以前、ある女性看護師の方が相談に来られた。
既に他のカウンセラー(資格詳細不明)のもとで5年に渡ってカウンセリングを受けてきたというので、
何でまたここに?と思ったが、職場の話を伺っているうちに、彼女の抱えている問題がたちどころに明らかになった。
彼女は、どう聴いても、どうしようもない上司、冷酷な先輩、うるさい患者、クレーマー家族に囲まれて働いていた。
それなのに彼女は、その連中のことを非難することが全くないばかりか、庇(かば)い、褒め、好意すら示す表現を繰り返すのであった。
彼女が聖母マリアか観音菩薩の再臨でないことは、その哀しき「作り笑顔」が示していた。
彼女がひどい圧制下に育ったであろうことは、訊かなくても、明らかだった。
無力で弱い子どもは、圧倒的に強い親に対して、「怒り」と「悲しみ」を抑圧し、「賛美」と「奉仕」を捧げるしかなかった。
ちょうど恐怖政治の独裁者に忠誠を誓う少国民たちのように。
その明らかな問題が5年間もカウンセリングに通っていて、解決どころか自覚すらされていないということは大問題であった。
彼女は心の奥底で何がしかの不満を感じて、私のところを訪れたのである。
それはようやく踏み出した(相手のためではない)自分のための一歩であった。
そこに重要な意味がある。
そしてほんの数回のカウンセリングで彼女は今まで起きていたことに気づき、
やがて不安も恐怖も罪悪感もなしに、健全な「怒り」と「悲しみ」を表現できるようになって行った。
憎き相手を褒める矛盾、そんなことも簡単に気づきそうで、本人はなかなか気づかないものだ。
しかし気づきさえすれば、ホーナイの指摘する通り、「矛盾」は常に突破・成長への重要な端緒となる。
さて、あなたにはあなたの矛盾はありませんか?