神道に関して、久しぶりに読むべき良著に出逢った。
私が長年感じて来たことを見事に言語化してくれたいた。

「『神道』にも、不変の一貫する本質があって…それは、何かといえば、『縄文人の信仰(縄文時代の神信仰)』である。これこそが『随神道(かんながらのみち)』であって、古代より現代に至るまでのすべての時代の神道にも引き継がれている本質であり原形である。これに比べれば、社殿建築や儀礼祭祀などは二義的な要素に過ぎない。そして『かんながら』とは和訓であり、ヤマト言葉である。これに対して『しんとう』は漢語であり、漢音である。」

「『随神(かんながら)』…に『道』を付けることによって神道そのものを意味する言葉として使われるようになったのは明治になってからであって、わが国にはもともと『神道』という言葉はなかった。
 神道は漢語であり音読みであるから、古い言葉でないことは言うまでもないが、それは、必要がなかった、ということでもあった。そのものをあえて呼称する必要がないほどの自然にあったということである。…
しかし仏教が入って来たことによって、対抗上呼び名が必要になった。」

「神道…にはもともと『神学』に相当するものはない。だから『体系』もない。しかし近世以後、他の外来宗教の影響もあって、研究・体系化が試みられて来た。『国学』といわれるものがそれに当たる。
 神道は基本的には神社の前で礼拝するだけで良い。他には何もむずかしいことはいらない。学術的な知識を身に着けてみたところで、それと神道のエッセンスとは別物である。むしろ何の知識ももたない一般人が、通りすがりの小さな社(やしろ)に寄って無心に礼拝する。これが神道の本筋である。
神道は悠久の歴史をもつが、その間ほとんど論理的解明をされることがなかったのは、その必要がなかったからであろう。その証左として、現に神社は存続しており、人々も祀り続けている。信仰は理論を超越したものであることの一つの証しでもあるだろう。」

「神道の発生は、はるか縄文時代に還る。山や森、川、海などの大自然において特別間のあるものを畏敬崇拝するものである。したがって祈りの形に決まりはなく、畏敬崇拝の念を何らかの形…で表現すれば、それがすなわち原始神道である。祈りの対象となった神々を祀るために依り代(神体)を定め、それを納めるための施設として祠(ほこら)や社が造られる。祈る人たちの気持ちであるから、そもそもは素朴なものである。
それが立派な神社建築となって妍(けん)を競うようになるのは、六世紀に仏教が渡来したのがきっかけである。仏教は当初から仏堂伽藍を建設し、人々を圧倒した。対抗するためにそれを真似て神道界でも次々に神社が建設されるようになる。…それ以後は…仏教や儒教等と習合し、千年余も混沌の時代が続き、江戸時代の半ばを過ぎて、ようやく神道本来の姿である惟神道(かんながらのみち)にたどりつく。これが『国学』であり『復古神道』である。」(以上、戸矢学『最初の神アメノミナカヌシ 海人族・天武の北極星信仰とは』より)

全くもっておっしゃる通りである。
大建築不要。
屁理屈不要。
直観的に霊的真実を掴み取る。
それこそがこの日本の伝統。
日本に、この風土に生まれて本当に良かったと心の底から思う次第である。


 

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