小学校高学年の頃だったろうか、当時は双子の弟と二人の子ども部屋で、ベットを並べて寝ていた。ある日の夜中、寝苦しくてふと目が覚めた。
そして言いようのない強烈な悔恨に襲われた。

当時、精神科病院を経営する父、専業主婦の母は、二人揃ってパーソナリティにかなりの問題がある人物で、5人の子どもたち(長姉、長兄、次兄、私、弟)を将棋の駒のように扱い、誰がより偏差値の高い医学部に入るかで競わせていた。
一人ひとりが学校の成績や受験の成否で値踏みされていたのである。
そんな中、二卵性双生児でありながら、はしっこい私に比べ、ゆったりしている弟は、何かと不利な立場に陥りやすかった。
そして、両親からの圧力だけでなく、兄弟の持って行き場のないストレスも、一番不利な立場にある弟に向けられることが多かったのだ。
この私もまた、自分の保身と優越感を示すために、弟に対して非情な、そして残酷な言動を繰り返して来たたくさんの場面が走馬灯のように心の中を過(よ)ぎって行った。

そして思い出せば出すほど、胸が張り裂けそうで、身の置きどころもなく、ベットに座り込んで、まんじりともできなかった。
気がつけば、隣で眠る弟に向かって、声を殺して泣きながら土下座していた。

そうして猛省したにもかかわらず、その後、本当に良い兄になったかというと、それも甚だ怪しいもので、自分の凡夫性がつくづくイヤになった。
そしてそのことがずっと心の奥底に引っかかっていた。

その後、弟はその人生上、いろいろな苦労をした。
ここでその詳細を記すことは控えるが、それは並大抵ではない、長い長い苦労であった。

そうして過日、弟の娘、姪から結婚式の招待状が届いた。
勿論、姪の結婚を祝う気持ちはあったが、この機会に自分には弟に言わなければならないことがあると思い、万難を排して広島まで駆け付けた。
晴れやかな結婚式が終わり、お見送りの際、新婦の横に立つ弟の許に歩み寄り、思わずその肩を抱いて、耳元で囁いた。
「今日までよく頑張った。おまえはオレの自慢の弟だ。」
弟の口から言葉にならない吐息が漏れた。
後日の礼状の中で弟は、あのひと言で自分の苦労がすべて報われた気がした、と記していた。

そんなことで自分の悪業が帳消しになったとは思わないが、ようやく弟と兄弟らしい本音の心情がつながった気がした。
縁あっての今生(こんじょう)の双子。
最早、お互いに特別のことをすることはないであろうが、それぞれの人生の幸せを温かく祈り合う間柄ではいたいと願っている。

 

 

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