朝、目覚ましに起こされる。
寝不足の上、子どもの風邪がうつったのか、なんだかノドがイガイガして体もだるい。
しかし、朝御飯の支度をして、上の子のお弁当を作って、下の子を保育園に送っていかなければならない。
しかも今日の仕事は私がプレゼンだ。
旦那は今週出張でいない。
ワンオペでやるしかない。
しょうがない、起きるか。
そんなお母さんが全国に何人いることだろうか。たまには、たまにはで良いのだけれど、何もしないで昼まで寝かせてあげたいと思う。
確かに、昭和のお母さんたちもバリバリ頑張って来たかもしれない。
でも、それは比較じゃないんだよね。
昭和だろうと令和だろうと、お母さんが孤立せず、ちゃんと大事にされること。
自分の存在がなおざりにされず、大事にされているという実感があること。
それがやっぱり必要なんだと思う。
現実にはいろいろ大変でも、その実感があればなんとかやっていける。
ますはそれをお父さんに要求したい。
すると、オレだって大変なんだよ、という声が聞こえてきそうだ。
そうしたらそれはまた、お父さんの存在がなおざりにされず、大事にされればいい。
そう。
家族がお互いに支え合い、愛し合う。
そこからすべてが始まるのだと思う。
だからね、愛してほしいときは、愛してほしいと要求してもいいのだけれど、相手を愛することから始めてみるのもいいかもしれない。
愛された相手が満たされて、またあなたを愛してくれる。
そこのところをしっかり押さえることが、人間の“叡智”なのだと思う。
ほしいものから与えること。
それは人間の黄金律(golden rule)のひとつであろう。