2016(平成28)年10月3日(月)『○年の嘘』

クライアントの方から

「八雲に通うようになって○年になります。」

と言われることがある。

ときどき「ん?」と引っ掛かる。

私自身は八雲に近藤先生が亡くなられるまで10年間通ったが、もちろん毎週のことであった。

一人ひとりに時間的・経済的事情もあると思うので、毎週通いなさいとは言わないが、最低でも月1回以上の頻度で通い続けたのでなければ、「○年通った」とは言えないと私は思う。

実際、「八雲に通うようになって○年になります。」と言う人に、たまにしか来ない人が多いのはどういうことだろうか。

ホームページにも書いたが、面談が1カ月以上間隔が空くと精神的に元に戻ってしまう人が少なくない。

月1回というのも維持するのに最低の頻度なのだ。

個人的には、3週間に1度、いや、できるならば2週間に1度、なんとかなるなら1週間に1度を勧めたいところである。

砂山を登るのをイメージしていただくと良い。

足を止めるとズルズルと下に落ちて行く。

落ちる前に登る。

落ちる以上に登る分だけ、高みに行けるのである。

そしてある程度登り続ければ、地盤の硬い踊り場のような場所に出る。

そこまで来たらひと休み。

そこから下に落ちることはない。

そしてまた次の高みに向かって砂地を登って行く。

面談の継続はそんな感じなのである。

本当の意味で八雲を活用されるのなら、肚を決めて月に1回以上は通いましょう。

諸般の事情から、どうしてもそうできない場合は、少なくとも自分が詰めて通っていないことに自覚を持ちましょう。

成長の道は、自分の生き方を根本的に変える道は、なかなかに簡単ではないのである。

2016(平成28)年9月12日(月)『勁(つよ)くあれ』

パラリンピックの中継を観る。

9月9日(金)の女子走り幅跳び(切断などT44)。

鍛え上げられた体と競技用の洗練された義足をつけたアスリートたちが並び立つ。

素朴に「It’s cool!」と思ってしまう。

まるで違和感がない。

そうなのだ。

彼女たち自身、誇りを持ってパラリンピックに参加し、競技に臨んでいる。

その心持ちが伝わって来るのだ。

代わって、ある朝のバス停。

黒いパグがガードレールにつながれている。

きっと目の前のコンビニで買い物をしている主人を待っているのであろう。

その近くにランドセルを背負った小学校1年生くらいの男の子とお母さんが立っている。

気がつくと、男の子の左上肢は肘関節から先がなく、右下肢は大腿の途中から義足である。

中年女性が出て来て、パグのリードを解(ほど)いたとき、

少年は我慢できずにキラキラした眼で「触(さわ)って良い?」と訊(き)く。

「いいよ。」

思い切りパグの背中や頭を撫でまわす。

気の良いパグもされるがままにしている。

少年はまだ差別や偏見に毒されていないのだと思った。

思わず見知らぬ人に「触って良い?」と言えるのだから。

ああ、これからの人生もそのままで過ごしてほしい、と今までなら願っていたであろうが、先のパラリンピックの中継を観て、少し思いが変わった。

あのアスリートたちもきっと差別や偏見に晒(さら)された経験があるだろう。

しかし、それを経て、あの堂々たる佇(たたず)まいである。

勁くあれ。

今ならそう祈りたい。

「勁」とは「強」と違い、自分がどうであっても自分そのままであることに誇りを感じることをいうのである。

2016(平成28)年9月4日(日)『ごちそうさまでした』

自宅から歩いて5分のところに小さなスペイン料理屋があった。

住宅街の中のビルの2階、テーブルとカウンター10席あまりのスペースをマスター一人で仕切っていた。

青山の店で働いていたというマスターの腕は冴え、出て来る料理がどれもこれも美味い。

お世辞抜きで美味い。

そして、毎回選んでもらうワインが美味い。

掛け値なしに美味い。

そして安い。

こちらがもうちょっと値段を上げた方が良いんじゃないかと思うくらい安い。

そして何故かいつも空いている。

来ないヤツは馬鹿なんじゃないかと思うほどである。

確かに、ロケーションは余り良くないかもしれない。

見るからに宣伝の上手でなさそうなマスターである。

空いているのを幸いに、私はほぼ週一ペースで通っていた。

そして“その日”は、急に訪れた。

「店を閉めることになりました。」

えっ!?

しかも、明後日閉めるという。

急遽、予約を入れ、二日後も訪れた。

最後まで料理は全て美味かった。

開業の形態や姿勢が自分に近いこともあり、親近感を感じていたので、つくづくと思うところがあった。

それは、ちゃんとやっている人はちゃんと知られる必要がある、ということである。

それは世俗的に有名になるということではなく、必要としている人にちゃんとつながるためである。

幸せな気持ちになれるあの料理が今後食べられなくなるのは返す返すも惜しい。

再会を期して店を後にした。

八雲も改善すべきところは改善しよう。

八雲はすぐに閉めることはないと思うが、既に逢っている人とも、これから逢う人とも、もっともっと逢って話してから死にたいと思うから。

2016(平成28)年9月2日(金)『さようなら』

「さようなら」

と言われるのが苦手だった。

日常の何気ない挨拶として言われても、何処か胸の内が痛んだ。

後になって、

子どもに十分に関わることのできなかった親の状況、

兄弟間における親の愛情獲得競争、

たまに愛してくれたとしても、親の価値基準に沿ったときだけであり、私が私であることに寄り添ってもらえなかったこと、

そして他者に対する基本的不信があったため、家庭外に人間関係を広げることができなかったこと、

などなど、あれやこれやが重なって、端的に言えば、幼児期の私は寂しかったのである。

だから「さようなら」に弱い。

また一人自分の傍から誰かがいなくなり、一人取り残されるような、見捨てられる不安に襲われるからである。

じゃあ、今の私はどうかと言うと、近藤先生の薫習のお蔭で、自分の存在が絶対的に一人でないことを感得することができたので、

昔のような胸の痛みなく、「さようなら」を言うことも聞くこともできるようになった。

そして近藤先生が亡くなられたときも、感傷に浸ることなく、スッとそこに立っていられたことは、むしろ何よりの報恩感謝の証(あかし)となった。

さぁ、

「はじめまして」

「さようなら」

また明日を迎える。

2016(平成28)年8月10日(水)『柔らかく硬い壁』

ある人と話をした。

よく頷(うなづ)き、柔和な笑顔。

一見、人当たりの良いように見える。

しかしすぐに観えて来る。

「こちらの話を全く聴いてないな。」

「自分の考えを変える気は全然ないな。」

柔らかいようで硬い壁があるのだ。

そんなことがたまにある。

それだけで、訊かなくてもその人の生育史が観えて来る。

作り笑顔と首肯で、大人たちからの圧政をかわし、他者の意見は全く聞き入れず、自分の考えだけが絶対に正しいと心秘かに思うことで、自分自身を保って来た生い立ちが。

こういう人は、あからさまに反抗して来る人たち=硬い壁の人たちよりもずっと手がかかる。

面従腹背が身についているため、本音が出て来るまでに非常に時間がかかるのだ。

だから、こちらは待つ。

その防衛の壁を叩き壊すこともできるが、そうすると忽(たちま)ちに逃げ出してしまうことが多い。

その人の本格的な成長を思うと、本人が本当に困るまで待つ方が良いことを私は経験で知っている。

但し、待つとなったら一生待つわけで、寿命との競争になることもある。

死ぬまでに気づけるかどうか、それはやはり本人次第となる。

法然上人のお蔭で私も気が長くなった。

今生がダメなら来世があるさ、とおっしゃる。

まだ死んだことがないので来世があるのかどうかわからんが、

あるならあるでチャンスが延びるし、

ないならないで自業自得ということである。

私個人は今回の人生で絶対に気づきたいと思う。

そしてそういう人たちに、そういう時機に来た人たちに八雲に来ていただきたいと心から願っている。

2016(平成28)年7月26日(火)『精神療法』

学校で毎日のように注意され怒られ叱られ続けている女子高生がいた。

逢ってみると、どうもそれは能力的な問題によるのではなく、散々に否定されて来た生育史が悪さをしているようであった。

ひどく攻撃されるかもしれないという恐怖と緊張の下で、自分のパフォーマンスを存分に発揮できる人間はいない。

その証拠に、うなだれて溜め息をついていた彼女は、話すに連れ、顔を上げ、笑顔になり、機転の効いた打てば響く会話を続けて来る。

そしてそのとき、彼女の存在からは、なんとも言えず、力勁く溢れ出す華が感じられたのである。

ここらが近藤先生から学んだ精神療法の真骨頂だと改めて思う。

その華を感じながらしゃべっていると、こちらの胸の中にもなんとも言いようのないものが湧き上がって来る。

この容易に言語化し難い体験を感じながら話していると、今度は彼女が私の反応にさらに反応して来るのがわかる。

益々その華が咲き溢れて来るのだ。

今、間違いなく彼女が彼女している。

「あぁ、楽になったぁ。」

と椅子に座り直して彼女が笑う。

こういう精神療法が知識や技術でできると思いますか、皆の衆。

ここで起きた現象を表現する精神分析用語はないので(無理に言おうとすれば皮相な話に片付けられてしまう)、敢えて仏教用語を借りて言うならば、感応道交、仏々相念、転法輪の世界が展開したのである。

私の力など何もない。

凡夫を通して人を本来のその人たらしめる力が働くとき、私はそれを精神療法と呼ぶ。

お蔭で私まで元気になったのでありました。

2016(平成28)年7月12日(火)『ちゃんとわかろう』

人間の成長にとって最大の敵は「わかってないのにわかった気になる」ことである。

そうなると成長がそこで止まってしまう。

近藤先生から森田療法の指導を受けたあるセラピストがいた。

先生の指導宜しく、些か感じるところがあった。

しかし彼は思い上がってしまった。

それが森田療法の体験の全てだと思ったのである。

そんなのは、ほんの保育園の一日目程度の体験に過ぎなかった。

それでも先生は彼を微笑ましく見ておられ、それ以後少しずつ指導して行くつもりでおられたが、やがて病を得て遷化された。

よって彼の成長はそこで止まった。

そして近藤先生亡き後、彼は私と話したがった。

しかし私には「情けなさの自覚」のない人間とは話すことがない。

彼の境地を見切った後は、お断りした。

もし彼が生きている間に、自分の増上慢が死ぬほど情けなくなれば、何か話す日が来るかもしれない。

そしてこの話を聞いて、ある人が謙遜して

「私の体験も保育園の一日目程度ですね。」

と言ったことがあった。

私は訂正した。

「いや、君はまだ待機児童段階だ。」

人間の思い上がりは果てしないのである。

そして今、夏季集中講義の準備をしていて思う。

もうホーナイの言うことはわかった、と思っている人がきっといるだろう。

本当に「わかる」「体験に基づいてわかる」「体得する」ということは、世界の見え方が根底から変わるような一大事なのである。

青虫が蝶になるくらいの変化成長がないとね。

だから私は繰り返しホーナイを取り上げるのだ。

自分がまだ本当にはわかっていないことがわかるということ、それこそが成長の重要な資質であると思う。

2016(平成28)年6月17日(金)『フリーのスーパーヴィジョン』

昔は、フリーになるのが恐かった。

他者評価の奴隷であったのだから当然で、

他者の中にいて、他者に自分の存在価値を証明してもらう必要があった。

医局、同窓会、関連病院、学会所属、資格取得などの、組織つながり、利害つながりが必要だったのである。

近藤先生のお蔭で、今の私はそれら全てを切り離して仕事をしながら、何の不安も問題もない。

自分の精神療法一本で、実力勝負に出られるからである。

そして思う。

医者よりも、いわゆる医療・福祉関係の国家資格取得者たちの方が、幸いにも、そういう縛りや係累(けいるい)は少ないのではなかろうか。

となると、不必要に群れないで済むのは有り難いが、

今度は孤立しやすい面を持っているとも言える。

特に、自分なりの志、自分なりの考え、自分なりのセンスを大事にしたい人は、

たまたま勤めた狭い職場の中だけでは、尊敬できる先輩・上司、共に語れる仲間たちに恵まれないかもしれない。

そうすると、「思うて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あやう)し」と孔子も言ったように、一人決めだけだと、独善や偏りに陥る危険性がある。

実は、そういう人たちのために八雲総合研究所を作った面もあるのだ。

即ち、志ある精神保健福祉士、社会福祉士、臨床心理士、看護師、作業療法士、介護福祉士が、人間個人としての自分を磨く場を作りたい(専門的な知識・技術の研修の場は既にたくさんあるが)

そして、そういう場として八雲を活用してもらいたいと思ったわけだ。

フリーの人が、自分個人のためだけに人間としてのスーパーヴィジョンを受ける場である。

精神保健福祉士、社会福祉士、臨床心理士、看護師、作業療法士、介護福祉士の人たちの中に、まだ磨かれてない珠(たま)のたくさんあることを私は直観しているのである。

2016(平成28)年6月14日(火)『ちょっとだけよ』

教育用のビデオの中で、ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズが面談の最後にクライアントに向かって言った言葉が私の心に残っている。

「あなたは“ほんの少し”開いた。」

「私たちは“ほんのちょっと”出逢った。」

そんな意味の言葉だったと思う。

これは私も、講義や講演、面談の際にしょっちゅう体験する感覚である。

だから繰り返し連想するのだと思う。

そしてその続きを言うならば、

「そしてあなたはまた閉じ、私たちは別れた。」

ということになる。

そう。

その後も自分が開き続けるためにどうするか、その有無が人生の岐路となる。

そこに食らいついて来る学生、聴衆、クライアントには、継続的で本格的な成長が始まる。

しかしそこで終わりの人は(つながったりつながらなかったりする人も含めて)、元の木阿弥、はい、それまでよ、である。

やはり後者が圧倒的に多い気がする。

しかしたとえ前者が千人に一人、一万人に一人であろうと、つながり続けようとする人たちがいるから、私は役目を果たしていける。

さぁ、その“ちょっと”の人たちのために、明日もまた八雲の門を開けよう。

2016(平成28)年6月7日(火)『あなた次第』

自分が自分でなくなっていく家庭で暮らしている人がいる。

自分が自分でなくなっていく職場で働いている人がいる。

自分が自分でなくなっていく狭い世間の中で生きている人がいる。

そうするしかないんです。

ノーと言えないんです。

とても抗(あらが)えないんです。

泣き言と言い訳は結構である。

日本は独裁国家でもなく、

秘密警察もおらず、

コメカミに銃口を突き付けられているわけでもない。

あなたの自由意志で全てが決まり、二十歳を過ぎれば、何をどう選んでも自己責任が付いて回る。

そしてそれに相応(ふさわ)しい人生が待っているだけである。

もし私の出番があるとすれば、

あなたが勇気をもって今までとはっきりと違う行動(お茶を濁したようなちょろまかしの行動ではなく)を具体的に起こしてからである。

自らが闘いの血を探さないで、

ノーと言えるようにして下さい。

抗(あらが)えるようにして下さい。

自分らしく生きられるようにして下さい。

一昨日(おととい)来やがれ、である。

そんな虫の良い悪依存に乗るわけがない。

あなたが勇気をもって今までとはっきりと違う行動を具体的に起こしてからが私の出番。

そしてあなたが自分が自分であるための行動を起こし続ける限り、私はあなたを支援する。

八雲はそういうところ。

だから「治療」でなく「成長」の場所なのだ。

(本当に深く傷ついて何もできないのであれば、医療機関でちゃんと治療を受けるべきである)

正確に理解して活用されたし。

2016(平成28)年6月5日(日)『兄亊』

師がいる。

兄弟子あるいは姉弟子がいる。

人格・実力ともに信頼・尊敬できる先輩であれば、

師から指導を受けながら(=師事(しじ)しながら)

兄弟子からも指導を受ける(=兄亊(けいじ)する)ことがある。

(姉弟子の場合も兄亊というらしい)

当然のことながら、兄亊する兄弟子あるいは姉弟子にも相当な力量が要求されることになるが、

ただ長くいるだけで、力量もないのに、上から目線でわかったようなことを言い出す連中も少なくない。

それを「お局(つぼね)さま」(女性の場合)あるいは「ご老中」(男性の場合)と呼ぶ。

最も厳しい蔑称である。

歴史の浅い八雲では、まだ兄亊できる力量のある人材は育っていない。

私はむしろそれを幸いと思っている。

みんなが同志、仲間である。

近藤先生の奥さまがよく

「うちの旦那さまには一番弟子が多くて困るわ。」

と言って笑っておられた。

自分はあんたよりもわかっている、自分の方が長く通っている、と思い上がること自体が未熟の証(あかし)であることは言うまでもない。

その暇があったら、ひたすら自分個人の成長に精進するのみである。

2016(平成28)年6月4日(土)『まっすぐに叱る』

北海道で行方不明になっていた男子小学生が発見された。

無事の知らせを聞いて、胸を撫で下ろした人も少なくないだろう。

既にいろいろな人がいろいろなことを論じているので、

私は子育てや教育場面で行われがちな「脅し」に絞って書いておきたいと思う。

要点は簡単。

あの少年の父親はあくまで

「人に向かって石を投げるな!」であれば「石を投げるな!」で息子と真っ向勝負すれば良かったのだと私は思っている。

それを「息子を森の中に置き去りにし、恐怖を体験させることで、お父さんの言うことをきかないとこういう恐い目に遭うことになるぞと思い知らせる」という回りくどい脅しの作戦に走ったのが最大の失敗であった。

しかし、この手の「脅し」は、子育てや教育現場の日常に溢れている。

「ママの言うことをきかないんだったら、もう〇〇を買ってあげないもんね。」

「〇〇に連れてってあげないもんね。」

「お父さんの言うことをきかないんだったら、○○をやめさせるぞ。」

「〇〇を取り上げるぞ。」

「先生の言うことをきかないと、試合に出さないぞ。」

「推薦を取り消すぞ。」

などなど。

これらはみんな、元々が

「〇〇しろ!」

「〇〇するな!」

の真っ向勝負で済む話なのだ。

そうでない上記の「脅し」は、すべて虐待かハラスメントに相当する。

それにしても、どうしてこんなことを言うようになってしまったんだろう。

それは親や教諭自身がそう言われて育って来たからに違いない。

呪いはどこかで断ち切らないと、そうと気づかれないで繰り返される。

あの少年が辛い体験をしてわれわれに示してくれた大事なことがあるのだから

われわれは心して学ばなければならないと思う。

少なくともわれわれだけは、子どもに卑怯な脅しは使うまいぞ。

2016(平成28)年3月5日(金)『やっぱり二師に見(まみ)えず』

昨日「どの本を読むか」について書いたが、

個人的には、本の選択について、まだ観る眼ができていないときは、信頼・尊敬できる人に訊いて、(単発でなく)系統的に教えてもらうのが一番良いと思う。

そうすれば、方向性、浅深を間違えることなく、同じ真実の道の方向性を持った本を読み重ねて行くことができる。

但し、「信頼・尊敬できる人」を見誤ったときは、自業自得、自己責任であるから、覚悟すべし。

それにしても、「同じ真実の道の方向性」という捉え方は、とても重要だと思う。

昔から、精神的な成長を期す人は、「二師に見(まみ)えず」(二人の師は持たない)、自分の精神的な師は一人のみ、というのが鉄則であった。

治療の際にも、ダブル・セラピスト(セラピストが二人)は禁忌、という原則がある。

何故ならば、「船頭多くして船山に登る」、

あちこちからいろいろなことを聞き、当面耳触りの良い方を取り入れているうちに、大した成長もできずに終わることになるからだ。

二つ以上の「違った道の方向性」は、混乱の元である。

かつて近藤先生のところに通いながら、他のセラピストのところにも通っている精神科医がいた。

そいつは今も腰が定まらず、薄っぺらに生きている。

よって、もし私のところに通って来ている人であれば、そういうときは、どうぞ私の方をやめて構わないから、精神的な師は一人に絞ることをお勧めする。

頂上に至る道はいろいろある。

だが、一度に二つの道を登ろうとすることだけはおやめなさい。

歩む道は一本のみだ。

2016(平成28)年3月3日(木)『どの本を読むか』

ときどき

「先生、この本、どう思いますか?」

と訊かれることがある。

大抵は、サイコセラピーや仏教、キリスト教、瞑想など、精神世界の本なのだが、正直言って気が重くなることが多い。

申し訳ないが、大方がハズレの本なので、否定的な答えをせざるを得なくなるのだ。

もっと良い本を読んでくれんかなぁ、という気持ちになる。

しかし、かつての自分のことを考えるとは、むしろ、よく訊けるなぁ、と思う。

私が近藤先生のところに通っていたとき、自分の観る眼を全く信じていなかった(その自覚があった)ので、まず近藤先生が著書や講演で引用されている古典、仏典、聖典などをひたすら読んでいたのを思い出す。

しかもわかっていない自称専門家たちの浅薄な解説は却って邪魔になるので、できるだけ原文と純粋学術的注釈のみの本に挑戦した。

(現代本に良いものがないわけではないが、古典の中に深いものが圧倒的に多く、その文体自体にも響きがある。是非とも、苦手意識を持たず、古文・漢文にも挑んでいただきたいと思う)

もちろん読書だけで成長するわけもなく、その間、面談によって薫習を戴いていたわけだ。

そうすると不思議なことに、段々と書かれている原文の表面的な意味とは別の真意まで読めるようになって来る。

「あの古典に書いてあったこの言葉は、本当はこういう意味なんですね。」

「よくそこに気がついたね。」

そういった問答を近藤先生とするのが、この上なく楽しみであった。

こうして私はまず自分の観る眼を養った。

そして数十冊の経験を経てから、ようやく自分の選別眼のみで本を選ぶ作業に入ったのである。

それらを読んでいて何か気づいたことがあれば、

「先生、この本のこういう言葉はどう思われますか? 私はこう思うんですけど。」

とお尋ねする。

その度ごとに先生に1冊読んでいただくわけにはいかないので、自分の感じたことの要点をお伝えしたのだが、これは結構な真剣勝負であった。

自分の今の境地の程度を示していくわけであるから。

そして、先生のフィードバックを得て、また自分の真実を観抜く眼を磨いて行くのであった。

ここで私は骨董屋修行を連想する。

まず師匠について、本物中の本物だけをたくさん観る。

たくさんたくさん観る。

そうすると徐々に審美眼が養われて来る。

この行程は絶対に外せない。

そしてその上で、自分だけで骨董品を観て、ホンモノかニセモノか、自分の観立てを師匠に話す。

ここが真剣勝負である。

鉄拳が飛んで来るが、承認してもらえるか、ドキドキものであるが、これを経なければ、いつまで経っても骨董屋として一人立ちできない。

ニセモノを得意になって店先に飾る骨董屋になってはしょうがないのである。

従って、本においても、まずホンモノの本を読んで自分の観る眼を磨くことを強くお勧めする。

そして不思議なことに、本を観る眼ができてきた頃には、人を観る眼もできてくるのである。

2016(平成28)年3月2日(水)『ゴミ箱』

ドヤ顔で、知識をひけらかすヤツの顔をみる度に、思い出す言葉がある。

“A garbage can filled with secondhand knowledge(受け売りの知識の詰まったゴミ箱)”

なんと痛快な言葉だろう。

元のセンテンスは

「あなたが優秀であると信じていた自分の脳が、あたかも受け売り知識の詰まったゴミ箱であったと感じるだろう」

で、

近藤先生がホーナイに促されて行ったニューヨークでの最初の講演『Intuition in Zen Buddhism(禅と直観)』の中にある一節である。

われわれの脳はゴミではない。

われわれの存在はゴミではない。

その尊さを本当の意味で発揮するとは、一体どういうことなのだろうか。

いつまでもゴミまみれのドヤ顔では情けなさ過ぎる。

真実の道を始めよう。

2016(平成28)年2月26日(金)『江戸っ子の弱点』

基本的に、気っ風(ぷ)の良い江戸っ子気質(かたぎ)は好きである。

表裏がなく、喜怒哀楽を隠さず、結論から言い、はっきりくっきりしていて面倒臭くない。

しかし、江戸っ子も良いところばかりとは限らない。

かつて「ラテンの馬鹿」について書いたのと同様に、江戸っ子には江戸っ子の弱点がある。

その最大のものが、深い内省性の欠如、特に幼少期に自分に埋め込まれた価値観に対する無反省性である。

例えば、気持ちの良い下町の鮨屋の大将がいたとする。

わかりやすくて、威勢が良く、竹を割ったような性格である。

根性の曲がった客が来ようものなら、「てめぇに喰わせる鮨はねぇ。とっとと帰(けぇ)りやがれ!」と追い返せる。

その大将が、ある時、親について不満を言っていたカウンター客同士の会話に割って入った。

「親の言うことは聞くもんだよ!」

これだ。

親への服従が絶対的善として自分に埋め込まれていることに気づかない(気づけない)のである。

よって、その上何かを言おうものなら、内省・検討することなく、「うるせー! 出てけ!」ということになり、変化・成長につながらない。

これを「江戸っ子の馬鹿」という。

江戸っ子の勢いに、内省できる感性が付けば、鬼に金棒なんだけどなぁ。

賢明なる江戸っ子こそが「頭領」や「姐さん」の称号に値する。

2016(平成28)年2月17日(水)『依存と自立』

私が近藤先生のところに通い始めた頃、先輩医師の中には既に十年近く通っている人がいた。

医局の医師の中には、

「そんなにいつまでも依存しててどうすんだよ。」

という人もいた。

だからバカちんは困るのである。

近藤先生が依存を助長するわけがない。

その人がよりその人して生きて行けるように育(はぐく)んで下さっているわけであるから、むしろ通えば通うほど自分を見出だして行くことになる。

実は、その指摘をした人自身が、自分の問題に薄ら気づきながら、恐くて教育分析に踏み出せず、そういう自分を合理化する(自分は他人に依存をせず一人でやっている強い人間だ)ためのセリフであった。

しかし下には下がいるもので、それを聞いて、自分がものすごく依存してしまうんじゃないかと不安になって、通うのをやめた大バカちんがいた。

猫に小判、豚に真珠って本当にあるんだな、と思った。

後に行き詰まった彼が再び面談を申し込んだときには、最早予約枠はなく、その後先生は遷化された。

自業自得、覆水(ふくすい)盆に返らず、である。

恥ずかしながら不肖の弟子たる私も、クライアントを観て、この人が本来何者かを感じ取り、その人がその人たるようにセラピーを行っている。

依存させるわけがない。

その人がその人を取り戻し、勁く生きて行けるようになることは、人間というものに対する普遍的な願いなのである。

2016(平成28)年1月28日(木)『ゆすらうめ』

今現在も、関西、東北、北海道から八雲に通って来ている方がいらっしゃる。

また、直線距離的には近いようでいて、交通の便の悪い地域から何時間もかけて通って来ている方もいらっしゃる。

それだけでも求める気持ちの強さをひしひしと感じる。

反対に

住所が目黒区じゃないから遠い

最寄り駅が東横線じゃないから遠い

と言う方もいらっしゃる。

孔子の言葉を思い出す。

「『唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(はん)せり。

  豈(あに)爾(なんじ)を思(おも)わざらんや。

  室(しつ)是(こ)れ遠(とお)ければなり。』

 子(し)曰(いわ)く、未(いま)だ之(これ)を思(おも)わざるかな。

 何(なん)の遠(とお)きことか之(これ)有(あ)らん。 」 

 (『論語』 子罕第九 三十)

下村湖人(に多少私が加筆した)による意訳を挙げる。

「民謡の恋歌にこういうのがある。

 『ゆすらうめの木、花咲きゃ招く、ひらりひらりと、色よく招く。

  招きゃ、この胸、焦(こ)がれるばかり。

  道が遠くて、行かりゃせぬ。』

 孔子はこの民謡を聞いて言われた。

 まだ想いようが足りないね。

 なあに、遠いことがあるものか。」

さすが孔子はなかなかに粋な人である。

本当の自分を生きることに恋い焦がれている人たちよ、どうぞ八雲にいらっしゃい。

2016(平成28)年1月16日(土)『堕ちるな』

かつて親戚のおじさんが、某プロ野球チーム関係者から聞いた話として、

競争の激しい2軍選手たちは、同じチームの1軍選手の誰かが怪我をしたという情報が入ると、自分が代わって1軍に上がれると思って喜ぶのだ、ということを言っていた。

それを聞いていた母親は、やっぱりそれぐらいでないと厳しいプロの世界じゃあ通用しないのね、と妙に感心していたが、

傍らにいた当時中学生の私は、だからこの二人はダメなんだ、と思ったのを覚えている。

他人の不幸を喜ぶようになったら、プロ野球選手である前に、人間としておしまいである。

どんなに競争が大変でも、人間が下衆(げす)に堕ちてはいけない。

そのヒマがあったら、練習して実力で1軍に上がれ。

 

話代わって、子どもの頃から対人関係がうまく行かなかった青年。

就職しても、上司や先輩から叱責される毎日が続いていた。

同僚たちの中には、本人の器用でないところを買ってくれる人たちもいたが、

ある日、彼に対して毎日のように怒る上司が、躓(つまづ)いて皆の前で転倒した。

かなりひどい転び方だ。

心配して駆け寄る社員たちを横目に、一番近くにいた彼の口もとがニヤリと笑うのを周りの人間は見逃さなかった。

そうして彼は数少ない味方も失い、全員から、本当の意味で、軽蔑されたのであった。

どんなに辛くても、人間が下衆(げす)に堕ちてはいけない。

われわれの存在のプライドにかけて、人間としての感覚のマトモさだけは守らなければならないのである。

2016(平成28)年1月8日(金)『完敗』

各国独特のご当地料理にはかなりの自信があった。

毎年の忘年会で世界各地の変わった料理を制覇して来た実績もある。

で、正月明けに入ったタイ料理店。

看板に「本格的タイ東北料理専門店」と書いてあったが、気にも止めず入店。

タイ人の店員さんに魚の塩漬けの入った青パパイヤのサラダというのを注文する。

ナンプラーやパクチーなどはちろんは経験済みで、むしろ「タイらしくって良いんじゃないの。」くらいの気持ちで注文したが、これが大波乱の幕開け。

後にわかるのだが、一般のタイ料理と、タイ東北部の地方料理=イサーン料理!とは全く別物なのであった。

皆さんはパラ―というのをご存じだろうか?

魚の塩漬けとだけ書いてあったのだが、これが大変なシロモノで、強烈な香りと味の発酵食品である。

匂いだけで悪心(おしん)。

口に入れて嘔気(おうけ)。

咀嚼(そしゃく)してリバース寸前

を体験。

ぅぐぅ…、か、完敗だ。

座卓に座ったまま、何故か壁のタイ国王の写真に頭を下げる。

知らなんだ。

イサーン料理って、激辛、発酵、昆虫食、爬虫類食などで有名な、超個性的料理なんだって。

しかも、パラ―に関しては「ハマッたら毎日でも食べれそうなお味。反対に駄目だ・・・と思った方はもう一生食べないのではないでしょうか」とまで書いてある。

しかぁし、このまま料理を下げてもらっては男が廃(すた)る。

ここで思い出したのが、あの郡山での不味(まず)いトマトラーメンとの戦い。

強烈な味は強烈な味をもって制す。

幸いテーブルの上には各種香辛料が並ぶ。

パラ―を払いつつサラダを別皿に移し、

香辛料全種類投入。

これで何の味かわかるまい。

しかしパラ―も強烈な抵抗。

香辛料の合間を縫って鋭く反撃して来る。

ウッ、ブフッ、ウゲラッ、負けるもんか。

そしてなんとか流し込んで、センソム(タイのラム酒)をあおって終了。

帰って胃薬を飲んでから、体制の立て直しである。

     まだまだ世界制覇の道程(みちのり)は遠いのであった。    (to be continued)

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。