昔、ひどい虐待を受けて育ったために、いつの間にか、話す端から嘘ばかり言うようになった青年の治療を担当したことがあった。

あるとき彼は決心した。
「もう嘘はつきたくない。本当に思ったことだけを言って、信頼し合える人間関係を作りたい。」と。
しかし、すぐに完全にというわけには行かず、彼の嘘は続いた。
それでも10回のうちの1回は、本当のことを言うようになった。
そして、10回のうちの2回、3回…8回、9回と段々と本当のことが言える割合は増えて行った。

幼少の頃から本当に思ったことを言って、散々酷(ひど)い目に遭って来た彼にとってそれは、とても勇気のいる立派な挑戦であった。
だからあるとき、彼が私に向かって言ったことが嘘だということはすぐに観抜けたが、私はそれを指摘する気にはならなかった。
今なりの彼なりの精一杯で必死に成長しようとしている彼に対して、誰が非難できようか。
勿論そんなことを私がいちいち考えてやったわけではない。
天が私をして見守らせたのである。

真宗の妙好人(みょうこうにん)(悟得した禅僧に優るとも劣らぬ境地を示す門徒たち)の逸話に以下のようなものがある。

讃岐(さぬき)(今の香川県)の庄松(しょうま)が、ある寺へ参詣したとき、住職がからかい半分に、
「うちの御堂(みどう)のご本尊は生きてござろうか。」
と言うと、庄松は、
「生きておられるとも、生きておられるとも。」
と応じた。住職がさらに
「生きてあらっしゃるにしては、物を言われぬではないか。」
と言うと、庄松が、
「ご本尊さまが、物を仰(おお)せられたら、お前らは、ひとときもここに生きてはおられぬぞ。」
と言ったので、その住職は震え上がったという。

ここに阿弥陀の大悲がある。

先日、セラピストでもない生半可な素人が、相手のことを見抜けたように思い上がって、大はずれのことを言って、残酷に相手を攻撃して傷つけたことがあった。
ここで起きた二重の愚かさがわかるだろうか。
まず生半可な素人にそうそう相手が見抜けるはずがないということ。その自覚のない思い上がりが第一の愚かさである。
次に、それを全部相手に垂れ流したということ。この残酷さぶりが第二の愚かさである。

第一はその人間自身の愚かさで済むが、第二は極めて有害で、その汚さ、醜さ、気持ち悪さを私は許さない。

例えば、もしその当人自身が過去に自分が身近な人間に対してやってきたことの酷(ひど)さを(本人がまだ気づいていないことまで含めて)容赦なく全部指摘されたらどうなるであろう。
そしてさらに、現在も身近な人間に対してやっていることの酷さを(本人はもう大してしていないと思っている)容赦なく全部指摘されたらどうなるであろう。
その内容が(大はずれでなく)事実なだけに、「生きてはおられぬ」ようにすることは簡単である。

だから、人間が人間であるためには、自分自身に対する「情けなさの自覚」(=凡夫(ぼんぷ)の自覚)をよくよく肝に銘じておかなければならないのである。
上記の無縁の恥知らずに用はないが、これから有縁の人はどうぞ忘れるべからず。

 

 

ときどき話をしていて
「私、子どもが嫌いなんです。」
という人がいる。

また、ときに
「オレ、年寄りが嫌いなんだよな。」
という人もいる。

特別な理由がある場合を除き、両者とも、心を病んでいる確率が高いと私は思っている。

自分がかつて生きてきた“子ども”の否定、
自分がこれからなっていくはずの“高齢者”の否定、
それだけで、その人に否定されて来た体験があることが推察できる。

そこに気がつかない限り、
その問題を解決しない限り、
“自分を否定した”人生が続くだろう。

こういう人たちには、できれば、医療・福祉・教育の分野には関わってほしくないと思う(しかし、そう言いながら、何故か対人援助職に入って来る人が少なくない)。

私にとっては、そういう自分が死ぬほどイヤになり、なんとしても突破したいという気持ちにならない限り、話す縁はないが、少なくとも、そういう自分を実際に突破し、子どもも、年寄りも、そして自分も好きになった人がいるということは明記しておきたいと思う。

「自分が好き」と言うと、安っぽい自己啓発的な表現に間違われそうなので、「自分の存在の尊さを感じる」と言った方が正確だろう。

かくして、すべての話は自分に戻ってくる。

で、あなたは子どもが好きですか?

 

 

ある夜、出先でラーメン屋に入った。

魚介系のダシの効いた旨いラーメンだった。
ラーメンができるまでの間、水餃子を肴に冷酒を傾けていると、
カウンターの横の席に老夫婦らしき二人が座った。
推定八十代の身なりのきちんとした痩身のカップルである。
若い客の多い中で、却ってそのカップルは目立った。

二人はラーメンをひとつずつ注文し、やがて目の前に置かれた。夫は黙ったまま自分のメンマを半分、妻のお碗の中に入れ、妻は自分のチャーシューの半分と麺を少し夫のお椀の中に入れた。
長年知ったる好みと量なのだろう。
寡黙に食べる二人。

妻が夫のために、カウンターに置かれた重いポットを持ち上げてコップに水を注ごうとしたとき、スッとポットを取り上げて、夫は妻と自分のコップに水を注いだ。妻には半分ほど、自分にはなみなみと注いで、ゆっくりと飲み干した。

やがて食べ終えた二人は立ち上がると、妻が支払いを済ませ、夫が「ごちそうさま」と静かに言い、店を後にした。ふと目をやると、引き戸のガラス越しに手をつないで歩き去る姿が見えた。

「良い夫婦だなぁ」

11月22日の街頭インタビューで、夫婦長続きのコツは?と訊かれて「忍耐です」と答える輩(やから)の多さにはウンザリしたが、今日は忍耐なんぞを超えて本当に信頼し合って生きている人間二人の確かな有りようを観た気がした。

 

 

ある苦悩から、ほとんど食べられなくなってしまい、痩せ細った青年がやってきた。
いくら食べなくてもお腹が空かないのだという。
いわゆる“摂食障害”や“うつ病”などの診断基準を満たさないことを鑑別した後(もしそうであれば医療機関を紹介することになる)、
面談を続けていくうちに(詳細については触れないが)彼の懊悩が少しずつ晴れて来た。
そのときである。

「ぐーっ」

面談室に響くような音で彼のお腹が鳴った。
「あぁ、お腹が空いた。」
彼が照れ笑いしながら言った。
こういうことがときどきある。
老若男女を問わず、ある。

アタマはしばしばウソをつくが、カラダは悲しいくらいに正直である。
だから、お腹が鳴らせるのはいいが、カラダを泣かせないように(=ココロを泣かせないように)生きていきましょうね。

 

 

「夜、眠りに就くときは、あまり悲しいこと、辛いことを考えない方がいい。

涙が熱をもって、余計に眠れなくなるから。

…今夜はよく眠れますように。」

                                                     (『MM詩集』より)

 

“涙の熱”は経験した人だけが言える表現だ。
耳に入る涙も、
濡れた枕の冷たさもね。

向き合えばその体験がやがてあなたを勁(つよ)くすることになるんだよ。

 

では、おやすみなさい。

 

 

「私、男の人の前だとしゃべれないんです。」と言いながら、私の前でたくさん話す人。
「お医者さんの前だと緊張しちゃうんです。」と言いながら、私の前でリラックスして話す人。
「年上の人には何も主張できないんです」
と言いながら、
「次は来週の金曜日の4時に予約を絶対入れて下さいね。」
と笑顔で主張する若い女性。
ときどき私は誰?と可笑(おか)しくなるときがあるが、これらは私にとって最高の褒(ほ)め言葉なのだ。

ときどきエセ精神療法の本に、「セラピストは常に中立性を保て。」とか、「空気のような存在になれ。」といった大デタラメが書かれているが、私はそんな作為的な詐欺師や演出家になるつもりはない。

近藤先生は初対面で無限の安心を感じさせる人であったが、
「どうして近藤先生の前だと、みんな安心して話すんでしょうね?」
と訊かれて、
「木や石に向かって話しているような気持ちになるんじゃないかな。」
と笑顔でおっしゃっておられた。
私の実感だと、“木や石”ではなく“空や海”と言った方がしっくり来る。

先生を通して“はからい”のない大きく包摂される働きを感じるのだ。

私の境地なんぞ足元にも及ばないが、たまに頭記のようなことが起きただけでも有り難い気持ちになる。
それは私の手柄でも力でもないんだよな。

天を仰ぐ。

 

 

「こうやったら自信がつく」式のアドバイスは、みんな役に立たないと私は思っている。

確かに「頑張る」ことで一時的に「自信のようなもの」を味わえるかもしれない。
しかしそれらはほとんど、他人から埋め込まれた価値観のモノサシに基づいた外面(そとづら)の「自信」に過ぎない。
従って、その「自信」を維持するためには、
頑張り続けなければならないし、
他者との比較も気にし続けなければならない。

そんなのは面倒だ。
その押し付けられた価値観自体がクソッくらえだ。

私ならば、このままでの自信がほしい。
あなたがあなたでいるままでの自然な自信だ。
あなたが生まれたときに持っていた自信である。

だから「こうやったら自信がつく」ではなく、「本来の自分以外になろうとしなければ、自信が戻って来る」と申し上げたい。
欠けていたのは、そのままのあなた=本来の自分がちゃんと認められることだったのである。

私のセラピーはそこを目指している。

 

 

店の前に「ホタルイカとほうれん草のパスタ」の手書き看板が出ていた。

うまそうじゃないの。
腹も減ったお昼の12時半。混んでるか、と思いつつ店の中へ。

…客がいない。
「いらっしゃい。」水とおしぼりを持って、震える足取りで出てきたのは、齢(よわい)八十以上と思(おぼ)しき爺さま。
間違いなくハイリスク・パターンである。
乗りかかった船だ、今さら後には引けねぇや。

「ホタルイカとほうれん草のパスタ。」
と注文すると、爺さまは満面の笑みですごく嬉しそう。
余程、自信があるのだろうか。

待つこと十分ほど、何故か厨房から電子レンジのチーンという音が響く。
「お待たせしました。」大盛アツアツのパスタが出て来た。

まずパスタの上に乗ったホタルイカを口に入れる。
まずっ!ていうか、生臭さっ!
爺さま、パスタだけチンして、ホタルイカを後のせしたろうがっ!
しかし、ハイリスク承知で注文した以上、今さら文句は言わないのが勝負の掟(そうなのか?)。
負けるもんか!

…と、次の犠牲者、いや、客が入って来た。
爺さまが客のオーダーを取りに行っている隙に、手持ちのビニール袋にホタルイカを全部放り込み(おいおい勝負じゃないのか!)、口を縛ってバッグの中へ。
残りのパスタを見ると、まだ生臭い移り香が漂う。ここからが勝負だ。
テーブル上を見ると、塩とコショウとタバスコと粉チーズがある。
十分だ。
ここでこそ、郡山であのまずいトマトラーメンを食べ切った際の経験智を発揮するときだ。
全投入〜!
…そしてタバスコとチーズの味になったパスタを完食したのである。

乗り切った…。

そしてホタルイカとほうれん草のパスタを前にして、さっきからすがるような目で私を見ていた、もう一人の客を見殺しにして、私は店を後にしたのてあった。

すまん。死んでくれ。

♪ちゅるちゅるちゅ〜(『荒野の用心棒』のテーマ)

胃薬だけは飲んどくか…。

 

 

腕時計なんてどうでもいいと思っていた。

最近は、腕時計自体を持たない人も多く、必要があれば、ガラケーやスマホで時間を確認しているようだ。
私も普段は計算機能付きのカシオの腕時計を使っているが、長年、児童専門外来をやっていた習慣から(子どもたちの年齢や体格から薬の量を計算していた)扱い慣れているだけのことである。

かつて、大学病院での研修が終わって、同期の連中がそれぞれの病院に就職して行った(私は大学院に進むため、大学病院に残った)後、久しぶりに同期の一人に会った。
そのとき、そいつがいかにも成金趣味の腕時計をしているのを見て、無性に気持ち悪くなったのを覚えている。
今覚えば、その時計に罪はなく、そいつにそれまで感じて来た小市民的虚栄心の結晶のように見えたのであろう。
ただ単に腕時計が好きで、機能的に使い、装飾を楽しむことに問題のあろうはずがない。

そんな私だが、先日、衣服棚を整理していて、長年行方不明になっていた腕時計の入ったケースを見つけた。
近藤先生の形見の腕時計である。
左腕につけてみた。

亡師の空気感が甦る。
これはプライスレスだ。
物理的時間ではなく、紛れもなく私が生かされている時間を刻んでくれる時計である。

 

 

[追伸]その後、計算機付きカシオの腕時計は遂に壊れ、現在は試験監督もするようになったため、電波ソーラー時計を使っている。

 

 

今日から、この欄で『塀の上の猫』を再開する。

始めるに当たって、何よりも近藤章久先生の言葉を掲げることにしたい。

「恵存
 生命(いのち)を育てること
 
それは私たち人間の最も深い願いではないでしょうか
 
近藤章久」

まず自分の生命を育てよう。

そして、縁ある人の生命を育てよう。

そしてその願いは、個人の想いを超えたところから来るのである。

 

 

2012(平成24)年8月6日(火)『ロンドン五輪 〜 女王陛下のプラチナメダル 〜』

体操女子種目別跳馬で、ある国の選手が1回目の跳躍で着地に失敗し、転倒。
点はゼロの上に、足にダメージを負った。
誰もが2回目の跳躍を棄権するだろうと思ったとき、その16歳の少女は、目に涙を浮かべながら、棄権を拒否し、再びスタート地点に立った。
そのときの面構(つらがま)えは尊敬に値する。
そして会場いっぱいの声援を受けて走り出したが、ロイター板直前で回避し、胸を張ってポーズを取った後、壇上から降りた途端、床に座り込んだ。
“そのときなりの精一杯”を絵に描いたような立派な姿勢であった。

金メダルの“一番高い段”に上がる“一瞬”の“名誉心”のために頑張るのも良いけれど、その一瞬以外の人生の時間の方が遙かに長いのだから、どうか人間として健全な“姿勢”で人生を歩んで行ってほしいと切に願う。

そして、願わくば、あの女子選手のような“姿勢”の選手たちには、競技結果によらず、1ペニー硬貨大で良いから、女王陛下の名のもとにプラチナメダルを賜れないか、と個人的に思ったのであった。

いかがですかな、Your Majesty。

 

 

2012(平成24)年7月16日(火)『周防大島 夏合宿 道中記』

7月14日(土)〜16日(月)の二泊三日、総勢11名で、近藤章久先生の生まれ故郷、瀬戸内海、周防大島での夏合宿を敢行した。

◆1日目◆

最初のワークは、初日朝の東京駅集合から始まった。
小田急線が大雨で遅れ、JR中央線は急な車両点検で来ない。
で、3分前になんとか滑り込みセーフ。
…持ってる。

のぞみで出立。
新岩国駅からはレンタカーに分乗。
合宿期間中、この愉快なスリー・レディース・ドライバーズにお世話になる。

そして雨足が強まる中、大畠大橋を渡り、周防大島への上陸を果たす。
宿に着いた頃には、はるばる来た感あり。

それにしても海の幸満載の宿の料理は旨かった。
持参したクエイヒに、日本酒を注ぎ、みんなで回し呑む。

この合宿は、間違いなく慶事である。
初日最後のワーク。風呂場でムカデを仕留める。

海間近、空気に磯の香る宿で眠る。

◆2日目◆

昨夜の雨が上がった。
朝になったら、なんと晴天である。
…やっぱり持ってる。

朝ご飯をゆっくり食べて、研修会場の橘ウィンドパークへ。
受付のおばちゃんが広島出身。
おじちゃんは安下庄出身。
とっても親切なお二人である。

ここで近藤先生のビデオを観る。
4本持参したうちの2本を鑑賞。
心から笑って感動し、改めてその“風格”を感じた。
つくづくこの人に師事する僥倖(ぎょうこう)を思う。

そして庄南ビーチへ。
瀬戸内海に浸かり、海水を呑み、穏やかな波の風景をしみじみと眺める。
いろいろなことを想い、嗚呼、もう死んでもいい、と思った。
でも、まだ死ぬわけにはいかない。

ここからメンバーは3隊に分かれる。
3隊共通で行ったのは、嵩山(だけさん)と竜崎温泉。
第1部隊は、噂の早瀬を超えて、かの情島(なさけじま)に上陸。
第2部隊は、評判のカフェで旨いカレーを食い、宮本常一記念館を訪問。
私の属する第3部隊は、快念寺、安下庄小学校を回り、安下庄の海の祭りに遭遇し、闇夜に輝く謎の仏舎利塔を探検する。

そして2日目最後のワーク。

夕食時、ムカデが右足を這い上がって来たが取り逃がす。
ムカデめ。

それでも夕食はまた旨い。

◆3日目◆

有志部隊は、午前5時13分の海からの日の出を見るため、早朝から島東部の片添ヶ浜方面へ。
これもまた見ることができたそうな。
…この合宿メンバーは絶対、持ってる。

そして何故か焼きたてメロンパンを購入して帰宿。

朝ご飯をしっかり食べてから、最後の訪問先、日見(ひみ)の大仏へ。
藤原期の阿弥陀仏は良いとして、キティちゃん、ウルトラマン、スヌーピー、キョンシーなどのバッタモン石像群にはエビぞった。

大畠観光センターに寄って、新岩国駅へと向かう。
左党の方々は駅売店で地酒の獺祭(だっさい)、雁木(がんぎ)などを買い込み、ここからは参加メンバーそれぞれの予定で次第に別れ別れとなる。

最後、のぞみで東京駅に着いたときに7名になっていた。(さらに郡山に戻る2名)

それぞれに抱えて来たさまざまな問題があり、近藤先生の縁があったからこそ、私も含めて、ここまで来れた11名である。
今回も故人を偲ぶ観光旅行なんぞではなく、瀬戸内海らしい瀬戸内海という場所を得て、各人が内に湧き上がって来るものをしっかりと感じて、成長に活かす本格的合宿であった。

今回の準備は本当に大変だったけれど、やりたいことは全部やれたなぁ。

ありがとう。

お疲れさまでした。

 

 

安下庄.jpg

2011(平成23)年3月6日(火)『実験台』

東日本大震災の避難所で、某専門機関が“実態調査”と称して被災者に“アンケート”を取ろうとしたところ、
「オレたちは実験台じゃない!」と激しい怒りの反発を受けたという。

その“アンケート”が
“被災者のための調査”なのか
“研究者のためのデータ集め”なのか、
どう体裁を整えたところで、バレるもものはバレる。
そもそも被災者との当たり前の一体感があればそんなことにはならないし(しないし)(できないし)、
まず目の前の痛みが私の痛みとなり(であり)、そこから始まるものがあるはずだ。
その有無が伝わる。

かつて児童養護施設出身を支援する団体に関わっていたたときも、その団体を支援する体(てい)で、そのメンバーを対象にした調査を行っている研究者がいた。
人の良いメンバーたちは黙々とアンケートに記入していたが、「データだけ取ってくんだよね。」と漏らす人もいた。

特に“こころのケアの専門家”の方たちよ、こころすべし。
本当は誰のための研究ですか?
本当に当事者の方を向いていますか?
もしあなたが同じとき同じ調査をされたらどう思いますか?

専門家である前に人間としての当たり前の感覚を大切にするべし。


 

2011(平成23)年4月6日(水)『さくら非情』

今日の暖かさで八雲の緑道の桜は一気に花開いた。

被災地の桜もほころび始めているだろう。

かつて子どもを不慮の事故で失い、それでも咲く桜の花を見て、残酷だと言った人がいた。

桜の「非情」は、冷淡、残酷ということではない。
桜の「非情」は、情を超えた存在ということなのだ。

仏教では、こころのある存在を「有情(うじょう)」と言い、こころのない存在を「非情」(あるいは「無情」)と呼んだ。
「有情」には、我による執着が生じるが、「非情」には、それがないのである。

先の人が、「最近ようやく感じられるようになりました。」と言われた。
「それでも桜が咲くって、残酷なんじゃなく、有り難いことなんですね。」

 

草木国土悉皆成仏。

 

すべての被災地に美しい桜が咲きますように。

 


 

2011(平成23)年4月5日(火)『災害医療』

今回の震災支援を医療面から考えると、
震災直後は、切ったはったの外科系による手術、処置の貢献度が高いのは明らかだ。
救命救急医療の現場を見ていると、「オレも救急をしっかりやっときゃ良かったかな。」と思うときもある。

しかし避難所生活などが始まると、急速にニーズが高まるのが内科系である。
生活習慣病に感染症、今度は内服薬などの処方が必要かつ重要となる。

やがて物資の供給もひと通り満たされ、住まいも手当てされて、ひと息ついてから本格的に必要になってくるのが、こころのケアである。
勿論、当初期からメンタル面のファーストエイド的な支援が必要かつ有効なことは十分承知しているが、“その後”の息の長い、そして(マニュアル通りでない)一人ひとりに合わせた丁寧なセラピーは絶対に必要である。

例外のあることを知りつつ大雑把に括れば、
大規模災害には、短期は外科による処置、中期は内科による処方、長期は精神科によるメンタルケア。

遠く離れているようで八雲での面談でも電話カウンセリングでも出番が始まっている。
どうぞどうぞ遠慮なく精神科医や臨床心理士を活用されたし。

我々の出番だ。
しかも息長く。」


 

2011(平成23)年4月1日(金)『八雲総合研究所発足』

八雲とは、

次々と力勁(づよ)く立ち現れては、

あなたを包み慰め守り力づけ促して、

流れ消え行く雲。

素戔嗚(スサノオ)の雲

近藤先生の雲。


本日、八雲総合研究所が発足しました。



2011(平成23)年3月21日(月)『涙の匂い』

阪神淡路大震災でも指摘されたことだが、大勢で避難所暮らしをしていると、震災で家族を亡くしている人も少なくないため、自分だけが泣くわけにはいかない、というふうに考えて、悲しみの抑圧が起きる場合が少なくない。

先日の報道でも、避難所のトイレで、家族を亡くした高齢女性が夜中に一人忍び泣きされていたという記事があった。

感情というものは、感じたときに感じただけ表現されることによって初めて健全に解消され、次に流転していくことができる。(感情が強ければ表出を何度か繰り返すことも必要になってくる)
しかし、その感情を表現することが許されず、抑圧されてしまうと必ず心の奥底に貯まり、ただ貯まるだけでなく、その抑圧された期間に応じて量的に利子が付き、さらに質的にも変性してくる場合がある。
感情が抑圧されていいことは何もないのだ。

だから、今この日誌を読んでいる人で、もしこの度の震災で大切な人を亡くした人に出逢うことがあったならば、(その人との親しさの関係にもよるが、)その人の悲しみが健全に表出されているかどうかに、ほんの少しでいいから気を配っていただきたいと思う。
多くの人は気丈に「大丈夫」と言うだろう。
それでももしどこかに“涙の匂い”がしたら、あなたの悲しみが少しでも軽くなりますようにと願っている人間がここにいることを覚えておいてほしい、と(あくまで、あなたが心からそう思ったら、だけれども)伝えてほしいと思う。

悲しみの健全な解消には、泣ける場所泣ける相手泣ける機会が必要なのである。

私自身も勿論その一翼を担っていく。

 

 

2011(平成23)年3月17日(木)『I'm proud』

ようやく被災地各地から一人ひとりの消息や状況を伝えるメールが届くようになって来た。

それらを読んで私が誇りに思うのは、
少なくとも八雲や勉強会や合宿やワークショップで深く出逢って来た人たちは、
被災地内外を問わず、それぞれの置かれた状況において、
命からがら避難しようと(頑張るのだけがいいことではない)
職場や自宅に踏み留まろうと
援助に向かう役目を担(にな)おうと
決して私心に溺れることなく
随縁任天、縁に従い、天に任せて、動いておられるということである。

ああ、間違いなく同じ感覚で歩んできた仲間たちだと思う。
それが何よりも嬉しく有り難い。
ニセモノは一人もいないぞ。

マスコミは、今自分にできることは何か考えろ、と言うけれど、
私としては、今自分が何をすべきかを感じろ、と言いたい。
天命は考えるものではない、感じるものだ。
それがこの究極の状況において実際に行われていることを私は心から誇りに思う。

 

 

2011(平成23)年3月13日(日)『呪いを断つ』

東日本大震災の被災者たちの救出の声が聴こえるようになってきた。
しかし必ずしも喜びや安堵の声ばかりではない。

「目の前で家族を津波にもっていかれた。」

「助けられなかった。」

「まだ瓦礫の下にいる。」

「遺体も見つからない。」

「どうしてオレ(私)だけが助かったのか。」

「申し訳ない。」
………

いわれのない負い目は徹底的に消されなければならない。
カメラの前でも、他人の前でも吐露できず、ずっと抱えている人たちがいる。
その人のアタマの中では、惨劇の光景と自責の念が何度も何度も繰り返されている。
救いが必要なのはまだまだこれからだ。
専門職、関係者、一般市民を問わず、この人に言えない哀しみがないかどうか、どうぞ皆が気にかけておいてほしいと思う。

呪い、絶つべし。


 

2011(平成23)年3月12日(土)『生死の実相』

大きな震災が起きる度に、私の脳裡には、
パール・バックの『大地』や
深沢七郎の『笛吹川』に描かれた光景が広がる。

一方で、報道される過酷な被害状況に心がキリキリと痛みながら、
他方で、どうなってもおまかせ、という感覚に底支えされていることは、言いようもなく有り難いことである。

前者だけでは、感情に振り回されて、悲憤抑うつに浸ることになり、
後者だけでは、感覚麻痺の悟りすましと紙一重である。

ちゃんと感じて些(いささ)かもブレない、
胸は泣いて肚(はら)は据わっている、

生死(しょうじ)をおまかせしながら、ちゃんと生きて死ぬ。
それが、われわれ人間に与えられた本来の生きざまであるとつくづく思う。

 

 

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