皆さんは「ボンタンアメ」というお菓子を御存知であろうか。
世代的には私よりもずっと上の世代で発売されたお菓子で、水飴や麦芽糖などを練り込み、もちもちした食感で、文旦(ボンタン)(柑橘類の一種)の風味のするレトロなお菓子であった。
「アメ」と言いながら実際には飴ではなく、1個ずつオブラートに包まれているのも特徴的である。
個人的には、子どもたちが好むお菓子というよりは、年輩の方がノスタルジックに楽しむお菓子というイメージがある。

私が子どもの頃暮らしていた広島の実家の近くに、国鉄の宇品線が走っていた。
宇品線は、広島駅と宇品駅を結ぶ短い路線(全長5.9km)で、瀬戸内海に面する宇品港(現・広島港)は軍港として栄え、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦では、兵士や物資の戦地への輸送を担った重要な港であった。
戦後も、国内ではかなり遅くまで(1975(昭和50年)まで)SL(蒸気機関車)が走った路線のひとつであったが、やがて国鉄赤字ワースト1の路線にもなり、1986(昭和61)年には完全に廃線となった。

よって、私が小学校低学年の頃はまだSLも現役で、双子の弟と線路脇の叢(くさむら)まで入り込み(当時は柵などなく、いい加減であった)、SLが汽笛を鳴らして通るのを間近で眺めては手を振っていた。

すると、ある日、SLに向かって手を振っている私と弟の近くにボタボタとお菓子が落ちて来るではないか。
驚いてSLの方を見ると、制服の乗務員のおじさんがこっちを向いて手を振っている。
なんと、乗務員のおじさんが私と弟に向かって、チョコレートやキャラメルなどを投げてくれたのである。
なんと優しい御方であろうかっ!
そしてそれ以降、私と弟はSLが通る時刻になると線路脇に立ち、お菓子が降って来るのを待つようになったのである(餌付けかいっ!)。
そして投げてもらったお菓子を拾っては、乗務員のおじさんに向かって「ありがとーっ!」と二人で叫んでいた。

そしてその日がやってきた。
いつものように線路脇に立っていると、SLがやって来て、またもやお菓子が降って来た。
「ありがとーっ!」
と叫んで、いそいそとお菓子を拾うと、それがボンタンアメであった。
二人とも言葉を失った。
「これ…美味しくないんだよね。」(二人の心の声)
そして二度と宇品線脇には行かなくなった二人でした。

それ以降、たまにボンタンアメを見かけると、あのときのことを思い出す。

「乗務員のおじさん、セイカ食品さん、ごめんなさい。」

子どもは時に、超利己的であり、残酷なのであった。

 

 

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