「大体のところの…母親の、親の態度というものが、どのぐらい子どもに対して影響するかということを述べました。結局ね、親と子というものは、そこに最初において、愛憎の問題が最初からあるということをまず認識してほしいんです。決して、だから、愛が全てではないわけです。その憎しみを解決するのは何かというならば、私は敢えて言うならば、それは、その、親の、お母さんの、特に、あんまり感情的にならない、落ち着いた態度だと思うのです。
やっぱり、なんといっても、それは、そういう愛憎と言いますけど、その基本は、憎の生まれるのも愛するからです。だから、その愛が、本当にまっすぐに、真っ当に、お互いに通じるような、そういうふうな態度というものが求められるわけです。
私はね、その、子どもを育てるという場合に、一番大事なことは、この子どもの持っているものは、自分の産んだものではあるけれども、それは独立した生命を持ったものである、独立した価値を持ったものであるというものを、ま、預けられて育てているんだという態度を持つとですね、そうすると、ある程度、このね、距離が持てると思うんです、子どもに対して。いいですか。自分のもんだと思うと、自分の思う通りに行かないから腹が立つ、感情的になりますね。
しかし、自分のものだったら、全部自分の思う通りになるかっていうと、私はあなた方にお伺いしたいのは、自分の心は自分の思った通りになりますか? 自分の感情は思った通りになりますか? 自分の心が自分の思った通りにならないのに、どうして人の心が自分の思った通りにできるんですか。こんなこと、できっこないと僕は思う。そのできないことをできるような顔をしてやるから妙なことになっちゃう、ね。
そこで面白いことは、そこで、お母さんがもし落ち着くと、これはお父さん自身に、今日はお父さんがいらしゃらないから、あんまりお父さんのことは言わないけども、お父さんも考えなくちゃいけないことがある。それは別として、お母さんの場合の、そこで僕はひとつの尊厳という、そういうものが必要だと思う。教師においてもそうなの。教師においても、その尊厳ということがなかったならば、我々はここに教育が行われない。尊敬ということがあって初めてね、そこに教育というものが行われるのです。本当に自分の尊敬する人からだけ学ぶんです、人間は。
だから、あの、よくお母さんは、女性は、愛、愛とおっしゃる。愛があれば全て。愛が私の全て、二人だけの世界なんていうことを言ってるけども、愛だけが全てではないのです。愛にプラス叡智ということが必要なの。智慧が必要なの。愛を活かすためには智慧が必要なんですよね。」(近藤章久『親と子』より)

 

講演『親と子』の最終回。
親の養育態度というものがいかに大きく子どもに影響するか。
そのために、親は子どもの尊い生命(いのち)を預かって育ててるんだという自覚を持つこと。
子どもの生命(いのち)に対して畏敬の念を持たなければならない。
そして親や大人もまた、子どもから尊敬されないと、子どもは親や大人の言うことを聞かないのである。
「本当に自分の尊敬する人からだけ学ぶんです、人間は。」という言葉が胸に刺さる。
これは親だけの話ではない。
対人援助職者全般について言えることではないだろうか。
そして、愛「情」は常に「情」に落ちる危険性を持っている。
愛「情」+叡智/智慧となって初めて本当の「愛」になるのである。
生命(いのち)を育てるには、叡智/智慧が必要なのだ。
これもまたしっかりと認識して子育てにあたられることを望みたい。

 

◆講演『親と子』に関する内容は、『金言を拾う その1~その4』にかぶる内容でしたが、敢えて引用部分を大幅に増やして掲載致しました。ご了承下さい。
そして、近藤章久先生の講演から正に「金言」を抽出して来た『金言を拾う』シリーズは、今回で一旦終了となります。
他にも近藤先生の講演録としては、本願寺関係のものや専門的なものもありますが、一般的内容ではないため、本欄では取り上げないことに致しました。
そして次回からは、『金言を拾うⅡ』として、絶版となっている近藤先生の著作から金言を抽出して行く予定です。
縁あって出逢った亡師の金言を後世に伝えて行くこともまた、私のミッションのひとつだと思っています。

 

 

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