八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

「一人のときに、一人でありながらですね、一人を本当に突き詰めて、その奥の底を突き詰めて行きますと、人間存在の一番深いところに、自分という個を超えてあると言いますか、体験される、普遍的ななものと言いますか、すべての存在がそこにおいて立っているような、そういうものに触れるという体験も、人間として可能なんじゃないかと思います。」(近藤章久講演『孤独からの解放』より)

今まさに孤独の淵にいる人がいるかもしれない。

それは時に大変辛いことであるが
どうか孤独を簡単にちょろまかさないで
徹底的に向き合ってみるときに
いや、徹底的に向き合わされるとき、と言った方が良いかもしれない。
絶対孤独を経た者にしか味わえない深い体験がある、ということも知っておいていただきたいと思う。

そして絶対孤独を突破して来た者には必ず“仲間の匂い”がするのである。

 

 

降る雪を観ていると感じるものがある。

恩師がふと
「雪が降ると生きている気がするんだよね。」
と呟(つぶや)かれたことがあった。

この言葉は、知的に受け取るべきものではない。
また、情緒的に受け取るべきものではない。
霊的に受け取るべきものである。

私も黙って面談室の外に降る雪を観ていた。

存在の根底に響くものを共に感じる至福のときが流れた

いつまでも。いつまでも。

 

 

「本当に自分の尊敬する人から学ぶんです、人間は。」(近藤章久講演『親と子』より)

本当にそうだと思う。

若い頃、親と口喧嘩になり、押し付けて来る屁理屈を容赦なく論破すると、
おまえは生意気だ。人生経験もないくせにわかったようなことを言うな。
とよく言われた。
そう言われても私は、
おまえが五十年かかってわかったことなら、俺は三日でわかってやるわ。
と嘯(うそぶ)いていた。

我ながら本当に生意気である。

しかし後年、近藤先生から
年を取らないとわからないことがあるんだよ、松田くん。
と言われると、
本当にそうですね、先生。
と心から頷(うまづ)いて納得していた。

これが尊敬の差。
信頼の差と言っても良いのかもしれない。

尊敬と信頼がないのに、あいつはオレの言うことを聞かない、と言うのは無理というもの。
まずはそこから始めましょ。
 

 

 

先日、岩波文庫の『日本書紀』全5巻を読み終えた。
就寝前に少しずつ読み進めたのだが、思いの外、時間がかかってしまい、全巻通読に5年以上も要してしまった。
原文にこだわったために時間がかかった面もあるが(日本古典は原文ならではの語感が大事だと思っているので現代語訳だけを読むことはない)、なんのことはない(あくまで私見)『日本書紀』はつまらなかったのである。
『古事記』でさえも、編纂の際に体裁を整えるためにまとめたようなところは面白くなかったが、『古事記』には古い故事がそのまま伝わっているようなところがたくさんあり、時に「魂振り」が起きてるんじゃないかと思うほど感動する箇所がいくつもあった。
しかし『日本書紀』は、大和朝廷としての体裁を整えるためにまとめられたものという印象が強く、面白いと感じるところに乏しかった(ないわけではないが…)。
そもそも日本人なんだから記紀(『古事記』と『日本書紀』)くらいは読まなくっちゃ、と始めたチャレンジであったが、他の人に『日本書紀』を勧めるかと問われれば、やっぱり勧めないな。

他方、『古事記』となると、現代語訳でもマンガでも構わないから、一度は読んでみては、とお勧めしたくなる。
そしてもし気に入ったならば、是非原文にも当たってみてほしい。
原文で読まなければ味わえない感触があるのよ。
それに上古文とは言え、どこまでいっても日本語だから、繰り返し読むうちに、なんだか知らないけれど、わかって来るものがある。

記紀どちらにせよ、もし贔屓(ひいき)の神さまが見つかったならば、その神さまを祀った神社に出かけてお参りしてみることもお勧めしたい。
これまた得(え)も言えない体験を授かるかもしれない。

やはり行き着くところ、神道は理屈でなく体験だな、と改めて思うのでありました。

 

 

来週の八雲勉強会に向け、近藤先生の対談資料の注解作成作業をしていた。
作業に没頭するうちに、生き生きと語る近藤先生の姿が、まるでライブのような存在感を持って迫って来た。
思わずキーボードから手を離し、小さな溜め息をついて虚空を見つめたとき、ああ、今日は近藤先生の命日だったと気がついた。
逝去されてもう二十五年になる。
しかし私の中では、明日あの八雲の邸宅に伺えば、あの部屋で三十代の私と七十代の近藤先生が話しているであろう光景が、何の違和感もなく湧き上がって来る。
それは単なる情緒的懐古趣味ではない。
あれは生命(いのち)が愛され、育まれている体験であり、瞬間であった。
Eternal now. 

永遠の今。
だから、二十五年経っても“今ここ”でのこととして感じられる。
そしてそれは近藤先生からではなく、近藤先生を通して働くものから、この世界から、私は愛され、育まれているのだ。

だからこそ今日、私は、死なず、壊れず、生きていられる。
それどころか、今度は私を通して働く力によって、縁ある方々を愛し、育むことさえもできているのだ(愛し育む主語は決して「私」ではない。「私」にその能力はない)。
もう一度溜め息をつき、天を仰ぐ。

娑婆ではまた二十五年と一日目が始まる。
しかし私には“今”しかない。

 


 


 

敬愛してやまないアホの坂田師匠が亡くなった。

はからったアホ、意識したアホ、計算したアホほど醜いものはないが
師匠はそのままでアホだった。

こういう人はなかなかいない。

ああ、あんな綺麗なアホになりたいなぁ。

さ、皆さん、

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

で追悼しましょ。

これがまた綺麗なアホでないとなかなかできないんだ。

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ

あ~りが~とさ~ん。

 

寂しい年の瀬である。

 

 

「気づいてあげられなくてごめんなさい。」

気持ちの悪い言葉である。

これを子どもに対して言うのだったら良い。
自分の気持ちをうまく言葉で言い表せない子どもはたくさんいる。
大人が気づいてあげる必要がある。

これを発声や表出に問題がある人に対して言うのだったら良い。
例えば、寝たきりの認知症のおじいちゃんにいつの間にか褥瘡ができていた。
こちらが気づいてあげる必要がある。

しかし、健全な大人に対して
「気づいてあげられなくてごめんなさい。」
と言うのは失礼である。

あなたには自分の気持ちを表出する力がない、と言っているのと同じだからである

そう言う人自身が、相手の言えない気持ちを察してあげることが良いことだと思っている臭いがする。
そして間違いなく、その人自身が、自分の言えない気持ちを相手に察してもらいたがる人なのである。
面倒くさい。

健全な大人は自分の気持ちを表出することができる。
万が一、何らかの生育史のせいで、自分の気持ちを表出することに難しさを感じるならば、
本人は、自分の気持ちを自ら表出できるように努力した方が良いし、
周りは、その人が自分の気持ちを表出するように応援する方が親切というものである。

「あなたの成長できる力をみくびってごめんなさい。」

どうしても謝りたいなら、そう言った方が適切かもしれない。

 

 

神道に関して、久しぶりに読むべき良著に出逢った。
私が長年感じて来たことを見事に言語化してくれたいた。

「『神道』にも、不変の一貫する本質があって…それは、何かといえば、『縄文人の信仰(縄文時代の神信仰)』である。これこそが『随神道(かんながらのみち)』であって、古代より現代に至るまでのすべての時代の神道にも引き継がれている本質であり原形である。これに比べれば、社殿建築や儀礼祭祀などは二義的な要素に過ぎない。そして『かんながら』とは和訓であり、ヤマト言葉である。これに対して『しんとう』は漢語であり、漢音である。」

「『随神(かんながら)』…に『道』を付けることによって神道そのものを意味する言葉として使われるようになったのは明治になってからであって、わが国にはもともと『神道』という言葉はなかった。
 神道は漢語であり音読みであるから、古い言葉でないことは言うまでもないが、それは、必要がなかった、ということでもあった。そのものをあえて呼称する必要がないほどの自然にあったということである。…
しかし仏教が入って来たことによって、対抗上呼び名が必要になった。」

「神道…にはもともと『神学』に相当するものはない。だから『体系』もない。しかし近世以後、他の外来宗教の影響もあって、研究・体系化が試みられて来た。『国学』といわれるものがそれに当たる。
 神道は基本的には神社の前で礼拝するだけで良い。他には何もむずかしいことはいらない。学術的な知識を身に着けてみたところで、それと神道のエッセンスとは別物である。むしろ何の知識ももたない一般人が、通りすがりの小さな社(やしろ)に寄って無心に礼拝する。これが神道の本筋である。
神道は悠久の歴史をもつが、その間ほとんど論理的解明をされることがなかったのは、その必要がなかったからであろう。その証左として、現に神社は存続しており、人々も祀り続けている。信仰は理論を超越したものであることの一つの証しでもあるだろう。」

「神道の発生は、はるか縄文時代に還る。山や森、川、海などの大自然において特別間のあるものを畏敬崇拝するものである。したがって祈りの形に決まりはなく、畏敬崇拝の念を何らかの形…で表現すれば、それがすなわち原始神道である。祈りの対象となった神々を祀るために依り代(神体)を定め、それを納めるための施設として祠(ほこら)や社が造られる。祈る人たちの気持ちであるから、そもそもは素朴なものである。
それが立派な神社建築となって妍(けん)を競うようになるのは、六世紀に仏教が渡来したのがきっかけである。仏教は当初から仏堂伽藍を建設し、人々を圧倒した。対抗するためにそれを真似て神道界でも次々に神社が建設されるようになる。…それ以後は…仏教や儒教等と習合し、千年余も混沌の時代が続き、江戸時代の半ばを過ぎて、ようやく神道本来の姿である惟神道(かんながらのみち)にたどりつく。これが『国学』であり『復古神道』である。」(以上、戸矢学『最初の神アメノミナカヌシ 海人族・天武の北極星信仰とは』より)

全くもっておっしゃる通りである。
大建築不要。
屁理屈不要。
直観的に霊的真実を掴み取る。
それこそがこの日本の伝統。
日本に、この風土に生まれて本当に良かったと心の底から思う次第である。


 

小学校高学年の頃だったろうか、当時は双子の弟と二人の子ども部屋で、ベットを並べて寝ていた。ある日の夜中、寝苦しくてふと目が覚めた。
そして言いようのない強烈な悔恨に襲われた。

当時、精神科病院を経営する父、専業主婦の母は、二人揃ってパーソナリティにかなりの問題がある人物で、5人の子どもたち(長姉、長兄、次兄、私、弟)を将棋の駒のように扱い、誰がより偏差値の高い医学部に入るかで競わせていた。
一人ひとりが学校の成績や受験の成否で値踏みされていたのである。
そんな中、二卵性双生児でありながら、はしっこい私に比べ、ゆったりしている弟は、何かと不利な立場に陥りやすかった。
そして、両親からの圧力だけでなく、兄弟の持って行き場のないストレスも、一番不利な立場にある弟に向けられることが多かったのだ。
この私もまた、自分の保身と優越感を示すために、弟に対して非情な、そして残酷な言動を繰り返して来たたくさんの場面が走馬灯のように心の中を過(よ)ぎって行った。

そして思い出せば出すほど、胸が張り裂けそうで、身の置きどころもなく、ベットに座り込んで、まんじりともできなかった。
気がつけば、隣で眠る弟に向かって、声を殺して泣きながら土下座していた。

そうして猛省したにもかかわらず、その後、本当に良い兄になったかというと、それも甚だ怪しいもので、自分の凡夫性がつくづくイヤになった。
そしてそのことがずっと心の奥底に引っかかっていた。

その後、弟はその人生上、いろいろな苦労をした。
ここでその詳細を記すことは控えるが、それは並大抵ではない、長い長い苦労であった。

そうして過日、弟の娘、姪から結婚式の招待状が届いた。
勿論、姪の結婚を祝う気持ちはあったが、この機会に自分には弟に言わなければならないことがあると思い、万難を排して広島まで駆け付けた。
晴れやかな結婚式が終わり、お見送りの際、新婦の横に立つ弟の許に歩み寄り、思わずその肩を抱いて、耳元で囁いた。
「今日までよく頑張った。おまえはオレの自慢の弟だ。」
弟の口から言葉にならない吐息が漏れた。
後日の礼状の中で弟は、あのひと言で自分の苦労がすべて報われた気がした、と記していた。

そんなことで自分の悪業が帳消しになったとは思わないが、ようやく弟と兄弟らしい本音の心情がつながった気がした。
縁あっての今生(こんじょう)の双子。
最早、お互いに特別のことをすることはないであろうが、それぞれの人生の幸せを温かく祈り合う間柄ではいたいと願っている。

 

 

中学生の頃、私は何故か『論語』を愛読していた。
通っていた学校が旧藩校だったせいもあるかもしれないが、悩める中学生にとって、何か生きる指針が欲しかったのだと思う。
そうなると興味関心は広がるもので、『論語』だけでなく、段々と儒教の基礎経典である四書五経(四書=『論語』『孟子』『大学』『中庸(ちゅうよう)』、五経=『易経』『詩経』『書経』『礼記(らいき)』『春秋』)にも手を伸ばすようになった。
それらはかつて江戸時代の寺子屋のテキストであり、当時の人たちは何を精神的支柱として生きていたのかが気になったのである。

最近、その中の『大学』の解説書を読む機会が与えらえた。
通常、私は原典は読むが、解説書は余り読まない。
というのは「解説書」は、その「解説者」の境地の浅深によって、原典の内容が歪曲され、その価値が台無しになってしまう場合が少なくないからである。
しかし、今回は違った。
著者の意見に肯首することが多かった。
引用すればキリがないが、以下に二、三挙げる。

「昔は学問といったら人間学のことをいいました。そして知識・技術を学ぶ時務学のほうは芸といったんです。」
なんとも我が意を得たりである。
現代で学問と言っているものは、ただの芸に過ぎない。本当の学問とは、人間がどう生きるかということを考え、そして実際に生きることだったのである。真の意味での学と芸。まず学、そして芸。われわれ対人援助職においても、自分自身の学=人間としての生きざまを深めないで、芸=薄っぺらな知識と技術に走ることはなんとしても避けたい。どこまで行っても、学が先、学が本質なのである。

「この小学を内容からいいますと『修己修身の学』ということになります。自己自身をちゃんと修めていくほうに重点を置いたのが、小学というものであります。」
「大学の内容は、自己自身をますます修めていくとともに、他にも良い影響を及ぼすことができるように学んでいくことであって、いわゆる『修己治人の学』を大学というのです。」
小学から大学へ。これまた自分のことが先。そうして初めて他者に貢献することができる。
自分自身の成長課題や問題を見つめて解決しようとすることなしに、他者への援助ができるわけがない。

小学を経ての大学にこそ意味があるのである。

「人間には『徳』と『才』の両方が大切でありますが、才よりも徳の優れた人を君子といい、徳よりも才のほうが優れている人を小人というのです。」
徳はその人を通して働く天の働き。才はその人の個人的才能。
小才の利いた人間はまっぴらである。そうではなくて、徳に生かされる人間になりたい。

近藤先生とよくこんな話をしたなぁ、と思い出した。

そして「知行合一」。
有り難くも、現場を持つ我々は、それが頭の先の受け売り知識か、具体的言動に現れるほどのものになっているかが日々試される。
すぐにメンバーさんや患者さんに我々の境地が見抜かれるのである

厳しいけれど有り難い道だとつくづく思う。

 

 

子どもの頃から長年、過敏性腸症候群を患って来た(過敏性腸症候群という診断名がない頃から)ことについてはどこかで述べた。
いつも下痢がお友だちであった。
それが近藤先生の教育分析を受けるうちに、いつの間にか完治していた。
一度もその症状について師に話したことがないにも拘わらず、である。
しかしそれ以降、生まれて初めて、便秘というものを体験するようになった。
当初は、これが噂の便秘かぁ、と感慨深いものがあったが、
時々ではあっても、便秘は便秘で不快なもので、以来、いくつかの排便体操、いわゆる〇んこ体操を試すことになった。
そして試行錯誤を重ね、現時点で、至高のう〇こ体操に到達したので、今回、皆さんにご披露申し上げる次第である。

まずはじめに、下半身を露出した状態で、便座に座る。
座位での体操である。
次に、おもむろに両手を真上に挙げる。
そして、両手をひらひらと風に揺れるように揺らしながら、
[ここが肝腎!]
顔を上に挙げ、口を全開にし、目を見開いて、思い切りバカの顔になる。
ここで、どこまで脳ミソの溶けたバカの顔になれるかが最大のポイントでる。
そしてそのまま腰をくねくねと20度くらい左右にツイストする(捻る、回転する
)のである。
これが5往復~10往復。

それからいきなり、ロダンの『考える人』のポーズを取り(ここも一気に行く)、
表情は打って変わってシャキーンとした思慮深いシリアスな顔になる。
このシリアスな顔が当初のバカな顔と落差があるほど有効である。
そして最後に踏ん張って、めでたく脱□となる。

私はほぼ8割以上の□糞成功率を誇る。

最後に注意したいのは、うん〇体操は必ずトイレのドアは閉めて、一人孤独に行うことである。
このバカ顔の所業を誰かに見られた日には、百年の恋も冷め、五十年の結婚生活も破綻し、当局に通報される恐れがあるからである。

座位での体幹捻じりやロダンの『考える人』姿勢については、既に排便体操として医学的に推奨されているところであるが、私としてはこの「バカ顔」を特に推奨したい。
自分でも何をやってんだか笑い出してしまう。

そして今日も幸せな一日となるのである。

 

 

 

 

 

 

 


『私と小鳥とすずと』  金子みすゞ

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


確か三十年以上前、出版されたばかりの全集を神田の店頭で見つけて、すぐに買い求めたのを覚えている。
哀しい生涯の人だが、澄んだ心根の詩を残した。
みすゞの言う通り
「小鳥」が本当に「小鳥」であり

「鈴」が本当に「鈴」であり
「私」が本当に「私」であるとき
「小鳥」と「鈴」と「私」の

「みんなちがって、みんないい」
が成立する


しかし
本当は「ネコ」なのに、頑張って「小鳥」のフリをして生きているヤツがいる。
また、本当は「笛」なのに、自分が「鈴」だと勘違いして生きているヤツがいる。
そして、本当の「私」を抑圧して、生育史の中で身に着けたニセモノの「私」で生きているヤツがいる。
そんなニセモノの「小鳥」と「鈴」と「私」では

「みんなちがって、みんないい」
とは言えない。

それどころか

「みんなちがって、みんなだめ」
なのである。

この詩を読んで「みんなちがって、みんないいのよね。」と安易に言いたがる方々が少なくないが、
この歌の前提として
「あなたは本来の自己を生きているのか」
という厳しい問いがあることを見逃してはならないと思う。

 

そして今風に言うならば、ニセモノの多様性(ダイバーシティ)と本物の多様性(ダイバーシティ)とを混同してはならない、ということもみすゞは教えてくれているのである。

 

 

ホームページの改訂作業を少しずつ続けている。
2023(令和5)年3月30日(木)に管理会社による更新作業が完了したが、その時点でのホームページは、全て管理会社によって作成されたものであった。

その後、2023(令和5)年5月7日(日)より主宰者自身による改訂を開始したが、今のところはまだまだ道半ばの状態である。

改訂の方向性としては、全体をもっと小さくまとめたい、という思いが一番強い。
よくある話であるが、若いころほど、最初の頃ほど、あれもこれも語りたくて、全体が冗長になりやすい。

既存ページも思い切って削除し、「八雲つながりの仲間たち[リンク]」なども終了とする予定(最早、皆さん立派に開業されているので、このリンクも必要ないだろう)である。

要は、私が出逢うべき人に出逢い、出逢うべき人が成長できる一助となるホームページになれば良いのである。
各方面のご理解を賜りたい次第である。

 

 

音や声を聴かせるだけで悟りの世界に導くことを音聲説法(おんじょうせっぽう)という。
理屈をグダグダと語らずとも良い。
ああ、善いなぁ、と思う。
音や声に感じるのである。
音や声を通して働いでいるものを感じるのである。

以前、真言声明(しょうみょう)と天台声明を同時に体験できる機会に恵まれたことがあった。
一人の一人の僧侶の姿を見ると、残念ながら、かなり生臭坊主のにおいプンプンの御坊たちも認められた。
それが声明が始まると、まるで違ったのである。
一人ひとりの僧侶が声を発しているのではないな、ということを直観した。
一人ひとりの僧侶を通して働いているものが声となっているのである。
そして音聲は発せられる度に刻々と瞬時に消えて行く。
あの霊的感動は忘れられない。

さらに言うならば、人の声ばかりが音聲説法ではない。
渓声広長舌もまたしかり。
川のせせらぎ、鳥の声、風の音、聴く耳で聴けば、
すべてがあなたを真実と救いの世界へと導く音聲説法に他ならなかった。

 

 

2022(令和4)年11月28日(月)に始まった『八雲総合研究所』セカンド への投稿を、本日2023(令和5)年5月15日(月)をもって終了と致します。

『八雲総合研究所』セカンドに投降した主な内容は、当『八雲総合研究所』(『塀の上の猫』を含む)のホームページへ引っ越ししましたので、こちらをご参照下さい。

約6カ月間の閲覧、ありがとうございました。

 

尚、現在の『八雲総合研究所』(『塀の上の猫』を含む)のホームページは、管理会社によって改訂されたものです。主宰者による改訂作業は、今しばらく続きますので、どうぞお付き合い下さい。

 

2022(令和4)年9月下旬以来、フォーム(「お問合せフォーム」「予約フォーム」「初めて来られる方のための記入表フォーム」)の送信が私の手元に届かないという不具合が続いていることは、5月8日(月)付けの所感日誌『塀の上の猫』にてお知らせ致しました(現在は消去)。

その不具合は現在も続いているのですが、調べてみましたところ、管理会社の「フォームデータ管理」にまでは届いていることが判明致しましたので、私の方で届いたフォームをチェックできることになりました。

従いまして現在、経過措置的に各フォームの必要記入事項を記入したメールを ymatsuda@yakumo-institute.com 宛てに送信していただいていましたが、本日(2023(令和5)年5月15日(月))以降は、各フォーム(「お問合せフォーム」「予約フォーム」「初めて来られる方のための記入表フォーム」)から送っていただけるようになりました。
つまり(まだ完全な形ではありませんが)、従来通り、フォームを使っていただけるようになった、ということです。

それでも万が一、フォームを送信してから72時間以上経過しても、当研究所からの返信がない場合には、お手数ながら ymatsuda@yakumo-institute.com 宛てにお知らせ下さい。

以上、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

従来の『八雲総合研究所』(『塀の上の猫』を含む)のホームページの管理会社による改訂・切り替え作業が2022(令和4)年9月下旬に始まり、2023(令和5)年3月30日にようやく終了しました。

その間、私もホームページに触ることができず、更新が不可能となったために、その穴を埋めるべく、2022(令和4)年11月28日に『八雲総合研究所』セカンドを開設しておりました。

改訂・切り替えのための中断期間の余りの長さに、周囲からも「大丈夫か?」「その管理会社、潰れたんじゃない?」「他に乗り換えたら?」と心配されましたが、ようやく再開の運びとなりました。

ただ、改訂・切り替え作業の終わった『八雲総合研究所』(『塀の上の猫』を含む)の閲覧は可能なのですが、フォーム(「お問合せフォーム」「予約フォーム」「初めて来られる方のための記入表フォーム」など)の送信が私の手元に届かないという大きな不具合があったり、中断期間の内容の更新・改訂作業なども終わっておらず、残る作業を完結しての完全復活までにはまだ時間がかかりそうです。
(フォームの不具合の修正につきましては、管理会社に問合せ中です。もし中断期間中にフォームを使用された方がありましたら、心よりお詫び申し上げます)

以上のことから今後は、この『八雲総合研究所』(『塀の上の猫』を含む)をメインとしながらも、完全復活までは『八雲総合研究所』セカンドも閉鎖しないでおく予定ですので、今しばらく両者とお付き合い下さい。

 

対面の面談でも
リモートの面談でも

長い付き合いの人も
まだ来始めて日の浅い人も
本心を話される

他では絶対に言えないようなことも
情けないことも
恥ずかしいことも
ずっと秘密だったことも

少しずつ少しずつ
準備ができたことから
気づいたことから
話して下さる

そして
過去を
今を
乗り越えて
成長しようとされていく

そこに感じる私への信頼に
毎日
毎回
身の引き締まる思いを感じる

託されたことは大きい
この人の一生がかかっているのだ

だから
信頼には信頼で応えなければならない

情けなさの自覚を持ち
成長への意欲を持つ方々の
人生の大事な場面に関わるという
これ以上
尊くも
やりがいのあるミッションがあるだろうか

そして
一個人として
対人援助職者として
この人が
やがて自分の華を咲かせて行く場面に立ち会えるということは
この上ない喜びである

旧・松田精療法事務所を開業して5月で24年
八雲総合研究所に法人化して4月で12年
現在地に転居して明日で4年になる

それでも一生のうちにある程度以上深い話ができる人との出逢いの縁は限られている

あなたとの縁は
明日初めてつながるのか
明日以降も続くのか
何年も続いていくのか

それは誰にもわからない

だからこそ逢える今この時を大切にして行きましょう

 

先の『因果に想う』で書いた「善」と「悪」について追考する。

一体何が「善」で、何が「悪」なのか、ということである。

まずそのひとつに、我々がその生育史の中で、いつの間にか埋め込まれた価値観に基づく「善」と「悪」とがある。

例えば、昭和の寿司屋の大将が「親の言うことは聞くもんだ、べらぼうめ!」と言えば、親の言うことを聞くのが「善」であり、親の言うことを聞かないのが「悪」なのである。しかし、「親の言うことを聞く」ことは、封建的な時代では「善」であったかもしれないが、児童虐待や毒親の蔓延(はびこ)る現代でそれを要求すれば、それは子どもたちの心身を破壊する「悪」になるかもしれない。

この点にはよくよく気をつけておく必要がある。古今東西、誰にでも通用するような「あるべき姿」は、ありそうで実はそれほどないのかもしれない。あなたの「善」は必ずしも皆の「善」ではないのだ。その多くに、その人が身を置いた時代、文化、そしてその人の育った家庭、親などの環境から生育史を通して埋め込まれた価値観に基づくものが入って来ているのではなかろうか。

即ち、その「善」「悪」には、言わば、「超自我」(=後天的に埋め込まれた見張り番(~であるべきだ、~でなければならない))に基づいた側面がある。

そしてもうひとつは、『因果に想う』で触れたように、自分の思うようになることが「善」であり、思い通りにならないことが「悪」であるという「善」「悪」がある。

この出どころは、言わずと知れた我々の「我欲」(自己中心的欲求)である。我欲のままになれば、善き哉、善き哉、うっほっほ、であり、我欲のままにならなければ、何かが誰かが悪い、イヤぢゃ、なのである。

即ち、その「善」「悪」には、言わば、「(自)我」に基づいた側面がある。

そして三番目に、それらとは全く違う「善」「悪」がある。

以前、一休さんについて書いたときに引用した「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」をもう一度ここで取り上げよう。

「七仏通戒偈」とは、釈尊と釈尊以前に娑婆世界に現れた六人の仏を合わせた過去七仏が、共通に説いた教えのことであり、その四句のうち前半の二句、

「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」

がその偈の眼目である。即ち、

「悪いことをするな。善いことをしなさい。」

これが仏教の本質だというのだ。

唐の時代を代表する漢詩人のひとり、白居易(はくきょい)(白楽天)は、鳥窠道林(ちょうかどうりん)禅師に尋ねた。

如何(いか)なるか是(こ)れ仏法の大意。(仏法の大意とは何か?)

禅師答えて言うには

「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)。」(悪いことをするな。善いことをしなさい)

白居易が言う。

三歳の孩兒(がいじ)もまた恁麼(いんも)いうを解す。」(三歳の子どもでもそんなことはわかっている)

禅師が言う。

三歳の孩兒も道得(どうとく)ならんと雖(いへど)も、八十の老人も行い得ず。」(三歳の子どもでも知っているというが、八十歳の老人でも行うことができない)

白居易は禅師に礼をなすしかなかった。

何故、八十歳の老人でも行うことができないのか、それほど難しいのか。

それは自分がするのではないからである。
人間を超えた大いなる働き(妙用(みょうゆう)、他力と言っても良い)が、我が身を通して働いて、何某(なにがし)かの行動が行われるとき、その行いが「善」なのである。
そして、妙用、他力によってではなく、埋め込まれた超自我によって、あるいは、自分の(自)我によって(はからい、自力と言っても良い)、何某かの行動が行われるとき、その行いは「悪」なのである。
ここに「善」「悪」の絶対的な定義がある。

そしてこの「諸悪莫作 衆善奉行」に生きるためには、妙用、他力におまかせするという生き方を体得していなければならない。
だから難しいのだ。八十歳の老人になってもなかなか行うことができないのである。

しかし、妙用、他力におまかせしてこその、絶対的な「善」。
いかに難しかろうとも、どんなに時間がかかろうとも、それを求めないではいられないというのもまた、妙用、他力の働きによるのである。

 

 

善いことをすれば善い結果になるという。
悪いことをすれば悪い結果になるという。
因果応報、よく聞く話である。
善因善果、悪因悪果とも言われる。

しかし仏教ではそれだけでなく、善因悪果、悪因善果も説く。
つまり
善因善果
善因悪果
悪因善果
悪因悪果
の四つがあるという。

え? それ、おかしいんじゃないの?
善因悪果、善いことをしたのにそれが報われずに悪い結果になったり、
悪因善果、悪いことをしたのに善い結果が舞い込んで来たりする。
それ、どゆこと?

ここに二つの問題がある。

ひとつは、何をもって「善い」といい、何をもって「悪い」といっているのかということ。
例えば、皆さんは「善い」結果と聞いて、どんなことを想像しますか?
お金持ちになる、社会的地位を得る、有名になる、健康で長生きをするなどなどでしょうか。
ちょっとこれらを見つめてみましょうよ。
これ全部、俗欲やん。
世俗的欲求。
あるいは我欲。
自己中心的欲求の満足なんです。

そう言えば、日本昔話の結末でも、おじいさんとおばあさんは長者になっていつまでも長生きしましたとさ、というのが多い。
これって、金と生への執着じゃん。

それが本当に「善い」結果なのか?
俗欲、我欲の達成が、本当に「善い」ことなんでしょうかね。

そしてもうひとつが、真俗二諦(しんぞくにたい)というお話。
真理には二つある。
ひとつが真諦(しんたい)=絶対的な真理。
もうひとつが俗諦(ぞくたい)=世俗的な真理。

実は上述の善因善果、悪因悪果も、「善い」「悪い」も、俗諦のお話。
世俗的な真理としては正しい、ということなんです。
言い方を変えれば、俗人(凡夫)の願いとしては正しいんです。

でも、善因悪果、悪因善果が出て来ると、そうはいかない。
「善い」ことをして来た人が報われず
「悪い」ヤツらが世の中にのさばったりする。
でも、それって現実にあることですよね。

東日本大震災で、なんであの人があんな亡くなり方をするの?
なんであの極悪非道の人物が、幸せな余生を送るの?
かつて高橋みなみさんがAKB総選挙で言っていました。
私は毎年、『努力は必ず報われると、私、高橋みなみは、人生をもって証明します』と言ってきました。『努力は必ず報われるとは限らない』。そんなのわかってます。でもね、私は思います。頑張っている人が報われて欲しい。」
たかみならしい「願い」です。

これが俗諦の考えです。

では、これが真諦(絶対的な真理)ではどうなるのか。

やはりここで良寛さん(江戸時代の越後の禅僧)のあの言葉を外すわけにはいかないでしょう。
以下は、良寛さんが、地震で子どもを亡くした知人に宛てた手紙の中の一節と言われています。
「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候(そうろう)、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」
(災難に遭うべきときには災難に遭うがいい、死ぬべきときには死ぬがいい。これこそが災難を逃れるこの上ない方法である)
あの子どもたちと手毬で遊ぶ良寛さんがよくこんな手紙を書いたと思いますが、これこそが真諦の言葉です。
凡夫の思い通りになることが「善い」ことで、思い通りにならないことが「悪い」こと=「災難」と思いがちですが、それらをすべて「時節」(=なるべきときになるようになる)におまかせすれば、「災難」は消えてなくなるというのです。

おわかりか。

そしてまたここで『旧約聖書』のヨブ記を挙げないわけにもいかないでしょう。
クリスチャンの方々はよくご存知の通りです。

信仰深きヨブは、神の命を受けたサタンからその信仰を試されます。
その苦難は苛烈を極め、財産を奪われ、愛する者を殺され、自身も皮膚病に侵されます。
しかし、ヨブが信仰を捨てることはありませんでした。
そしてこう言うのです。
「わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」
「主は与え、主は奪う、主の御名(みな)はほめたたえられよ」
ヨブは、幸福=善い結果も、不幸=悪い結果も、自分の欲によって区別しないで受け取るのです。
(関心のある方は是非、聖書の原文をお読み下さい)

もうひとつ『新約聖書』のヨハネによる福音書から因果に関わるところを。

「ラビ(ユダヤ教の師)、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである」

視覚障害をはじめ障害者でクリスチャンの方々から、何度この一節をうかがったか知れません。
その度、「神の業がこの人に現れるためである」の一文に胸を突かれます。
それもこれも神の御業(みわざ)なのです。
だから、いただきましょう。

最後に有名な禅語を挙げておきましょう。

「至道無難(しいどうぶなん)、唯(ただ)揀択(けんじゃく)を嫌う」(僧璨(そうさん)『信心銘(しんじんめい)』)
(真実の道は難しくない。ただえり好みを嫌う)

我々が我(が)によって、あれが善い、あれが悪い、とえり好みをせず、すべてをおまかせし受容するとき、真諦(絶対的な真理)はここに現れるのです。

ですから、善悪を超えてしまえば
善因善果
善因悪果
悪因善果
悪因悪果
これら四つは結局どうだっていいことになります。

そして、こんなことを書いている私も立派な凡夫です。
ですから、きっと私に「悪い」ことや「災難」が与えられたとき、嘆き苦しむことでしょう。
ひょっとしたら、当たり散らして、天を呪うかもしれません。
しかしその後、すべてをおまかせし受容することが、ちょっとだけ早いかもしれません。

それが私に与えられた恩寵なのでありました。

 

 

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