2017(平成29)年9月2日(土)『外道』

虚栄心の強い両親に育てられた少年は

一所懸命に勉強したが

思ったほど成績は上がらなかった。

それが受け入れられなかった少年は

やがて不登校になり

見栄っ張りな親は

無理矢理息子を留学させた。

それで行ける大学だから

それもまた世俗的に大したところではなかった。

帰国してから

語学ができるということで

運よく外資系の会社に就職できた。

虚業を絵に描いたような会社だったが

給与だけは高額であった。

それで彼に埋め込まれた虚栄心が再び刺激された。

学歴のコンプレックスを金で補おうとしたのである。

そして

高そうな時計を買い

目立ちそうな車に乗り

見栄えのするマンションに住んだ。

結局のところ

偏差値の高い大学に行ってすごいねと言われたかった頃と同じく

他者評価の奴隷は変わっていなかったのである。

彼に情けなさの自覚が来るのは一体いつだろうか。

そういう息子を心密かに自慢する彼の両親に情けなさの自覚が来るのはいつだろうか。

人生はそんなに長くない。

踏み外した道に気づくのは、一日でも早い方が良いんだけどなぁ。

2017(平成29)年8月20日(日)『盆太鼓』

今日は、都内祐天寺の太鼓スタジオで『盆太鼓』ワークショップ。

今夏、太鼓を叩いていない私にとっては執念の開催である。

太鼓を叩かずして夏を送れるかっ!

そして今日、太鼓好きの参加者と共に、3時間以上に渡り、浅野太鼓製の立派な長銅太鼓で、用意した10曲を叩きに叩いたのであった。

参加者も実にチャレンジングに叩く、叩く。

覚えの早い遅い、上手下手なんぞはどうだって良い。

体に叩き込むだけのことで、覚えるのは時間の問題だ。

太鼓を楽しむべし、味わうべし。

結果、全員、盆太鼓の基本打ちをマスターし、これでほとんどの盆踊りの曲は叩けるはずである。

そして今日の参加者全員に、ささやかながら、新品のバチをプレゼントした。

となると、来夏あたり、マイバチを腰にさし、ぶらりと盆踊り会場を回ってやりますかいの(何弁?)。

で、よく年を取ると、日数が経ってから筋肉痛が来るなどというが、そんなのはなまぬるい話だ。

筋肉の使いようが全然足らん。

今日の盆太鼓のような筋肉の使い方をすれば、即日、いや、直後から痛いに決まっている。

終了後に早くもボルタレンゲルを回し塗りしたが、

懇親会で乾杯に掲げたジョッキやグラスが重いこと、重いこと。

明日の仕事には当然、支障が出るだろう(キッパリ)。

今夜は湿布をして寝るだすな(何弁?)。

嗚呼、良い一日であった。

余は満足である。

2017(平成29)年8月17日(木)『対人援助職』

対人援助職を目指す人のほとんどは、こころに問題を抱えているに決まっている、と私は思っている。

そして、自分自身がそれを乗り越えた体験があるからこそ、良い支援者になれるものと確信している。

しかし、巷に溢れるのは、問題を未解決のまま、現場で働いている人たちである。

それが多過ぎる。

よくやれるなと思う。

私は、自分の問題が未解決のまま現場に出るのは、患者さんや利用者さんを巻き込むことになり、申し訳ないと思った。

また、自分の問題を解決しないままだと、どこかで発症するか、自殺するだろう、と本気で思っていた。

だから、恩師の門を叩いた。

この私の思い込みは、ひょっとしたら、当たっていないのかもしれない。

そう思う人はそれで結構。

しかし、もし同感の人がいらっしゃるとしたら、私と同じように信頼できる師を見つけて、自分の問題を解決することを強く勧めたい。

自分だけの内省だけだと必ず限界がある。

そして、誤魔化すか、思い上がる。

それどころか、あなた自身が救われた経験を持てば、誰かを支援するときにきっと役に立つと思う。

現在、専門学校や大学、大学院で行われている対人援助職の教育が、表面的な知識と技術の伝達に留まり、個人が徹底して自分自身を見つめるトレーニングが行われてないことを私は憂えている。

私も大学病院の外に師を探した。

あなたにもきっとできるはずと信ずる。

2017(平成29)年8月3日(木)『三度目』

今日は研修で、三度目のいわき訪問である。

朝5時起床でひたち1号乗車はしんどいが、気合いは十分である。

やるときはやる

やらないときはやらない

が、我が信条。

半身はありえない。

今回も準備できることは準備したし、

伝えられることは伝えた。

後は、あなたまかせの夏の暮、である。

種蒔きしたら祈るのみ。

改めて参加者一人ひとりの顔が浮かぶ。

涙が浮かぶ。

まかせたぞー!

そして帰宅したら午後11時過ぎ。

歩き方がアホの坂田師匠になっている。

んー。まだ長時間乗車は腰に来るなぁ。

こういうこともまた明日への教訓なのであった。

2017(平成29)年7月26日(水)『バックヤードの真実』

少なくとも私が信じる精神療法においては、サイコセラピストのパーソナリティが全てである。

知識と技術、演技と操作で行われる精神療法というものがあるとは、どうしても思えない。

よって、私がセラピストの力量を判断するひとつの目安は、

診察室ではなく医局でのその人の言動を観ることである。

偽善者や詐欺師、裏表のある人間はそこでわかる。

さらに決定的な判断材料は、その人のプライベートでの言動を観ることである。

そこでは何も構えていないその人が出やすい。

診察室、医局、プライベートという三つの場面での言動の一致率が高いほど、その人間を信頼できると私は思っている。

(稀に診察室、医局、プライベート場面どこでも一貫して馬鹿野郎という例外もあるが)

私が近藤先生を師と選んだのも、いくら親しく接するようになっても、いつでもどこでも近藤章久としてブレなかったからである。

但し、唯一の例外は、目の前にいる人間のもう一歩の成長のために“方便”が行われることがあった。

しかし、その際の師の言動はいつも“愛”に裏打ちされており、「なんでそう言ったのかわからんのだよなぁ。」という個人のはからいを超えた“催し”によって行われていた。

まずいつでもどこでものパーソナリティの一致。

そしてその上での“愛”に裏打ちされた、はからいのない臨機応変・自由自在の言動。

それが本物の精神療法の世界であると私は信じている。

2017(平成29)年7月24日(月)『あなたはホーナイを知っていますか?』

時に「私もホーナイを知っている」と称する人から連絡が来ることがある。

内容によれば、ホーナイについて講義したり、中には「ホーナイの考えに基づいて」セラピーも行っているという。

自己責任でやるのは自由であるが、難しいんじゃないかな、と私は思っている。

ホーナイの著作をちゃんと読めばわかるように、ホーナイの境地を「体得」しなければ、ホーナイの真意がわかるはずはないし、講義やセラピーを行えるわけがないのである。

ただの表面的受け売り知識で、「ホーナイを知っている」「ホーナイをわかっている」と言うこと自体に、その人間の未解決の神経症的問題が臭う。

そういう初歩的な神経症的問題も解決していないのに「ホーナイをわかる」わけがないのである。

正確には「ホーナイを読んだことがある。」と言った方が良い。

その上で、もし志のある人ならば、「ホーナイの真意を体得するまで勉強中です。」と付け加えるのが、人間として誠実であろう。

わかっていないことを認められる人間

そしてその上で成長して行こうとする人間とは

話ができるような気がする。

2017(平成29)年7月18日(火)『俗見』

身長は何センチですか?

体重は何キロですか?

バストは何カップですか?

ウエストは何センチですか?

出身校はどこですか?

お仕事は何ですか?

役職は何ですか?

年収はいくらですか?

貯金はいくらありますか?

お住まいはどちらですか?

その服は/バッグはどこのブランドですか?

お持ちの車は何ですか?

彼/ご主人(彼女/奥さん)のお仕事は何ですか?

お子さんは何人ですか?

お子さんの通っている学校は…

 

 

バッカじゃないかと思う。

情けなさの自覚、あります?

ちょっとやそっとじゃなくって、死ぬほどイヤになってます?

そうなってからが、八雲の出番です。

2017(平成29)年7月13日(木)『人と人との力』

薬物療法と診察室の中の精神療法だけでは、治療の不十分さを感じていた患者さんに

訪問支援が入ることで、

慢性化していたうつ病が軽快したり、

認知症の進行が止まったり、

統合失調症の病識が改善したり、

双極性感情障害(躁うつ病)の躁転が予防されたりすることがある。

処方も変えてない、精神療法も変わっていないんだけれど、

訪問が始まっただけで、人と人との力だけで、こういうことが起こることがあるのである。

敢えて環境・社会療法ということもできるんだろうけど

やっぱり人と人との力という方がしっくり来る。

何故なら、訪問にもいろいろあって、どの訪問でもそういう変化が起こるわけではない。

志を持って訪問を行っているスタッフにおいてのみ、こういうことが起こるのである。

やっぱり人の力だ。

精神保健福祉士の方、看護師(保健師)の方で、自分ならではの当事者支援を志向している方には、人間にはこういう力があるのだということを是非知っておいていただきたいと思う。

2017(平成29)年7月1日(土)『用賀移転初日』

仏教の精神分析として、唯識仏教が有名である。

概説すると、清水寺や興福寺、薬師寺などの宗派である“法相宗”において、

その理論面が“唯識”という仏教の精神分析であり、

その実践面が瑜伽(ゆが)、皆さん、ご存知のヨガなのである(ちなみに、ヨガの歴史は仏教よりも古く、ヨガが仏教に取り入れられた)。

ヨガで体験したことを唯識で整理する。

唯識で学んだことをヨガによって体得する。

その両方が必要であり、この両輪の体系は非常によくできていると思う。

そして、今回たまたま移転した地名の「用賀」は、このヨガに由来しているという“都市伝説”がある。

元々当地に仏教の修行道場があり、その後身が現在の真福寺=瑜伽(ゆが)山真如院であるというのだ。

よって、用賀駅近辺で行われたヨガ企画のキャッチコピーとして

「用賀でヨガ」

というのを見たことがある。

ベタであるが、単なる駄洒落ではなかったようだ。

そして、そういう精神的伝統のある場所に移転できたということも良かったんじゃないかと思っている。

今日からいよいよ用賀での八雲総合研究所がスタートした。

場所が変わろうと、私の果たすべき役割は永遠に変わらない。

既に通われている方々、そしてまだ見ぬ逢うべき方たちよ、

新たな場、用賀に話しにいらっしゃい。

2017(平成29)年6月30日(金)『さようなら』

三十歳からの十年間、毎週八雲に通った。

次の週まで生き延びるためには、近藤先生に逢うことが必要だった。

文字通り、近藤先生に救われた。

 

近藤先生亡き後、四十歳からの十八年間、八雲でセラピーを行った。

それでもまだ邸内に残る近藤先生の気に助けられながら、セラピーを行って来た気がする。

 

そして八雲を去る最終週だけ、近藤先生がセラピーに使っておられた部屋で、近藤先生が使っておられた椅子に座り、セラピーを行った。

 

最後のセラピーを終え、二十八年間通って来た八雲から、八雲総合研究所の名前だけを戴いてお別れである。

 

振り返れば思い出は尽きない。

しかし、私にはまだ役目がある。

さらなる成長に向かって歩いて行くのみだ。

 

最後の門を締め

しばし瞑目合掌礼拝す。

 

ありがとうございました。

 

さようなら。

2017(平成29)年6月29日(木)『八雲移転顛末記』

過日、近藤先生の奥さまの納骨が所縁(ゆかり)の地、牛久で恙(つつが)なく行われた。

八雲の御宅から無事に奥さまの御骨を送り出し、これでようやく近藤先生との約束も完結した。

さぁ、八雲総合研究所の移転だ。 

(1)まず移転先地域を決める

当初は、歌舞伎町雑居ビルでも新橋ガード下でも面白いと思っていたが、長期的展望を考え、世田谷区が至適と決断。

(2)物件を探し始める

まず時期的に春の繁忙期を過ぎ、物件自体が少ないことに気づく。

大体、梅雨の時期に物件を探して引っ越す人が少ないそうだ。

(3)事務所物件

(居住物件でない)事務所物件がさらに少ないことに気づく。

しかも住宅地である世田谷区は一層少ない。

(4)オーナー意向

そして数少ない事務所使用可の物件があったとしても、オーナーさんによってさまざまな使用条件があることを知る。

そうなんだ。

(5)間取り

また待合室を含めて二間以上が希望だったのだが、これがまたない。

あっても店舗じゃないんだよなぁ。

そしてあの大型ソファ2つが搬入できる物件となると、さらにない。 

(6)方針決定

だったら今回は、ワンルーム物件で文字通りワンマン・プラクティスをやる、

大型ソファ搬入もやめ、部屋づくりのイメージを一新する、

と肚(はら)を括(くく)る。 

(7)そして縁は巡り

探しに探して、最後に絞(しぼ)り込まれたのが2件。

1件は、エントランス、階段、玄関までがちょっと恐い(すいません)物件。

部屋の中はまずまず。

しかし周囲の環境が抜群に良い。

あの松陰神社まで30mなのだ! 

これは良い!とほぼ決めかけて、松陰神社でお参りしておみくじを引く。

これがまた最高の内容で気持ちはさらに盛り上がるが、「転居」の欄に、あまりいそがない方がよい、とある。 

え?

と思った答えは翌日にあった。

それが最後の物件。

これがなんと今回調べた全ての物件の中で一番良かったのである。

そういうこともあるんだなぁ。

流石、松陰先生! 

(8)決定および移転

そして入居申込をして、無事に契約を終え、直前に決めた引越業者も完璧にやってくれ、怪しい天気予報にかかわらず雨も降らず、本当に守られてるなぁ、と感じた今日一日であった。

それにしても、あぁぁぁぁ、移転に走り出してから本当に怒濤の日々であった。

皆さん、ご心配をおかけしました。

いよいよ7月1日(土)から新しい八雲総合研究所の始まりです。

(そしてその前に、明日6月30日(金)が八雲で最後の面談となる)

2017(平成29)年6月19日(月)『満行』

ある日、ふと思い立って

一日百回の丹田呼吸を百日やってみる

という行を始めてみた。

合計一万回の丹田呼吸である。

実は、春の緑風苑ワークショップの際も、その最中であった。

それが先日満行した。

一日百回というのは

思ったよりも簡単で

思ったよりも難しかった。

まず立っても座っても横になっても歩きながらでも

丹田呼吸ができるようになってしまえば

あらゆる場面を活用でき

一日百回というのは思ったほど大変ではなかった。

しかし、納得のいく一回

というのが毎回できるわけではない。

一日百回といっても

いい加減な呼吸になってしまったら何万回やっても意味がないので

あ、今のはダメだ

と感じてはやり直しているうちに

結局毎日百五十回くらいはやることになった。

以前、拙誌に『導かれて』という題で丹田呼吸のことを書いた。

今回一万回やってみて、あれでは全然浅いな、と感じて記事を消去した。

それくらい続けてみても、まだまだ完全に途上なのである。

変化していく伸びしろを果てしなく感じる。

一日百回の丹田呼吸を続けることで

日常生活における変化も確かにいろいろ顕(あらわ)れて来たが

それくらいでは絶対的に物足りない。

で、満行の後、どうするか。

さらに丁寧な丹田呼吸を一日三十回続けてみることにした。

今度は感覚の深さにこだわってみる。

こうして自ら身を挺して

体験による体得を重ねて行くことが

八雲の伝統である。

2017(平成29)年6月8日(木)『汝自身を知れ』

統合失調症や自閉スペクトラム症の人が

自分がいかに空気を読めない発言をしているか気づかなくて

人間関係で失敗する。

循環気質(躁うつ病の病前性格)や自己愛性パーソナリティ障害の人が

自分がどれだけ上から目線でエラソーにしゃべっているかに気づかなくて

人間関係で失敗する。

障害のせいでできないことはできないわけであるが

私は必ずしもそれが人間関係で失敗する原因だとは思っていない。

自分の抱えている精神障害ときちんと向き合って

その特性を把握することに努め、成長しようとしている

統合失調症や自閉スペクトラム症や循環気質や自己愛性パーソナリティ障害の人たちは

人間関係でしくじることが格段に少ない。

何故なら、まわりの人間に

「ぼくは(わたしは)こういう言動をするかもしれませんが、気がつかないでやっているので、気がついたときには教えて下さいね。」

などと言えるのである。

そして修正できる。

そう。

人間関係をしくじるか否かは、

機能的な障害そのもによるのではなく、

自分の特性を知らない・認めないこと、

そして成長しようとしないことによるのである。

近藤先生の奥さまは

95歳を超えられてから、ときどき記憶間違いが起こるようになった。

私に「松田先生、あの件はどうなりました?」と訊かれ

私が「それは私ではありませんね。」とお答えすると

ニコッと笑って

「あら、やだ。認知症かしら?」

と平然とおっしゃる。

流石だと思った。

自らの機能の衰えをご存知で、認めておられるのである。

こうなれない高齢者が、相手を疑い、攻撃するようになる。

もう一度書いておく。

人間関係をしくじるか否かは、

機能的な障害そのもによるのではなく、

自分の特性を知らない・認めないこと

そして成長しようとしないことによるのである。

己を知って成長するべし。

2017(平成29)年6月4日(日)『ワンマン・プラクティス』

近藤先生の奥様が、ニューヨーク時代の話を聞かせて下さった中に、

「有名な精神分析家でも、廊下からいきなり診察室に入るようなオフィスで、たった一人でされてるのには驚きましたわ。」

という話があった。

そう。

全ての精神分析家がそういうわけではないが、

一人開業=ワンマン・プラクティスは、精神分析家の伝統的なスタイルの一つなのである。

私が八雲で一人でやっているのを見て、時に驚く方がいらっしゃったが、それは上記のような伝統があるからである。

確かに、秘書さんを置こうかな、と思ったこともないではないが、どう考えても、やってもらう仕事がない。

ということでずっと一人でやっている。

そしてさらに、一人でやるだけでなく、待合室もなく一室で、ワンルームでやるというのも(八雲にも待合室があったし、全ての精神分析家がそういうわけではないが)、精神分析家の伝統的なワンマン・プラクティスのスタイルである。

それはきっと、契約意識が強く、時間にパンクチュアルな欧米人だからこそ成り立って来た伝統であろう。

みんなが時間ピッタリにやって来て、どんなに話が佳境に入ろうとも時間ピッタリに切り上げて帰られるから、待合室がいらないわけである。

昔は難しかったかもしれないが、今の日本でも、そのスタイルでやっておられるセラピスト(特にフロイト派の精神分析家)は意外に多くいらっしゃる。

いずれにせよ、古今東西を問わず、その一匹狼的な雰囲気は、サイコセラピストという仕事には合っているのではないかと私は思っている。

2017(平成29)年5月15日(月)『約束』

18年前、近藤先生に呼ばれた私と家内は、病院のベッドに仰臥される先生の傍らに座っていた。

あれこれお話した後、先生がおもむろに話し出された。

自分なき後、家内のことが心配なので、近藤宅で開業してくれないか、と。

そして、当時私が自分の開業を考えていることを察しておられた先生は

そのうちに立派に開業してくれればいいから、と付け加えられた。

この「立派に」という言葉が私の胸に響いた。

後の心配を託しながら、それが私の足枷にならぬかを案じておられたのである。

私は即座に答えた。

奥さまがお元気な間は、先生の御宅でやらせていただきます。

すると先生はバッと身を起こし、私の両手を握って

ありがとう

と言われた。

18年間、今も忘れられない光景である。

以上は、同席していた近藤家のNさんが証人である。

 

そして現実には、多くの方々が私なんぞより遥かに近藤家に尽力して下さり、今日がある。

 

それにしても、八雲での開業後、山あり谷あり、たくさんのことがあった。

しかし何があっても男と男の約束。

死んでも破れないものがある。

 

そして、奥さまが逝去された。

奥さまとの思い出も尽きないが、葬儀も終わり、ふと夜空を見上げて

先生、約束を果たしましたよ、

という思いが溢れた。

 

現在の面談室や勉強会を行う部屋(=待合室としても使用)は、かつて先生がセラピーを行われた場所である。

ご存知の方はご存知のように、場に何とも言えない力がある。

それは何ものにも換え難い、有り難いものがあるが、今回ひとつの転帰がやって来たと思っている。

まだ奥さまのご遺志は開示されていないが、現時点での私の気持ちとしては、早いうちに新たな事務所を探して移ることを考えている。

そう私に考えさせるものが働いている。

新たな運命が動き始めているのを感じる。

2017(平成29)年5月3日(水)『きみちゃん』

先日、久しぶりに学生時代に住んでいた元麻布周辺を散策した。

広尾駅から麻布十番駅までの道のり。

明治屋

National Azabu Supermarket

有栖川宮記念公園

愛育クリニック(旧愛育病院)

数々の大使館

きりん屋(カレー)

総本家更科堀井本店(そば)

豆源

などなど

すべてが懐かしかった。

見上げれば六本木ヒルズ。

私が住んでいた頃はまだなかったぞ。

なかったと言えば、麻布十番商店街に小さな女の子の像があった。

きみちゃん.jpg

これも私が転居した後に設置されたらしい。

題を見ると『きみちゃん』。

童謡『赤い靴』のモデルになった岩崎きみちゃんの像だという。


 赤い靴 はいてた 女の子

 異人さんに つれられて 行っちゃった

 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って

 異人さんに つれられて 行っちゃった

 今では 青い目に なっちゃって

 異人さんの お国に いるんだろう

 赤い靴 見るたび 考える

 異人さんに 逢うたび 考える

 

これだけでも哀しい歌だが

現実はさらに哀しいものであった。

きみちゃんは3歳でアメリカ人宣教師の養女になったが、その後、結核に罹(かか)ってしまい、アメリカに渡ることなく麻布の教会の孤児院(現在の児童養護施設)へ。

きみちゃんの実母は、最後まで娘がアメリカに行ったと信じ、その話を聞いた作詞家・野口雨情が上記の詞を書いた。

しかしきみちゃんは孤児院で9歳の生涯を閉じる。

きみちゃんの像の足元にユニセフの募金箱があった。

募金の累計は既に1200万円を超えたという。

 

最後はちょっと切なくなって麻布を後にした。

2017(平成29)年4月21日(金)『蹴り』

ある嗜癖をやめられない女性が

この日誌を読んで

へらへら笑いながら

「こんな私も丸ごと抱きしめて下さいよ。」

と言って来た。

即座にその顔面に蹴りを入れて宇宙の果てまでぶっ飛ばしてやりたい衝動に駆られた。

万人の存在の核にある光の珠を丸ごと抱きしめるのはお安い御用だが

そのまわりに着いたうんこを抱きしめるのは御免(ごめん)蒙(こうむ)る。

そういうときは、光が出やすくなるように、うんこを斬って捨ててあげるのが親切である。

(念のために付け加えておくが、彼女のうんこは「嗜癖」ではない、「へらへら笑いながら」というところである。真剣に嗜癖と闘っている人はたくさんいらっしゃる)

それで私がちょっと厳しめに言うと

彼女はあっという間にいなくなってしまった。

八雲の要件

「情けなさの自覚」と「成長の意欲」

いつもそこに戻る。

 

 

 

追伸

ちなみに真剣に嗜癖と闘おうという方には、医療機関の専門外来と特に自助グループを強くお勧めする。

2017(平成29)年4月13日(木)『自分なんかのために』

24歳のA君が初デートに行って来た。

幼い頃に両親が離婚し

アルコール依存症の父親に殴られながら育った彼は

非常に自己評価の低い人間になっていた。

その彼が

自分自身の過去の「呪われた歴史」(彼の言葉)と決別することを決意し

勇気を振り絞って八雲にやって来たのが1年前。

そして先日

片想いだった彼女に

「死ぬほどの覚悟」(彼の言葉)でデートを申し込み

なんとOKをもらったのであった。

皆さん、想像できますか?

自己評価の低い人間が

断られたらこころが粉々に砕けそうなリスクを超えて

デートを申し込むときの恐怖と不安が。

そしてデート後に

八雲にやって来た彼の顔は

デレデレに溶けそうであった。

聴いてみると

二人で映画を観に行って

お茶して帰っただけのデートであったが

彼は泣き出しそうな顔で私に言った。

「先生

わかりますか?

彼女が

あの彼女が

自分なんかのために

お洒落をして

お化粧をして

来てくれたんですっ。」

 

わかった。

それ以上言うな。

思わず私は彼と握手していた。

これからこの恋愛がうまく行くかどうかなんてことはわかりゃしない。

しかし彼が一歩を踏み出せたことが私にはこの上なく嬉しかった。

少なくともそれだけ彼の自己評価は上がったんだもの。

進め、青年!

その調子だ!

但し、二度と

「自分なんかのために」

と言うなよ。

「自分のために」

で十分だ。

2017(平成29)年3月30日(木)『リスカⅡ』

「リストカットの痕(あと)、ザックザクでも、バイトできるかなぁ。」

二十歳のその娘は言った。

かつての精神科外来での話である。

「全く問題ない。

そんなんで四の五の言うようなところだったら働いてあげる必要はないよ。」

と私が答えると

「そっかぁ。」

ちょっと俯(うつむ)きながらそう言った彼女が、次の外来に来たとき、キラキラした眼つきになっていた。

「この間の診察のあと、隣に座ってた子と話したんだけどさ。

その子の手首もザックザクなんだけど、バイトしてるんだって!」

その子の主治医も私だった。

守秘義務があるので私の方から教えるわけにはいかないが

こうした“先輩”との出逢いは、百万言よりも威力を発揮することがある。

過去の傷が

負い目になるか

勲章になるかは

本人が本来の自分をどれだけ取り戻したかによって決まる。

少なくともこの“先輩”の手首の傷は

“後輩”を勇気づけるものとなった。

「いつか君も誰かの“先輩”になれるといいね。」

そう言うと

その春一番の笑顔になった。

2017(平成29)年2月27日(月)『こころの荒(すさ)み』

幕末維新や第二次世界大戦に関わった人たちの記録を読んだとき、そこに共通の証言があることに気がついた。

それは、さまざまな事情・理由から相手(敵方)を殺害したことのある人間の言葉である。

必ずこころが荒(すさ)む、と書いてある。

殺した相手の顔が見えるほど荒む。

殺した相手の人数が増えるほど荒む。

読んでいて、やはり人間は人間を殺すようにできていないんだな、と改めて思った。

過日、オバマ前アメリカ大統領が退任間近の演説で 〜 個人的には比較的好きな大統領なのだが 〜 ウサマ・ビン・ラディン殺害について誇らしげに語る場面があった。

違和感が走った。

たとえ殺害を正当化するだけの理由があったにしても、人が人を殺すことに、どこかこころの痛み、哀しみを感じてほしいと思った。

親鸞の言う通り、殺そうと思わなくても、いや、助けようとしても、誰かを殺(あや)めてしまう可能性さえ、われわれは常に持っているのである。

そしてその荒みから救われるために人は祈るようになるのであった。

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八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。