我々は一生のうちに、自分の本当の本音を話せる相手に何人出逢えるだろうか。
「本音」という字が「本当の音」となっている通り、「本当の音」でないと、鳴らした方も話した気にはならないし、受け取った方も聴いた気にはならないだろう。
そうでないと、人と人とが本当には出逢ったことにはならないと思う。
もし自分がこんなことを言ったらどう思われるだろうか、軽蔑されはしないだろうか、忌み嫌われるのではなかろうか。
そんな話をたくさん聴いて来た私としては、
大丈夫です。
人の悪性(あくしょう)、いや、凡夫の悪性がどれくらい酷いかは、大体わかっていますから、男を十人騙して殺して床下に埋めてあります、と聴いても別に驚きはしません。
その事実よりも本質的に大事なのは、そういう自分と向き合う気があるかどうか、そういう自分を超えて成長して行きたいと心の底から思っているかどうか、ということです。
ですから、そういう思いで、本音の本音を話すというのであれば、それだけで、今までの、そして今の自分を超えて行きたい、という大切な宣言になるんです。
となれば、誰がそんな尊い宣言を疎(おろそ)かに扱いましょうか。
共に超えて行きましょう、どんな問題も。
そんな思いで、私は面談を行なって来ましたし、これからも行っていくのです。