AさんからBさんについての話を聴く。
(例えば、親から不登校の子どもについての話を聴く/子どもから虐待されてきたという親についての話を聴く/妻から自閉スペクトラム症らしき夫についての話を聴く)
私にとってBさんは会ったことも見たこともない人である。
「そうなんですね。」
と聴いて
「ということはこういうことですかね。」
と話を進めようとすると、
真面目なAさんは
「私だけの話だけを聴いて、信じていいんですか? Bにも会って話を聴いてからの方がいいんじゃないですか?」
と至極ごもっともなことをおっしゃる。
私は、
「そういう機会があれば、もちろんいいのですが、お話を伺いながら、私はあなたを観ているのですよ。」
とお応えする。
そう。
私はお話を伺いながら、話している当人の特性やら傾向やらパーソナリティやらいろいろなものを観ている、感じているのである。
(念のために付け加えるならば、これは意図的に行っているのではない。自ずと観え、自ずと感じるのである)
それがわかれば、この人を通して伝わって来る情報が、どのように曲がっているか曲がっていないのかがわかる。
例えば、この人が赤の100と言えば、実際には、それがそのまま赤の100だろうとか、ピンクの70くらいだなとか、いやいや青の30かとか、が観えて来るのである。
よって必ずしもそこにいないBさんからの情報が必要なわけでもないのである。
(もう一度申し上げるが、これは私が技術的に行っていることではなく、調子がいいときに、あるいは、自分の調子をいい状態に保てているときに、勝手に起こることである)

精神科面接について、また、さまざまなサイコセラピーやカウンセリングについて、あまりにも意図的な観察法や、技術的・操作的な面接法が奨励されているのにウンザリして、ついこんなことを書きたくなった。
聞き流して下されば、それで良い。

 

 

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