2019(平成31)年1月29日(火)『推薦図書』

以下に、お薦めの図書を挙げる。

これらは唯一の親友および近藤先生に教示していただいたものがほとんどである。

有り難いことだと思う。

お読みになって感想などあれば、面談のときにお話しいただきたい。

内容のかなり深いものもあるが、敢えてここで解説はしないでおこう。

字面だけ「読みました。」では意味がなく、どれだけ読めたか、がワークとなる。

他にも、面談時でないとお薦めできない図書が数えきれないほどある。

それはまたそれぞれの面談のときにお話することとしたい。

[1]司馬遼太郎 『竜馬がゆく』全8巻

         『世に棲む日々』全4巻

   ※この順番で読むことが望ましい。

[2]三島由紀夫 『豊饒の海』全4巻

[3]川端康成 『古都』

        『眠れる美女』

        『山の音』

   ※この順番で読むことが望ましい。

[4]パール・バック 『大地』全4巻

[5]深沢七郎 『楢山節考』

        『笛吹川』

   ※[4][5]は続けてこの順番で読むことが望ましい。

[6]隆慶一郎 『吉原御免状』

        『かくれざと苦界行』

[7]高山樗牛 『瀧口入道』

誤解のないように付け加えるならば、これらは決して必読図書ではない。

読んでみたいな、と思われたときに読まれればよい。

まず図書館などで借りて読み、気に入ったものがあれば購入されると良いと思う。

2019(平成31)年1月19日(土)『結婚式』

今日は、久しぶりに結婚式に出席した。

初めて乗る長野(北陸)新幹線は快適で、晴天に恵まれ、気温も思いの外、あったかかった。

それにしても、若い人たちの結婚式というのは良いもので、本人たちは自覚していないが、そこには生命(いのち)の勢いがある。

そして結婚式は、ちょっとばかり長く生きている者が、若い二人のこれからを応援する集いでもあると私は思っており、

やがて二人が人生の時を重ね、さらにまた後進、後輩(子どもたちも含む)を応援する存在となってほしいと願っている。

血縁、地縁といったものもあるけれど、私は、赤の他人が出逢い、互いに信頼し、相手のことを大切に思うようになることの奇跡を思う。

これからいろんなことがあるかもしれないが、是非、自分が自分であることを、伴侶が伴侶であることを互いに願い、助け、深めて行く日々を重ねて行っていただきたい。

「恋」の「華」も良いのだけれど、「愛」の「実」がならないと深みがないからね。

良い式でした。

何度も胸打たれました。

心からお二人の幸せを祈ります。

2018(平成30)年12月11日(火)『老いたピエロ』

落語会に行って来た。

入船亭扇遊と柳家小三治という奇跡の組み合わせで、根性でなんとかホール最後列のチケットを手に入れた。

で、会場のある新小岩の駅に初めて降りる。

駅前のそば屋で蕎麦をたぐり、ビールで勢いをつける。

せいろを運んで来たまだ若い大将の手の甲まで立派な利迦羅紋紋(くりからもんもん:刺青)が入っている。

新小岩である。

良いじゃないの。

そして日暮れの道を会場に向かう。

ホールは落語好きたちでいっぱいだ。

開口一番の後が、まず柳家一琴。

今日の高座はレベルが高い。

すぐに出て来るような噺家ではない。

いきなり笑いを持って行かれる。

続いては扇遊。

今の扇遊がトリでないこと自体が普通ではないのである。

経験、気力共に充実した扇遊の江戸前の味を堪能する。

そして仲入りの後が小三治。

えっ?

入って来た小三治を見て我が眼を疑う。

嗚呼、老いてしまった、衰えてしまった。

全ては術後の病み上がりのせいであると信じたい。

小三治の噺を聴きたい人は早くした方が良いと本気で思った。

それくらい、二年前の独演会のときの小三治とは別人であった。

それでも、短い噺の中に小三治ならではの味わいが光る。

しかし、私の心に残ったのはその前のマクラ噺である。

「話しているうちに、何処に行くかわかりません。」

と言いながら、何度か低い声で歌った旧友フランク永井の『公園の手品師』。

♪ 銀杏(いちょう)は手品師、老いたピエロ〜

 

「老いたビエロ」に胸を突かれる。

それは誰のことなのか。

 

やはりマクラの小三治であった。

帰りの夜道に回復を祈る。

2018(平成30)年11月22日(木)『なんくる再考』

「なんとかなる」という。

おまかせしているようで、まだどこかに、ひょっとしたら期待通りになるんじゃないか、期待通りになってほしい、という我欲が臭う。

まだ執着が切れていない。

今ひとつである。 

「なるようになる」という。

こちらの方がおまかせしている感じが強い。

しかし、なんとなく投げやりな感じがしないでもない。

どこかに諦念的な暗さがある。 

これも今ひとつである。

これらに対し、「なんくるないさー」という。

流石、しまくとぅば(島言葉)、うちなーぐちである。

前掲の「なんとかなる」と同じようでいて

どうなろうと手放しでおまかせしているニュアンスがある。

明るさがある。

それも哀しき琉球〜沖縄の歴史を踏まえた上での明るさである。

遠藤周作の

「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」

を連想するが

「なんくるないさー」の方がさらに突き抜けた明るさがある。

それは悲しみを誤魔化すための虚偽の明るさではない。

本物の明るさだ。

そしてトドメは、「なんくるないさー、ややいがさー」である。

「ややいがさー」が付く。

馬鹿である(失礼)。

私の大好きな綺麗な馬鹿である。

そうしたら踊るしかないではないか。

生命(いのち)が踊る。

泣きながら、笑いながら、それでも生命(いのち)が躍動して踊るのである。

その生命(いのち)は最早、個人の生命(いのち)ではない。

あなたも、私も、一遍も、シヴァ神も、空も、海も、山も踊り、宇宙が踊る。

いや、気づいてみれば、ずっと前から全てが踊っていたのだ。

思い返せば、それに気づくための「なんくるないさー、ややいがさー」

生命(いのち)の躍動が言わせる「なんくるなーさー、ややいがさー」であったのである。

2018(平成30)年11月5日(月)『ゲシュタルト療法を思う』

医学生の頃、このままの自分が精神科医になったら、自分自身が潰れるか、患者さんに迷惑をかけるような医者になってしまうだろう、という強い危機感があった。

それ故、グループサイコセラピーのワークショップから危ない自己啓発セミナーまで、片っ端から、さまざまなものを受けてみた。

その中で大きな影響を受けたものにゲシュタルト療法がある。

(ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズがカレン・ホーナイから教育分析を受けていたというのも奇縁である)

リスクを超えて自分の本音と向き合い、吐露するワークをさまざまな形で体験した結果、

後に近藤先生から教育分析を受けたときに、自分からどんどんと直面化して行く(通常なら一番話しにくいこと=“秘密”から話して行く)ことができた。

「松田くんはなんで早いのかな。」

と先生から言っていただけたのは、そのお蔭だと思っている。

教育分析や訓練分析を受けたと称する人たちの中にも、私が観ても透けて観えるような不安や虚勢に未だに直面化できていない人が多く見受けられる。

精神分析がゲシュタルト療法に劣るようでは情けない(優劣ではないが)。

しかし実情は、自己一致(本音と建前が一致している)という面では、精神分析家がゲシュタルト療法家に劣っていることが多いのが実情であろう。

そうでなかったのは近藤先生だけじゃなかろうか。

[念のために付け加えるならば、精神科医や臨床心理士の資格を持った上で、トレーニングを受け、ゲシュタルト療法を行っているセラピストが本邦では少ない。私が当時受けたのも大半は外国人セラピストによるものであった。自分が他人の心を操作できるかのように勘違いした素人のゲシュタルト・セラピストがいることに注意喚起しておきたい。]

故に私は、ゲシュタルト療法を自分と向き合うための入り口として体験した後、近藤先生から教育分析を受けることによって、成長の体験を徹底させることができたのだと思う。

しかし今もゲシュタルト療法は好きで、私のワークショップにおいてその影響は明らかである。

あの偽りの皮を脱ぎ、本当の自分をが顔を出すときの、不安と勇気、ハラハラドキドキ、緊張と解放は感動的である。

そのワークもセラピストの色彩を帯びるわけで、私の場合は、お笑いと涙のテイストが強い。

ゲシュタルト療法から学んだ、人間がリスクを超えて成長して行く瞬間を、また今度のワークショップでも共有して行きたいと願っている。

2018(平成30)年9月25日(火)『苦海の化粧(けそう)』

自己中心的で支配的な親の許(もと)で育った私は、従順で過剰適応的な仮面の奥に、ないがしろにされて来たことへの怒りや、不本意なことを強要されて来たことへの強い反感を秘めて育った。

幸いにも近藤先生のお蔭でそれらが明らかになり、教育分析によってかなり楽になったが、

その怒りと反感がその後もふと顔を出すときがあり、なかなかにしぶといものだなぁ、と思っていた。

そんなとき、ある木彫りの地蔵菩薩の写真を見た。

地方の遊廓の中に祀(まつ)られていたその小さな仏像は、全身に白粉(おしろい)を塗られていた。

遊女たちがお参りする度に白粉を塗ったのだという。

昔、女性が遊廓に売られることを「苦海に身を沈める」といった。

ないがしろにされ、不本意なことを強要される極致である。

その遊女たちが、仏像に白粉を塗り(自分が仏に近づくのではなく)仏を我が身に近づけた。

そして、この苦海に凌辱された我が身を、穢身(えしん)とせず、仏身(ぶっしん)として拝んだのである。

嗚呼。

その白く塗られた御姿を観ているうちに、私の中で何かが溶けて行く気がした。

サイコセラピーを業(なりわい)とする私であるが、言葉がなくても、人間でなくても、そんなことが起こることがあるのである。

祈ること、おまかせすることの究極は、そういうところにあるのかもしれない。

2018(平成30)年9月11日(火)『やめどき、つづけどき』

八雲での面談というのは、いつでも終了できる。

抱えていた問題が解決したとき。

自分一人でやれそうな気がしたとき。

いやいや、私のところに見切りをつけて他のセラピストのところに移っても良い。

いつでも終了して大丈夫である。

あなたの人生だ。

誰に遠慮することなく、あなたが決めれば良い。

人間の成長ということに終わりはないが、私のところに通うばかりが成長の場ではない。

しかし、八雲で面談を続けることを選んだのであれば、ちゃんと毎月1回以上は続けた方が良い。

毎週来ている方もいらっしゃるし、月1回の方もいらっしゃる。

毎月1回以上であれば、頻度もまた各自の判断で良いのである。

しかし、面談頻度がどうであっても、例えば、月1回のペースで通うのを義務のように感じるのであれば、いらっしゃらない方が良いと思う。

本当に来るべき時ではないからである。

自分の情けなさを自覚し、成長の意欲を持ったら、義務感になるわけがない。

少なくとも私は次の面談までの1週間が待ち遠しかった。

ようやく息つぎをするような気持ちで通った。

やめどき、つづけどき、それぞれ、さまざま。

但し、私のところに出戻りはない。

来られるのもやめるのも一度切り。

それが人生の決断。

(私と話し合いの上、戻って来る約束で面談を一時休止する場合を除く)

どうぞあなたがお決め下さい。

2018(平成30)年9月2日(日)『変遷』

これまでの開業の変遷について振り返ってみた。

当初は(1)通常の精神科クリニックを開くつもりでいた。

恐らくはそれはそれで成功したと思うが、時間の問題で日々の診療に忙殺され、本格的な精神療法の志は失われてしまったのではないかと思う。

それが恩師の遷化に伴い、急遽、八雲を継承することとなった。

そこで師と同じ(2)精神療法専門の自由診療クリニックでの開業を考えたが、

師の診療の最後の頃は、かなりヘビーな患者さんも多く、玄関先にガソリンを撒かれたり、塀のポスターに火をつけられることもあった。

その程度のことは精神科ではままあることではある(実際、師も屁にも思っておられなかった)が、問題は夜間、八雲が高齢の奥さま一人になることであった。

奥さまのことを託されての八雲の開業であったため、奥さまを危険に晒すわけにはいかない。

それで医療機関という形での開業を断念し(即ち「治療」をメインとすることを断念し)、(3)一般市民と専門職の「成長」のためのカウンセリング機関という形で開業することに決めた。

そういう形での精神科医の開業は先例がなかったが、なんとかなるだろうという根拠のない自信だけはあった。

その後八雲での面談は有り難くも、求める方々を得たが、そうこうするうちに今度は奥さまの逝去である。

慌ただしく八雲から用賀に引っ越し、ひと息ついて、さて、これからどうするか。

選択肢がいろいろある中、来春から(4)6つの医療・福祉専門職を対象とした成長のための精神療法機関に特化することに決めた。

私としては、この変遷の歴史は、私意で決めたように見えて、縁に導かれて決まって行ったという思いが強い。

換言すれば、今生での私のミッションが明確になって行くためのプロセスであったのだと思う。

逢うべき人に逢い、私の役目を果たす。

その根本は、当初から今日まで変わらない、これからも。

そして私も来年で還暦を迎える。

それもまた転機の理由のひとつだ。

“まだ”還暦とも言えるが、“もう”還暦でもある。

逢うべき人は早めに逢いにいらっしゃい、但し、気持ちが固まってから。

それが私があなたに逢うべき本当の“時機”である。

2018(平成30)年8月17日(金)『能面』

能面が好きなことについては既に述べた。 

いくら好きであっても、能面展というのはめったにあるものではない。 

またあったにしても、内容が千差万別で、その面(おもて)の前で立ちすくむようなものが一つでもあれば、大変な僥倖(ぎょうこう)と言って良い。 

先日出かけた金剛流の能面展において、その僥倖に恵まれた。 

注]能楽におけるシテ方五流として、観世(かんぜ)流、宝生(ほうしょう)流、金春(こんぱる)流、金剛流、喜多流がある。

まず「金剛の孫次郎」と言われるように、「孫次郎」の別名「ヲモカゲ」が素晴らしい。 

その名の通り、若くして逝った妻の面影を打ったものと言われているが、そんな「情緒」的な謂(い)われを超えて、「魂」に感応するものがある。 

そうなのだ。 

映画や落語や舞台も良いのだけれど、それらの多くは、触れることによって「情緒」が潤うものである。 

それはそれでよしとするも、「魂」が潤うものではない。 

今回は「魂」が潤うものに出逢えた。 

有り難い限りである。 

そしてもう一つの僥倖が、「花の小面(こおもて)」である。 

秀吉が愛蔵した三つの小面、「雪の小面」「月の小面」「花の小面」のうち、「月の小面」は家康に贈られた後焼失したが、今回は「雪の小面」(金剛宗家(そうけ)蔵)と「花の小面」(三井記念美術館蔵)が並んで展示されている。 

秀吉の感性は余り支持しないが、この「花の小面」は素晴らしい。 

惜しむらくは、傷みが激しかったため修理を経ている、ということである。 

修理前は如何。 

今となっては思いを馳せるばかりである。 

仏像のときにも申し上げたように、能面も蘊蓄(うんちく)とアタマで見る輩(やから)がいる。 

また、対象として観察する連中もいる。

美術的鑑賞では面は観えない。

「魂」で観るべし。

「霊的感性」で感応すべし。

そこに「体験」が起こる。

久しぶりに「魂」をくすぐられる快感があった。

こういう機会がないと生きていることが薄っぺらになるなぁ。

二つの面に感謝するばかりである。

2018(平成30)年7月26日(木)『不安』

「不安」がその人をその人でなくさせる。

「不安」に対するやりくりとして神経症的パーソナリティが生まれる。

その今の自分の「不安」の元は、あのときあそこであいつとの間で体験した「不安」に由来する。

それがある明確な「出来事」として想起できることもあれば

小さな「出来事」の繰り返しであることもあるし

あのときにあたりを支配していたあのイヤな「雰囲気」として漠然と思い出される場合もあるが

強く抑圧されている場合も珍しくない。

(特定の「出来事」が想起できたとしても、実はそれは「前座」に過ぎず、「主役」が後から登場して来る場合もある)

いずれにしても、我々が小さくて弱かった頃に、あのときあそこであいつ(大人)との間で体験した、あの怯(ひる)み、すくみ、臆(おく)して、震えるような「不安」(「恐怖」と言っても良い)が、今ここで新たな刺激の下(もと)に甦(よみがえ)るのである。

そして、その不安を、取り敢えず、やりくりするための方法や精神療法もいろいろと開発されており、

不安が強い場合には、薬物療法も行われることは、もちろん承知している。

しかし私見では、そんな一時しのぎだけでは、不安が再燃、あるいは、形を変えて現れて来るのは、時間の問題だと思っている。

もっと根本的に、もっと本質的に問題を解決しなければならない、と私は思う。

そしてそのために、あのときあそこでのあいつ(大人)との間での体験を徹底的に浮き彫りにして行くという方法もあるけれど、

私は、それをいくらやったところで、アタマで「わかる」だけの話で(「整理」するのには役に立つ)、根本的解決にはならないと思っている。

アタマで「わかる」だけでは人は変わらない。

カラダで「わからなければ」本当の変化は起こらない。

それ故、私は「肚(はら)が据(す)わる」体験の方を重視しているのである。

肚が据われば、怖れるものが減る、不安も減じる。

そのためにどうするか。

古人が伝えて来た伝統を私は重視する。

それが広く伝わっていないことを私は残念に思う。

また、伝わっていても(伝えても)実践されないことを残念に思う。

そしてそれが凡夫なのだと思いつつ

凡夫が目覚めるにはやはり「苦」が

そう

相応の「不安」がなければならないのかと思うのであった。

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