来週の八雲勉強会に向け、近藤先生の対談資料の注解作成作業をしていた。
作業に没頭するうちに、生き生きと語る近藤先生の姿が、まるでライブのような存在感を持って迫って来た。
思わずキーボードから手を離し、小さな溜め息をついて虚空を見つめたとき、ああ、今日は近藤先生の命日だったと気がついた。
逝去されてもう二十五年になる。
しかし私の中では、明日あの八雲の邸宅に伺えば、あの部屋で三十代の私と七十代の近藤先生が話しているであろう光景が、何の違和感もなく湧き上がって来る。
それは単なる情緒的懐古趣味ではない。
あれは生命(いのち)が愛され、育まれている体験であり、瞬間であった。
Eternal now. 

永遠の今。
だから、二十五年経っても“今ここ”でのこととして感じられる。
そしてそれは近藤先生からではなく、近藤先生を通して働くものから、この世界から、私は愛され、育まれているのだ。

だからこそ今日、私は、死なず、壊れず、生きていられる。
それどころか、今度は私を通して働く力によって、縁ある方々を愛し、育むことさえもできているのだ(愛し育む主語は決して「私」ではない。「私」にその能力はない)。
もう一度溜め息をつき、天を仰ぐ。

娑婆ではまた二十五年と一日目が始まる。
しかし私には“今”しかない。

 


 


 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。