研修医の頃、精神病理が専門の先輩精神科医からいきなり「松田くんは、親子関係に問題がありそうだな。」と言われたことがあった。
言われなくても全くその通りなのだが、イヤ~な感じがこころに残った。
どうしてそういう気持ちになったかと言うと、
私はその人に分析コメントを依頼していなかったし(つまりその人を信頼していなかった)、
その人の発言に愛がなかったからである。
頼まれてもいないのに、自分はこんなことまで見抜けてますよ、を示すために、
そして、そう言われてハッとした顔をする後輩をニヤニヤしながら見物するために、
分析してみせるのは、その人のパーソナリティにかなりの問題があったのであろう。
当時の私はそこまで整理できなかったが、イヤ~な感じだけは自覚できた。
そしてその体験から学んだのは、
「頼まれていない分析コメントはしない」
「愛のない分析コメントはしない」
ということであった。
残念ながら、生半可な知識で、頼まれていない、かつ、悪意のある分析コメントをする精神科医や臨床心理士は、今日に至るまであるあるであった。
その後、近藤先生のお蔭で、感じる力が増したため、相手のこころは、ある程度、読めるようになった。
それも、さぁ、読んでやるぞ、と思って読むわけではなく、自然に観えて来るんだからしょうがない。
しかし、本人から頼まれない限り、原則としてコメントはしない。
例外は、その人の言動が周囲に大きな問題を引き起こしているときくらいであろうか。
そして頼まれても、愛のないコメントはしない。
相手の成長を願う気持ちがない場合にはコメントはしない。
しかし、愛のあるコメントが、いつも耳障りの良い、優しいコメントになるとは限らない。
愛があるからこそ厳しいコメントになるときもある。
面談に来られている方々は、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持って、私にコメントを求めて来ておられる。
そうなれば、あとはこちらの問題。
元より凡夫に愛はないけれども、私を通して働く力には愛がある。
そしてまた今日も呼吸しながら祈りながら面談を行っていくのである。