日頃、精神障害に関わる仕事をしていると、さまざまな差別に出逢うことがある。

障害者差別解消法もできたが、いまだに結婚や就職にまつわる差別から、施設コンフリクトなどの差別に至るまで、さまざまな場面に差別は影を落としている。
結局、ただの理念や思想では役に立たず(それらは建前に堕しやすい)、本音の本音でどうなのか、ということが試される。
(黒人差別を描いた映画『招かれざる客』を思い出す)

また、実はあからさまな差別主義者の方が(最初は大変であるが)本当に差別を乗り超えることができたならば、むしろ良き理解者になることが多く、
それよりも最初から理解者のようなフリをしている人たちの方が、いざというときにその差別観を露呈し、遥かに厄介なのだという話もよく耳にする。

精神医療福祉関係者の中でも、当事者やその家族の側に立った臨床や活動を長年熱心にしている人たちの中に(もちろん一部だが)どうしても胡散(うさん)臭さが払拭できない人たちがいる。
「自分は当事者の側に立ってますよ」的な言動すべてが、場合によってはその人の髪型からヒゲから笑い方からファッションまでもが、どうにもこうにも嘘くさいのだ。
そんなことを感じているのは自分だけかと思っていたら、あるベテランの精神保健福祉士の人で、私と全く同じ感触を抱いている人がいた。
やっぱりそうなんだよね。
(この感覚的なニュアンスが皆さんにも伝わっていればいいが…。)

多くの当事者や家族の方々は優しいので、そんな人間にも付き合って下さるかもしれない。
そして当人たちだけが、その偽善の本音が疾(と)うに見透かされてることに気がついていないのだろう。

 

最大の敵は味方の中にいる。

 

教訓とすべし。

 

 

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