「例えば、教師はね、この前もちょっと言ったけど、どうしてあの子は校長先生の言うことを聞いて、私の言うことを聞かないんでしょう、とこう言うわけですね。僕は別に何もしたわけじゃないんですよ、ね。ただ毎日、その子どもがやってくるときに、こうやって『おはよう!』とこうやるんです。ニッコリ笑って『おはよう!』と言ってる。すると向こうが『おはようございます!』とこう言います。それ以外、何もやったわけじゃない。けれども、僕はそのときに、『おはよう!』って言うときに、本当に『おはよう!』っていうのは、私は、実は、自分の気持ちで、まあ、あるとこにも書きましたけども、『おはよう!』という挨拶ね、あれは、どういう意味かというと、ああ、今日もあなたは健康に、早く目覚めて、生きていますね。おめでとう! こういうことが『おはよう!』ってことなんだ。だから英語では“Good morning”。Good なんだ、ね。おはようってのは、そういう気持ちで、つまり、あなたの生命(いのち)を私は礼讃(らいさん)します。あなたの生命(いのち)は活き活きと今、動いています。今日も溌溂(はつらつ)と動いていますね。おめでとう! それが『おはよう!』 それは相手の、生徒の持ってる、子どもの持ってる、その生命(いのち)に対する礼拝(らいはい)です。
僕はさっきあなた方に頭を下げました。この頭を下げたのは、なんでもないようですけども、僕はここに、あなた方がこうやってらっしゃる。全ての人の生命(いのち)に対して心から喜びを述べたんです。一人ひとりに花咲いているこの生命(いのち)、これに対して私はつくづくと頭を下げるわけです。挨拶ってそういうもんです。…
そういう意味で、いつも、この、挨拶ということをやる。それをやっていますと、自然に通じるんです、その気持ちがね。それから後で何か言うと、聞いてくれるんです。…
それをね、その、平生(へいぜい)のだ、毎日毎日のことをしないで、これを僕は触れ合いって言うんです、ね。心の触れ合い。生命(いのち)と生命(いのち)の触れ合いです。そういうものをしておかないとですね、私が校長訓話なんてやったってね、誰も聞いてくれないんですよ。何言ってやんでぇ、とこうなっちゃう、ね。
やっぱり、その意味でね、平生からね、そうした意味の、なんでもないことで、やっていかなくちゃいけない。」(近藤章久講演『心を育てる』より)
近藤先生の生命(いのち)を通して働く力が、近藤先生にホンモノの挨拶をさせ、その力が生徒たちの生命(いのち)に届いて、その生命(いのち)が喜ぶ、ということになります。
そのとき、生徒たちの生命(いのち)が喜ぶのはもちろん、挨拶をしている近藤先生の生命(いのち)も喜んでいる、というところがとても大事なんです。
我々の生命(いのち)を通して、大いなる力が働くとき、まず我々の生命(いのち)が喜ぶ。
そして、それがホンモノの挨拶となって生徒たちに届く。
すると、その大いなる力が届いた生徒たちの生命(いのち)も喜ぶのです。
ですから、このとき、近藤先生も生徒たちも笑顔になります。
昨日、お話したことですが、これはホンモノの笑顔ですね。
生命(いのち)が喜んだことから溢れて来る、最も深い笑顔です。