ニュースで「体感治安」という言葉を聞いた。
面白い言い方があるもんだと思って調べてみると、人々が主観的・感覚的に感じる治安の状態のことを指し、客観的・理性的なデータ(犯罪件数など)に基づく「指数治安」とは対をなしている言葉だそうな。
例えば、
「首都圏で闇バイトに関連した強盗事件が相次ぎ、国民の体感治安が著しく悪化している。」
などというふうに使われる。
ここで何が気になったかというと、こういう言葉があるということは、我々は客観的データに基づいて生きているわけではなくて、多分に主観に基づいて生きているということだ。
「指数治安」がどんなに改善しても、「体感治安」が改善されなくては、我々の日々の具体的な心持ちは安心できないのである。
これは私の専門分野にも直結した話である。
「体感不安」という言葉こそないが、
どんなにコロナの感染者数が減っても、コロナ恐怖の人は恐くてしょうがない。
どんなに大丈夫だと理論的に説得されたところで、予期不安の強い人の「ああなったらどうしよう「こうなったらどうしよう」という不安の先取りは払拭されない。
理性ではなく、まず感情が落ち着かなければならない。
従って、百の説得よりも、彼氏(彼女)にハグしてもらったら不安がなくなったり、
丹田呼吸をしたら不安が減ったりするのである。
「体感治安」という言葉は
「感情には(理性でなく)感情を」
という重要な原則を思い出させてくれた。
よって、頭記の問題に戻れば、「指数治安」を改善させる現実的治安対策を講じながら、例えば、颯爽たる(←これ、結構大事)地域警察官が(特に夜間)パトロールしてくれる露出が増えたら、「感じの良いおまわりさんを夜見かけると安心するよね~。」と「体感治安」が向上するかもしれないのである。