2015(平成27)年7月30日(木)『自分のことが先』

患者さんを診る前に、自分のことが先。

利用者さんの支援をする前に、自分のことが先。

子どものことを何とかしようとする前に、自分のことが先。

当ったり前のことであるが、現実にはほとんど行われていない。

私もその事実に気づいたとき、驚愕し、失望した。

そんなんでやってるの?

しかも、専門の、いわゆる教育分析、訓練分析を受けている人たちでさえ、そんな浅いところまでで良いの?というレベルでやっているのであった(精神分析家の歴史について読んだときも、その権力欲、金銭欲、独善性のオンパレードに呆れ果てた。そこは分析して解決しなくて良いんだ)。

そしてその後よく観てみると、自分の問題と勝負しないで、自分以外の人に関わっている人たちの中に、二種類あることを知った。

ひとつは、自分に問題があることに気づいていた、気づいているが、それについて話し、深いところまで向き合うちゃんとした相手や機会に恵まれなかった人たち。

そしてもうひとつは、自分に問題があることに全く気づいていない人、気づきたくない人、浅いところを見つめただけでもう大丈夫と思いたい人たちである。

残念ながら、後者に縁はない。それでやるのは勝手だが、それによって生じる問題の責任は取れよ、と言うのみ。

そして八雲を開業した理由のひとつが、後者の人たちのためである。

私も近藤先生のお蔭で、どれだけ助かったかわからない。浅いいい加減なところで、精神分析ごっこや精神療法ごっこをするようにならないで済んだことに心から感謝している。

もちろん現在の私の境地は恩師に遠く及ばないが、ホンモノの伝統の一端を伝えることはできると思っている。

そう、この文章を読んで、えー、そこまでやんなくていいよ、やりたくないよ、と思った人とは縁がない。

そして、私もそう思う、と心から感じた人とは縁があるかもしれない。

2015(平成27)年7月22日(水)『評する者Ⅱ』

女優の樹木希林がテレビの対談シーンで言っていた。

「評する者があれば、我のみ。」

と。

どんな他者評価よりも自己評価を信ずる、という姿勢は見上げたものである。

しかし、ここにも落とし穴がある。

この「我(われ)」が、「我(が)」(=エゴ)なのか、「自己」(=セルフ)なのか、ということである。

「我(が)」(=エゴ)ならば、間違いなく独善的でナルシシスティック(自己愛的)な自己評価に陥るだろうし、

「自己」(=セルフ)ならば、私がちゃんと私しているか否かを正確に感得し、評価して行くだろう。

ホーナイ的に言うならば、他者評価の奴隷の「自己縮小的依存型」を脱したのは良いが、そのまま思い上がりの「自己拡大的支配型」に陥ったのでは何にもならない、ということだ。

やはり神経症的パーソナリティ構造を根本的に脱するためには、「自己」(=セルフ)の回復と実現が絶対に必要となる。

そうして初めて

「評する者があれば、自己(=セルフ)のみ。」

が成立するのである。

「自己」(=セルフ)を「自己」(=セルフ)させるものこそ、他ならぬ「自己」(=セルフ)の働きなのである。

ここを間違うわけにはいかない。

2015(平成27)年7月21日(火)『評する者Ⅰ』

あるクライアントが、相手が何を求めているかを察して、それに応(こた)え、評価されるのは得意中の得意でした、と真顔で言われるのを聴いていて、つい吹き出してしまった。

申し訳ない、と言いながら、諄々(じゅんじゅん)と次第を説明した。

その人が生育環境(→はっきり言って親)のせいで、相手の顔色を見ながら育ったことは事実なのだが、

彼自身の持って生まれた性質は、決してはしっこいタイプではなく、むしろ天然でノンビリしたものなのである。

よって、本人が必死で相手の思惑を察していた頃でさえ、残念ながらというより幸いに、そんなに即時にピタッと反応できていたはずがない。

ここまで言うと彼も「褒められてんでしょうか?ダメ出しされてんでしょうか?」と言いながら笑っていたが、こちらとしては間違いなく褒めているのだ。

天然でノンビリした気質などというものは、授からなければ発揮できない天禀(てんぴん)である。

はしっこくあざとい性質は、いわゆる“早わかりの浅わかり”に陥りやすく、往々にして成長が伸び悩んでしまうことが多いのである。

しかし、いずれにしても“他者評価の奴隷”は「本来の自己」を押し込める元であるため、まずは評価の主体を自らに取り戻さなければならない。

それが成長のための重要なステップの第一である。

 

[つづく]

2015(平成27)年6月18日(木)『廃墟』

あんたはいつから自分の中に“廃墟”を感じ始めたんだね。

彼は柔らかい口吻(こうふん)で(私に)尋ねた。

「十三歳から十四歳の間です。

八歳のときに強姦されましてね。

そのときには自分が何をされたのかわからなかった。

十歳を超えるあたりから少しずつ事態がわかりはじめて、十三歳から十四歳の間に、衝動的飲酒というんでしょうか、定期的に、大量のアルコールを飲んでふらふら街に出ていって、廃ビルの地下に酩酊状態で転がっているという行動をおこしはじめました。

十五歳からは、その行動は顕著でした。

その行動を抑制できるようになったのは、二十三歳から二十四歳の間です。

しかし、その間も学校にはちゃんと行っていました。

成績は悪くなかったし、誰にも、そんな行動をとっていることを悟られなかった。

でも、これは珍しいことじゃないですね。

驚くほど多くの人が、十歳以下で同じ経験をして、十三、十四歳くらいで、売春や薬に走っている。

その行動は約十年続き、幸運な人間は、その行動を抑制できる年齢まで生き延びる。

ただし、自分だけが汚れた十年間を抱え込んでいると思っている人は多いですね。

私が経験したのは悲劇でも特異な経験でもないですが、自分の中に廃墟を感じ始めたのは、たしかに十三、四歳の間です。」

あんたの言っていることは真実だよ。

彼は手を組み直した。

サヴァイバーの多くが十歳未満で性的暴行を受けている。

そして、十三、四歳になった頃、売春や薬を始める。

わざわざ危険な街頭に出ていって、帰る家があるにもかかわらず、街をふらつくようになる。

二十三、四歳まで生き延びられるかどうかが問題だ。

生き延びる知恵をつけた女性でさえ、たった一度の客選びの間違いで命を失ってしまう。

 

ある日本人女性(後にノンフィクションライターとなった)とサヴァイバー支援活動を行っているアメリカ人男性との会話である。

性被害だけではない。

何らかのこころの傷を抱え、自分の中に“廃墟”を感じながら生きている人は少なくない。

その人たちが確かに“生き延びる”ためには、自分自身が“廃墟”でないことを確かに教えてくれる、感じさせてくれる人間との出逢いが必要である。

そして、それが行えるようになるためには、まず支援者自身が自らの問題を解決し、自分の存在の尊厳を感じ取っていなければならない。

そうでなければ、関わる相手の中の“尊さ”を信じられるはずがないと私は思っている。

2015(平成27)年6月17日(水)『精神科クリニック選び』

質問されることが多いので、要点をまとめておきます。

精神科医しかいないクリニックは、実質、薬物療法だけを受けに行くところです。患者数が多いために、とても精神療法的対応をする時間的余裕がありません。

従って、薬物療法に加えてカウンセリングも受けたい人は、臨床心理士もいるクリニックを選びましょう。精神科医から薬物療法を、臨床心理士からカウンセリングを受けるわけです。但し、臨床心理士によるカウンセリングに保険は効かないので時間の長さと料金を確認しましょう。複数の臨床心理士がいるクリニックだと、合わない場合に選択できてベターです。

精神療法専門の精神科医からじっくりと精神療法を受けたい人は、自由診療の精神療法専門のクリニックを探しましょう。薬物療法も10割負担になりますので、ご注意下さい。料金が高いように見えて、実際には保険診療で開業するより経営的に苦しいのが実情です。従って、自分は精神療法をやるんだという志を持った精神科医がやっています。但し、力量はさまざまですので、じっくり見定めて下さい。

大切な自分のこころの健康のため、どういう精神科クリニックに行くか、ちゃんと選びましょう。

2015(平成27)年6月13日(土)『下衆を超えて』

A君から久しぶりにハガキが届いた。

今度、自分のクリニックを開業するのだという。

A君で思い出すのは、もう10年も前の話。

勤め始めたばかりの精神科病院を1カ月足らずで辞めてしまったことがあった。

彼の口吻に怒りが溢れ、確か「医療と何の関係もない拝金政治家」(「」内は彼の言葉)の理事長と「その内縁の勘違い元看護師」が経営責任者というテレビドラマさながらの設定で、

「下衆(げす)の極み」の経営っぷりで、

高齢患者の病棟の冷房費までケチる、

マルメの利ざやを稼ぐため、薬価の高い薬は出させない、

在庫を抱えないように、必要な常備薬も置かない、

そして周りは従順な職員ばかり、特に「ヘタレ精神科医」を揃えていたそうな。

何か、こういう劣悪病院のパターンって他でも聞いたことがあるような気がする。

そして辞めるトドメとなったのが、その「ヘタレ精神科医」の一人がラカン派の精神分析をやりたい、と言うのを聞いたときであった。

彼は遂に「魂売ってる自分の分析を先にやれ!」と言って辞表を出し、辞めてしまったのである。

そして十年。

彼は、ACT型のクリニックを開業するのだという。

彼らしいなぁ。

悪環境での就労体験があっても、それに呑み込まれ染まって堕ちて行くヤツと、

それを反面教師にして伸びて行ける人間とでは、やがて天地ほどの違いが出るのだ。

彼ならきっと良い医療をやってくれるだろう。

そんなヤツがたまにいる。

だから私も希望を持って前に進んで行けるのである。

2015(平成27)年6月4日(木)『良心的登校拒否』

先日、所用があって地域の図書館に行く機会があった。

空(あ)いた時間に、いつもは見ないようなジャンルの本棚を眺めていると、

『臆病者と呼ばれても 〜 良心的兵役拒否者たちの戦い 〜』

という本が目に入った。

第一次世界大戦を背景にイギリス人の兵役拒否を扱ったノンフィクションの本であった。

その本の内容よりも、私の脳裏にピンと走ったのは、

「良心的登校拒否」

という言葉だった。

いじめが横行しているような学校には行きたくない。

教師の圧政がまかり通っているような学校には行きたくない。

いじめる側にも、いじめられる側にも、入りたくない。

追従者にも、傍観者にもなりたくない。

だから学校には行きたくない。

立派な「良心的登校拒否」だと思う。

願わくば、それを支持してくれる親御さんに恵まれてほしいと思う。

そしてその上で、魂を売らなくても人間は生きて行けるということを教えてくれる大人たちに出逢って行ってほしいと思う。

及ばずながら、私もまたその役目の一翼を担(にな)っているつもりである。

いつでも話しに来いよ。

全ては、その子自身が、本当の意味で、勁(つよ)い大人になって生きて行けるために。

2015(平成27)年5月19日(火)『油そば』

ある油そばの店の話を聞いた。

店に入った途端、店員さんたちが一斉に

「あぶらっしゃいませっ!」

と言うのだそうだ。

笑っては一所懸命に言っている店員さんに悪いと思い、必死に笑いをこらえていると、

隣席の若い女性も、油そばを口に頬張った状態で、お腹をヒクヒクさせていたらしい。

すると、別のお客さんが油そばを食べ終わり、会計に立ち上がった。

店員さんたちが一斉に

「あぶらとうございましたっ!」

これで隣の女性は、たまらず吹いてしまったそうな。

そら、しょうがないでしょ。

でもなんだか手放しで笑いにくいんだよなぁ。

この話から、大学生の頃、クラスメートたちと初めて居酒屋「やるき茶屋」に行ったときのことを思い出した。

メニューを注文する度に、年輩の店員のおじさんから「ハイ!よろこんで。」と言われたのにも参った。

客とはいえ、年下の学生相手に一所懸命に「ハイ!よろこんで。」と言うおじさんに対して、なんだか身の置きどころがないような気持ちになった。

プロの姿勢は他のことからでも十分にわかるから、掛け声は普通で良いよ。

経営者さん、どうか別のところで勝負してくれ。

2015(平成27)年5月11日(月)『アグレッション』

悪意の言動をぶつけられて、腹が立つ。

そのときその場でそいつに怒りを表現するのであれば、それは健全な反応であり、大した問題ではない。

しかし、過去の(生育史上の)あのときあそこであいつに感じた怒りを、別のときに別の場所で別の相手にぶつける(ことができる)というのは、間違いなく病的な事態であり、治療が必要である。

その怒りを幼児や高齢者にぶつければ虐待となり、相手の些細な落ち度につけこむのであればクレーマーとなり、われわれセラピストもその攻撃の対象になりやすく、精神科臨床では日常茶飯事である。

何しろその攻撃というのも、決してストレートなものに限らず、言動の隙間に毒を仕込み、棘(とげ)を入れて来るようなやり方も多く、悪質さが目立つ。

小さくて弱かった頃に虐(しいた)げられて来た人間が、正面からは怖くて反抗できなかったために、質(たち)の悪い復讐の仕方を工夫して覚え、あのときあそこであいつ(多くは親)に出せなかった怒りを、別のときに別の場所で別の相手に出して来る。

やっぱりこれを実際に行えてしまうというところが病気なのである。

健康度の高い人間であれば、ちょっとそうなりそうになってもその異常さに気づき、完全に封じ込める。

そしてもっとまずいのは、そういう人間が、その問題を未治療・未解決のまま、医療、福祉、教育など、人間に関わる仕事に就きたがることだ。

これは大迷惑だ。

ただでさえ悩んでいる人たちや青少年たちに、さらなる苦しみや病んだ生き方の感化を及ぼすことは許されない。

陰口のきき方や擦れた言動、ひねくれた立ちまわり方ばかり教わりました、という青年がかつていた。

それを洗い流すのは、ひと仕事であった。

だから、アグレッション(攻撃性)を垂れ流してしまう人は、まず徹底的に治療を受けなさい。

そのままなら、ただの迷惑な存在であるが、もしその問題を根本解決できたとすれば、その人くらい対人援助職に向いている人物もいないということもまた事実なのである。

人間の突破・成長に終わりはない。

挑むべし。

2015(平成27)年4月27日(月)『怒る医者』

糖尿病専門クリニックに通っている患者さんが、医者からひどく怒られたという。

どうして食事療法をちゃんとやらないのか、ということらしい。

風邪を引いた子どもを小児科に連れて行ったお母さんが、医者からひどく怒られたという。

なんで子どもにこんな風邪を引かせたのか、ということらしい。

物忘れが目立つようになった高齢の父親を物忘れ外来に連れて行った娘さんが、医者からひどく怒られたという。

どうしてもっと早く連れて来なかったのか、ということらしい。

この場合は、娘に怒る医者に対して、当の父親が怒り返して帰って来たという(Good job!)。

この医者たちが、なんで怒るのか私にはわからない。

私も怒るときはあるが、それは自分自身や他人を意図的に傷つけたときである(それでも、重い精神障害のため病識のない場合は除く)。

多くの人は、いろいろなことがある中で、そのときなりの精一杯で生きている。

百歩譲ってそこに多少の誤りがあったとしても、

過去はもう終わっているし、患者さんのために未来を変えた方が良いと思うのであれば、重要なのは、これからのための動機づけということになる。

そうすると、この平成の時代、叱責のような負の動機づけによって、人の行動変容が起きるとは思えない。

あなたが(お子さんが/お父さんが)これから、より健やかに生きて行けるために何ができるか、一緒に考えて行きましょう。

そういう姿勢こそが必要なのではないかと私は思う。

先のお父さんではないが、最近はエラソーな医者が反撃を受けることが増えている。

問題患者がいることも事実だが、問題医者がいることも事実だ。

やっぱり職業、性別、年齢、人種などの属性によらず、人間は(他人のことの前に)まず自分のことをちゃんと内省して成長して行くことが絶対に必要なのだと私は思う。

2015(平成27)年4月23日(木)『箱そば純情』

久しぶりに箱そばに入った。

※箱そば…小田急レストランシステムが小田急沿線を中心に展開しているスタンドそば店。正式には「名代箱根そば」。私的には、都内を中心に展開しているダイタングループの「名代富士そば」と並ぶ、立ち食いそば店(最近はイス席も多い)の代表格。いずれも、しばらくすると、何故か無性に食べたくなるB級グルメの古参格である。

その日はもう昼下がりであったが、店内は盛況で、私のすぐ横の席に、高校生のカップルが向かい合わせで座って来た。

昼間に箱そばでデートなんて、なんて素朴なんだろう。

隣席まで30cmほどの近さなので、聞きたくなくても二人の会話がこちらの耳に入って来る。

彼は天ぷらそば、彼女はかき揚げそばの載ったトレーを取って来て、小さなテーブルの上に置く。

彼女「ああ、お腹空いた。」

彼「…ぅん。」

少年が黙って立ち上がり、2つのコップに水を注(つ)いで来る。

彼女「あ。ありがと。」

彼「…ぅん。」

そして彼は黙ったまま、自分のそばから、エビ天やイモ天をひょいひょいと彼女のそばの上に載せていく。

彼女「ありがと。 私、何を返せば良い?」

彼「いらねぇよ…。」と俯(うつむ)いて、ほとんど具のなくなったそばを食べ始める。

中高一貫男子校出身で、浮いた噂のひとつもなかった私としては、なんだか胸の中を内側からくすぐられる感覚に身悶えしながら、「ああ、良いカップルだなぁ。」と隣でうどんをすすっているのでありました。

大人になってもそんな気持ちで付き合える人になってね。

2015(平成27)年4月20日(月)『ルンパッパの約束』

小泉功(こいずみ・こお)の訃報を聞いた。

清酒黄桜のCM(以前にも紹介したように思う)で有名なカッパの漫画を描いた漫画家である。

日本では珍しく大人の絵の描ける人であった。

美人画はつとに有名であったが、セクシーでありながらいやらしくないという筆致はなかなかマネのできるものではない。

氏の逝去を悼みながら、私の連想は別の方向に走っていた。

以前、かのCMが好きだったという青年との間に交した約束があった。

○○を達成したら、また八雲に来る。

そして彼はまだ来ていない。

もちろん私は待っている。

必ず達成して来てくれるものと信じて待っている。

その約束があるから私の中であのCMは特別なものになっている。

さて、今夜は黄桜を呑むかな。

2015(平成27)年4月3日(金)『良寛Ⅱ』

この世界に生きることが心底イヤになっちゃったことのある方なら感じられるかもしれない。

「生涯身を立つるに懶(ものう)く

 騰騰(とうとう)天真に任(まか)す」

という良寛の気持ちが。

今、八雲に来ている人たちは、(現在、または、かつて)そういう方々が多いように思う。

「名誉心や利益心、自負や嫉妬やエゴイズムの跳梁(ちょうりょう)している社会」

「そういう『世の中』(=神経症的な世界)であくせくすること」が、心の底からイヤになってしまった。

それが「」し。

そして流石、良寛はその「し」に沈んだままになってはいなかった。

そこを根底から突き破っていく。

それが「騰々任天真」。

ただ「任す」のではない。

「『騰々任天真』の『任』『まかす』は、その本来においては自分がこちら側にいて、あちら側の天真に任すではない。任せきって分別なく騰々としていることである。或いは自分が天真になりきって、天真を現成(げんじょう)している風情(ふぜい)である。」

「天真が天真を転じているということになろう」

 唐木順三氏の指摘に賛意を表したい。

ここまで行って初めて「おまかせする」ということの真意が明らかになるのだ。

この世界に生きることに必定の「」さを根底から突き破るには、

「任天真」の体験に行く着くしかないのである。

 

 

   花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋(たず)ぬ。

   花開く時、蝶来(きた)り、蝶来る時、花開く。

   吾(われ)もまた人を知らず、人もまた吾を知らず。

   知らずして帝(天帝)の則(のり)に従う。

2015(平成27)年3月31日(火)『桜花』

第二次世界対戦末期、日本海軍によって作られたジェット戦闘機があった。

ジェット戦闘機というと聞こえが良いが、それは他でもない、特攻専用機であった。

機体は小さく、搭乗員一人が乗り込むのがやっと。

爆撃機の下にぶら下がるように取り付けられ、切り離しによって発射する。

物資不足もあって機体のほとんどは木製、両翼はベニヤ板であったという。

先頭部には大量の爆薬を搭載。

着陸は想定していないので車輪はない。

燃料は当然、片道分のみ。

それは爆弾に、小さな翼と申し訳程度のジェットエンジンを付けて、人が乗っているようなものであった。

その名は「桜花」。

咲いて散るのみの、余りに哀しい命名である。

若い搭乗員たちは、どんな思いでこの桜花に乗り込んだのだろうか。

そして、どんな人間がこの特攻機を設計し、出撃を命じたのだろうか。

今、自分自身が後進たちを教えるような立場になってつくづく思う。

素直で一途な若い生命(いのち)を、年上の者たちは大切に大切に教え育(はぐく)まなければならない。

教育とは、散ることよりも自分を咲くことを教えるものである。

目の前の満開の桜を眺めながら、そんなことを思った一日であった。

2015(平成27)年3月27日(金)『気の長いセラピー』

後輩の精神科医A君がセラピー中断例について相談に来た。

患者さんは、40代女性で、浪費癖が主訴だという。

目の前のことにお金をパッパと使っては赤字となり、後になって自分を責め苛(さいな)むという悪循環に陥っていた。

彼はまず鑑別診断として、注意欠如・多動症(注意欠如・多動性障害)(AD/HD)を諸検査によって除外し、

俗にいう買い物依存症も(DSM-5でも「精神疾患としての行動異常と認めるには十分なエビデンスがない」とされているが)特徴が異なるため除外された。

そうなると、その女性には非常に支配的・干渉的な母親がいたことから、これは生育史の問題がメインと思われた。

そういう場合、理性と意志の力によって、計画的に出費をコントロール(=セルフコントロール)できるように本人をトレーニングしていく治療が行われる場合が多いが、私や彼はそういう方法はとらない(それで本当によくなると思っていない)

その女性の中の、健全なこころの働きが回復すれば、出費は自ずと落ち着いて行く(=オートコントロール)ものと考えていた。

まず彼のセラピーによって、出費しては自分を責め続けるという悪循環に苦しむことはなくなった。

これが第一段階。

ところが、ここでその女性は、言わば、自責の念なしに出費できるようになったことに満足し、もう治療はいらないと、通院を中断してしまったのだという。

ああ、そうなったか。

「わがまま」と「あるがまま」の違いがわからないと、わがままな自由をゴールと勘違いしてしまうおバカさんがいるものだ。

そして“痛い”経験をすることになる。

セラピーの本番、第二段階はこれから始まるところだったのだが…。

そして、来ないものはこちらから押しかけて行くわけにもいかないので、彼が心配していたところ、

その女性が自宅の土地建物も売ってしまったという噂を聞いたのだという。

ああ、已(や)んぬる哉(かな)。

きっとそのお金も、やがて使ってしまうだろう。

彼に頼っておきながら、ちょっと楽になったところで、自分の判断が正しいと思い上がって暴走してしまったところに、その女性の致命的失敗があった。

私は彼に言った。

「そのまま静観していれば良い。

もしその女性が賢明であれば、自分の増長に気づいて、君のところに(他に行ったって良いが)すいませんでしたと帰って来るだろう。

そしてもし本物のおバカさんなら、本当に破滅するまで浪費し続けることになるだろう。」

セラピーは時に(必要なんだからしょうがないがけれど)気の長〜いものとなる。

2015(平成27)年3月20日(金)『写真』

子どもの頃の写真は一枚も持っていない。

家を出て自立生活を始めるとき、過去の物はほとんど処分して来たのと、

私は双子であるため、弟の方が幼少期のアルバムなどを持っているためだ。

しかし今も記憶に残っている写真が何枚かある。

一枚は、確か2歳くらいの底抜けにおどけた顔の写真。

間違いなく根がお調子者の証拠である。

もう一枚は、4歳くらいの、眉間に皺を寄せて弟の陰に隠れている写真。

ああ、神経症がもう始まっているとひと目でわかる。

幼稚園の頃、早くも、安心して遊べる友だちが一人もおらず、

体育館の隅に積み上げられた跳び箱の上、天井との間の薄暗く狭い空間が、いつもの私の居場所だった。

そこからは紆余曲折の長い話になるので割愛するが、

恩師との出逢いによって、全てが修正され、本来の自己に戻れた。

そしてさらに人の役に立てるところにまで成長できた。

面談しながら、いつも思う。

かつての私がしてもらったことを、あなたに返しているのである。

そしてまたこの人が誰かに、愛する大切な人に返してくれる日が来れば、とてもとても嬉しいと思う。

2015(平成27)年3月17日(火)『良寛Ⅰ』

私が何故、児童専門外来をやって来たかということを、ただ一人の畏友が「良寛ですね。」と言ってくれたことがあった。

勿論、良寛の境地に及ぶべくもないが、その消息を唐木順三が端的に書いてくれている。

「良寛が子供たちと手まりをつき、かくれんぼをし、草花をつみ、打興(うちきょう)じて倦(う)むところがなかったことはその行実(ぎょうじつ)や逸話によって知られている。或る人が、なぜ子供たちが好きかと聞いたところ、『その真にして仮(け)なきを愛す』と答えたと」いう。

「私がまりを打つと子供たちがそれについて歌い、私が歌うと子供たちがまりをつく。つきつうたいつ、うたいつつきつ、時のたつのを忘れてしまった。そこへ通りかかった里人(さとびと)がこのていたらくを見て笑いながら、いやはやまたどうしたことかとあきれ顔に言った。私はただ頭をさげてちょっと会釈するだけで、返事もしない。たとえ言葉でそれに答えたとしても、その真意は伝えにくい。強いて言えというならば、これこの通り、歌ってまりをつくばかり。」

「大人の良寛が子供たちと遊んでいるのを見て、おかしいと思うのは大人の分別心から来ている。大人とはかくかくしかじかの者、子供とはかくかくしかじかの者と規定し分別しておいて、その上で良寛のふるまいはおかしいと思うわけである。子供は無分別だが大人には分別がある。その分別のあるべき大人が、無分別な子供と一緒になってと、そう思うわけである。そして我々は日常そういう世界に住んでいる。」

「世間から痴愚と言われていた良寛が、大愚となって世間の小愚を眺めているのである。」(一部改訂) ※良寛の号を大愚という。

少なくとも良寛は、非常に親近感を感じる歴史上の人物の一人である。

2015(平成27)年3月11日(水)『生きる』

今日で東日本大震災から4年。

テレビや新聞も追悼番組や関連記事が続く。

しかし、どんな名アナウンサーのコメントや看板記者の記事よりも、

当事者、特に生き残った人々の言葉が胸に突き刺さる。

「津波から逃げる時、握っていた妻の両手を離してしまった。

手が離れていく感覚、『父ちゃん』という声が忘れられない。」

「一気に津波ににまれ、かあちゃんを小脇に抱えて家の壁伝いに立ち泳ぎしたが、

気がついたらかあちゃんの服だけをつかんでいた。

ごめん。助けられんかった。」

このような話を何度目にし、耳にして来たことか。

いつ癒えるのだろう。

いつ癒されるのだろう。

安易な言葉かけで解決できるとは思えない。

しかし、少なくとも亡くなった人たちが、残った愛する人たちの日々の幸せを願っている(願っていた)だろうことだけはわかっておいてほしいと思う。

あなたが幸せでないと、彼ら彼女らが浮かばれない。

みんな死ぬまで与えられた生命(いのち)だ。

その日まではちゃんと生きよう。

2015(平成27)年1月30日(金)『くりからもんもん』

小学生の頃の自宅(広島)は、父親の精神科病院の向かいにあった(それまでは病院の二階が自宅であった)。

ある日、小学校低学年の私が学校から帰って玄関のドアを開けると、中にたくさんの男の人が立っていた。

今でも覚えているが、その大半が鯉口か、派手な開襟シャツを着ており、後ろ側から見ると、シャツからはみ出たさまざまな倶利迦羅紋紋(くりからもんもん=刺青(いれずみ))の壮観な眺めであった。

見ると、向かいには和服姿の父親が男たちに対峙するように立っている。

しかし当時の私は至って能天気で(事態がよくわかっていなかった)「ただいまー。」とか言いながら男たちの間を縫うように通り、靴を脱いで、奥の方に入って行った。

当時は、覚醒剤にまつわる暴力団関係者の入院が多く、後から聞いた父親の話では、親分を退院させろ、と子分たちが談判に来ていたとのこと。

事の顛末は覚えていないが、無事だったところを見ると、警察署も近く、公安委員もやっていた父親のことなので、恐らく警察に間に入ってもらったのだと思う。

少なくとも当時の私の周囲では、倶利迦羅紋紋との遭遇はさほど珍しくなかった。

そして後年、今度は、大学生になって飛行機で東京から帰省した際、

隣席に乗り合わせた、どこかの大企業の重役を思わせる、品の良い中年男性から話しかけられ、機内で歓談に花が咲いたが、

広島空港に到着するに及んで、彼を出迎えていたのは、角刈り、やっぱり鯉口か派手な開襟シャツ、倶利迦羅紋紋、指1〜4本なしの子分衆の整列であった。

このギャップはすごいなぁ、などと思いながら、スモークドグラスのベンツとお供の車列が去るのを見ていたのを覚えている。

今は時代が違うだろうが、少なくとも当時の広島の倶利迦羅紋紋の人たちには、どこか緩い雰囲気があったと思う。

その後、精神科医になってからも、臨床場面で何度かその筋の方にお逢いすることがあったが、割合平気で話ができるのも、そういった経験のお蔭かもしれない。

実際、治療場面では、倶利迦羅紋紋であろうとなかろうと、心の中は同じ人間である。

2015(平成27)年1月21日(水)『選択』

「家を建てる時に、人は良いが腕の悪い大工か、性格は悪いが技術の確かな大工と、どちらを選びますか。」

という話がある新聞に載っていた。

私はすぐに

「手術を受ける時に、人は良いが腕の悪い外科医か、性格は悪いが技術の確かな外科医と、どちらを選びますか。」

という話を連想した。

あなたはどちらを選びますか?

私の答えは決まっている。

人格に優れ、腕も良い外科医しか選ばない。

そうでなければプロではない。

どちらかでは半人前である。

そのレベルなら臨床の場に出るな。

人の生命を預かるプロというのは、そういう世界であると私は思っている。

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