「わたしはネクラだから。」
「〇〇さんはネクラだね。」
と言う人がいる。
それは根本的に間違っている。
新生児室にいる赤ちゃんたちを想像してほしい。
私はネクラな赤ちゃんというものを見たことがない。
せいぜい大人しい、穏やかな赤ちゃんならばいるかもしれないが、人間存在が元々「根が暗い」ということはあり得ないのである。
もし「暗い」人がいるとしたら、それは二次的なもの、後天的なものの影響に違いない。
それでさえも、枝の先や葉っぱが「暗い」のであって、その人の大元=「根」は暗くない。
それはサイコセラピーにも直結した話である。
サイコセラピーの知識や技術についてごちゃごちゃ言う人が多いが、
私はサイコセラピストがクライアントの「根」を観通せなければ、サイコセラピーは始まらないと思っている。
ある人が面談に来られた。
「わたしはネクラですから。」
という。
わたしには、その人の幼児期のとびきりの笑顔が観える。
さらに、その存在の奥にある生命(いのち)の輝きが感じられる。
「随分明るい『ネクラ』ですね。」
そうして面談が始まる。