子育てをしていると、折角の親の努力が徒労に終わることがある。
折角、苦労して離乳食を作ったのに、ひっくり返された。
折角、早起きして弁当作ったのに、ろくに食べないで残された。
折角、好物の夕食を作ったのに、遊び呆けて帰って来なかった。
折角、月謝の高い塾に通わせたはずなのに、財布からゲーセン代を盗まれてた。
折角、ひいひい働いて学費を捻出したのに、大学を中退された。

これがもし株式投資なら、こんな株はとっくに売却している。
それに、コスパ(コスト・パフォーマンス)もタイパ(タイム・パフォーマンス)も悪いったらありゃしない。
しかし、いくら値が下がって、パフォーマンスが悪くても、子どもは捨てるわけにいかない。
そこに親の愛がある。
徒労に終わっても徒労に終わっても愛し続ける、一方的に。
もちろん、愛するとは、ただ好き放題にさせることではなく、必要な苦労をさせることも含まれる(特に大人の場合)。
つまり、ここでいう「愛する」とは、子どもの「生命(いのち)を育てる」ということなのである

その「生命(いのち)を育てる」という“働き”が親を通して現れる。
お金と時間とエネルギーが、どんなに徒労に終わろうとも。
それは結果によらない、“働き”なのである。

で、これが親子関係を離れたらどうか。
会社での上司と部下、先輩と後輩。
学校での教師と生徒、教授と学生。
対人援助職における医療者と患者、支援者と利用者などなど。
これも本質は同じ。
縁あって出逢った者の「生命(いのち)を育てる」ということ。
その「生命(いのち)を育てる」という“働き”があなたを通して現れる。

お金と時間とエネルギーが、どんなに徒労に終わろうとも。
結果によらない、“働き”なのである。

 

 

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