後輩の精神科医A君がセラピー中断例について相談に来た。
患者さんは、40代女性で、浪費癖が主訴だという。
目の前のことにお金をパッパと使っては赤字となり、後になって自分を責め苛(さいな)むという悪循環に陥っていた。
彼はまず鑑別診断として、注意欠如・多動症(注意欠如・多動性障害)(AD/HD)を諸検査によって除外し、
俗にいう買い物依存症も(DSM-5でも「精神疾患としての行動異常と認めるには十分なエビデンスがない」とされているが)特徴が異なるため除外された。
そうなると、その女性には非常に支配的・干渉的な母親がいたことから、これは生育史の問題がメインと思われた。
そういう場合、理性と意志の力によって、計画的に出費をコントロール(=セルフコントロール)できるように本人をトレーニングしていく治療が行われる場合が多いが、私や彼はそういう方法はとらない(それで本当によくなると思っていない)。
その女性の中の、健全なこころの働きが回復すれば、出費は自ずと落ち着いて行く(=オートコントロール)ものと考えていた。
まず彼のセラピーによって、出費しては自分を責め続けるという悪循環に苦しむことはなくなった。
これが第一段階。
ところが、ここでその女性は、言わば、自責の念なしに出費できるようになったことに満足し、もう治療はいらないと、通院を中断してしまったのだという。
ああ、そうなったか。
「わがまま」と「あるがまま」の違いがわからないと、わがままな自由をゴールと勘違いしてしまうおバカさんがいるものだ。
そして“痛い”経験をすることになる。
セラピーの本番、第二段階はこれから始まるところだったのだが…。
そして、来ないものはこちらから押しかけて行くわけにもいかないので、彼が心配していたところ、
その女性が自宅の土地建物も売ってしまったという噂を聞いたのだという。
ああ、已(や)んぬる哉(かな)。
きっとそのお金も、やがて使ってしまうだろう。
彼に頼っておきながら、ちょっと楽になったところで、自分の判断が正しいと思い上がって暴走してしまったところに、その女性の致命的失敗があった。
私は彼に言った。
「そのまま静観していれば良い。
もしその女性が賢明であれば、自分の増長に気づいて、君のところに(他に行ったって良いが)すいませんでしたと帰って来るだろう。
そしてもし本物のおバカさんなら、本当に破滅するまで浪費し続けることになるだろう。」
セラピーは時に(必要なんだからしょうがないがけれど)気の長〜いものとなる。