2019(令和元)年12月19日(木)『面倒くさい人』
「あー、こいつ、面倒くせぇ!」
と感じる人がいる。
ややこしい問題を幾重にも抱えた人である。
しかし、そのことと、その人と付き合いたいと思うかどうか、とは全く別件である。
どんなに面倒くさくても
自分で自分の面倒くささを自覚している人がいる。
そしてその面倒くささを乗り越えようと死に物狂いになって取り組んでいる人がいる。
こういう人とは付き合ってみたい、いや、是非とも付き合いたいと思う。
今の面倒くささがどんなにひどくても、そんなことは問題ではない。
「情けなさの自覚」と「成長への意欲」の有無が問題なのだ。
そうして実際にそういう人は変化・成長して行く。
これが素晴らしい。
反対に、中途半端程度の面倒くささを持っている人でも
それに対する心からの「情けなさの自覚」や切実な「成長への意欲」を持っていない人がいる。
そういう人と付き合いたいとは思わない、いや、付き合いたくない。
そうして実際にそういう人は成長しない。
信じて受け入れる「素直さ」も、藁をも掴む「切実さ」も持っていない。
かつて受験生の家庭教師をやっていた頃を思い出す。
どんなに成績が悪くても、例えば、数学20点なら20点の自分の実力を自覚し(誤魔化さず認め)、現状を乗り越えようと一所懸命に勉強する子は、どんどんと実力が伸び、実際に受験も合格して行った。
反対に、50点くらいの実力があったとしても、その実力を認めず、「僕の実力は80点くらいですかねぇ」などと言って、必死に勉強をしない子は残念ながら合格には至らないものだ。
私が家庭教師をした子が全員合格したのは、そのときの実力で引き受けるかどうかを決めず、「できない自覚」と「勉強する意欲」を持っているかどうかで引き受けて来たからである。
そういう子は、数学20点からでも、どんどんと実力が伸びる。
そう思うと、私が人に関わる基本的姿勢は、昔から変わらんなぁ、と思う。
面倒くさい人も大いに歓迎します。
但し、心からの「情けなさの自覚」と切実な「成長への意欲」は必要です。