「恋愛最中のひとは、手を握り合っただけで感じ合うものがあるだろうと思います。もし手を握って何も感じないというのであれば、それは恋愛じゃないから私はやめたほうがいいと思います。ちょっと触れただけでピリッとくるような、そういう電気が伝わるようなものでないとほんとうの恋愛ではないですよ。それは疑似恋愛ですね。恋愛をしたいという欲望を仮に満足して抱っこちゃんの代わりに連れて歩いているようなものであります。そういうのはやめたほうがいいです。というのは、精神衛生上よろしくないし、満足がないからいつか別れますね。まあ、いつわりのものだから割れたっていいようなものでね、僕は、どんどん別れたほうがいいと思っている。ニセモノはなんでも別れたほうがいい。
そのニセのモノを生涯とりつくろって、うまくやったようなつもりでいるかもしれないが、そんなのは死ぬときに『あー、私の一生はつまらないものだった』と後悔するんです。本音で生きる、これが大事だと思います。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)
この「ピリッ」にも浅いのと深いのとがありますから、お間違いのないように。
でないと、「ピリッ」と来たはずなのにすぐに別れた人もたくさんいます。
その深さが大事なんです。
「本音で生きる」も同じ。
人間の本音にも浅いのと深いのとがあるんです。
でないと、本音と思ったら違ってた、なんてことになります。
その深さが大事なんです。
ということは、どちらも敏感に「感じる力」が必要になります。
敏感に「深いピリッ」を感じ取る。
敏感に「深い本音」を感じ取る。
それがあなたの人生を分けます。
ですから、『感じる力を育てる』(←まさに近藤先生の著書の題名)ことが大切になるんです。
「その人、今回の人生を共にする人だったっけ?」
「その仕事、今回の人生をかけてやることだったっけ?」
と訊かれて
「あったりまえだっ!」
と即答したいですね。