「笑顔で過ごしましょう」
「いつも笑顔で明るい毎日を」
「笑顔は人を元気にします」
などなど笑顔にまつわる標語は多い。

しかし私はそれらを耳にする度に何かが引っかかる。

中には、どんなに哀しいときでも笑顔にさえしていれば、哀しくなくなって来る、とまで言う人がいるが、それは抑圧であり、すり替えであり、無理な演技の臭いがして来る。

思えば、「作り笑顔」くらい哀しいものはない。
眼が笑ってない。
眼の奥が笑ってない。
心が笑ってない。
生命(いのち)が笑ってない。
余程、鈍感でない限り、その背後にある哀しみを観抜かれる。

笑顔はあくまで結果であり、
「感情」が喜んだ結果、笑顔になる。
また、「感情」よりもさらに深く、「生命(いのち)」が歓喜(よろこ)んだとき、即ち、「霊性」が喜んだとき、結果として笑顔になる。
笑顔に「なる」、それが本来の姿。

と思っていたら、ある居酒屋のアルバイトのお兄ちゃんがとってもイケメンで、お勘定のときに「ありがとうございました!」と笑顔で言われた瞬間、それだけでちょっと嬉しい気持ちになった。
また、コロナの予防接種を受けたとき、注射してくれた看護師さんが余りに美人で、注射後に「お疲れさまでした!」と笑顔で言われた瞬間、もうそれだけでちょっと幸せな気持ちになった。
つまり、何が言いたいかというと、作った「笑顔」でも「感情」までは操作できることがある、ということである。
それは認めよう。

それでも、「作り笑顔」では、「生命(いのち)」までは、「霊性」までは届かない。
そこまで深く到達しない。
だからやっぱり、「生命(いのち)」の喜び、「霊性」の喜びを目指しましょうよ。
それはあなたが紛れもなく本当のあなたを生きているときに与えられるものである。
そのときの笑顔は何よりも何よりも素晴らしいと断言できる。

 

 

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