「一(ひとつ)」に突き抜けていくのである。

「念仏をすると本当に救われるんですよ、先生。」

体験に裏打ちされた彼女の言葉の重みが私の胸に甦(よみがえ)る。


 

 

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