「全体を眺めてみると、我々人間は好むと好まざるとにかかわらず、何かに頼って生きているということがわかります。外に出れば会社、派閥、あるいは出世といったものに頼り、家庭にあっては、妻に頼る、子どもに頼る、親に頼る。奥さんだったら夫や子どもに頼っている。
ところが、その頼りにしていたもの、これがじつは頼りにならないんだなぁ。永久不滅のしっかりとした支えなんてそうザラにあるもんじゃない。たいがい崩れやすくて不安定なものです。これは、日常生活でだれもがイヤというほど知っている、否定しようのない事実だと思います。なのに、我々はそれでも頼ってしまう。そして、いつも危機を迎えるんです。
考えてみましょうね。我々が頼り、支えられているもの ー これは『他』ではないですか? 会社も子どもも『自分以外』なんです。それらの『他』に我々は頼り、支えられている。この『他』というのは自分の思ったとおりにはならないものではありませんか。…
そうすると、最後の最後までほんとうに頼れるもの、真に自分を支えてくれるものは何か。人でもない、モノでもない、それらを超えた普遍的な支えというものがあるのでしょうか?…
私は、熟年の危機というものは、すばらしい『転換期』だと思います。それまで自分が頼りにしてきたもの、支えとしてきたものは、不安定で、もろく、実態のないもの、幻のようなものであって、それを我々は一生懸命に追いかけてきた。それが無残にも滅んでしまう。
そうすると、私たちは最後の最後まで滅びることのない、真に心の支えとなる何かを模索しはじめる。そのとき、これまでの狭い、うわっつらの考え方から解放されて、広い世界に飛び立つ出発点になるんです。すべてのものはなくなって、丸裸になった、その時点からいままでの人生と違う人生がはじまるんですね。さなぎが蝶になるように ー 。
さなぎは殻に覆われた窮屈なときです。しかし、そこに次の広い世界に出ていくチャンスが内包されている。このことを私はぜひ強調しておきたいと思います。
抽象的に申しますと、我々のいのちというか内面世界というのは、海みたいなものではないでしょうか。我々はその表面をドロ舟に乗って航海している。はじめは立派な舟だと思っていたのが、だんだんとドロが溶けていくものだから、しまった!と気づくのです。おまけにあたりには、にわかに濃い霧が立ちこめてきて、もう何も見えない。
そのときにね、直感といいますか、心の深いところから響いてくる信号を感じとるのです。いま沈まんとしている我がドロ舟のすぐ近くに、正真正銘の立派な舟があることを教える信号が ー。
もちろん、それに気づかずにドロ舟と共に沈んでいく人もいるでしょう。しかしね、この世界には、すべての人に次の舟が用意されていると思うのです。私はよく『死ー再生』ということをいいますが、今までの生活を死んで、新しい生活を生きる。この転換の時期が、これまで述べて来たような、熟年期の危機というものであろうと思います。いずれにしてもこうした場合、しばらく時をおいて、自分の感情が落ち着きはじめたころ、顔を上げ、視野を広くし、現実をはっきりと見つめて検討することです。必ずそこに、見落としていた自己を生かす道があります。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)

 

頼りにならないものを頼りにしてきた自分の愚かさに気づくこと。
そして全く頼りない世界に放り出されること。
それがまさに、それまでの偽りの自分の“死”ということであり、我々は人生の大きな“危機”に陥ることになります。

そして、それじゃあ、本当に頼りになるものは何なのか、本当に支えとなるものは何なのか、を真剣に求め、(もうニセモノでは満足できませんから)真の答えが得られるまで七転八倒することになるかもしれません。
しかしそれは、本当の答えを得るための必要なプロセスであり、成長のために必要な“危機”であると言えると思います。
そして運よく、絶対的に頼りになるもの、絶対的な支えになるものを見つけたとき初めて、私たちの新しい、本当の“生”が始まるのです。
それは、真の意味で、私を私させるもの、この世界をこの世界させているものの発見ということができるでしょう

そうして初めて、我々がこの世に、自分に、生まれて来た甲斐があるというものです。

 

 

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