例えば、少年・少女が、失恋した、受験に失敗した、部活でレギュラーになれなかったなどで失意に沈んでいるとする。
それが彼ら彼女らの一所懸命なのであるから、寄り添って慰めてあげることが大切である。
そんなことにとらわれてどうする、などと詰める必要はない。
それが子どもである彼ら彼女らの精一杯なのだから。
そして大人の場合でも、我々のように内省的に生きている方が稀なわけであるから、失業した、離婚した、癌が見つかったというような場合、それでいっぱいいっぱいなので、その失意に寄り添うのが相応(ふさわ)しいと言える。
そんなことにとらわれてどうする、などと詰めるのは酷というものだ。
これまた、それがその人の精一杯なのだから。
しかし、「情けなさの自覚」を持ち、「成長への意欲」を持っているというのであれば、話が変わって来る。
向き合う準備ができているというのであるから、そんなことでよしよししてあげるわけにはいかない。
それは却って本人の可能性や伸びしろを潰すことになる。
よって詰める。
どこどこにあなたの成長課題、問題がある。
そして、そんなことにとらわれてしまう境地を超えて行こうと。
詰めるのか寄り添うのか。
その人がどの段階にいるのか、その見極めと自覚によって決まって行くのである。