2011(平成23)年4月6日(水)『さくら非情』

今日の暖かさで八雲の緑道の桜は一気に花開いた。

被災地の桜もほころび始めているだろう。

かつて子どもを不慮の事故で失い、それでも咲く桜の花を見て、残酷だと言った人がいた。

桜の「非情」は、冷淡、残酷ということではない。
桜の「非情」は、情を超えた存在ということなのだ。

仏教では、こころのある存在を「有情(うじょう)」と言い、こころのない存在を「非情」(あるいは「無情」)と呼んだ。
「有情」には、我による執着が生じるが、「非情」には、それがないのである。

先の人が、「最近ようやく感じられるようになりました。」と言われた。
「それでも桜が咲くって、残酷なんじゃなく、有り難いことなんですね。」

 

草木国土悉皆成仏。

 

すべての被災地に美しい桜が咲きますように。

 


 

2011(平成23)年4月5日(火)『災害医療』

今回の震災支援を医療面から考えると、
震災直後は、切ったはったの外科系による手術、処置の貢献度が高いのは明らかだ。
救命救急医療の現場を見ていると、「オレも救急をしっかりやっときゃ良かったかな。」と思うときもある。

しかし避難所生活などが始まると、急速にニーズが高まるのが内科系である。
生活習慣病に感染症、今度は内服薬などの処方が必要かつ重要となる。

やがて物資の供給もひと通り満たされ、住まいも手当てされて、ひと息ついてから本格的に必要になってくるのが、こころのケアである。
勿論、当初期からメンタル面のファーストエイド的な支援が必要かつ有効なことは十分承知しているが、“その後”の息の長い、そして(マニュアル通りでない)一人ひとりに合わせた丁寧なセラピーは絶対に必要である。

例外のあることを知りつつ大雑把に括れば、
大規模災害には、短期は外科による処置、中期は内科による処方、長期は精神科によるメンタルケア。

遠く離れているようで八雲での面談でも電話カウンセリングでも出番が始まっている。
どうぞどうぞ遠慮なく精神科医や臨床心理士を活用されたし。

我々の出番だ。
しかも息長く。」


 

2011(平成23)年4月1日(金)『八雲総合研究所発足』

八雲とは、

次々と力勁(づよ)く立ち現れては、

あなたを包み慰め守り力づけ促して、

流れ消え行く雲。

素戔嗚(スサノオ)の雲

近藤先生の雲。


本日、八雲総合研究所が発足しました。



2011(平成23)年3月21日(月)『涙の匂い』

阪神淡路大震災でも指摘されたことだが、大勢で避難所暮らしをしていると、震災で家族を亡くしている人も少なくないため、自分だけが泣くわけにはいかない、というふうに考えて、悲しみの抑圧が起きる場合が少なくない。

先日の報道でも、避難所のトイレで、家族を亡くした高齢女性が夜中に一人忍び泣きされていたという記事があった。

感情というものは、感じたときに感じただけ表現されることによって初めて健全に解消され、次に流転していくことができる。(感情が強ければ表出を何度か繰り返すことも必要になってくる)
しかし、その感情を表現することが許されず、抑圧されてしまうと必ず心の奥底に貯まり、ただ貯まるだけでなく、その抑圧された期間に応じて量的に利子が付き、さらに質的にも変性してくる場合がある。
感情が抑圧されていいことは何もないのだ。

だから、今この日誌を読んでいる人で、もしこの度の震災で大切な人を亡くした人に出逢うことがあったならば、(その人との親しさの関係にもよるが、)その人の悲しみが健全に表出されているかどうかに、ほんの少しでいいから気を配っていただきたいと思う。
多くの人は気丈に「大丈夫」と言うだろう。
それでももしどこかに“涙の匂い”がしたら、あなたの悲しみが少しでも軽くなりますようにと願っている人間がここにいることを覚えておいてほしい、と(あくまで、あなたが心からそう思ったら、だけれども)伝えてほしいと思う。

悲しみの健全な解消には、泣ける場所泣ける相手泣ける機会が必要なのである。

私自身も勿論その一翼を担っていく。

 

 

2011(平成23)年3月17日(木)『I'm proud』

ようやく被災地各地から一人ひとりの消息や状況を伝えるメールが届くようになって来た。

それらを読んで私が誇りに思うのは、
少なくとも八雲や勉強会や合宿やワークショップで深く出逢って来た人たちは、
被災地内外を問わず、それぞれの置かれた状況において、
命からがら避難しようと(頑張るのだけがいいことではない)
職場や自宅に踏み留まろうと
援助に向かう役目を担(にな)おうと
決して私心に溺れることなく
随縁任天、縁に従い、天に任せて、動いておられるということである。

ああ、間違いなく同じ感覚で歩んできた仲間たちだと思う。
それが何よりも嬉しく有り難い。
ニセモノは一人もいないぞ。

マスコミは、今自分にできることは何か考えろ、と言うけれど、
私としては、今自分が何をすべきかを感じろ、と言いたい。
天命は考えるものではない、感じるものだ。
それがこの究極の状況において実際に行われていることを私は心から誇りに思う。

 

 

2011(平成23)年3月13日(日)『呪いを断つ』

東日本大震災の被災者たちの救出の声が聴こえるようになってきた。
しかし必ずしも喜びや安堵の声ばかりではない。

「目の前で家族を津波にもっていかれた。」

「助けられなかった。」

「まだ瓦礫の下にいる。」

「遺体も見つからない。」

「どうしてオレ(私)だけが助かったのか。」

「申し訳ない。」
………

いわれのない負い目は徹底的に消されなければならない。
カメラの前でも、他人の前でも吐露できず、ずっと抱えている人たちがいる。
その人のアタマの中では、惨劇の光景と自責の念が何度も何度も繰り返されている。
救いが必要なのはまだまだこれからだ。
専門職、関係者、一般市民を問わず、この人に言えない哀しみがないかどうか、どうぞ皆が気にかけておいてほしいと思う。

呪い、絶つべし。


 

2011(平成23)年3月12日(土)『生死の実相』

大きな震災が起きる度に、私の脳裡には、
パール・バックの『大地』や
深沢七郎の『笛吹川』に描かれた光景が広がる。

一方で、報道される過酷な被害状況に心がキリキリと痛みながら、
他方で、どうなってもおまかせ、という感覚に底支えされていることは、言いようもなく有り難いことである。

前者だけでは、感情に振り回されて、悲憤抑うつに浸ることになり、
後者だけでは、感覚麻痺の悟りすましと紙一重である。

ちゃんと感じて些(いささ)かもブレない、
胸は泣いて肚(はら)は据わっている、

生死(しょうじ)をおまかせしながら、ちゃんと生きて死ぬ。
それが、われわれ人間に与えられた本来の生きざまであるとつくづく思う。

 

 

2011(平成23)年3月11日(金)『東日本大震災』

私は大丈夫です。

あなたは大丈夫ですか?

2009(平成21)年1月30日(金)『『私家版 八雲便り』発刊のお知らせ』

本日、製本された『私家版 八雲便り』が届いた。

近藤先生の本を出版する際にも味わったが、何度経験しても、出来たての本を初めて開くときの気持ちはなんとも言い難く良いものである。
九十七頁の薄くて飾り気のない本。
部数も二百しか刷っていない。

本当に自分自身を見つめ、成長を願っている方に届くものにしたかった。
本棚に蔵されるよりは、求める人たちの手から手へ読まれる本であってほしいと思う。

ひとつの工夫は、イラストレーターのSさんにお願いして、一点の華を挿(はさ)むことにした。
こういう知己がいて下さったことに感謝したい。
購入された方はお楽しみに。

関心のある方はホームページの案内を参照されたし。

 

 

2008(平成20)年12月30日(火)『周防大島を往く』

昨日、念願叶って、山口の周防大島(屋代島)に渡った。
亡師・近藤先生が生まれ育った島である。

大畠から大島大橋を渡り、周防大島へ。
折りしも防予汽船が通りかかり、大畠瀬戸を大型船がゆっくりと静かに進んでいく風情はいかにも瀬戸内らしい。

まずは島の北周りの道を進み、久賀から土居へ。
この辺りは、近藤先生の奥さまがナポリよりも世界のどの風景よりも美しかったと言われた海岸線である。
子どもの頃、毎夏、同じ瀬戸内の蒲刈島で泳いでいた私は、かつて環境汚染で緑色に濁った海を想像していたが、その海の透明度に驚いた。
最近の瀬戸内海は綺麗になったと聞いていたが、そのためなのか、元々ここの海が美しいのかは知らない。

そこから南下し、トンネルを抜けて、島の南側、安下庄(あげのしょう)に出る。ここが近藤先生の育った場所だ。
なるほどいかにも海に飛び込みやすいポイントが見える。
振り返って、あの祀りの山、嵩山(だけさん)を仰ぎ見る。
浜辺へ降りる。
どこまでも穏やかな波、のんびりとした海鳥の鳴き声、ほのかな磯の香り、そして傾いてきた陽射しに金波銀波がキラキラと揺れる。
時間がとまったような世界。
私の知っているのとは別の瀬戸内海がそこにあった。
衝動抑えがたく海水を掬(すく)って飲み、貝殻を拾って、車に戻る。

橘から沖浦を経て、今度は島の南周りに、大島商船工専前を通って、大島大橋に帰った。
お土産は、大島の味噌と海鼠(なまこ)とこのしろのおから鮨。

実に実に好い日であった。

 

 

Agenoshou.jpg

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。