久しぶりに近藤先生をよく知る方とお逢いして、ゆっくり話す機会があった。
16歳から近藤家に住み込みとして働き、近藤先生が亡くなった後、家を出られてからも、奥さまが亡くなるまで計60年以上、近藤家に尽くして来た方である。
この方の波乱万丈の人生を記すだけでも本が書けそうだが、ここでは敢えて触れないでおく。
私にとっても旧知の方なので、気兼ねなく、近藤先生の昔話に花が咲いた。
通常、長年“偉い人”の身近にいた人の話となると、あんな立派そうに見える人も、実は裏ではこんなだった、というようなガッカリばらし話になることが多いが、
その人は、先生が亡くなって26年以上経つ今も、近藤先生を心から尊敬していた。
私は、セラピストとしての力量を知りたいと思ったならば、そのセラピストの身近な人に訊け、と言うことにしている。
家族や同居人など、その人の日常の言動、即ち、本音の人格を知っている人に訊けば、その人のセラピストとしての本当の力量がわかるのだ。
(世の中には、その人の本音の人格がたとえ劣悪であったとしても、専門的な知識と技術があればサイコセラピーはできる、と思っている人もいるが、私はそうは思わない)
身近に生活を共にしている人から見ても、尊敬と信頼が揺るがない。それでこそホンモノである。
かつて奥さまが亡くなられた後、慰労の想いもあって、その人に近藤先生の講演テープを何本かダビングしてプレゼントしたことがあったが、今も折に触れて、その録音テープを聴くと、近藤先生の言葉にこころが洗われて涙が出てくる、と言っておられた。
(本当は「言葉」でも「声」でもなく、そこにこめられたものが働いているのであろう)
そんな話を伺いながら、
「近藤先生、まだセラピーをしてらっしゃるのですね。」
と心中で思いながら、杯を重ねる良い時間であった。
よそ向きにカッコつけているときでなく、肩の力が抜けた日常の中に、その人の本当の力量が現れるのである。
Skype の利用終了について、改めて周知徹底を図ります。
明日2025(令和7)年5月5日(月)をもって、Microsoft による Skype のサービスは終了となり、Skype の機能は Microsoft の Teams に集約されます。
つきましては、当研究所のリモート面談を Skype で行っている方は、2025(令和7)年5月6日(火)以降のリモート面談を Zoom あるいは Facetime に移行することと致します。
[1]Zoom への移行を希望される方は、
(1)予め2025(令和7)年5月6日(火)以降のリモート面談当日までに、当日使用するスマホかタブレットかパソコンにZoomをダウンロードしておいて下さい。
(2)当日の面談予約時刻の5分前~定時に、招待メールをお送りしますので、招待メールを送ってほしいメールアドレスを予め主宰者までメールで知らせておいて下さい。
[2]iPhone や iPad をお持ちの方は、Facetime への移行も可能ですので、ご希望の方は予め2025(令和7)年5月6日(火)以降のリモート面談予約前日までに主宰者までメールなどでお申し出下さい。
Skype からのスムーズな移行のために、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
皆さんは「ボンタンアメ」というお菓子を御存知であろうか。
世代的には私よりもずっと上の世代で発売されたお菓子で、水飴や麦芽糖などを練り込み、もちもちした食感で、文旦(ボンタン)(柑橘類の一種)の風味のするレトロなお菓子であった。
「アメ」と言いながら実際には飴ではなく、1個ずつオブラートに包まれているのも特徴的である。
個人的には、子どもたちが好むお菓子というよりは、年輩の方がノスタルジックに楽しむお菓子というイメージがある。
私が子どもの頃暮らしていた広島の実家の近くに、国鉄の宇品線が走っていた。
宇品線は、広島駅と宇品駅を結ぶ短い路線(全長5.9km)で、瀬戸内海に面する宇品港(現・広島港)は軍港として栄え、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦では、兵士や物資の戦地への輸送を担った重要な港であった。
戦後も、国内ではかなり遅くまで(1975(昭和50年)まで)SL(蒸気機関車)が走った路線のひとつであったが、やがて国鉄赤字ワースト1の路線にもなり、1986(昭和61)年には完全に廃線となった。
よって、私が小学校低学年の頃はまだSLも現役で、双子の弟と線路脇の叢(くさむら)まで入り込み(当時は柵などなく、いい加減であった)、SLが汽笛を鳴らして通るのを間近で眺めては手を振っていた。
すると、ある日、SLに向かって手を振っている私と弟の近くにボタボタとお菓子が落ちて来るではないか。
驚いてSLの方を見ると、制服の乗務員のおじさんがこっちを向いて手を振っている。
なんと、乗務員のおじさんが私と弟に向かって、チョコレートやキャラメルなどを投げてくれたのである。
なんと優しい御方であろうかっ!
そしてそれ以降、私と弟はSLが通る時刻になると線路脇に立ち、お菓子が降って来るのを待つようになったのである(餌付けかいっ!)。
そして投げてもらったお菓子を拾っては、乗務員のおじさんに向かって「ありがとーっ!」と二人で叫んでいた。
そしてその日がやってきた。
いつものように線路脇に立っていると、SLがやって来て、またもやお菓子が降って来た。
「ありがとーっ!」
と叫んで、いそいそとお菓子を拾うと、それがボンタンアメであった。
二人とも言葉を失った。
「これ…美味しくないんだよね。」(二人の心の声)
そして二度と宇品線脇には行かなくなった二人でした。
それ以降、たまにボンタンアメを見かけると、あのときのことを思い出す。
「乗務員のおじさん、セイカ食品さん、ごめんなさい。」
子どもは時に、超利己的であり、残酷なのであった。
生きていれば、なんだか知らないけれど、“潮目”が変わるときがある。
ここのところ感じていた潮目の変化が、今日、面談でお話していて、余計に明確になった。
去る2020(令和2)年1月に、我が国においてコロナ禍が始まって以降、いつの間にか徐々に引き気味になっていた講演・講義・ワークショップなどの活動をぼちぼちと再開しようと思う。
その間も、八雲勉強会やハイブリッド勉強会だけは、なんとか続けて来たが、それ以外の機会も、特に新しい出逢いの機会もさらに作って行きたいと思う。
だからといって、むやみやたらに対象を拡大する気はさらさらなく、本当に今回の人生でお逢いするべき人にお逢いしたいし、その時機も、気が熟したちょうどのところで、あなたにお逢いしたいと思う。
但し、私の寿命も永遠ではないので、逢うべき人に届くように、ここに記した次第である。
詳しくは、改訂した『講演・講義等のご依頼』や、新たな企画情報については、順次、『企画部門からのお知らせ』などに掲載して行く予定である。
急にドカンと変わるわけではないが、思い出したときに、のぞいてみて下され。
念仏を「易行」(易しい行)という。
ただ「南無阿弥陀仏」の六文字を称えれば救われるのだから、易しいと言えば、とても易しいということになる。
しかし実際にやってみた方はおわかりであろうが、この念仏が意外と難しい。
念仏にどうしても行者(念仏を称える人)の我が入ってしまい、すぐに空念仏、口先念仏、はからい念仏になってしまう。
やってみてわかるのは、易行どころか、『正信偈(しょうしんげ)』(門徒の毎日の勤行に用いられる偈文)にある通り、
「難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)」(難の中の難、これに過ぎたるはなし)
これ以上難しいことはない、というのが真実であろう。
「ただ念仏する」ということのいかに難しいことか。
この「ただ」がなかなかできないのである。
そう言えば、禅の曹洞宗でも
「只管打座(しかんたざ)」(ただひたすら坐禅する)
という。
この「只管」がなかなかできない。
そんなことを思っていたら
4月19日付け本欄で取り上げた
「よろずのこと みなもて そらごと たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ まことにて おはします」(『歎異鈔』)
を思い出した。
「ただ念仏のみぞまことにておはします」の読み方を間違っていたことに気づいたのである。
これを
「ただ『念仏』のみぞまことにておはします」
と読んでは間違いであった。
「『ただ念仏』のみぞまことにておはします」
と読んで初めて真意に通じることに気がついた。
「ただ念仏」することができるかどうかが問題だったのである。
「人間というものは大事なことはなかなかいわない。大事なことはいちばんおしまいにとっておくのですね。非常に長いことかかっていろいろ話して、時間が終わって『さよなら』といったあとでチョコッというのですね。それも、そのものズバリではなくて、はしっこの部分をね。そういうことが多い。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)
これは私が今の仕事をしていても実感することである。
その瞬間、「おいっ!」と思うが、時、既に遅し。スーッと去って行かれる。
考えてみれば、私自身が昔、近藤先生のところに通っていたときも、最初はそうだったかもしれない。
でも心配は要らない。
人間が成長すると、問題のはしっこではなく、全貌を話せるようになる、核心を話せるようになってくる。
しかも、面談の最後ではなく、面談の最中に、中には面談の冒頭で「今日はこれについて話します。」と宣言する方までいらっしゃる。
そうなってくること自体が、その人の確かな成長を示しており、問題と向き合えるということ、即ち、その問題が解決される準備が整っているということなのだ。
そう思うと、冒頭のような展開はむしろ、治療場面や、一般ピーポーとの会話場面で起こりやすいと言える。
八雲総合研究所での面談においては、既に「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持っておられるため、果敢にご自分の問題を取り上げて来られる。
改めてそれが稀有な、そして一所懸命な姿勢であることを、今日これを書いていてまた実感するのであります。
弟は自閉スペクトラム症だった。
小学校から不登校、やがて引きこもりとなったが、親が精神科を受診させることはなかった。
通信制高校からなんとか大学を卒業して就職したが、そこでうつ病になり、自ら精神科を受診して、うつ病は2次障害で、1次障害が自閉スペクトラム症であることが判明した。
振り返ってみれば、父親も自閉スペクトラムで、会社員としてなんとか働いていたが、特性のために、社内での人間関係がうまくいかず、妻子の気持ちにも十分に寄り添うことができなかった。
母親は、厳しい両親に育てられ、実家を脱出することができた結婚後は自由な生活を夢見たが、結局は、子どものことも、夫のことも、自分が頑張るしかない状況に追い込まれた。
そんな中、長女であり、話の通じる娘は、何かにつけ、当てにされた。
そして娘の方も、せめて母親からは愛され、認められたかったので、「お姉ちゃん。」と呼ばれる度に、文字通り、その役割を演じた。
そして、気がつけば、自らも対人援助職に就いていた。
相手のしてほしいことに気づくのはお手のものだったし、他者貢献度=自分の存在意義という構図は変わっていなかった。
そうしてある日気がつけば、自分もそこそこいい年になっていた。
今まで通り過ぎて行った男がいないわけではないが、基本的な他者(特に男性)への信頼感が育っておらず、自分に子育てができるとも思えなかった。
これでは結婚・出産はできない。
(誤解のないように付け加えるならば、女性は結婚し、子どもを産むために生きているわけではない。「できない」のと「できるがしない」のとでは大違いだ。)
なんだか急に寂しくなって来た。
それはセンチメンタルな(情緒的な)寂しさでもあったが、それだけではない、霊的な寂しさもあった。
私が私を生きていない、
自分に生れて来た意味と役割を果たしていない、
ミッションを果たしていない、
それが霊的な寂しさを引き起こす。
で、どーするか。
ようやく今、お姉ちゃんの、いや、〇〇さん(←本名)の人生が始まろうとしている。
いつもそこからが私の出番なのであった。
テレビである獣医が、モルモットの癌の手術を終えた後に
「モルモットとカメレオンって、生きようという意欲があまりないのよ。」
と言って、術後の経過を心配していた。
「ウサギは生きる意欲が強いんだけど、モルモットとカメレオンにはその気概がないというか、諦めるのが早いのよね。」
と言う。
それらのセリフがこころに残った。
そもそも“長寿”は、俗諦(世俗的な真実)的には、めでたいこと、誰もが望んでいることとして扱われて来たが、真諦(絶対的な真実)的に言ってしまうと、それは生への執着=我執に過ぎない。
真諦的には、寿命が長いか短いかよりも、生かされているうちに、生を授かった意味と役割を果たしたかどうか、ミッションを果たしたかどうかの方が重要であり、ただ長く生きれば良いというものでもない。
例えば、31歳で暗殺された坂本龍馬は立派に今生のミッションを果たしたと思うし、
流産で亡くなった赤ちゃんにも、その子が生かされていた間の、そして亡くなったことも含めて、周囲の人たちにいろいろな大切なことを教える意味と役割があると私は思っている。
そして人間においては、大きな手術などの後に、医療スタッフから、生きる意欲を持って頑張れ!と励まされるのは当たり前のことであり、精神免疫学的にも、その方が快方には向かいやすいんだろうと思う。
生への執着が強い方が、確かに長生きしやすいのだ。
それで冒頭の話に戻る。
では、ウサギの方がモルモットやカメレオンよりも、生への執着=我執が強いのか、ということになると、決してそうではないと思う。
ウサギもそのままで、モルモットやカメレオンもそのままで、生かされるままに、生きているだけのことだ。
たまたまウサギの方が生命力が強いように見えるかもしれないが、それは我執によるものではなく、それがウサギのそのまま、催されるままなのであり、
モルモットやカメレオンが生きることに淡白なように見えるかもしれないが、それがモルモットやカメレオンのそのまま、催されるままなのである。
それはウサギの足が“脱兎”のごとく速く、カメレオンの動きがゆっくりなのと同じようなものだ。
冒頭の言葉はアメリカ人の獣医の言葉であった。
「生きる意欲」「気概」「諦める」など、いかにも自我中心の発想で動物のことを解釈しようとしている。
少なくとも動物の生命は、必ずしも人間のように我執で生きているわけではなく、おまかせで生きているのではないかと私は思っている。
お伝えしたいことは伝わったかな?
当研究所のホームページに書いてある通り、私自身は、対人援助職者は、自分の精神的な未解決の問題や成長課題と向き合って成長して行かなければ、本当の対人援助はできない、という立場を取っている。
そのため、日々の面談で出逢う人たちも、一緒に働く人たちも、私のまわりにいる人たちは、有り難いことに、みんな同じ姿勢の人たちばかりなので、接していて頗(すこぶ)る気持ちが良い。
しかし時に、他の“一般の”対人援助職者に接するときがあると、「ああ、こっちの方が多数派だった。」「私のまわりにいる人たちの方が奇特な人たちだったのだ。」ということを思い知らされる。
自分に精神的な未解決の問題がある、成長課題があるということにすら気づいていない人たちである。
自分に精神的な未解決の問題がある、成長課題があるということを認めたがらない人たちである。
自分に未解決の問題がある、成長課題があるということに薄ら気づいていながら、誤魔化し、先延ばし、逃げ回り続けている人たちである。
そういう人たちが、残念ながら、娑婆では多数派なのだ。
んー、話が通じんな。
一向に話が深まらんな。
まるっきり異星人との会話だな。
そんな異星人とはどう話せばいいかは、昔取った杵柄(きねづか)で、十分に心得ているが、もうそんなことはしたくない。
こっちから異星には行きたくない。
君たちが戻っておいで、地球に、君たちの母星に。
元々が異星人ではないでしょ。
そう願いながら、最低限の社交と必要な情報交換だけを済ませて、早々に話を切り上げるのでありました。
基本的に、前情報は鵜呑みにしない。
ひとつの情報として参考にさせていただいている。
児童専門外来をやっていたとき、その子どものお母さんについての情報が入る。
「難しいお母さんですよ。」と。
しかし、実際にお逢いしてみると、哀しみと孤立と疲れの中で一所懸命に生きて来たお母さんに出逢うことがある。
「どこが難しいんだよ。」
確かに、実際に難しいお母さんに出逢うこともある。
しかし、それは難しい精神科医や、難しい臨床心理士や、難しい看護師や、難しい精神保健福祉士や、難しい作業療法士と出逢う確率と余り変わらないと思う。
実際にお逢いしてみなければわからない。
精神科外来で紹介状(診療情報提供書)をいただくことがあった。
中にはなかなかの内容のものがある。
「会話が成立しない。」「一方的。」「わがまま。」「思い込みが激しい。」「頑な。」
たくさんの否定的ワードが並んでいる。
しかし、実際にお逢いしてみると、例えば、特性による生きづらさの中で拙くも一所懸命に生きて来た青年に出逢うことがある。
「どこが難しいんだよ。」
フツーに話を聴いただけで、
「初めて話を聴いてもらえた。」
と泣き出してしまった。
確かに、実際に難しい当事者に出逢うこともある。
しかし、それはやっぱり難しい精神科医や、難しい臨床心理士や、難しい看護師や、難しい精神保健福祉士や、難しい作業療法士と出逢う確率と余り変わらないと思う。
実際にお逢いしてみなければわからない。
勿論、非常に参考になり、有り難い前情報に助けられることもある。
しかし最終的には、自分の眼で耳の五感で、さらには六感で、感じてみなければわからない。
それがもし私からの前情報だったとしても、どうぞそうして下さいな。
テレビをつけると、あるドラマをやっていた、
少し前のことなので、題名もあらすじも忘れてしまったが、今でも覚えている設定がある。
主人公の女性は、人生の多数派の流れにうまく乗れず、自己評価が低く、うつむきがちで、声も小さく、自己主張(自我主張)も弱く、生活できる最低限を細々と働いて、ひっそりと生きている、といった調子の設定であった。
私として気になったのは、そのドラマの脚本が、そんな生き方もありだよね、そんな生き方も良いよね、という、こんな生き方の本人寄り添いの描き方だったことである。
違うってば。
それは良くないよ。
もちろん、人生の多数派の流れに乗る必要もないし、細々と働いて、ひっそりと生きていて行くことに何も問題はない。
バカみたいに元気に生きる必要もないし、ガンガン自己主張(自我主張)する必要もない。
そうではなくて、問題は、この人がこの人を生きている気がしない、というところにある。
これは致命的だ。
この人の本来の生命(いのち)が生きていない。
これでは立派な神経症(的パーソナリティ)である。
これをあたかも“健全な”生き方の選択肢のひとつであるかのように肯定するわけにはいかない。
かつての、あるべき生き方に対して、アンチあるべき生き方が出て来たことに、私は反対どころか、大賛成である。
しかし、だからといって、アンチ多数派、アンチ主流派がすべて正しいというわけにはいかない。
本来自分は何者なのか。
一回しかない人生を、何をして生きて死ぬのか。
自分が生まれて来た意味と役割は何なのか。
そこに着地しなければ、自分に生まれて来た甲斐がない。
先のドラマの女性は、ただ弱々しく、逃げて、隠れて、溜め息ついて、本来の自己を生きていないのである。
そして、それをよしよししてあげることは、この人を殺すことになる。
そしてドラマの中では、優しき“理解者”たちによしよしされていた…。
おいおい。
ドラマの話なんだけどね。
ドラマでだけだよね?
我々は一生のうちに、自分の本当の本音を話せる相手に何人出逢えるだろうか。
「本音」という字が「本当の音」となっている通り、「本当の音」でないと、鳴らした方も話した気にはならないし、受け取った方も聴いた気にはならないだろう。
そうでないと、人と人とが本当には出逢ったことにはならないと思う。
もし自分がこんなことを言ったらどう思われるだろうか、軽蔑されはしないだろうか、忌み嫌われるのではなかろうか。
そんな話をたくさん聴いて来た私としては、
大丈夫です。
人の悪性(あくしょう)、いや、凡夫の悪性がどれくらい酷いかは、大体わかっていますから、男を十人騙して殺して床下に埋めてあります、と聴いても別に驚きはしません。
その事実よりも本質的に大事なのは、そういう自分と向き合う気があるかどうか、そういう自分を超えて成長して行きたいと心の底から思っているかどうか、ということです。
ですから、そういう思いで、本音の本音を話すというのであれば、それだけで、今までの、そして今の自分を超えて行きたい、という大切な宣言になるんです。
となれば、誰がそんな尊い宣言を疎(おろそ)かに扱いましょうか。
共に超えて行きましょう、どんな問題も。
そんな思いで、私は面談を行なって来ましたし、これからも行っていくのです。
「大体のところの…母親の、親の態度というものが、どのぐらい子どもに対して影響するかということを述べました。結局ね、親と子というものは、そこに最初において、愛憎の問題が最初からあるということをまず認識してほしいんです。決して、だから、愛が全てではないわけです。その憎しみを解決するのは何かというならば、私は敢えて言うならば、それは、その、親の、お母さんの、特に、あんまり感情的にならない、落ち着いた態度だと思うのです。
やっぱり、なんといっても、それは、そういう愛憎と言いますけど、その基本は、憎の生まれるのも愛するからです。だから、その愛が、本当にまっすぐに、真っ当に、お互いに通じるような、そういうふうな態度というものが求められるわけです。
私はね、その、子どもを育てるという場合に、一番大事なことは、この子どもの持っているものは、自分の産んだものではあるけれども、それは独立した生命を持ったものである、独立した価値を持ったものであるというものを、ま、預けられて育てているんだという態度を持つとですね、そうすると、ある程度、このね、距離が持てると思うんです、子どもに対して。いいですか。自分のもんだと思うと、自分の思う通りに行かないから腹が立つ、感情的になりますね。
しかし、自分のものだったら、全部自分の思う通りになるかっていうと、私はあなた方にお伺いしたいのは、自分の心は自分の思った通りになりますか? 自分の感情は思った通りになりますか? 自分の心が自分の思った通りにならないのに、どうして人の心が自分の思った通りにできるんですか。こんなこと、できっこないと僕は思う。そのできないことをできるような顔をしてやるから妙なことになっちゃう、ね。
そこで面白いことは、そこで、お母さんがもし落ち着くと、これはお父さん自身に、今日はお父さんがいらしゃらないから、あんまりお父さんのことは言わないけども、お父さんも考えなくちゃいけないことがある。それは別として、お母さんの場合の、そこで僕はひとつの尊厳という、そういうものが必要だと思う。教師においてもそうなの。教師においても、その尊厳ということがなかったならば、我々はここに教育が行われない。尊敬ということがあって初めてね、そこに教育というものが行われるのです。本当に自分の尊敬する人からだけ学ぶんです、人間は。
だから、あの、よくお母さんは、女性は、愛、愛とおっしゃる。愛があれば全て。愛が私の全て、二人だけの世界なんていうことを言ってるけども、愛だけが全てではないのです。愛にプラス叡智ということが必要なの。智慧が必要なの。愛を活かすためには智慧が必要なんですよね。」(近藤章久『親と子』より)
講演『親と子』の最終回。
親の養育態度というものがいかに大きく子どもに影響するか。
そのために、親は子どもの尊い生命(いのち)を預かって育ててるんだという自覚を持つこと。
子どもの生命(いのち)に対して畏敬の念を持たなければならない。
そして親や大人もまた、子どもから尊敬されないと、子どもは親や大人の言うことを聞かないのである。
「本当に自分の尊敬する人からだけ学ぶんです、人間は。」という言葉が胸に刺さる。
これは親だけの話ではない。
対人援助職者全般について言えることではないだろうか。
そして、愛「情」は常に「情」に落ちる危険性を持っている。
愛「情」+叡智/智慧となって初めて本当の「愛」になるのである。
生命(いのち)を育てるには、叡智/智慧が必要なのだ。
これもまたしっかりと認識して子育てにあたられることを望みたい。
◆講演『親と子』に関する内容は、『金言を拾う その1~その4』にかぶる内容でしたが、敢えて引用部分を大幅に増やして掲載致しました。ご了承下さい。
そして、近藤章久先生の講演から正に「金言」を抽出して来た『金言を拾う』シリーズは、今回で一旦終了となります。
他にも近藤先生の講演録としては、本願寺関係のものや専門的なものもありますが、一般的内容ではないため、本欄では取り上げないことに致しました。
そして次回からは、『金言を拾うⅡ』として、絶版となっている近藤先生の著作から金言を抽出して行く予定です。
縁あって出逢った亡師の金言を後世に伝えて行くこともまた、私のミッションのひとつだと思っています。
精神医学的エビデンスは見たことがないが(もしあったら教えてほしい)、
昔から関係者の間では、春~新緑の季節=「木の芽どき」は精神的に調子を崩す人が多い、と言われて来た。
そこでいう不調の中味は、その人が元々抱えていた精神的問題が先鋭化するということであり、必ずしも新しい問題が出て来るということではない。
例えば、うつ病や統合失調症で闘病中の人ならば、その時期に病状が再燃しやすかったり、神経症の人では、いつも以上に、その人に生育史上付いたテーマ(例えば、他者評価が気になったり、ねばならない・べきだ)などにとらわれたりする。
まさに持っていたものが芽を吹くのである。
ちなみに「木の芽どき」というとき、それは新年度やゴールデンウィークといった社会的要因によるものではなく、季節の変わり目といったむしろ気象的な要因によるもの、というニュアンスがある。
人間もまた気象の中で生きている存在なのである。
そうなると、ここでもまた、「で、どーする」という問題が出て来る。
気象は変えられない以上、こちらで調節するしかない。
ひとつは、ただでさえ不調に陥りやすいこの時期は、無理をせず、よく休み、よく寝て、ストレスは可能な限り少なくし、エネルギーもできるだけ温存する策に出た方がいいということだ。
治療中の方は、早め早めの薬物調整が有効な場合もある。
そしてもうひとつ、神経症的テーマについては、逆にその問題と向き合うチャンスにできるかもしれない。
即ち、「ああ、まだこんなことが気になるんだ。」「この問題が未解決で残っていたんだ。」と気づき、木の芽どきになっても、そういう神経症的テーマに翻弄されなくなるような境地を目指したい。
そしてもし神経症的テーマと向き合うのがしんどければ、呼吸や祈りを深める機会にできるかもしれない。
自力でダメなときこそ、他力におまかせすることを体験する好機になるのである。
前々から体調の悪さを自覚しながら、なかなか医療機関を受診しなかった。
いよいよもう我慢も限界となって受信したら、既に手遅れとなっていた。
子どもの不登校、ひきこもりがありながらも、お茶を濁す程度にしか相談機関を利用せず、子どもとは、何度かの大喧嘩はあったが、徹底的には勝負しなかった。
そして気がついたら、8050問題になっていた。
思春期頃から生きる辛さを感じていたが、ちゃんと医療機関や相談機関を利用したことがなかった。
そしてなんとなく対人援助職に就いたが、そこで却って自分の問題が先鋭化して来ることになった。
そして、これからも誤魔化し誤魔化しやり続けて行くのか、ここらで自分と勝負するのかという分岐点に追い詰められているという自覚はあるが、次の一歩が出ず、今も時間だけが過ぎ去っている。
大事なことを何故先送りにするのか、直面化しないのか。
ひとつには、本音を表出することを阻害されて来た歴史がある。
本当の思いを、特に怒りや悲しみを、そのまま出して、親から掬(すく)い取ってもらった経験に乏しかった。
むしろそのまま出すと潰された、否定された、無視された。
小さくて弱い子どもがそんなことをされれば、なかったことにして、もうそれ以上向き合わないようにして、先送りする方法を身につけるしかないだろう。
だから、直面化するには、相応の勇気とエネルギーが必要となる。
そしてもうひとつには、そうやって寄り添われずに育った人間の持つ、否定的なセルフイメージがある。
先送りして先送りして遂に先送りできなくなったときに陥る、その惨憺(さんたん)たる結末の自分こそが、“どうせやっぱりダメな自分”には相応(ふさわ)しいと思ってしまうのだ。
それは慢性的自己破壊行為とも言えるだろう。
でも、時計の針が止まることはない。
あたかも、座して死を待つ、ように時間が経って行く。
その他にも、見栄だとか、虚栄心だとか、いろいろなものが絡むこともあるだろう。
しかし、それが何であろうと、最後にはいつも
で、どーする?
に行き着く。
まだ先送りするのか?
今度こそ直面化するのか?
どちらを選んでもその責任を取るのはあなただが、
少なくともあなたが徹底的に直面化する方を選んだとき、あなたは決して一人ではないということだけは保証できる。
あるジャーナリストの本を読んだ。
異端の新聞記者たちの意地と矜持をまとめた本である。
「従来の取材や編集の在り方を覆(くつがえ)し、かくあるべきとされてきたしきたりを破る。地域の有力者の声に反し、社上層部の意向に従わない。業界内の評判や立身出世に関心を寄せない。…
彼らは…ある一点について忠実だったからこそ『正統』を外れたのではなかったか。…
それは…世の中や読者が新聞に何を求めているかが行動原理のど真ん中にあったということだ。」
彼らはあくまで「どこを向いて仕事をするのか」という「意地」を見せる。
医療や福祉の分野でも事情は全く同じである。
誰を向いて、どこを向いて、仕事をするのか。
何故か私のまわりには、愛すべき「異端」の人たちが多い。
そして著者は言う。
「世の中は新聞に何を求めているのか。新聞にしかできないことは何なのか…。彼らのような異端者が異端でなくなったときに、新聞ははまたよみがえるのではないだろうか。」
上記の「新聞」を「医療」や「福祉」あるいは「精神療法」に置き換えても、そのまま当てはまる。
異端だろうが正統だろうが、少数派だろうが多数派だろうが、関係ない。
人間として真っ当に、与えらえたミッションを果たして行くのみである。
『一遍上人語録』にある
「独(ひとり)むまれて 独(ひとり)死す 生死(しょうじ)の道こそかなしけれ」
の言葉がずっとこころに残っている。
また、一遍は別のところで
「生ぜしもひとりなり。死するも独(ひとり)なり。されば人と共に住するも独(ひとり)なり」
とも言っている。
この「人と共に住するも独なり」は、体験したことのある人には身に沁みてわかることであろう。
それは絶対孤独の地獄である。
ちょろまかしの嘘事(うそごと)、戯言(たわごと)では、この地獄は誤魔化せない。
そこに本当の救いはないのか。
そして親鸞の言葉が届く。
「よろずのこと みなもて そらごと たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ まことにて おはします」(『歎異鈔』)
そこまでいって初めて、念仏のもたらす「まこと」がわかるのである、この存在の根底に響くのである。
そして、そこに
「俱會一処」(『阿弥陀経』) 俱(とも)に一処(いっしょ)に會(かい)する(一緒に浄土で出逢う)
という絶対孤独を超えた、一如の世界が開けていく。
「独(ひとり)」であったのが、「一(ひとつ)」に突き抜けていくのである。
「念仏をすると本当に救われるんですよ、先生。」
体験に裏打ちされた彼女の言葉の重みが私の胸に甦(よみがえ)る。
緑風苑ワークショップや八雲勉強会で長年共に学んで来た、我らが盟友Aさんが今朝逝去されたとの連絡をいただいた。
長い闘病をよく頑張られた。
そして最後までこころを深められ、多くのミッションを果たされた。
我々には、Aさんの生を踏まえて、一人ひとりがどう生きるのかという課題が残された。
“盟友”の残してくれた課題だ。
こころして応えましょうぞ。
合掌礼拝
あるスーパーで売っていたほうれん草のパッケージに
「ぼくはあなたにほうれん草」
というキャッチコピーが書いてあるのを見て、全身の力が抜けた。
「ほうれん草」と「惚れている」のシャレなんだろうが、何故か猛烈に何かを言い返したくなった。
そして考えること1時間。
思い付いたキャッチコピーが
「そんなあなたをズッキーニ」
である。
「ズッキーニ」と「好き」のシャレである。
こんなことを思い付くのに1時間も費やすのは実にアンポンタンだが、まだ気持ちがおさまらない。
さらに1時間かけて思い付いたのが、
チョレギサラダのキャッチコピー
「こんなチョレギにサランヘヨ」
「サランヘヨ」(ハングルで I love you)と「サラダ」をかけたのであるが、こんなことに何時間もかけるのは本当にアンポンタンである。
プロのコピーライターや放送作家なら、何時間かけても良いだろうが、フツーはそうはいかない。
しかし、もしこれがワークショップの場だったら、私は参加者に1日目と2日目の間の宿題として、このような食品に関するキャッチコピーを作って来るように告げるかもしれない。
読者の中で、もし名作を思い付いた方がいらしたら、面談のときにでも教えて下され。
豊かな発想は、自由なこころから生まれます、はい。