2014(平成26)年2月15日(土)『雪裏梅華』

大雪に雨に風に鉄道事故も重なり、来所できなかった方も多く、今日は本当に長い一日だった。

しかし、こういう事態自体がワークになる。

私も普段の3倍以上の時間をかけてようやく八雲に到達し、

玄関前の石段の雪かきをしていたとき、

白い雪の上に一輪の紅梅の華を見つけた。

雪かきの手が止まる。

 

「瞿曇(くどん)眼睛(がんせい)を打失(だしつ)する時 雪裏の梅華只(ただ)一枝」(『正法眼蔵』)

 

それで近藤先生はここに梅を植えたのか。

昨日の日誌にあんなことを書いたので、恩師が話しかけてくれたような気がした。

2014(平成26)年2月14日(金)『雪漫漫(まんまん)』

私にとって道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は特別な書である。

『正法眼蔵』について“わかったかのようなこと”が書いてある本は山のように出ているが、一人の老師のものを除いてピンと来るものに出逢ったことがない。

『正法眼蔵』について語ることは畏(おそ)ろしい。

忽(たちま)ちに己(おの)が境地が露呈してしまう。

だから、わかってないのにわかった気になれる相当なド阿呆か、本当にわかった稀有な人にしか書けないのである。

私にはまだ書けない。

一生の宿題と思っている。

戦後、焦土の東京で、近藤先生は何度も何度も本山版『正法眼蔵』を読んだということを伺った。

先生のことであるから本当に“読んだ”のだと思う。

もう少しお話を伺っておけば良かった。

まだ『正法眼蔵』について先生と語る資格はないと思っているうちに、遷化されてしまった。

 

今日の雪で思い出した。

 

「人天(にんてん)の見別ありとも、凡聖(ぼんしょう)の情隔(きゃく)すとも、雪漫漫は大地なり、大地は雪漫漫なり。雪漫漫にあらざれば、尽界(じんかい)に大地あらざるなり。」(『正法眼蔵』)

 

くっそー。

2014(平成26)年2月12日(水)『ちょっとした天国と地獄』

素直で優しい人があなたのそばにいたら

信頼できる人があなたのそばにいたら

あなたを愛してくれる人があなたのそばにいたら

学校や職場で多少のことがあっても、
ちょっと話しただけで
あなたは健全なこころを取り戻すことができるだろう。

反対に

ひねくれて悲観的な人間や

うるさくて支配的な人間や

自己中心的で冷たい人間がそばにいたら

あなたはますます
疲れ
落ち込み
自分を見失っていくだろう。

だから
家族でも
パートナーでも
恋人でも
親友でも
誰でも

そばにいる人によって

あなたの毎日は天国にも地獄にもなっていくんですよ。

こころの眼をしっかり観開いて、
選び、
求めましょ。

2014(平成26)年2月7日(金)『私がいるから大丈夫』

何があっても、わたしがいるから大丈夫。

誰もがかつて言ってほしかった言葉。そしてどんな自分でもそのまま抱きしめてほしかった。

しかし親の方にも事情があるわけで、
悪ければ虐待、
良くても条件付きの愛情(こうしたら愛してやる)が待っていた。

そして求める(親以外の)次の人に。

そして始まる悪依存と愛情乞食。

私の場合、
そうならないで済んだのは、いや、
一旦そうなったが、そこから離脱できたのは、
一体何が違ったのだろうかと思う。

途中までは全く同じだ。

そして運良く近藤先生に出逢え、世界中の人間に否定されても、近藤先生さえわかってくれてたらいいや、と思えるようになった。

もし私がその境地のまま、先生が亡くなっていたら、私も“うつ”か“元の俗物”になっていただろう。

しかしやがて、
先生に支持されるということが、
“先生個人に”ではなく“先生を先生させているものに”支持されているのだと感得できた。

そして、
“先生”を介さなくても、私を私させている働きを直接に感じられるようになった後、
先生は遷化された。

ギリギリ間に合った。

もちろんそれを踏まえた上でも、近藤先生には感謝し尽くせない思いが溢れる。

だから今、セラピーをする側になった私は思っている。

「何があっても、わたしがいるから大丈夫。」

そしてその“わたし”は私ではない。

“わたし”が私を通して言うのである。

2014(平成26)年2月6日(木)『信頼』

バス停にバスが来た。

赤ちゃんをおんぶした若いお母さんがバス停に向かって駆けて来た。

その後を5歳くらいの女の子が必死に追いかける。

またその後を3歳くらいの男の子がさらに必死に追いかけている。

バス停のちょっと前でお母さんが振り返って、子どもたちに手を伸ばす。

子どもたちが笑顔になって、お母さんの両手につかまったところでバスに乗り込む。

どこにでもありそうな光景。

でも

お母さんを信じて追いかける子どもたち。

その信頼を裏切らず、立ち止まって両手を伸ばすお母さん。

ささやかな中に

大事なものが動いている。

親子だけじゃない。

すべての大切な人との関係はこうあってほしいと思う。

信頼には信頼で応える。

絶対に裏切らない。

それが人間と人間の基本です。

2014(平成26)年2月2日(日)『よみ人しらず』

『万葉集』を読んでいると、「よみ人しらず」の歌によく出逢う。

以前は、文字通り、作者がわかんなくなっちゃったのか、とか、やんごとなき人々と違って、名もなき庶民の歌なのか、などと素朴に思っていた。

やがて『万葉集』が身読できるようになって来ると、
ああ、歌は人がはからって作るものじゃなくって、
天地が人を通して歌うものなんだな、ということがわかってきた。
(ちなみに、天地がカラスを通して歌うと「カーッ」となり、ネコを通して歌うと「ニャーッ」となる)

そうすると、
人間が作ってるんじゃないから、「よみ人しらず」になって当たり前だよな、
と得心がいった。

それじゃあ、たとえば「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」という作者名が書いてある歌も、本当に彼が作ったのか?ということになる。

作者名は、天地が歌を作るときに通るパイプ(通り道)の名前に過ぎない。彼ら彼女らが自力で生み出したものじゃない。

従って結局、
「よみ人しらず」だろうが、
「柿本人麻呂」だろうが、
同じことになる。

詠(うた)うとは、そういうことなのだ。

だからわれわれも、天地がわれわれを詠ってくれるように生きなきゃ、生命を授かった甲斐がないよね。

八雲は詠う教室でもあります。

2014(平成26)年2月1日(土)『みんな神経症』

以前は、
「皆さん、遠慮されなくても、他の精神障害でない限り、みんな神経症です。」
とよく言っていた。

その後、治療経過中に、神経症だと思っていた人が、生物学的なうつ病になっていったり、広汎性発達障害であることが判明したりする場合があり、上記の基準に従えば、診断名を変えることになる。

しかし、どこか根底に釈然としない感覚が残った。

つまり、生物学的なうつ病といえど、広汎性発達障害といえど、その訴えには思いっ切り、その人の神経症的人格が絡んでいたのである。

やっぱり神経症だ。

従って現在は、さらに堂々とこう言っている。

「皆さん、遠慮されなくても、みんな神経症です」(どんな他の精神障害が合併していても)

ちなみに、ICD-10でも、DSM-5でもなく、私の診断基準では、

真の自己(本当の自分)を生きていない=仮幻の自己(ニセモノの自分)を生きていることを「神経症」というんです。

2014(平成26)年1月30日(木)『憎き相手を褒(ほ)める矛盾』

以前、ある女性看護師の方が相談に来られた。

既に他のカウンセラー(資格詳細不明)のもとで5年に渡ってカウンセリングを受けてきたというので、

何でまたここに?と思ったが、職場の話を伺っているうちに、彼女の抱えている問題がたちどころに明らかになった。

彼女は、どう聴いても、どうしようもない上司、冷酷な先輩、うるさい患者、クレーマー家族に囲まれて働いていた。

それなのに彼女は、その連中のことを非難することが全くないばかりか、庇(かば)い、褒め、好意すら示す表現を繰り返すのであった。

彼女が聖母マリアか観音菩薩の再臨でないことは、その哀しき「作り笑顔」が示していた。

彼女がひどい圧制下に育ったであろうことは、訊かなくても、明らかだった。

無力で弱い子どもは、圧倒的に強い親に対して、「怒り」と「悲しみ」を抑圧し、「賛美」と「奉仕」を捧げるしかなかった。

ちょうど恐怖政治の独裁者に忠誠を誓う少国民たちのように。

その明らかな問題が5年間もカウンセリングに通っていて、解決どころか自覚すらされていないということは大問題であった。

彼女は心の奥底で何がしかの不満を感じて、私のところを訪れたのである。

それはようやく踏み出した(相手のためではない)自分のための一歩であった。

そこに重要な意味がある

そしてほんの数回のカウンセリングで彼女は今まで起きていたことに気づき、

やがて不安も恐怖も罪悪感もなしに、健全な「怒り」と「悲しみ」を表現できるようになって行った。

憎き相手を褒める矛盾、そんなことも簡単に気づきそうで、本人はなかなか気づかないものだ。

しかし気づきさえすれば、ホーナイの指摘する通り、「矛盾」は常に突破・成長への重要な端緒となる。

さて、あなたにはあなたの矛盾はありませんか?

2014(平成26)年1月28日(火)『杞憂(きゆう)』

誰もが知っている「杞憂」という故事成語。

「杞国(きのくに)に、天が崩れてきたらどうしようと憂(うれ)えて(心配して)、食事もノドを通らず、夜も眠れなくなった人がいた…。」

という「無用の心配、取り越し苦労」の話。精神医学的に言えば、神経症的な「予期不安」に「とらわれる」話だ。

そんな杞憂のことを思っていたら、ある韓国小説の中に次の一節を見つけた(以下、抄出)。

「私は若いとき、ある有名な禅僧のところに取材に行ったことがある。

そのとき
『老師さま、どうすれば幸せになれますか?』
と尋ねたら、
『立つときは立ち、
歩くときは歩きなさい。
それでよい。』
と言われた。

『それはみんながしていることじゃないですか?』
と言うと、老師は鋭いとしか言いようのない目でジロリと私を見て、
『そうではない。
人は座っているときに立つことを考え、
立つときには既に歩くことを考えておる。』
と言われた。」

明快至極である。

杞憂の粉砕はここにある。

そしてこの
「即今即所」
「前後際断」
「今ここ自己」
に生きるということは、
「おまかせ」ができて初めて可能になるということも忘れてはならない。

2014(平成26)年1月27日(月)『イヤんなっちゃうときもあるけど』

あるとき近藤先生が言われた。

「イヤんなっちゃうときもあるけど、やめるわけにいかないんだよなぁ、松田くん。」

事ある毎に思い出す。

本当にその通りだと思う。

イヤんなっちゃうときもあるけど、自分を生きることをやめるわけにはいかない。

イヤんなっちゃうときもあるけど、縁ある人の力にならないではいられない。

イヤんなっちゃうときもあるけど、与えられたこの場所で踏ん張るしかない。

イヤんなっちゃうときもあるけど、天命を果たさないではいられない。

生い立ちの中で埋め込まれた「であるべき」でも「でなければならない」でもない。俗世のしがらみでも義理でもない。

そうしないと、おかしくなってきちゃうんだよ、自然に自分が生きていくことが。

竜馬も
南洲も
近藤先生も
“そのままに”生きて死んだ。

私も“そのままに”生きて死にたい。

2014(平成26)年1月22日(水)『どうしようもないこと』

“どうしようもないこと”を
“なんとかしよう”として来たのが
文明の進歩の歴史だと言った人がいたが、
その文明の進歩を嘲笑(あざわら)うかのように
常に新たな“どうしようもないこと”が起きて来るのが現実である。

“なんとかしよう”というと聞こえは良いが、
要は“思い通りにしたい”のであり、
われわれは古来それを“我”と呼んで来た。

悲しいけれど
苦しいけれど
どうしようもない。

人事を尽くしてもどうしようもない。

それが腹の底からわかったとき人は祈るのだ。

すべておまかせしますと。

(「〜して下さい。」などと“要求”して祈れるうちは、まだ“我”の虜(とりこ)である)

生死(しょうじ)をおまかせしてしまえば、恐いものは何もない。

それ以上守るものがないんだもの。

それは敗北主義でも
諦めでも
投げやりでもなく

生かされている間を
最も純粋に
最も十全に
生きるということである。

そのときなりの
自分なりの
一所懸命で
生きながら
あとは
おまかせ。

短期的に
うまいこと立ち回ったように見えても
やがて
どうしようもないことは
必ずあなたに わたしに やってくる。

2014(平成26)年1月17日(金)『靴』

かつて中国の一部には「纏足(てんそく)という習慣があった。

当時当地では、足の小さい女性が美しいと考えられ、幼児期から足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ(当然骨折を伴う)、布で強く縛ることで足の整形を施した。

親は娘の将来のために良かれと思ってやったことである。

それになぞらえて「こころの纏足」ということを私はあちこちで言って来た。

また、中国の古典『淮南子(わいなんじ)』には
「足を削(けず)って履(くつ)に適す。」
という一文もある。

“足を削る”とはまた強烈な表現だ。

これらの表現が激し過ぎるなら、もうちょっとマイルドに「サイズの合わない靴」と言っても良い。

小さな頃に合わない靴を無理矢理はかされて、
本当はマメができて、血が出て、痛いんだけど、
それでもはき続けてきた靴だから、
それに今さら脱いで裸足(はだし)になるのは恐いから、
ずっと無理してはき続けている人たちは、実はこの世に満ち満ちているのだ。

でもやっぱり痛いよね。

足が先か、靴が先か。

あなたが先か、今いる環境への屈従が先か。

答えは自(おの)ずと明らかだ。

今年こそ、靴脱ぎの春を迎えないか。

あなたが本気で脱ぐ気なら、私は喜んで手伝おう。

2014(平成26)年1月13日(月)『わがままとあるがままと酔っ払い』

一般に酔っ払いは正直だと言われるが、厳密に言うと、必ずしもそうではない気がする。

アルコールには基本的に脱抑制(抑制が取れる)の効果があり、酔えばやがて、気をつけて抑え込んでいたものが出て来る。

普段、無口で謙虚を演じていた人が、一杯入ると、急に饒舌(じょうぜつ)に自慢話を語り続けたりする。

これをもって“酔っ払いは正直だ”と言いたくなるのもわかる気がするが、
それは
「あるべき自分」が取れて
「わがままな自分」が垂れ流しに出て来ただけのことである。

「わがままな自分」さえも引っ剥がして初めて、「あるがままの自分」が出て来るのだ。

先の例で言うと、
「こんなくっだらない自慢話をしている自分てなんだかなぁ〜。」
という気が起きて来て、
即ち、
無口で謙虚を演じているのも(=あるべき自分)、
自慢話の垂れ流しをするのも(=わがままな自分)
両方心底イヤになって、ようやく刻々等身大の自分(=あるがままの自分)
に辿(たど)り着く。

これをアルコールの力だけで達成しようとすると、「あるがままの自分」に到達する前に酔いつぶれてしまうことになろう。

酔っ払いの本音、それは本音の本音への通過点に過ぎない。

だから、本気で「あるがままの自分」を生きたいと願う人は、肚(はら)を決めて、シラフで攻めていくしかないと覚悟されるべし。

2014(平成26)年1月8日(水)『ホンモノの援助』

福祉系の教科書を読んでいると、
「あなたがしたいことではなく、
利用者さんが望むことをしなさい」
などと判で押したように書いてある。

私は必ず学生たちに訂正する。

「こちらがしたい援助をするのは問題外。
利用者が望む援助をするのも真の援助ではない。
本当に必要な援助をするのがわれわれの仕事である。」

我の強い人、
思い通りにならないとイヤな人に対して、
希望通りのことをしてあげれば、
あなたは“いい人”になれるかもしれない。

しかし、相手の自己中心性は強化された上に、必要な選択を間違える。

アルコール依存症の人にお酒を出してあげるのは、いい人か?

泣いてイヤがるからと言って、虫歯の治療をしないのは、いい先生か?

何が相手にとって一番必要か、それを観抜く。(これを間違えると致命的である)

それが観えないようでは、“相手のためのように見えて自分のため”に陥ってしまう。

もう一度言う。

自分の主観的満足のためでもなく、
相手の主観的満足のためでもなく、
相手にとって本当に必要な援助を行うべし。

2014(平成26)年1月3日(金)『“する”<“なる”の暮らし』

あったかいコーヒーを入れましょう。

あったかい紅茶を入れましょう。

あったかいお茶を入れましょう。

愛情をこめるから美味しいんです。

いやいや
愛情がこもるから
美味しいんです。

ではどうぞお茶を入れました。

いやいやお茶が入りました。

この邦(くに)の風土には「する」より「なる」がしっくり来るんです。

2014(平成26)年1月2日(木)『大悲無倦常照我』

初洗濯をした。

外に干した。

冬の陽射しが当たった。

しばらくそのまま冬の空を眺めていたら…

あれ?

こんな真冬なのに洗濯物から湯気が出てる。

すげーな、太陽。

ふと近藤先生の顔が浮かんだ。

なんだか知らないけど、そんなふうにしてもらってたんだな、と思った。

寒いけどあったかい日。

2013(平成25)年12月28日(土)『共通の愚かさ』

同じ認知症の患者さんが、財布をどこかに置き忘れたとする。

Aさんは「イヤんなっちゃうわねぇ、忘れっぽくなって。どこに置いちゃったのかねぇ。」と言うばかり。

それに対してBさんは「ああ、きっと嫁が盗ったに違いない!」と言ってきかない。

二次妄想を生むのは認知症ではない。その人間の人格だ。

統合失調症の患者さんも同じ。同じ二次妄想を訴えても、その内容は全く異なる。

Cさんは、遠い銀河の星での楽しい暮らしぶりを天真爛漫に語る。

Dさんは、世界一の自分の能力の高さを慇懃無礼(いんぎんぶれい)にひけらかす。

なんということはない。BさんもDさんも発症前からそういう人格だったのだ。

人間の人となりに、
健常者も
認知症患者も
統合失調症患者もなかった。

精神障害の有無に関係なく、人間の我=自己中心性というものの問題は別件として強固に存在する。

2013(平成25)年12月27日(金)『正しい地口(じぐち)の使い方』

ある夜、ふと
「そうは烏賊(いか)の金玉」
という言葉が気になり、調べてみた。

そうすると
「そうは烏賊の金玉 蛸(たこ)が引っ張る」
というのが出て来て、のけぞったが、

さらに、
「蟹(かに)の褌(ふんどし) 烏賊の金玉 喉(のど)のちんこ」
というのまでヒットして来て、ガックリと膝をついた。

いずれも“地口”という、江戸期以来の語呂合わせの言葉遊びから来ている。

有名なところでは、
「あたりき、しゃりき、車引き」
「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」
などがあるが、
上掲の一句には、かなりのインパクトがある。

そうなると
〈果たして烏賊に金玉があるのか?〉
というのは疑問に思うところで、
成書によれば、烏賊の脚の付け根にある“トビ口”という咀嚼(そしゃく)器官のことを“烏賊の金玉”といい、好んで食べる烏賊通の方もいらっしゃるとのこと。

ここまで調べて当初の個人的目的は達成したが、ここまで調べた蘊蓄(うんちく)を誰かと共有したいと思うのも人情なので、ここに披瀝(ひれき)しました。

こんなことを書いて、万が一「社会的に尊敬されるべき精神科医ともあろう者が、このような品性下劣なことを書くのはいかがなものか。」というような感想を持たれた方がいらしたら、

頼みもしねぇのに、てめぇで勝手に読んでおいて、アッタマのおかしい文句を並べようったって、そうは烏賊の金玉よ!二度と読むな! このバーカ!

…江戸っ子はこのように使用致します、はい。

2013(平成25)年12月24日(火)『武者ぶるい』

ときは戦国時代。

さすがの武士たちも
いざ出陣となれば
手も足も口も震える。

震えるのが当たり前。

これから命のやりとりをしに行くのに
何にも感じないとしたら
そりゃ、馬鹿だ。

斬られる
刺される
射られる
撃たれる

痛いだろうなぁ
苦しいだろうなぁ
やだなぁ。

大事なのはそこからだ。

天命が戦えというなら
震えながら戦場に行くのが士(もののふ)というものだ。
(ちなみに天命が逃げろというなら
卑怯者の汚名を浴びても、逃げるのが士だ)

人間として
感じることはきちんと感じて
天命に従う。

要は、天命を間違わぬこと。(特に自分で勝手に思い込んだ「〜であるべき」を天命と思わないこと)

そして、天命をちゃんととらえたなら、
震える自分もそのままに
(震えてはならない、恐がってはならないなどと思わないで)
天命に従うこと。

それを生きるというのである。

2013(平成25)年12月17日(火)『出こもり』

ある調査によれば、
全国に約70万人もの引きこもりがいるという(もっと遥かに多いという報告もある)。

今の世に
自ら“私宅監置”しているような現状は
もったいないなぁ、
と思う反面、
彼ら彼女らをただ社会に押し出して“適応”させればいい、
というような意見にも違和感を覚える。

いくら社会に出て
表面的に“適応”していても、
“本当の自分”を押し殺して生きているのであれば、
それは“引きこもり”と五十歩百歩の“出こもり”だと私は思う。

“出こもり”を合わせると、
“本当の自分”が“引きこもって”生きている人間の数は、全国で約一億二千万人くらいだろうか。

解放されるべきは
健全なる
“本当の自分”
“本来の自己”
であることを忘れてはならない。

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