寄席ではあんなに愉快そうにしゃべるのに、プライベートではほとんどしゃべらない落語家がいる。
最近になって、その気持ちがわかるようになって来た。
高座に座って客席を眺め、お客の反応を敏感に感じ取りながら、刻々と噺の塩梅(あんばい)を変えて行く。
相当な集中力を要するものだと思う。
ならば、せめて高座から降りたときくらい、気を遣ってしゃべるのは勘弁してくれ、ということになるであろう。

かくいう私も面談中は、私なりの精一杯の“全集中”状態にある
クライアントが話される内容やそれを話すときの表情や所作は言うに及ばず、その裏に隠された本音や、さらに本人さえも気がついていない奥の奥まで感じ取らなければ、サイコセラピーとして深まらない。
それも意識することなく、自然にスイッチが入る。
それがいわゆる“求めている”人たち相手なら、望むところなのだが、困るのがプライベートの場面で俗世話や神経症的コミュニケーションを振られたときで、そんなときも自然にスイッチが入るため、いやぁ、ちょっと勘弁してくれ、という気持ちになってくる。

但し、プライベートでは誰でもダメというわけではなく、子どもたち(思春期前まで)や、大人でも正直・素直な人相手であれば、苦にならない。
いや、むしろ楽しく過ごせたりする。
しかし、世の中、そんな人ばかりではない。
“相手や状況に合わせて演技する社交性”は、近藤先生に出逢うまでに一生分使い果たしてしまったので、勘弁して下され。
そんなときは、そっとしておいていただけると有り難い。
その代わり、ミッションのときはフルマックスで働きまする。

 

 

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