映画や舞台を観に行っているときに気がついた。
目の前で繰り広げられている話の展開が、いつの間にか、わからなくなっている。
より正確に言うならば、頭の中が目の前と全く別の連想や空想にどんどん逸れて行ってしまい、結果的に、話の展開が全くわからなくなってしまっているのだ。
あれ?これ、何の話だったっけ。
話が寸断され、わけがわからない。
そんなことがちょいちょいあった。

なんでこんなことになるのだろう。
しばし内省して思い当たった。
親からの一方的で強い感情に晒(さら)されていた幼少期。
逃げ場のない子どもは、目の前の世界から意識を外すことで、自分の心を守ったのである。
目の前で起きていることから意識を外す。
そして空想の世界に意識の重心を移す。
言わば、そこにいなくなるのだ。

さらに巧妙なのは、あからさまに見ていない、聞いていない態度を取れば、親からさらにひどい攻撃を受けるので、一応は見ている聞いている体(てい)は保っているのである。
我ながら、こりゃあ、なかなか厄介だ、と思った。

どこが厄介かというと、当時は精神的に自分を守るためには、そうせざるを得なかったのであるが、いつの間にか、習い性となり、大人になってからは最早必要のないそのパターンが残存してしまったのである。
心の生活習慣とは恐ろしいものである。
目の前のことから意識を飛ばすことが、習慣化してしまったのだ。
あのまま放置されていたら、本格的な解離症状に発展してしまっていたかもしれない。

そして幸いにも、近藤先生のお蔭で、自分であることを取り戻した私は、映画も舞台も、それだけじゃあない、生きている全ての場面で、自分でいられるようになることができた。
そう思って改めて娑婆の人たちを観ると、私ほどではないにしても、現実逃避で生きている人が、実はとても多いことに気がついた。
大多数の人は、その現実逃避の程度が軽いために、そんなに大きな支障に至らず、却ってその問題を解決できないまま人生を送ることになるのである。

だからこそ、私くらいか、私以上に現実逃避している人たちの方が、その問題と直面化でき、根本解決できるチャンスが与えられるということになる。
だからこそ私は思う。
悩める人たちよ、心配するな。
ちゃんと懊悩するからこそ与えられる根本解決の道があるのだ。
そこをちゃんとくぐって来た人は、目の前の現実とも、自分の現実とも、まっすぐに対峙して、成長することができるのである。

 

 

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