Aさんは面談に来る度、
まず前回の面談から今回の面談までの間に、自分がどれだけ情けない言動をして来たかについてつぶさに話される。
それが余りに容赦ない内省なので、私は黙って聴いているしかない。
そして話はそこで終わらず、
その今の自分を超えて行くためにどうしたらいいかを、これまた一所懸命に話される。
それがなかなか的を射ているため、これまた私は黙って頷いているしかない。
そして次回までに(口先だけでなく)必ず実践して、その結果がどうであったかを包み隠さず話される。
まさに「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を地で行く面談である。
こうなってくると、私の出番はほとんどなく、どんどんと自分で成長して行ける。
(また次の段階になってくると、私の新たな出番がでてくるが、それについては今回は触れない)
しかし、Aさんも最初からそうだったわけでない。
当初は、自分の情けなさに気づかない、認めない、言い訳する、かなりひどかった。
よってこちらから指摘することにある。
そうすると、逃げる、誤魔化す、抗弁する、これまたかなりひどかった。
そして今の自分を超えて行くためにどうすればいいか、についても全く出てこない。
たまに出て来ても、全くの的外れであるため、何の役にも立たない。
そしてこちらが提案しても、申し訳程度にやってくるか、全く実践してこない。
これじゃあ、面談終了だな、と思い、もう一度本人の意志を確認する。
「自分がどれだけ情けないか、本気で向き合う気がありますか?」
そう訊かれて彼は必ず
「あります!」
というのである。
そうなると、面談が続くことになるが、本人がそう言った以上、私の指摘も段々と容赦ないものになってくる。
よって毎回彼はズタボロになる。
しかし、彼はまたやってくる。
毎週毎週やってくる。
何年も何年もやってくる。
よくイヤにならないな、と思うが、そういう厳しい面談が毎回続いていく。
実際、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を面談の条件としたはずなのに、
「自分がどれだけ情けないか、本気で向き合う気がありますか?それとも中退しますか?」
と訊かれて、
「中退します。」
と言ってやめた人は何人もいる。
でも、彼はやめなかった。
そして何年もかけて、頭記のような境地にまで達したのである。
そこを私が褒めると、決して愛想を崩すことなく、真顔で
「まだまだ全然お話になりません。」
と即答する。
これならさらに成長できる。
みんながみんな、同じ通り道をとおるわけではないが、突かれても突かれても踏ん張って踏ん張って成長した人もいる、という一例のお話である。