今日はちょっとややこしい話。
アンビバレンツ(Ambivalenz)(英語ではアンビバレンス(ambivalence))、両価性と訳す。
精神分析で「同一の対象に対して相反する心的傾向、心的態度が同時に存在することを表現する言葉」(『精神分析辞典』)である。
その代表が、同一の相手に対しての愛と憎しみの共存であり、特に親に向けられるアンビバレンツは典型的である。
一人の親に対して愛と憎しみの両方を抱く。
ある女性は、父親から虐待を受けながら育った。
そしてその父親に対して、一方で強烈な怒りと憎しみを抱きながら、片一方では、強い愛着、愛されたいという欲求を捨てられなかった。
いかにもアンビバレンツである。
しかしそのアンビバレンツというのも、その両価に微妙なバランスがあることに注意を要する。
[例1]自分は父親からこんなことをされた、あんなことをされたと繰り返し訴える。
それを聞いた相手が「それはひどいお父さんだね。」と言ってくれると、満足そうな顔をして黙って聞いている。
父親への愛着があるため、自ら父親のことを「ひどい」と言って父親への憎しみを直接に露わにすることはできないが、
代わりに、相手に「お父さんはひどい」言わせることで、留飲を下げるのである。
アンビバレンツながら、憎しみの方が少し優位である。
[例2]自分は父親からこんなことをされた、あんなことをされたと繰り返し訴える。
それを聞いた相手が「それはひどいお父さんだね。」と言うと、「あなた、なんてひどいことを言うの!」「もうあなたには話さない!」(必ずまた話すが)と怒り出す。
自分でそう言わせておきながら(父親への憎しみは発散しながら)、父親を擁護する。
どっちなんだよ!と言いたくなるが、ここらがこの人のアンビバレンツのバランスなのである。これはこれもアンビバレンツながら、[例1]よりも愛着が強い。
[例3]その父親が脳卒中で倒れる/末期癌が発覚する/急死したとする。
そうなると、憎しみの対象としては弱過ぎるため、攻撃しにくくなる。
それまでのバランスが崩れて、憎しみに抑圧がかかって愛着がさらに優位となり、それまで憎んでいた自分の思いや言動に対して後悔と懺悔に苛まれることになる。
(しかしながら父親への憎しみはこころの奥底に生き残っており、なくなってはいない。いつか来る出番を待っている)
これもアンビバレンツながら、[例2]よりもさらに愛着の方が強い。
以上、わずかに例を挙げただけでも、アンビバレンツにはヴァリエーションがあることがわかる。
そう思うと、極めて面倒臭そうな話になるが、そうでもない。
自分の中に、それがどんなバランスであろうとも、一人の親に対する、愛は愛として、憎しみは憎しみとして、(両者を差し引きせず(取り引きせず))別々にはっきりさせていけば、二つながらの思いが果たされていくのである。
これを私は、アンビバレンツが二つながらに成仏していく、と呼んでいる。