「挨拶は明るく元気よく!」とよく言われる。

基本的に異論はない。
しかし、“作った”明るさや元気良さならば御免蒙(こうむ)りたい。
眼と魂が死んでる分だけ、“作った”明るさや元気良さは、見ていて余計に悲しくなる。

しかし、部活や社内、店頭で時々見かける“作った”明るさや元気良さを、嬉しそうに眺めている監督や上司、「明るくて元気良くていいわねぇ。」と本気で言っているお客の鈍感さを見ると、あきれ返ってしまう。
この鈍感さがあるから、そんな“演技”が蔓延(はびこ)るのだろう。

では、挨拶とは何か。

ひとつには、挨拶は自らの生命(いのち)の発露である。
自分を自分させようとする生命(いのち)の働きが躍動して溢れ出す。
それが挨拶となる。
幼い子どもたちの挨拶を見よ。

ふたつには、挨拶は相手の生命(いのち)への敬意である。
あなたをあなたさせようとする生命(いのち)の働きに手を合わせて拝みたくなる。
それが挨拶となる。
他者礼拝(らいはい)に他ならない。

この挨拶の本質の二面をどうぞご承知おき下さい。

そのとき、挨拶は「する」のではなく、挨拶に「なる」のである。

 

 

 

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