2017(平成29)年12月13日(水)『人恋しさ』

あるイギリス人の知人は、日本での初めての正月を一人で過ごすのが寂しくて、大晦日から浅草寺に繰り出したという。

見知らぬ日本人たちと“Happy New Year!”と言ってハイタッチしているうちに、寂しさを紛らわせることができたと言っていた。

確かに、人間、人恋しくて寂しいときもある。

しかし、だからといって、大切なことを共有できない人間とは親密な関係を持たない方が良い。

学校で寂しくて。

職場で寂しくて。

プライベートで寂しくて。

大切なことを共有できない相手と過ごしている人がいる。

中にはそれで結婚する人もいる。

それでどんな交友関係になった?

どんな人間関係になった?

どんな恋人関係になった?

どんな夫婦関係になった?

余計寂しい失敗例の話を聴くのはもうたくさんである。

寂しくて人を求めるのは良い。

但し、ホンモノ以外は求めるな。

大切なことを共有できる人だけに絞れ。

見つからなければ、見つかるまで一人でいる勁さを持て。

それが無理なら、せめて先のイギリス人のように、薄く広く毒のない交流に留めよ。

「人恋しさ」の「人」は誰でも良いわけではないことを忘れないように。

2017(平成29)年12月6日(水)『帰る道 〜 助けて下さい』

今度はあなたが誰かの力になろうとするときの話。

ここでもまた気づかれるだろう。

我々が他者に注ぎ込むことのできるエネルギーや愛情の容量の小ささを。

ちょっと余裕があるとき、我々は寛大で愛情いっぱいであるかのように振る舞う。

しかし、ちょっと躓(つまづ)くことがあったり、ちょっと事態が長引いたりすると、我々のエネルギーや愛情は簡単になくなってしまう。

そして「面倒くせぇなぁ。こいつなんかどうなってもいいや。」と思ってしまうのが、我々の常である。

容量、ちっちゃいよね。

だからこそ、ここでもまた、我々を超えたものの働きにお願いする必要がある。

我々を超えたものからエネルギーと愛情をいただく。

そしてそのエネルギーと愛情が、我々を通して、相手に注がれる。

そうでないと、薄情で自己中心的な我々が、誰かを愛し続けるなんてできるわけがないよね。

「愛する」ものは「我(われ)」にあらず、ただ「我らを超えたもの」のみ。

だからまた祈ることにしよう。

己(おのれ)を空(むな)しゅうして、我(が)を空しゅうして、祈る。

そうすると広大無辺な愛が通ることがあるんだよ、本当に。

2017(平成29)年12月5(火)『行く道 〜 持って行って下さい』

ある女性。

自分に対してひどく当たって来た母親は疾(と)うに認知症になってしまい、入所を拒否して自宅介護。

DV夫とは離婚し、シングルマザーとして働いている。

中学生の息子は、不登校で引きこもり。

そして今回、自身に乳癌が見つかった。

もう死んでしまいたいような気持ちになった。

周囲を見れば、そういうような状況になっても、平気そうにしている人もいる。

しかし、その多くは感覚麻痺を使って感じないようにしているだけで、苦悩は確実に心の底に澱(おり)のようにたまっている。

つくづく思う。

我々が苦悩を抱えられる容量はそんなに大きくない。

だから自分で抱えない方が良い。

信頼できる人とつながって話し、苦悩を軽減することも、もちろんお勧めだけれど、

私は人間を超えたものに全部持って行ってもらう、抱えてもらうのが一番良いと思っている。

我々の仕事でも、患者さんの凄まじい被虐待体験、犯罪被害体験、被災体験などの心的外傷(トラウマ)体験を聴いているうちに、“二次受傷”を生じることがある。

そんなときも自分の小さな容量の中に抱えようとするから潰れて行くのである。

かと言って、感覚麻痺を使って聞いていては、患者さんの苦悩は感じ取れないし、役にも立てない。

ちゃんと感じて潰れないためには、やはり人間を超えたものに持って行ってもらう、抱えてもらう必要があるのだ。

だから祈る。

己(おのれ)を空(むな)しゅうして、我(が)を空しゅうして、祈るのである。

そうすると何事が起きても、なんとかなるんだよ、本当に。

2017(平成29)年11月22日(水)『祈る 祈る 祈る』

「助けて下さい。」と言う。

「助けてあげたい。」と思う。

しかし、最初からどうしても縁がつながらない場合がある。

また、一度切れた縁がどうしてももうつながらない場合がある。

つまり、人間の思惑を超えて、私の出番ではない、のである。

近藤先生と話したことがある。

どうにかしてあげたいと思っても、それが自分の役割でないと知るとき、とてもきついですね。

近藤先生は目を閉じて、ゆっくりと頷(うなづ)かれた。

そこで私は「じゃあ、そういうときはどうしたら良いんですか?」とは訊かなかった。

何故なら、もう答えを知っていたから。

 

祈る 祈る 祈る。

 

何もできないけれど、今日もこうして祈っている。

2017(平成29)年10月14日(土)『ある日の会話』

「世の中、あたまのおかしい人ばっかりじゃないですか!」

と職場で苦しんでいる女性が言った。

『そうだよ。』

と私が言うと、彼女は拍子抜けした顔をしている。

『今、気づいたの?

 世の中、まともな人はほんの僅かだよ。』

「その頭のおかしな人たちが私にああしろこうしろって毎日言って来るんです!」

『自覚のない馬鹿(失礼)なんだからしょうがないじゃない。』

「それが上司だったり先輩だったりするんですよ!」

『じゃあ、魂売って合わせる?』

「イヤですよ!そんなの!」

『じゃあ、そこを辞めるか、勁くなるしかないね。』

「んー。」

と彼女は鼻息荒く黙ってしまった。

鈍感な人は幸せである。

彼ら彼女らは悩まない。

魂の売れる人は幸せである。

彼ら彼女らは悩まない。

だけど、そんなニセモノの幸せはいらないよね。

そして敏感で魂の売れない人たちはこの世の中で苦しむことになる、マトモであるが故に。

そんな人たちにホンモノの幸せを味わってもらうために

彼ら彼女らが勁くなるお手伝いをすることが私の大切な仕事なんです、はい。

2017(平成29)年10月3日(火)『生まれつき』

Aさんは中堅のナースである。

普段どんな私服を着ていても、それが白衣に見えて来る。

生まれついてのナースである。

そんな人がいる。

 

B先生はヴェテランの福祉を教える先生である。

どこでどんな格好をしていても、ネクタイスーツ姿に背景の黒板(またはホワイトボード)が見えて来る。

生まれついての先生である。

そんな人がいる。

 

Cさんは魚屋さんにしてサーファーである。

しかし、どんなにかっこいいサーフボードを抱えてビーチを歩いていても、頭に巻いた白いタオルと前掛け姿が見えて来る。

生まれついての魚屋である。

そんな人がいる。

 

こういう人たちを見ていると、やっぱり天職ってあるんじゃないかと思う。

2017(平成29)年9月29日(金)『ちいさなおうち』

縁あってある高齢者の御宅にお邪魔する機会があった。

幹線道路に面し、20坪もない土地に建てられたその家の

バリアフリーを完備し、冷暖房をほとんど使わず快適な環境、静かかつ明るくて、とにかく広く感じるのに驚いた。

住まいって、工夫次第でこんなに快適になるのか。

以前から、年を取るほど小さく住んで、面談スペース付きの待庵や五合庵のようなところに住むのが理想と思って来たが、

ひょっとしたら現代の都会の中の五合庵は有り得るな、と思った。

じいさんになって小さな五合庵で行う面談。

そしてそこで生きて死んで行くのも悪くないな

と本気で思ったのでありました。

2017(平成29)年9月4日(月)『見たな』

あるとき、ふと思い立ち、敬愛するアホの坂田師匠の歩き方を練習していたら、家人が入って来た。

今さらやめるわけにはいかんな。

 

若い主婦のAさんは皿洗いをしていると、たまっていた感情が溢れ出し、「ばかやろう。」「死んじまえ。」と結構大きな声で呟(つぶや)いていたら、姑が後ろに立っていた。

今さらやめるわけにはいかんな。

 

中年男性のBさんは、洗面所で鏡に映る自分の顔をジョージ・クルーニーに見立てて、目を細めたりしながら決め顔を作っていたら、後ろに娘が立っていた。

今さらやめるわけにはいかんな。

 

年配女性のCさんは、掃除機をガーガーかけながら、ブルゾンちえみの「地球上に男は何人いると思っているの? 35億 …あと5000万」のセリフをそこそこ気持ちを入れて言っていたら 息子が学校から帰って来ていた。

今さらやめるわけにはいかんな。 

 

今さら隠したって、それもまた自分なんだからさ、出したって良いんじゃないかな。

私の知る限り、人間って元々かなり可笑(おか)しい生物なのだと思う。

2017(平成29)年9月2日(土)『外道』

虚栄心の強い両親に育てられた少年は

一所懸命に勉強したが

思ったほど成績は上がらなかった。

それが受け入れられなかった少年は

やがて不登校になり

見栄っ張りな親は

無理矢理息子を留学させた。

それで行ける大学だから

それもまた世俗的に大したところではなかった。

帰国してから

語学ができるということで

運よく外資系の会社に就職できた。

虚業を絵に描いたような会社だったが

給与だけは高額であった。

それで彼に埋め込まれた虚栄心が再び刺激された。

学歴のコンプレックスを金で補おうとしたのである。

そして

高そうな時計を買い

目立ちそうな車に乗り

見栄えのするマンションに住んだ。

結局のところ

偏差値の高い大学に行ってすごいねと言われたかった頃と同じく

他者評価の奴隷は変わっていなかったのである。

彼に情けなさの自覚が来るのは一体いつだろうか。

そういう息子を心密かに自慢する彼の両親に情けなさの自覚が来るのはいつだろうか。

人生はそんなに長くない。

踏み外した道に気づくのは、一日でも早い方が良いんだけどなぁ。

2017(平成29)年7月26日(水)『バックヤードの真実』

少なくとも私が信じる精神療法においては、サイコセラピストのパーソナリティが全てである。

知識と技術、演技と操作で行われる精神療法というものがあるとは、どうしても思えない。

よって、私がセラピストの力量を判断するひとつの目安は、

診察室ではなく医局でのその人の言動を観ることである。

偽善者や詐欺師、裏表のある人間はそこでわかる。

さらに決定的な判断材料は、その人のプライベートでの言動を観ることである。

そこでは何も構えていないその人が出やすい。

診察室、医局、プライベートという三つの場面での言動の一致率が高いほど、その人間を信頼できると私は思っている。

(稀に診察室、医局、プライベート場面どこでも一貫して馬鹿野郎という例外もあるが)

私が近藤先生を師と選んだのも、いくら親しく接するようになっても、いつでもどこでも近藤章久としてブレなかったからである。

但し、唯一の例外は、目の前にいる人間のもう一歩の成長のために“方便”が行われることがあった。

しかし、その際の師の言動はいつも“愛”に裏打ちされており、「なんでそう言ったのかわからんのだよなぁ。」という個人のはからいを超えた“催し”によって行われていた。

まずいつでもどこでものパーソナリティの一致。

そしてその上での“愛”に裏打ちされた、はからいのない臨機応変・自由自在の言動。

それが本物の精神療法の世界であると私は信じている。

2017(平成29)年7月24日(月)『あなたはホーナイを知っていますか?』

時に「私もホーナイを知っている」と称する人から連絡が来ることがある。

内容によれば、ホーナイについて講義したり、中には「ホーナイの考えに基づいて」セラピーも行っているという。

自己責任でやるのは自由であるが、難しいんじゃないかな、と私は思っている。

ホーナイの著作をちゃんと読めばわかるように、ホーナイの境地を「体得」しなければ、ホーナイの真意がわかるはずはないし、講義やセラピーを行えるわけがないのである。

ただの表面的受け売り知識で、「ホーナイを知っている」「ホーナイをわかっている」と言うこと自体に、その人間の未解決の神経症的問題が臭う。

そういう初歩的な神経症的問題も解決していないのに「ホーナイをわかる」わけがないのである。

正確には「ホーナイを読んだことがある。」と言った方が良い。

その上で、もし志のある人ならば、「ホーナイの真意を体得するまで勉強中です。」と付け加えるのが、人間として誠実であろう。

わかっていないことを認められる人間

そしてその上で成長して行こうとする人間とは

話ができるような気がする。

2017(平成29)年7月18日(火)『俗見』

身長は何センチですか?

体重は何キロですか?

バストは何カップですか?

ウエストは何センチですか?

出身校はどこですか?

お仕事は何ですか?

役職は何ですか?

年収はいくらですか?

貯金はいくらありますか?

お住まいはどちらですか?

その服は/バッグはどこのブランドですか?

お持ちの車は何ですか?

彼/ご主人(彼女/奥さん)のお仕事は何ですか?

お子さんは何人ですか?

お子さんの通っている学校は…

 

 

バッカじゃないかと思う。

情けなさの自覚、あります?

ちょっとやそっとじゃなくって、死ぬほどイヤになってます?

そうなってからが、八雲の出番です。

2017(平成29)年7月13日(木)『人と人との力』

薬物療法と診察室の中の精神療法だけでは、治療の不十分さを感じていた患者さんに

訪問支援が入ることで、

慢性化していたうつ病が軽快したり、

認知症の進行が止まったり、

統合失調症の病識が改善したり、

双極性感情障害(躁うつ病)の躁転が予防されたりすることがある。

処方も変えてない、精神療法も変わっていないんだけれど、

訪問が始まっただけで、人と人との力だけで、こういうことが起こることがあるのである。

敢えて環境・社会療法ということもできるんだろうけど

やっぱり人と人との力という方がしっくり来る。

何故なら、訪問にもいろいろあって、どの訪問でもそういう変化が起こるわけではない。

志を持って訪問を行っているスタッフにおいてのみ、こういうことが起こるのである。

やっぱり人の力だ。

精神保健福祉士の方、看護師(保健師)の方で、自分ならではの当事者支援を志向している方には、人間にはこういう力があるのだということを是非知っておいていただきたいと思う。

2017(平成29)年7月1日(土)『用賀移転初日』

仏教の精神分析として、唯識仏教が有名である。

概説すると、清水寺や興福寺、薬師寺などの宗派である“法相宗”において、

その理論面が“唯識”という仏教の精神分析であり、

その実践面が瑜伽(ゆが)、皆さん、ご存知のヨガなのである(ちなみに、ヨガの歴史は仏教よりも古く、ヨガが仏教に取り入れられた)。

ヨガで体験したことを唯識で整理する。

唯識で学んだことをヨガによって体得する。

その両方が必要であり、この両輪の体系は非常によくできていると思う。

そして、今回たまたま移転した地名の「用賀」は、このヨガに由来しているという“都市伝説”がある。

元々当地に仏教の修行道場があり、その後身が現在の真福寺=瑜伽(ゆが)山真如院であるというのだ。

よって、用賀駅近辺で行われたヨガ企画のキャッチコピーとして

「用賀でヨガ」

というのを見たことがある。

ベタであるが、単なる駄洒落ではなかったようだ。

そして、そういう精神的伝統のある場所に移転できたということも良かったんじゃないかと思っている。

今日からいよいよ用賀での八雲総合研究所がスタートした。

場所が変わろうと、私の果たすべき役割は永遠に変わらない。

既に通われている方々、そしてまだ見ぬ逢うべき方たちよ、

新たな場、用賀に話しにいらっしゃい。

2017(平成29)年6月30日(金)『さようなら』

三十歳からの十年間、毎週八雲に通った。

次の週まで生き延びるためには、近藤先生に逢うことが必要だった。

文字通り、近藤先生に救われた。

 

近藤先生亡き後、四十歳からの十八年間、八雲でセラピーを行った。

それでもまだ邸内に残る近藤先生の気に助けられながら、セラピーを行って来た気がする。

 

そして八雲を去る最終週だけ、近藤先生がセラピーに使っておられた部屋で、近藤先生が使っておられた椅子に座り、セラピーを行った。

 

最後のセラピーを終え、二十八年間通って来た八雲から、八雲総合研究所の名前だけを戴いてお別れである。

 

振り返れば思い出は尽きない。

しかし、私にはまだ役目がある。

さらなる成長に向かって歩いて行くのみだ。

 

最後の門を締め

しばし瞑目合掌礼拝す。

 

ありがとうございました。

 

さようなら。

2017(平成29)年6月29日(木)『八雲移転顛末記』

過日、近藤先生の奥さまの納骨が所縁(ゆかり)の地、牛久で恙(つつが)なく行われた。

八雲の御宅から無事に奥さまの御骨を送り出し、これでようやく近藤先生との約束も完結した。

さぁ、八雲総合研究所の移転だ。 

(1)まず移転先地域を決める

当初は、歌舞伎町雑居ビルでも新橋ガード下でも面白いと思っていたが、長期的展望を考え、世田谷区が至適と決断。

(2)物件を探し始める

まず時期的に春の繁忙期を過ぎ、物件自体が少ないことに気づく。

大体、梅雨の時期に物件を探して引っ越す人が少ないそうだ。

(3)事務所物件

(居住物件でない)事務所物件がさらに少ないことに気づく。

しかも住宅地である世田谷区は一層少ない。

(4)オーナー意向

そして数少ない事務所使用可の物件があったとしても、オーナーさんによってさまざまな使用条件があることを知る。

そうなんだ。

(5)間取り

また待合室を含めて二間以上が希望だったのだが、これがまたない。

あっても店舗じゃないんだよなぁ。

そしてあの大型ソファ2つが搬入できる物件となると、さらにない。 

(6)方針決定

だったら今回は、ワンルーム物件で文字通りワンマン・プラクティスをやる、

大型ソファ搬入もやめ、部屋づくりのイメージを一新する、

と肚(はら)を括(くく)る。 

(7)そして縁は巡り

探しに探して、最後に絞(しぼ)り込まれたのが2件。

1件は、エントランス、階段、玄関までがちょっと恐い(すいません)物件。

部屋の中はまずまず。

しかし周囲の環境が抜群に良い。

あの松陰神社まで30mなのだ! 

これは良い!とほぼ決めかけて、松陰神社でお参りしておみくじを引く。

これがまた最高の内容で気持ちはさらに盛り上がるが、「転居」の欄に、あまりいそがない方がよい、とある。 

え?

と思った答えは翌日にあった。

それが最後の物件。

これがなんと今回調べた全ての物件の中で一番良かったのである。

そういうこともあるんだなぁ。

流石、松陰先生! 

(8)決定および移転

そして入居申込をして、無事に契約を終え、直前に決めた引越業者も完璧にやってくれ、怪しい天気予報にかかわらず雨も降らず、本当に守られてるなぁ、と感じた今日一日であった。

それにしても、あぁぁぁぁ、移転に走り出してから本当に怒濤の日々であった。

皆さん、ご心配をおかけしました。

いよいよ7月1日(土)から新しい八雲総合研究所の始まりです。

(そしてその前に、明日6月30日(金)が八雲で最後の面談となる)

2017(平成29)年6月19日(月)『満行』

ある日、ふと思い立って

一日百回の丹田呼吸を百日やってみる

という行を始めてみた。

合計一万回の丹田呼吸である。

実は、春の緑風苑ワークショップの際も、その最中であった。

それが先日満行した。

一日百回というのは

思ったよりも簡単で

思ったよりも難しかった。

まず立っても座っても横になっても歩きながらでも

丹田呼吸ができるようになってしまえば

あらゆる場面を活用でき

一日百回というのは思ったほど大変ではなかった。

しかし、納得のいく一回

というのが毎回できるわけではない。

一日百回といっても

いい加減な呼吸になってしまったら何万回やっても意味がないので

あ、今のはダメだ

と感じてはやり直しているうちに

結局毎日百五十回くらいはやることになった。

以前、拙誌に『導かれて』という題で丹田呼吸のことを書いた。

今回一万回やってみて、あれでは全然浅いな、と感じて記事を消去した。

それくらい続けてみても、まだまだ完全に途上なのである。

変化していく伸びしろを果てしなく感じる。

一日百回の丹田呼吸を続けることで

日常生活における変化も確かにいろいろ顕(あらわ)れて来たが

それくらいでは絶対的に物足りない。

で、満行の後、どうするか。

さらに丁寧な丹田呼吸を一日三十回続けてみることにした。

今度は感覚の深さにこだわってみる。

こうして自ら身を挺して

体験による体得を重ねて行くことが

八雲の伝統である。

2017(平成29)年6月8日(木)『汝自身を知れ』

統合失調症や自閉スペクトラム症の人が

自分がいかに空気を読めない発言をしているか気づかなくて

人間関係で失敗する。

循環気質(躁うつ病の病前性格)や自己愛性パーソナリティ障害の人が

自分がどれだけ上から目線でエラソーにしゃべっているかに気づかなくて

人間関係で失敗する。

障害のせいでできないことはできないわけであるが

私は必ずしもそれが人間関係で失敗する原因だとは思っていない。

自分の抱えている精神障害ときちんと向き合って

その特性を把握することに努め、成長しようとしている

統合失調症や自閉スペクトラム症や循環気質や自己愛性パーソナリティ障害の人たちは

人間関係でしくじることが格段に少ない。

何故なら、まわりの人間に

「ぼくは(わたしは)こういう言動をするかもしれませんが、気がつかないでやっているので、気がついたときには教えて下さいね。」

などと言えるのである。

そして修正できる。

そう。

人間関係をしくじるか否かは、

機能的な障害そのもによるのではなく、

自分の特性を知らない・認めないこと、

そして成長しようとしないことによるのである。

近藤先生の奥さまは

95歳を超えられてから、ときどき記憶間違いが起こるようになった。

私に「松田先生、あの件はどうなりました?」と訊かれ

私が「それは私ではありませんね。」とお答えすると

ニコッと笑って

「あら、やだ。認知症かしら?」

と平然とおっしゃる。

流石だと思った。

自らの機能の衰えをご存知で、認めておられるのである。

こうなれない高齢者が、相手を疑い、攻撃するようになる。

もう一度書いておく。

人間関係をしくじるか否かは、

機能的な障害そのもによるのではなく、

自分の特性を知らない・認めないこと

そして成長しようとしないことによるのである。

己を知って成長するべし。

2017(平成29)年6月4日(日)『ワンマン・プラクティス』

近藤先生の奥様が、ニューヨーク時代の話を聞かせて下さった中に、

「有名な精神分析家でも、廊下からいきなり診察室に入るようなオフィスで、たった一人でされてるのには驚きましたわ。」

という話があった。

そう。

全ての精神分析家がそういうわけではないが、

一人開業=ワンマン・プラクティスは、精神分析家の伝統的なスタイルの一つなのである。

私が八雲で一人でやっているのを見て、時に驚く方がいらっしゃったが、それは上記のような伝統があるからである。

確かに、秘書さんを置こうかな、と思ったこともないではないが、どう考えても、やってもらう仕事がない。

ということでずっと一人でやっている。

そしてさらに、一人でやるだけでなく、待合室もなく一室で、ワンルームでやるというのも(八雲にも待合室があったし、全ての精神分析家がそういうわけではないが)、精神分析家の伝統的なワンマン・プラクティスのスタイルである。

それはきっと、契約意識が強く、時間にパンクチュアルな欧米人だからこそ成り立って来た伝統であろう。

みんなが時間ピッタリにやって来て、どんなに話が佳境に入ろうとも時間ピッタリに切り上げて帰られるから、待合室がいらないわけである。

昔は難しかったかもしれないが、今の日本でも、そのスタイルでやっておられるセラピスト(特にフロイト派の精神分析家)は意外に多くいらっしゃる。

いずれにせよ、古今東西を問わず、その一匹狼的な雰囲気は、サイコセラピストという仕事には合っているのではないかと私は思っている。

2017(平成29)年5月15日(月)『約束』

18年前、近藤先生に呼ばれた私と家内は、病院のベッドに仰臥される先生の傍らに座っていた。

あれこれお話した後、先生がおもむろに話し出された。

自分なき後、家内のことが心配なので、近藤宅で開業してくれないか、と。

そして、当時私が自分の開業を考えていることを察しておられた先生は

そのうちに立派に開業してくれればいいから、と付け加えられた。

この「立派に」という言葉が私の胸に響いた。

後の心配を託しながら、それが私の足枷にならぬかを案じておられたのである。

私は即座に答えた。

奥さまがお元気な間は、先生の御宅でやらせていただきます。

すると先生はバッと身を起こし、私の両手を握って

ありがとう

と言われた。

18年間、今も忘れられない光景である。

以上は、同席していた近藤家のNさんが証人である。

 

そして現実には、多くの方々が私なんぞより遥かに近藤家に尽力して下さり、今日がある。

 

それにしても、八雲での開業後、山あり谷あり、たくさんのことがあった。

しかし何があっても男と男の約束。

死んでも破れないものがある。

 

そして、奥さまが逝去された。

奥さまとの思い出も尽きないが、葬儀も終わり、ふと夜空を見上げて

先生、約束を果たしましたよ、

という思いが溢れた。

 

現在の面談室や勉強会を行う部屋(=待合室としても使用)は、かつて先生がセラピーを行われた場所である。

ご存知の方はご存知のように、場に何とも言えない力がある。

それは何ものにも換え難い、有り難いものがあるが、今回ひとつの転帰がやって来たと思っている。

まだ奥さまのご遺志は開示されていないが、現時点での私の気持ちとしては、早いうちに新たな事務所を探して移ることを考えている。

そう私に考えさせるものが働いている。

新たな運命が動き始めているのを感じる。

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八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。