入局したての頃、同期の研修医たちと医局にいたら、製薬会社の営業の人たちが何社も挨拶に来られた。
まだ学生に毛が生えたような、箸にも棒にも掛からない研修医たちに「先生。」「先生。」と持ち上げて話しかけて来る。
当時、我々は二十代、その人たちは三十代、四十代である。
マトモな研修医たちは
「勘弁して下さいよ。人生の先輩から『先生』はないですよ。」
と対応に困っていたが、
何人かの研修医は、驚いたことに、先生然としてエラソーな対応をしていたのである、まだ何もできないヒヨッコのくせに!
つけあがるバカって本当にいるんだな、と思った。

このエピソードだけではない。
こんな新人だけでなくベテランも含めて、顧客として、取引先として、利害関係のある相手として、持ち上げられて簡単につけあがるバカが、思ったよりも社会のあちこちにごろごろ見受けられる。

こういうのを仏教では「増上慢」というが、精神医学的に言うと、自己愛的なパーソナリティの上に、自分のその姿を内省することできない鈍感さもあるのではなかろうか。
そうでなければ、持ち上げられて、平気でつけあがれるような醜態はなかなかできるものではない。
通常は、もしそんなことをやらかしたら恥ずかしくて死にたくなる。
いや、やらかす前にストッパーがかかるはずだ。

となると、持ち上げる側にもなかなかに人を観る眼が要求されることになる。
持ち上げる作戦は、つけあがるバカにしか有効ではないし、そうでない人を下手に持ち上げ過ぎると「オレがそんなことで喜ぶと思ってんのか!」と地雷を踏むことになる。

持ち上げる方とつけあがる方の神経戦は今日も娑婆のどこかで繰り広げられているに違いない。

私はいつまでもその遥か圏外にいたいと心から願う。

 

 

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