2019(平成31)年1月29日(火)『推薦図書』

以下に、お薦めの図書を挙げる。

これらは唯一の親友および近藤先生に教示していただいたものがほとんどである。

有り難いことだと思う。

お読みになって感想などあれば、面談のときにお話しいただきたい。

内容のかなり深いものもあるが、敢えてここで解説はしないでおこう。

字面だけ「読みました。」では意味がなく、どれだけ読めたか、がワークとなる。

他にも、面談時でないとお薦めできない図書が数えきれないほどある。

それはまたそれぞれの面談のときにお話することとしたい。

[1]司馬遼太郎 『竜馬がゆく』全8巻

         『世に棲む日々』全4巻

   ※この順番で読むことが望ましい。

[2]三島由紀夫 『豊饒の海』全4巻

[3]川端康成 『古都』

        『眠れる美女』

        『山の音』

   ※この順番で読むことが望ましい。

[4]パール・バック 『大地』全4巻

[5]深沢七郎 『楢山節考』

        『笛吹川』

   ※[4][5]は続けてこの順番で読むことが望ましい。

[6]隆慶一郎 『吉原御免状』

        『かくれざと苦界行』

[7]高山樗牛 『瀧口入道』

誤解のないように付け加えるならば、これらは決して必読図書ではない。

読んでみたいな、と思われたときに読まれればよい。

まず図書館などで借りて読み、気に入ったものがあれば購入されると良いと思う。

2019(平成31)年1月19日(土)『結婚式』

今日は、久しぶりに結婚式に出席した。

初めて乗る長野(北陸)新幹線は快適で、晴天に恵まれ、気温も思いの外、あったかかった。

それにしても、若い人たちの結婚式というのは良いもので、本人たちは自覚していないが、そこには生命(いのち)の勢いがある。

そして結婚式は、ちょっとばかり長く生きている者が、若い二人のこれからを応援する集いでもあると私は思っており、

やがて二人が人生の時を重ね、さらにまた後進、後輩(子どもたちも含む)を応援する存在となってほしいと願っている。

血縁、地縁といったものもあるけれど、私は、赤の他人が出逢い、互いに信頼し、相手のことを大切に思うようになることの奇跡を思う。

これからいろんなことがあるかもしれないが、是非、自分が自分であることを、伴侶が伴侶であることを互いに願い、助け、深めて行く日々を重ねて行っていただきたい。

「恋」の「華」も良いのだけれど、「愛」の「実」がならないと深みがないからね。

良い式でした。

何度も胸打たれました。

心からお二人の幸せを祈ります。

2018(平成30)年12月11日(火)『老いたピエロ』

落語会に行って来た。

入船亭扇遊と柳家小三治という奇跡の組み合わせで、根性でなんとかホール最後列のチケットを手に入れた。

で、会場のある新小岩の駅に初めて降りる。

駅前のそば屋で蕎麦をたぐり、ビールで勢いをつける。

せいろを運んで来たまだ若い大将の手の甲まで立派な利迦羅紋紋(くりからもんもん:刺青)が入っている。

新小岩である。

良いじゃないの。

そして日暮れの道を会場に向かう。

ホールは落語好きたちでいっぱいだ。

開口一番の後が、まず柳家一琴。

今日の高座はレベルが高い。

すぐに出て来るような噺家ではない。

いきなり笑いを持って行かれる。

続いては扇遊。

今の扇遊がトリでないこと自体が普通ではないのである。

経験、気力共に充実した扇遊の江戸前の味を堪能する。

そして仲入りの後が小三治。

えっ?

入って来た小三治を見て我が眼を疑う。

嗚呼、老いてしまった、衰えてしまった。

全ては術後の病み上がりのせいであると信じたい。

小三治の噺を聴きたい人は早くした方が良いと本気で思った。

それくらい、二年前の独演会のときの小三治とは別人であった。

それでも、短い噺の中に小三治ならではの味わいが光る。

しかし、私の心に残ったのはその前のマクラ噺である。

「話しているうちに、何処に行くかわかりません。」

と言いながら、何度か低い声で歌った旧友フランク永井の『公園の手品師』。

♪ 銀杏(いちょう)は手品師、老いたピエロ〜

 

「老いたビエロ」に胸を突かれる。

それは誰のことなのか。

 

やはりマクラの小三治であった。

帰りの夜道に回復を祈る。

2018(平成30)年11月22日(木)『なんくる再考』

「なんとかなる」という。

おまかせしているようで、まだどこかに、ひょっとしたら期待通りになるんじゃないか、期待通りになってほしい、という我欲が臭う。

まだ執着が切れていない。

今ひとつである。 

「なるようになる」という。

こちらの方がおまかせしている感じが強い。

しかし、なんとなく投げやりな感じがしないでもない。

どこかに諦念的な暗さがある。 

これも今ひとつである。

これらに対し、「なんくるないさー」という。

流石、しまくとぅば(島言葉)、うちなーぐちである。

前掲の「なんとかなる」と同じようでいて

どうなろうと手放しでおまかせしているニュアンスがある。

明るさがある。

それも哀しき琉球〜沖縄の歴史を踏まえた上での明るさである。

遠藤周作の

「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」

を連想するが

「なんくるないさー」の方がさらに突き抜けた明るさがある。

それは悲しみを誤魔化すための虚偽の明るさではない。

本物の明るさだ。

そしてトドメは、「なんくるないさー、ややいがさー」である。

「ややいがさー」が付く。

馬鹿である(失礼)。

私の大好きな綺麗な馬鹿である。

そうしたら踊るしかないではないか。

生命(いのち)が踊る。

泣きながら、笑いながら、それでも生命(いのち)が躍動して踊るのである。

その生命(いのち)は最早、個人の生命(いのち)ではない。

あなたも、私も、一遍も、シヴァ神も、空も、海も、山も踊り、宇宙が踊る。

いや、気づいてみれば、ずっと前から全てが踊っていたのだ。

思い返せば、それに気づくための「なんくるないさー、ややいがさー」

生命(いのち)の躍動が言わせる「なんくるなーさー、ややいがさー」であったのである。

2018(平成30)年11月5日(月)『ゲシュタルト療法を思う』

医学生の頃、このままの自分が精神科医になったら、自分自身が潰れるか、患者さんに迷惑をかけるような医者になってしまうだろう、という強い危機感があった。

それ故、グループサイコセラピーのワークショップから危ない自己啓発セミナーまで、片っ端から、さまざまなものを受けてみた。

その中で大きな影響を受けたものにゲシュタルト療法がある。

(ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズがカレン・ホーナイから教育分析を受けていたというのも奇縁である)

リスクを超えて自分の本音と向き合い、吐露するワークをさまざまな形で体験した結果、

後に近藤先生から教育分析を受けたときに、自分からどんどんと直面化して行く(通常なら一番話しにくいこと=“秘密”から話して行く)ことができた。

「松田くんはなんで早いのかな。」

と先生から言っていただけたのは、そのお蔭だと思っている。

教育分析や訓練分析を受けたと称する人たちの中にも、私が観ても透けて観えるような不安や虚勢に未だに直面化できていない人が多く見受けられる。

精神分析がゲシュタルト療法に劣るようでは情けない(優劣ではないが)。

しかし実情は、自己一致(本音と建前が一致している)という面では、精神分析家がゲシュタルト療法家に劣っていることが多いのが実情であろう。

そうでなかったのは近藤先生だけじゃなかろうか。

[念のために付け加えるならば、精神科医や臨床心理士の資格を持った上で、トレーニングを受け、ゲシュタルト療法を行っているセラピストが本邦では少ない。私が当時受けたのも大半は外国人セラピストによるものであった。自分が他人の心を操作できるかのように勘違いした素人のゲシュタルト・セラピストがいることに注意喚起しておきたい。]

故に私は、ゲシュタルト療法を自分と向き合うための入り口として体験した後、近藤先生から教育分析を受けることによって、成長の体験を徹底させることができたのだと思う。

しかし今もゲシュタルト療法は好きで、私のワークショップにおいてその影響は明らかである。

あの偽りの皮を脱ぎ、本当の自分をが顔を出すときの、不安と勇気、ハラハラドキドキ、緊張と解放は感動的である。

そのワークもセラピストの色彩を帯びるわけで、私の場合は、お笑いと涙のテイストが強い。

ゲシュタルト療法から学んだ、人間がリスクを超えて成長して行く瞬間を、また今度のワークショップでも共有して行きたいと願っている。

2018(平成30)年9月25日(火)『苦海の化粧(けそう)』

自己中心的で支配的な親の許(もと)で育った私は、従順で過剰適応的な仮面の奥に、ないがしろにされて来たことへの怒りや、不本意なことを強要されて来たことへの強い反感を秘めて育った。

幸いにも近藤先生のお蔭でそれらが明らかになり、教育分析によってかなり楽になったが、

その怒りと反感がその後もふと顔を出すときがあり、なかなかにしぶといものだなぁ、と思っていた。

そんなとき、ある木彫りの地蔵菩薩の写真を見た。

地方の遊廓の中に祀(まつ)られていたその小さな仏像は、全身に白粉(おしろい)を塗られていた。

遊女たちがお参りする度に白粉を塗ったのだという。

昔、女性が遊廓に売られることを「苦海に身を沈める」といった。

ないがしろにされ、不本意なことを強要される極致である。

その遊女たちが、仏像に白粉を塗り(自分が仏に近づくのではなく)仏を我が身に近づけた。

そして、この苦海に凌辱された我が身を、穢身(えしん)とせず、仏身(ぶっしん)として拝んだのである。

嗚呼。

その白く塗られた御姿を観ているうちに、私の中で何かが溶けて行く気がした。

サイコセラピーを業(なりわい)とする私であるが、言葉がなくても、人間でなくても、そんなことが起こることがあるのである。

祈ること、おまかせすることの究極は、そういうところにあるのかもしれない。

2018(平成30)年9月11日(火)『やめどき、つづけどき』

八雲での面談というのは、いつでも終了できる。

抱えていた問題が解決したとき。

自分一人でやれそうな気がしたとき。

いやいや、私のところに見切りをつけて他のセラピストのところに移っても良い。

いつでも終了して大丈夫である。

あなたの人生だ。

誰に遠慮することなく、あなたが決めれば良い。

人間の成長ということに終わりはないが、私のところに通うばかりが成長の場ではない。

しかし、八雲で面談を続けることを選んだのであれば、ちゃんと毎月1回以上は続けた方が良い。

毎週来ている方もいらっしゃるし、月1回の方もいらっしゃる。

毎月1回以上であれば、頻度もまた各自の判断で良いのである。

しかし、面談頻度がどうであっても、例えば、月1回のペースで通うのを義務のように感じるのであれば、いらっしゃらない方が良いと思う。

本当に来るべき時ではないからである。

自分の情けなさを自覚し、成長の意欲を持ったら、義務感になるわけがない。

少なくとも私は次の面談までの1週間が待ち遠しかった。

ようやく息つぎをするような気持ちで通った。

やめどき、つづけどき、それぞれ、さまざま。

但し、私のところに出戻りはない。

来られるのもやめるのも一度切り。

それが人生の決断。

(私と話し合いの上、戻って来る約束で面談を一時休止する場合を除く)

どうぞあなたがお決め下さい。

2018(平成30)年9月2日(日)『変遷』

これまでの開業の変遷について振り返ってみた。

当初は(1)通常の精神科クリニックを開くつもりでいた。

恐らくはそれはそれで成功したと思うが、時間の問題で日々の診療に忙殺され、本格的な精神療法の志は失われてしまったのではないかと思う。

それが恩師の遷化に伴い、急遽、八雲を継承することとなった。

そこで師と同じ(2)精神療法専門の自由診療クリニックでの開業を考えたが、

師の診療の最後の頃は、かなりヘビーな患者さんも多く、玄関先にガソリンを撒かれたり、塀のポスターに火をつけられることもあった。

その程度のことは精神科ではままあることではある(実際、師も屁にも思っておられなかった)が、問題は夜間、八雲が高齢の奥さま一人になることであった。

奥さまのことを託されての八雲の開業であったため、奥さまを危険に晒すわけにはいかない。

それで医療機関という形での開業を断念し(即ち「治療」をメインとすることを断念し)、(3)一般市民と専門職の「成長」のためのカウンセリング機関という形で開業することに決めた。

そういう形での精神科医の開業は先例がなかったが、なんとかなるだろうという根拠のない自信だけはあった。

その後八雲での面談は有り難くも、求める方々を得たが、そうこうするうちに今度は奥さまの逝去である。

慌ただしく八雲から用賀に引っ越し、ひと息ついて、さて、これからどうするか。

選択肢がいろいろある中、来春から(4)6つの医療・福祉専門職を対象とした成長のための精神療法機関に特化することに決めた。

私としては、この変遷の歴史は、私意で決めたように見えて、縁に導かれて決まって行ったという思いが強い。

換言すれば、今生での私のミッションが明確になって行くためのプロセスであったのだと思う。

逢うべき人に逢い、私の役目を果たす。

その根本は、当初から今日まで変わらない、これからも。

そして私も来年で還暦を迎える。

それもまた転機の理由のひとつだ。

“まだ”還暦とも言えるが、“もう”還暦でもある。

逢うべき人は早めに逢いにいらっしゃい、但し、気持ちが固まってから。

それが私があなたに逢うべき本当の“時機”である。

2018(平成30)年8月17日(金)『能面』

能面が好きなことについては既に述べた。 

いくら好きであっても、能面展というのはめったにあるものではない。 

またあったにしても、内容が千差万別で、その面(おもて)の前で立ちすくむようなものが一つでもあれば、大変な僥倖(ぎょうこう)と言って良い。 

先日出かけた金剛流の能面展において、その僥倖に恵まれた。 

注]能楽におけるシテ方五流として、観世(かんぜ)流、宝生(ほうしょう)流、金春(こんぱる)流、金剛流、喜多流がある。

まず「金剛の孫次郎」と言われるように、「孫次郎」の別名「ヲモカゲ」が素晴らしい。 

その名の通り、若くして逝った妻の面影を打ったものと言われているが、そんな「情緒」的な謂(い)われを超えて、「魂」に感応するものがある。 

そうなのだ。 

映画や落語や舞台も良いのだけれど、それらの多くは、触れることによって「情緒」が潤うものである。 

それはそれでよしとするも、「魂」が潤うものではない。 

今回は「魂」が潤うものに出逢えた。 

有り難い限りである。 

そしてもう一つの僥倖が、「花の小面(こおもて)」である。 

秀吉が愛蔵した三つの小面、「雪の小面」「月の小面」「花の小面」のうち、「月の小面」は家康に贈られた後焼失したが、今回は「雪の小面」(金剛宗家(そうけ)蔵)と「花の小面」(三井記念美術館蔵)が並んで展示されている。 

秀吉の感性は余り支持しないが、この「花の小面」は素晴らしい。 

惜しむらくは、傷みが激しかったため修理を経ている、ということである。 

修理前は如何。 

今となっては思いを馳せるばかりである。 

仏像のときにも申し上げたように、能面も蘊蓄(うんちく)とアタマで見る輩(やから)がいる。 

また、対象として観察する連中もいる。

美術的鑑賞では面は観えない。

「魂」で観るべし。

「霊的感性」で感応すべし。

そこに「体験」が起こる。

久しぶりに「魂」をくすぐられる快感があった。

こういう機会がないと生きていることが薄っぺらになるなぁ。

二つの面に感謝するばかりである。

2018(平成30)年7月26日(木)『不安』

「不安」がその人をその人でなくさせる。

「不安」に対するやりくりとして神経症的パーソナリティが生まれる。

その今の自分の「不安」の元は、あのときあそこであいつとの間で体験した「不安」に由来する。

それがある明確な「出来事」として想起できることもあれば

小さな「出来事」の繰り返しであることもあるし

あのときにあたりを支配していたあのイヤな「雰囲気」として漠然と思い出される場合もあるが

強く抑圧されている場合も珍しくない。

(特定の「出来事」が想起できたとしても、実はそれは「前座」に過ぎず、「主役」が後から登場して来る場合もある)

いずれにしても、我々が小さくて弱かった頃に、あのときあそこであいつ(大人)との間で体験した、あの怯(ひる)み、すくみ、臆(おく)して、震えるような「不安」(「恐怖」と言っても良い)が、今ここで新たな刺激の下(もと)に甦(よみがえ)るのである。

そして、その不安を、取り敢えず、やりくりするための方法や精神療法もいろいろと開発されており、

不安が強い場合には、薬物療法も行われることは、もちろん承知している。

しかし私見では、そんな一時しのぎだけでは、不安が再燃、あるいは、形を変えて現れて来るのは、時間の問題だと思っている。

もっと根本的に、もっと本質的に問題を解決しなければならない、と私は思う。

そしてそのために、あのときあそこでのあいつ(大人)との間での体験を徹底的に浮き彫りにして行くという方法もあるけれど、

私は、それをいくらやったところで、アタマで「わかる」だけの話で(「整理」するのには役に立つ)、根本的解決にはならないと思っている。

アタマで「わかる」だけでは人は変わらない。

カラダで「わからなければ」本当の変化は起こらない。

それ故、私は「肚(はら)が据(す)わる」体験の方を重視しているのである。

肚が据われば、怖れるものが減る、不安も減じる。

そのためにどうするか。

古人が伝えて来た伝統を私は重視する。

それが広く伝わっていないことを私は残念に思う。

また、伝わっていても(伝えても)実践されないことを残念に思う。

そしてそれが凡夫なのだと思いつつ

凡夫が目覚めるにはやはり「苦」が

そう

相応の「不安」がなければならないのかと思うのであった。

2018(平成30)年6月14日(木)『独演会』

先日、入船亭扇遊の独演会に行って来た。

以前、柳家小三治の独演会に行って以来だから、落語を生で聴くのは2年ぶりくらいだろうか。

たまには落語を聴かないと、自分が“汚いお利口さん”になってしまいそうな気がする。

良い噺家の落語は私を“綺麗な馬鹿”に導いてくれる。

そして噺家という生業(なりわい)も、自分の身ひとつ、実力ひとつで勝負するワンマンプラクティス。

身近に感じないではいられない。

扇遊はほとんどテレビに出ない噺家であるが、映画『ねぼけ』を観てからの縁で、一度はちゃんと噺を聴いてみたいと思っていた。

映画(そのまま噺家の役)では、真面目な師匠だなぁ、と思った。

役を超えて、どこか人間としての矜持が感じられた。

それが今回、独演会の枕で、先日受賞した芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣賞の話をした。

ご存じの方もいらっしゃると思うが、芸術祭賞が参加公演をしないと受賞できないのに比べ、

芸術選奨は文化庁の方から一方的に評価して与えられるものであり、世間的な評価は高い。

その受賞についてずっと話すので、なんだ、扇遊も他者評価の奴隷なのか、と一瞬思いかけたが、

聴いているうちに、その余りにも素直な嬉しがりようが、欲しかったおもちゃをようやく買ってもらった子どものように観えて来た。

ああ、この人も馬鹿なんだな(失礼)。

おかしくなって来た。

そしてもうひとつ。

今年64歳と言われていたが、非常に元気なのである。

声にも所作にも力があり、これまた、素直に一所懸命という姿勢が感じられた。

これには年下の私も力づけられた。

素直に一所懸命だ。

その「控え目で折り目正しく、しかし隙もゆるみもない語り口」と言われる噺を堪能した。

そして独演会の三席目が終わって緞帳が降りるとき、座布団を外して板間の上に座り直し、幕が降り切るまで深々と頭を下げていた。

律儀な人である。

私的には、当代の噺家としては、柳家小三治の次に、入船亭扇遊である。

2018(平成30)年6月11日(月)『人付き合い』

娑婆の人付き合いというものが、余り得意ではない。

誤解のないように申し上げると、人間は好きだし、人と交わるのも大好きである。

しかし、自覚のない神経症的パーソナリティの持ち主や、成長する気のない神経症的パーソナリティの持ち主と付き合うのは嫌いである。

残念ながら、そういう人たちが、娑婆ではかなりの部分を占めるため、娑婆の人付き合いというものが余り得意ではない、ということになる。

かと言って、いちいち襟首を掴まえて締め上げるのも余計なお世話であろう(そんなことをすれば“変なおじさん”だし、基本的に私のテリトリーに踏み込んで来ない限り、攻勢には出ない)。

よって、結局のところ、自分の問題に自覚を持って成長を求める人たちと話すのが一番好きだということになる(それでこの研究所を開業した)。

そして医療機関における精神科臨床においても、患者さんたちは行き詰まって苦しんで来られているわけであるから、真剣に話すことができる確率が高い。

そこまで求めないにしても

せめて娑婆においては

下町の正直な人たちとか

田舎の飾り気のない人たちとか

純朴な子どもたちであれば

人付き合いは楽しいものとなる。

よって、「求める人」か「素直な人」とだけ暮らして行きたいと思うのであるが

どんなに願ってもそうは行かないのが娑婆の実相(愛別離苦、怨憎得苦)。

その中にまた、私の修行の場があるのである。

2018(平成30)年6月9日(土)『気持ちが寂しくならないように』

A君はまだ若いけれど、亡くなった親の借金を抱えて苦労し、十数年かけて、先日ようやく完済したという。

しかしその間、彼なりに学んだ大事な経験智があった。

まず当初は若さもあって、一日でも早く借金を返したいと性急になっていた。

毎日毎日働き詰めに働いた上に、支出も極限まで切り詰め、特に食費に関しては計算に計算を重ねて節約した。

しかしそれを半年も続けているうちに段々と息切れして来た。

息切れして来たといっても、

栄養は計算していたので、栄養失調はない。

また、睡眠時間や休養についても計算していたので、かろうじてではあるが、過労には陥っていなかった。

そうではなくて、人間はやっぱり生命維持に必要な最低限のものだけじゃあ、生きて行けないようになっているのである。

彼は「気持ちが寂しくなった」と言った。

「気持ちが細る」とも言った。

やっぱり、彩りがないと、遊びがないと、余裕がないと、人間は生きて行けない、生きている気がしないのである。

「それに気づいてからは、ちゃんと無駄遣いができるようになりました。」

と彼が言うので、

「『無駄』じゃないよ。『必要』な出費だよ。」

と私が言うと

「『無駄』と言うところに昔の自分が残ってました。」

と笑った。

そして彼は十数年の返済生活を乗り切った。

さて、我々も娑婆の拘束に「気持ちが寂しくならず」、人生の彩りを楽しもうか。

2018(平成30)年5月23日(水)『教わりどき』

ある二人のピッチャーがたまたま同時期に、今の自分のピッチング・フォームでは体重や力がうまく球に乗っていないことに気づき、同じピッチング・コーチにフォーム修正のアドバイスを求めた。

ピッチャーの持っているポテンシャルを最大限に発揮してもらいたいと思ったコーチは、自分の智慧と経験を尽くし、ピッチング・フォームの根本から容赦なく修正するアドバイスを行った。

ピッチャーAは、自分でできる工夫をやり尽くしてからコーチに頼んだため、コーチのアドバイスを素直に受け入れ、程なくフォーム修正に成功し、球速・球質ともに飛躍的に改善した。

それに対し、ピッチャーBは、悩んではいたが、やり尽くすまでは工夫しておらず、まだ自分のやりたいようにやりたかったために、また、コーチのアドバイスは自分がやって来たことを否定されたような気がしたために、頼んでおきながらアドバイスに抵抗し、フォームは余り変わらず、球速・球質に大きな変化はなかった。

これは私の行っているセラピーにおいても全く同じ話である。

ピッチャーBのようなタイプの人は、あるいは、まだ自分でできる工夫をやり尽くしていない人は、他人に訊かず、一人でやった方が良いと思う。

自分にとって耳触りの良いアドバイスしか聞けないのであれば、今までと大して変わりようがないではないか。

かつて私が恩師の許を訪ねたときは、既にできることはやり尽くし、全否定もされる前に自分で全否定していたために、何でも聞くことができた。

そうなると話は早い。

もちろん大切な前提を忘れてはならない。

そのコーチ、あるいは、その師のことを心の底から信頼できなければ、話は始まらない。

それがあって初めて、単なる「妄信」や「隷属」でない「師事」が成立する。

「師事」する相手を選ぶということは、極めて自立的な選択なのである。

私はいつも八雲でそういう出逢いを待っている。

いや、そういう出逢いのために私は生まれて来たし、セラピストになったのである。

2018(平成30)年4月10日(火)『はたらく』

Aくんが就職したのは、ある就労移行支援事業所。

同期の女性Bさんも一緒だった。

当初順調そうに見えた入職も、3カ月頃から徐々に雲行きが怪しくなって来た。

「明らかに就労したくない人、今は就労しない方がいいと思える人に就労の支援をするのはおかしいでしょ。」

とBさんが言い出した。

(最近よくこういう話を聞くなぁ)

Aくんは黙っている。

「なのに、私たちの成績や収入のために、向いてない人に勧めるのはイヤですよね。」

Aくんはやっぱり黙っている。

そして、Bさんは所長と何度もやり合った。

『それでも就労させなきゃいけないんだよ!』

「なんのためですか!?」

『俺ら、それで喰ってんだよ。おまえの給料だってそこから出てんだ。』

「所長! 自分の子どもにもそう言うんですか。『お父さんは必要のない人を働かせるように持ってって給料もらってる』って。大体、そんなことしたくてワーカーになったんですか!?」

『〇□△×!!!!』

で、彼女は6カ月で辞めてしまった。

後に残ったAくんは、疑問に思いながらも、不機嫌な所長にビクビクしながら仕事を続けていた。

そして1年が経つ頃、風の便りに、Bさんが納得できる精神科クリニックに勤め、今は元気に働いていることを聞いた。

そしてもうひとつのニュースがある。

なんとその所長が辞めてしまったのである。

おいっ!

聞いてないよぉ。

そして、いかにも言われるがままの後任所長が来て、ようやくAくんはその事業所を辞めた。

彼が入職して1年3カ月目のことである。

少なくとも、今、不本意な仕事をやっている人間が他人に就労を勧めるのはいかがなものかと私は思う。

基本的に、この世に自分として生まれて来た以上、自分以外を生きる選択肢はないんだよね。

ならば、職場の中で自分を保つか、職場を変えるかしかないことになる。

自分をだまくらかしたり、自分の欺瞞に他人を巻き込んだりしながら生きるのは、もうやめた方が良いんじゃないかな。

さて、所長とAくんの次の就職先と働きぶりに期待したい

もう魂は売るな。

最後に、就労移行支援事業所の名誉のために付け加えるならば、利用者の真のニーズを丁寧に判断しながら、表面的「成績」に走らず、ちゃんと運営できている事業所のあることも明記しておきたい。

2018(平成30)年2月16日(金)『懺悔』

キリスト教に告解(こっかい/こくかい)というものがある。

(一般に言う懺悔(ざんげ)はキリスト教全般でいうものではないそうだ)

仏教でも懺悔(さんげ)という。

己の愚かさ、醜さ、汚さを見つめ、認めて、告白するわけである。

それは真摯な、時に感動的な姿勢でもある。

しかし、神仏の方からその姿をご覧になったらどうであろうか。

人間は自分の愚かさ、醜さ、汚さの千分の一も自覚できていないかもしれない。

実際、精神分析の仕事をしていて思う。

われわれが意識できることは、どんなに分析しても、全体のほんの僅かに過ぎない。

それくらいわれわれが愚かで無力であることは、きちんと認めておいた方が良いと思う。

そして神仏の方では、全てを見通された上で

稚児を愛(いと)おしむように、この最低の愚か者たちを見守って下さっているのである。

それを感じれば、手を合わせ、頭を下げて、祈るほかにすることはないではないか。

そんなことを冬の空に思うのでありました。

2018(平成30)年1月29日(月)『真骨頂』

面談において、何が問題の本質なのかを明確にして浮かび上がらせ、それを乗り越える具体的な道を一緒に考えて行くことは、通常のセラピーの基本である。

しかし、近藤直系の八雲のセラピーでは、それだけではないことが稀に起こる。

ある若い男性のクライアント。

因襲の強い地方出身。自己中心的な父親、過干渉な母親の許で育つ。

会社でも、最低限の業務を除けば、面倒な上司、先輩や、同僚との交流を一切忌避する。

彼女もいなければ、結婚する気もない。

もちろん実家にも帰っていない。

一人でいる方が清々すると本気で思っている。

そんな彼が通って来る。

より詳細に生育史や現状について伺う。

特に私から指示的なことは言っていない数カ月目、

突然彼が言い始める。

「自分でも不思議なんですけど、なんか人と交わりたいんですよね。」

「あんなにイヤだった人が、どっちかというと、好きなんですよ。」

そんなことが起こることがある。

意識的、操作的なセラピーは行っていない。

生育史や現状の分析もまだ途中である。

それなのに変化が起きる、しかもこの人にとってかなり本質的な変化が。

となると、会話以外のところで何かが起こっていたとしか言いようがない。

それが薫習(くんじゅう)。

個人の無意識を超えたところで、私を通して働くものがあなたに影響を与え、あなたの中の本来のあなたを発現させる。

それが勝手に起こる

そういうところが八雲のセラピーの真骨頂なのである。

但し、私が意識して行っているものではないので、

それがいつ起こるのか、

今も起こっているのかいないのか、

私にはわからん。

妙なセラピーを受け継いだものだと思う。

しかしこれこそがセラピーだ。

但し、私の周りでは「稀に」起こるに過ぎないが、

近藤先生の周りでは「しょっちゅう」起きていたと記憶している。

まだまだ道のりは長い。

2018(平成30)年1月22日(月)『雪』

雪の降らない地域にたまに雪が降ったりすると、喜びはしゃぐ人たちがいる。

それを見て豪雪地帯の人たちの一部に(もちろんごく「一部」であるが)

「雪の大変さも知らずに、いい気なもんだ。」

などと悪口(あっこう)をきく輩がいる。

狭量だなと思う。

雪を見てはしゃぐ人たちを微笑ましく見ていられないのかと思う。

東日本大震災で小さなお子さんを亡くされた女性がいた。

移り住んだ東京で、隣家に赤ちゃんが生まれた。

赤ちゃんを抱きながら、涙ながらに「おめでとう。」と言った。

涙も「おめでとう。」もそのままの想い。

生きる姿勢の美しい人だなと思う。

人間だから、悩み、苦しみ、悲しむときがある。

しかし、それはそれとして、他人の喜びや幸せを喜べなくなったら、人間として貧しいんじゃないかと思う。

2017(平成29)年12月29日(金)『おまえの番だ』

いわゆる精神世界に関心のある人と話していて、時々心に引っかかることがある。

例えば、Aさんは二十代の頃から、ロジャース派カウンセリング、森田療法、フロイト派精神分析などいろいろなセラピーを受け、

自らも参禅し、ヨガもやり、カトリックの霊操法など、さまざまな体験を積極的にして来られたのだが、

五十代になった今でも、彼の口をついて出る言葉は、

「○○はセラピストとしてホンモノではない。」

「□□老師には大悲がない。」

「△△神父には愛を感じない。」

などの評論家的批評ばかり。

それはあたかも、子どもが親に対して文句をつけるような言葉のオンパレードなのである。

流石に私は彼に忠告した。

最早あなたは、文句ばかり言っても許される、青少年や若き弟子や幼いクライアントではない。

そもそもあなたが批判していることをあなた自身はできているのか?

そういうときだけ、いやいや私は素人ですから、宗教家ではないですから、と言って逃げるんじゃない。

四十も五十も過ぎた良い大人なんだから、せめて一市民として、あなたの友人や家族や縁あって出逢った人たちをあなたが愛する側に回っても良いだろう

今度はあなたの番だ。

やってみせよ。

私がいわゆる批評家、評論家が嫌いな理由がここにある。

作品に難癖つけるのなら、おまえが書いてみせろ。

料理に文句つけるなら、おまえが作ってみせろ。

自分自身もまた批判を受ける俎上(そじょう)にあがって初めて、他人を評する資格が生じる。

そうでなければ卑怯である。

子どもの頃を過ぎたら、汝もまたリングに上がるべし。

2017(平成29)年12月14日(木)『脅し』

先日の勉強会で

「夜口笛を吹くと狼が来る」

という言い伝えが話題になった。

「狼」の代わりに「蛇」「泥棒」など何パターンかあるようだが

元々は子どもたちに夜口笛を吹かせないようにするための躾の伝承であった。

どうも各地にこういう「脅し」による児童教育的伝承があるようだ。

個人的には極めて気持ちが悪い。

そんな持って回った嘘をつく暇があったら、子どもに向かって正面切って

「夜は静かに休みたい人もいるから口笛を吹くな。」

と言えば良いだろう。

そう言えば、かのなまはげも

「泣ぐ子はいねがぁ。」

と恐い面をつけて子どもを脅している。

泣いたって良いではないか。

私としてはなまはげ太鼓が好きなだけに、ああいう脅し台詞は是非やめていただきたい。

どうしても脅したいなら、子どもではなく、大人に対して

「ニセモノの自分で生ぎでるヤツはいねがぁ。」

「仮面つけて生ぎでるヤツはいねがぁ。」

と迫っていただきたい。

…などと思ってバスに乗っていたら

ダダこねしている2歳の女の子に対して、若いお母さんが

「恐い運転手さんに怒られるよ。」

と脅していた。

それを聞いた運転手さんの

「ブフッ。」

という吐息がマイクを通じてバス中に響いた。

とんだ巻き込みである。

脅しによって子どもをコントロールしようとする伝承、止めるべし。

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