八雲総合研究所

主宰者の所感日誌    塀の上の猫
~ 八雲総合研究所の主宰者はこんな人 が伝われば幸いです ~

久しぶりに近藤先生をよく知る方とお逢いして、ゆっくり話す機会があった。
16歳から近藤家に住み込みとして働き、近藤先生が亡くなった後、家を出られてからも、奥さまが亡くなるまで計60年以上、近藤家に尽くして来た方である。
この方の波乱万丈の人生を記すだけでも本が書けそうだが、ここでは敢えて触れないでおく。
私にとっても旧知の方なので、気兼ねなく、近藤先生の昔話に花が咲いた。

通常、長年“偉い人”の身近にいた人の話となると、あんな立派そうに見える人も、実は裏ではこんなだった、というようなガッカリばらし話になることが多いが、
その人は、先生が亡くなって26年以上経つ今も、近藤先生を心から尊敬していた。

私は、セラピストとしての力量を知りたいと思ったならば、そのセラピストの身近な人に訊け、と言うことにしている。
家族や同居人など、その人の日常の言動、即ち、本音の人格を知っている人に訊けば、その人のセラピストとしての本当の力量がわかるのだ。
(世の中には、その人の本音の人格がたとえ劣悪であったとしても、専門的な知識と技術があればサイコセラピーはできる、と思っている人もいるが、私はそうは思わない)
身近に生活を共にしている人から見ても、尊敬と信頼が揺るがない。それでこそホンモノである。

かつて奥さまが亡くなられた後、慰労の想いもあって、その人に近藤先生の講演テープを何本かダビングしてプレゼントしたことがあったが、今も折に触れて、その録音テープを聴くと、近藤先生の言葉にこころが洗われて涙が出てくる、と言っておられた。
(本当は「言葉」でも「声」でもなく、そこにこめられたものが働いているのであろう)

そんな話を伺いながら、
「近藤先生、まだセラピーをしてらっしゃるのですね。」
と心中で思いながら、杯を重ねる良い時間であった。

よそ向きにカッコつけているときでなく、肩の力が抜けた日常の中に、その人の本当の力量が現れるのである。


 

Skype の利用終了について、改めて周知徹底を図ります。

明日2025(令和7)年5月5日(月)をもって、Microsoft による Skype のサービス終了となり、Skype の機能は Microsoft の Teams に集約されます。

つきましては、当研究所のリモート面談を Skype で行っている方は、2025(令和7)年5月6日(火)以降のリモート面談を Zoom あるいは Facetime に移行することと致します

[1]Zoom への移行を希望される方は、
(1)予め2025(令和7)年5月6日(火)以降のリモート面談当日までに、当日使用するスマホかタブレットかパソコンにZoomをダウンロードしておいて下さい。
(2)当日の面談予約時刻の5分前~定時に、招待メールをお送りしますので、招待メールを送ってほしいメールアドレスを予め主宰者
までメールで知らせておいて下さい。

[2]iPhone や iPad をお持ちの方は、Facetime への移行も可能ですので、ご希望の方は予め2025(令和7)年5月6日(火)以降のリモート面談予約前日までに主宰者までメールなどでお申し出下さい。

Skype からのスムーズな移行のために、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

皆さんは「ボンタンアメ」というお菓子を御存知であろうか。
世代的には私よりもずっと上の世代で発売されたお菓子で、水飴や麦芽糖などを練り込み、もちもちした食感で、文旦(ボンタン)(柑橘類の一種)の風味のするレトロなお菓子であった。
「アメ」と言いながら実際には飴ではなく、1個ずつオブラートに包まれているのも特徴的である。
個人的には、子どもたちが好むお菓子というよりは、年輩の方がノスタルジックに楽しむお菓子というイメージがある。

私が子どもの頃暮らしていた広島の実家の近くに、国鉄の宇品線が走っていた。
宇品線は、広島駅と宇品駅を結ぶ短い路線(全長5.9km)で、瀬戸内海に面する宇品港(現・広島港)は軍港として栄え、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦では、兵士や物資の戦地への輸送を担った重要な港であった。
戦後も、国内ではかなり遅くまで(1975(昭和50年)まで)SL(蒸気機関車)が走った路線のひとつであったが、やがて国鉄赤字ワースト1の路線にもなり、1986(昭和61)年には完全に廃線となった。

よって、私が小学校低学年の頃はまだSLも現役で、双子の弟と線路脇の叢(くさむら)まで入り込み(当時は柵などなく、いい加減であった)、SLが汽笛を鳴らして通るのを間近で眺めては手を振っていた。

すると、ある日、SLに向かって手を振っている私と弟の近くにボタボタとお菓子が落ちて来るではないか。
驚いてSLの方を見ると、制服の乗務員のおじさんがこっちを向いて手を振っている。
なんと、乗務員のおじさんが私と弟に向かって、チョコレートやキャラメルなどを投げてくれたのである。
なんと優しい御方であろうかっ!
そしてそれ以降、私と弟はSLが通る時刻になると線路脇に立ち、お菓子が降って来るのを待つようになったのである(餌付けかいっ!)。
そして投げてもらったお菓子を拾っては、乗務員のおじさんに向かって「ありがとーっ!」と二人で叫んでいた。

そしてその日がやってきた。
いつものように線路脇に立っていると、SLがやって来て、またもやお菓子が降って来た。
「ありがとーっ!」
と叫んで、いそいそとお菓子を拾うと、それがボンタンアメであった。
二人とも言葉を失った。
「これ…美味しくないんだよね。」(二人の心の声)
そして二度と宇品線脇には行かなくなった二人でした。

それ以降、たまにボンタンアメを見かけると、あのときのことを思い出す。

「乗務員のおじさん、セイカ食品さん、ごめんなさい。」

子どもは時に、超利己的であり、残酷なのであった。

 

 

生きていれば、なんだか知らないけれど、“潮目”が変わるときがある。

ここのところ感じていた潮目の変化が、今日、面談でお話していて、余計に明確になった。

去る2020(令和2)年1月に、我が国においてコロナ禍が始まって以降、いつの間にか徐々に引き気味になっていた講演・講義・ワークショップなどの活動をぼちぼち再開しようと思う。

その間も、八雲勉強会やハイブリッド勉強会だけは、なんとか続けて来たが、それ以外の機会も、特に新しい出逢いの機会もさらに作って行きたいと思う。

だからといって、むやみやたらに対象を拡大する気はさらさらなく、本当に今回の人生でお逢いするべき人にお逢いしたいし、その時機も、気が熟したちょうどのところで、あなたにお逢いしたいと思う。
但し、私の寿命も永遠ではないので、逢うべき人に届くように、ここに記した次第である。

詳しくは、改訂した『講演・講義等のご依頼』や、新たな企画情報については、順次、『企画部門からのお知らせ』などに掲載して行く予定である。
急にドカンと変わるわけではないが、思い出したときに、のぞいてみて下され。

 

 

念仏を「易行」(易しい行)という。
ただ「南無阿弥陀仏」の六文字を称えれば救われるのだから、易しいと言えば、とても易しいということになる。
しかし実際にやってみた方はおわかりであろうが、この念仏が意外と難しい。
念仏にどうしても行者(念仏を称える人)の我が入ってしまい、すぐに空念仏、口先念仏、はからい念仏になってしまう。
やってみてわかるのは、易行どころか、『正信偈(しょうしんげ)』(門徒の毎日の勤行に用いられる偈文)にある通り、
「難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)」(難の中の難、これに過ぎたるはなし)
これ以上難しいことはない、というのが真実であろう。

「ただ念仏する」ということのいかに難しいことか。
この「ただ」がなかなかできないのである。

そう言えば、禅の曹洞宗でも
「只管打座(しかんたざ)」(ただひたすら坐禅する)
という。
この「只管」がなかなかできない。

そんなことを思っていたら
4月19日付け本欄で取り上げた

「よろずのこと みなもて そらごと たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ まことにて おはします」(『歎異鈔』)

を思い出した。
「ただ念仏のみぞまことにておはします」の読み方を間違っていたことに気づいたのである。

これを
「ただ『念仏』のみぞまことにておはします」
と読んでは間違いであった。 
「『ただ念仏』のみぞまことにておはします」
と読んで初めて真意に通じることに気がついた。

「ただ念仏」することができるかどうかが問題だったのである

 

 

「人間というものは大事なことはなかなかいわない。大事なことはいちばんおしまいにとっておくのですね。非常に長いことかかっていろいろ話して、時間が終わって『さよなら』といったあとでチョコッというのですね。それも、そのものズバリではなくて、はしっこの部分をね。そういうことが多い。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)

 

これは私が今の仕事をしていても実感することである。
その瞬間、「おいっ!」と思うが、時、既に遅し。スーッと去って行かれる。
考えてみれば、私自身が昔、近藤先生のところに通っていたときも、最初はそうだったかもしれない。

でも心配は要らない。
人間が成長すると、問題のはしっこではなく、全貌を話せるようになる、核心を話せるようになってくる。
しかも、面談の最後ではなく、面談の最中に、中には面談の冒頭で「今日はこれについて話します。」と宣言する方までいらっしゃる。
そうなってくること自体が、その人の確かな成長を示しており、問題と向き合えるということ、即ち、その問題が解決される準備が整っているということなのだ。

そう思うと、冒頭のような展開はむしろ、治療場面や、一般ピーポーとの会話場面で起こりやすいと言える。
八雲総合研究所での面談においては、既に「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持っておられるため、果敢にご自分の問題を取り上げて来られる。
改めてそれが稀有な、そして一所懸命な姿勢であることを、今日これを書いていてまた実感するのであります。


 

弟は自閉スペクトラム症だった。
小学校から不登校、やがて引きこもりとなったが、親が精神科を受診させることはなかった。
通信制高校からなんとか大学を卒業して就職したが、そこでうつ病になり、自ら精神科を受診して、うつ病は2次障害で、1次障害が自閉スペクトラム症であることが判明した。
振り返ってみれば、父親も自閉スペクトラムで、会社員としてなんとか働いていたが、特性のために、社内での人間関係がうまくいかず、妻子の気持ちにも十分に寄り添うことができなかった。
母親は、厳しい両親に育てられ、実家を脱出することができた結婚後は自由な生活を夢見たが、結局は、子どものことも、夫のことも、自分が頑張るしかない状況に追い込まれた。
そんな中、長女であり、話の通じる娘は、何かにつけ、当てにされた。
そして娘の方も、せめて母親からは愛され、認められたかったので、「お姉ちゃん。」と呼ばれる度に、文字通り、その役割を演じた。
そして、気がつけば、自らも対人援助職に就いていた。
相手のしてほしいことに気づくのはお手のものだったし、他者貢献度=自分の存在意義という構図は変わっていなかった。
そうしてある日気がつけば、自分もそこそこいい年になっていた。
今まで通り過ぎて行った男がいないわけではないが、基本的な他者(特に男性)への信頼感が育っておらず、自分に子育てができるとも思えなかった。
これでは結婚・出産はできない。
(誤解のないように付け加えるならば、女性は結婚し、子どもを産むために生きているわけではない。「できない」のと「できるがしない」のとでは大違いだ。)
なんだか急に寂しくなって来た。
それはセンチメンタルな(情緒的な)寂しさでもあったが、それだけではない、霊的な寂しさもあった。
私が私を生きていない、
自分に生れて来た意味と役割を果たしていない、
ミッションを果たしていない、
それが霊的な寂しさを引き起こす。

で、どーするか。
ようやく今、お姉ちゃんの、いや、〇〇さん(←本名)の人生が始まろうとしている。
いつもそこからが私の出番なのであった。

 

 

テレビである獣医が、モルモットの癌の手術を終えた後に
「モルモットとカメレオンって、生きようという意欲があまりないのよ。」
と言って、術後の経過を心配していた。
「ウサギは生きる意欲が強いんだけど、モルモットとカメレオンにはその気概がないというか、諦めるのが早いのよね。」
と言う。
それらのセリフがこころに残った。

そもそも“長寿”は、俗諦(世俗的な真実)的には、めでたいこと、誰もが望んでいることとして扱われて来たが、真諦(絶対的な真実)的に言ってしまうと、それは生への執着=我執に過ぎない。
真諦的には、寿命が長いか短いかよりも、生かされているうちに、生を授かった意味と役割を果たしたかどうか、ミッションを果たしたかどうかの方が重要であり、ただ長く生きれば良いというものでもない。
例えば、31歳で暗殺された坂本龍馬は立派に今生のミッションを果たしたと思うし、
流産で亡くなった赤ちゃんにも、その子が生かされていた間の、そして亡くなったことも含めて、周囲の人たちにいろいろな大切なことを教える意味と役割があると私は思っている。

そして人間においては、大きな手術などの後に、医療スタッフから、生きる意欲を持って頑張れ!と励まされるのは当たり前のことであり、精神免疫学的にも、その方が快方には向かいやすいんだろうと思う。
生への執着が強い方が、確かに長生きしやすいのだ。

それで冒頭の話に戻る。
では、ウサギの方がモルモットやカメレオンよりも、生への執着=我執が強いのか、ということになると、決してそうではないと思う。
ウサギもそのままで、モルモットやカメレオンもそのままで、生かされるままに、生きているだけのことだ。
たまたまウサギの方が生命力が強いように見えるかもしれないが、それは我執によるものではなく、それがウサギのそのまま、催されるままなのであり、
モルモットやカメレオンが生きることに淡白なように見えるかもしれないが、それがモルモットやカメレオンのそのまま、催されるままなのである。
それはウサギの足が“脱兎”のごとく速く、カメレオンの動きがゆっくりなのと同じようなものだ。

冒頭の言葉はアメリカ人の獣医の言葉であった。
「生きる意欲」「気概」「諦める」など、いかにも自我中心の発想で動物のことを解釈しようとしている。
少なくとも動物の生命は、必ずしも人間のように我執で生きているわけではなく、おまかせで生きているのではないかと私は思っている。

お伝えしたいことは伝わったかな?


 

当研究所のホームページに書いてある通り、私自身は、対人援助職者は、自分の精神的な未解決の問題や成長課題と向き合って成長して行かなければ、本当の対人援助はできない、という立場を取っている。
そのため、日々の面談で出逢う人たちも、一緒に働く人たちも、私のまわりにいる人たちは、有り難いことに、みんな同じ姿勢の人たちばかりなので、接していて頗(すこぶ)る気持ちが良い。

しかし時に、他の“一般の”対人援助職者に接するときがあると、「ああ、こっちの方が多数派だった。」「私のまわりにいる人たちの方が奇特な人たちだったのだ。」ということを思い知らされる。
自分に精神的な未解決の問題がある、成長課題があるということにすら気づいていない人たちである。
自分に精神的な未解決の問題がある、成長課題があるということを認めたがらない人たちである。
自分に未解決の問題がある、成長課題があるということに薄ら気づいていながら、誤魔化し、先延ばし、逃げ回り続けている人たちである。
そういう人たちが、残念ながら、娑婆では多数派なのだ。

んー、話が通じんな。
一向に話が深まらんな。
まるっきり異星人との会話だな。

そんな異星人とはどう話せばいいかは、昔取った杵柄(きねづか)で、十分に心得ているが、もうそんなことはしたくない。
こっちから異星には行きたくない。

君たちが戻っておいで、地球に、君たちの母星に。
元々が異星人ではないでしょ。

そう願いながら、最低限の社交と必要な情報交換だけを済ませて、早々に話を切り上げるのでありました。

 

 

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