弟は自閉スペクトラム症だった。
小学校から不登校、やがて引きこもりとなったが、親が精神科を受診させることはなかった。
通信制高校からなんとか大学を卒業して就職したが、そこでうつ病になり、自ら精神科を受診して、うつ病は2次障害で、1次障害が自閉スペクトラム症であることが判明した。
振り返ってみれば、父親も自閉スペクトラムで、会社員としてなんとか働いていたが、特性のために、社内での人間関係がうまくいかず、妻子の気持ちにも十分に寄り添うことができなかった。
母親は、厳しい両親に育てられ、実家を脱出することができた結婚後は自由な生活を夢見たが、結局は、子どものことも、夫のことも、自分が頑張るしかない状況に追い込まれた。
そんな中、長女であり、話の通じる娘は、何かにつけ、当てにされた。
そして娘の方も、せめて母親からは愛され、認められたかったので、「お姉ちゃん。」と呼ばれる度に、文字通り、その役割を演じた。
そして、気がつけば、対人援助職に就いていた。
相手のしてほしいことに気づくのはお手のものだったし、他者貢献度=自分の存在意義という構図は変わっていなかった。
そうしてある日気がつけば、自分もそこそこいい年になっていた。
今まで通り過ぎて行った男がいないわけではないが、基本的な他者(特に男性)への信頼感が育っておらず、自分に子育てができるとも思えなかった。
これでは結婚・出産はできない。
(誤解のないように付け加えるならば、女性は結婚し、子どもを産むために生きているわけではない。「できない」のと「できるがしない」のとでは大違いだ。)
なんだか急に寂しくなって来た。
それはセンチメンタルな(情緒的な)寂しさでもあったが、それだけではない、霊的な寂しさもあった。
私が私を生きていない、
自分に生れて来た意味と役割を果たしていない、
ミッションを果たしていない、
それが霊的な寂しさを引き起こす。

で、どーするか。
ようやく今、お姉ちゃんの、いや、〇〇さん(←本名)の人生が始まろうとしている。
いつもそこからが私の出番なのであった。

 

 

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